週明雑記 〜 酒場放浪、島暮らし


台風一過のクリアな空が好きな人は多いと思う。
まるで空に掃除機がかけられたような気分になるから、気持ちもスッキリする。


低気圧が過ぎ去ったにも関わらず、どうにも調子が良くなかった今日。重たい頭を抱えながら歩かなければならないような時、気をダランと抜いて見れるような番組が好きだったりする。

その一つが、「おんな酒場放浪記」

BS-TBSで放送している、とてもダラダラした番組だ。

コピーも「酒場という聖地へ 酒を求め 肴を求めてさまよう・・・」というダラけたもの。

でも、この番組が僕は大好きである。酒豪を自称する女流棋士、モデル、カメラマンなどが居酒屋にフラッと入って常連と交流しながら酒を飲むだけの番組なのだけど、これがまた、同じく「酒場好き」の僕からしたら、その雰囲気がとても心地よくて、ああ、出張先や旅先でこんなことが出来ればいいなと、自分の中の妄想と重ね合わせてバーチャルトリップを楽しんだりする。そして、そのような時はバーよりも居酒屋や小料理屋がいい。


どこからが「アル中」なのか「そうでない」のか、その境は分からないけれど、外飲みじゃなくても、家でも必ずウイスキーをソーダで割って何杯も飲むし(今日のような鈍痛の時は、着替えもせずに真っ先にキッチンにいって冷凍庫で冷やしたサントリー角瓶を取り出す)、それすら我慢できない時は、最寄駅前のコンビニで缶ハイボールを買って、家までの徒歩3分の間にぶらぶらと飲みながら帰ったりする。だから、夜にブログを更新する時は、必ずアルコールが入っている。今もまさにそうだ。

そうすることで、硬直した脳に血を通わせているような感じがする。一口飲むと、脳にまた血が通い始める。これで「ああ、良かった、今夜も寝るまでの時間を楽しめる」とホッとする。これってなんだろう。精神安定剤のようなものだろうか。


帰宅すると、珍しく長女が起きていて、iPadを駆使しながら何やら調べ物をしている。聞くと、宿題で「周防大島の暮らし」を調べなけれならないとのこと。なぜに山口県?と思っていると、娘が通っている小学校は4年生から毎年修学旅行のようなものがあり、今年は広島、山口に行くと。恐らく、その前調べなんだろうと思う。

早く寝なきゃいけないからパパも手伝ってと言われ、周防大島について調べていると、なんとまあ、島暮らしの素晴らしいことよ。美しい海に、大自然。うまい魚に農作物。

何もTVを見なくても、こんなことがきっかけでバーチャルトリップが出来ることもある。

予定が変わって良いこともある


天気予報では、今日一日雨とのこと。
朝起きたらシトシトと雨が降っているのだろうと思ってカーテンを開けると、曇天ではあるものの雨は一滴も降っていない。よし、今のうちだと思ってウェアに着替えてランに出発。途中で降り出したら引き返してこよう、くらいの気持ちだった。

海から見た空は、不穏な感じ。

山側も。

ところが全然、雨が降る気配がない。
結局10km走って帰ってきたけれど、同じように「あれ、降ってないやん」と思って出て来たような人々が、犬の散歩やランニングなど思い思いに河川敷を楽しんでいる。なんだか不思議な光景だ。

これなら山に行けば良かったな〜などと思いながらも、一日自宅で過ごすつもりだったので色々と予定をこなすことが出来て良かった。買い物にも行けたし、仕事も家事もしっかり出来た。こういう日があっても良いなと思う。

【Run】距離を確保することって、意外と難しい


11月末のフルマラソンに向けて、走行距離を伸ばして行こうと思っています。

今まで週末は10km、平日の朝は、5km〜10km程度だったのを、LSD(Long Slow Distance)を取り入れていかなければ、いつものように30kmを過ぎてガックーンとスピードが落ちてしまう。

フルマラソンのためのLSDは、30km、3時間が目安のようです。7分/km ペースくらいのゆっくりスピードでとにかく長い距離を走る。そうすることで、長い距離と時間に身体を慣らして行くことができるんですね。


というわけで今朝、いきなり30kmはキツイので足慣らしに20kmを走りました。ペースも05:47/km でゆっくりと。30kmなら、キロ6:00〜6:30でも良いかもしれませんね。LSDをする時に悩むのが「どこを走るか」ということ。国道沿いをひたすら西へ東へ走れば、もちろん距離は稼げるのだけれど、信号で止まらなければならないし、車の排気ガスも嫌。かと言って、河川敷や同じ場所をグルグルと周回するもの嫌。せっかく長い距離を走るのだから、少しでも景色を変えてみたい。

そこで今朝は、芦屋川を南下して、浜の堤防沿いを走り、夙川を遡上するというルートを通ることにしました。夙川河川敷の遊歩道の一番北まで行けば、10kmくらいは稼げそうです。

久しぶりの夙川。
芦屋川とはまた景色が違います。

香櫨園浜

芦屋川

今日も涼しく、走っていてとても気持ちよかったです。
何をするのも良い季節になりましたね〜。

”必要のないもの”を保持し続ける必要はない理由について

【内容正当故、閲覧注意されたし】


昔懐かしの味、ナポリタンとハイボールの組み合わせ。

僕はジャイアントコーンが好きである。

厳密に言うと、ジャイアントコーンが好きなので、ミックスナッツは買わないし、他のナッツを必要と感じない。つまり、「ジャイアントコーン原理主義者」だ。

必要と感じないものには即刻退場していただきたいという「白黒はっきりした」考えの持ち主であるし、不利益な要素(経済学的に言うと、満足をもたらさないもの)はできるだけ早い段階で排除すべきであるという考え方を持っている、とても分かりやすい人間である。

その因子に前科があるかどうかはどうでも良い。組織として利益があるかないか、顧客に気に入れられているか、そうでないか、である。


誤解のないように言うと、人間は不完全であるがゆえに過ちや罪を犯すものであるとは理解しているが、企業単位、資本主義経済単位で言うと、利益を生まずに不利益な事ばかりする要素については、保持(あるいは維持)する必要がない。そうする倫理的な理由も、どこにもない。

資本主義経済においては、即刻排除、または、自ら退場いただくしかないということが、残念ながら現実としてある。それが嫌なら、北朝鮮か、キューバか、中国に行って工場のラインに並べばよろしい。

悲しいかな、経済合理性とはそういうものであるし企業は利益を追求する集団であるがゆえに、不利益を生む要素を、即刻排除することは仕方がない。残念だけど、そういうものだ。そこに善悪がないかと言えばそうではない、一番の悪は「独りよがりで自分が一番正しい」と思っているどうしようもない因子なのである。

この年齢になって美味しいと感じるもの


かなり前の話になりますが、味噌カツと味噌煮込みうどんを名古屋で食べた時に、それらの美味しさがあまり分からず「ふーん、こんな感じか」と思って以来、口にすることはありませんでした。そもそも、トンカツを塩で食べる程の塩党ですから、ソースはまだしも「味噌」をつける意味が分からなかったのです。

しかし今日、ものすごく久しぶりに味噌カツを食べるチャンスが訪れました。出張で訪れた名古屋駅の「名古屋旨いもん通り」(?)みたいなネーミングのエキナカ食堂街を、打ち合わせ帰りにぶらぶらしていると、ちょうど「名古屋めしが食える店」みたいな店があり、まあ、名古屋は良く訪れるとはいえ、「らしいもの」は一度も食べたことがなかったし、いっちょ行ってみるかと、普段は入らないスイッチがONになってしまった訳です。

で、オーダーしたのが、こちら。

味噌ロースカツ定食と、手羽先。
まるで観光客のようなメニュー。

前回がいつだったか忘れてしまうくらい、本当に久しぶりに味噌カツ。お味は・・・旨い!!うん、旨い。炭水化物制限中なのに、ご飯が欲しくなるじゃないか。まあ、昼間だし食っちゃえ!・・・パクパク・・・ご飯と一緒だと、また一段と美味しい〜!と、一人飯なのにキャッキャウフフ顔で完食してしまいましたね。

味噌カツも、手羽先も、基本甘めの味付けなんですね。
塩ばっかりを好んで食べているので、たまに食べる甘めの味付けが余計に美味しく感じたのかもしれません。まあ、意外でした。

でも、まあ「たまに」でいいかな。笑

エボラ出血熱とForbes400の対比・人の生き死には極めて個人的な出来事なのか


児童の殺傷事件や御岳の噴火災害など心が痛むニュースが多い中、この記事には胸がうずいてしまった。

エボラ出血熱で数千人の孤児 親族に拒否され路上生活を送っている子供の約2割は2歳未満(画像)【huffingtonpost】


(September 23, 2014. ZOOM DOSSO/AFP/Getty Images – huffingtonpostより)

両親を亡くし、親族にも受け入れを拒否され、一人で路上に佇む子供たち。明日を夢見て眠ることを許されない子供がいるという悲惨な状況がまさに今この世界で起こっているという現実。子供達の表情を見て、この記事を読むんじゃなかったという後悔すら感じずにはいられない程、胸にうずく何かを生んでしまった。

しかし実際、この記事を読んでひどく悲しんでいる僕に、彼らが救えるのだろうか。エボラの感染拡大は悲惨な現実を生んでいるけれど、今この瞬間にも、最愛の子どもや、愛する親や、仲間を亡くしている世界中の人々の悲しみ、何らかの理由で殺されようとしている人々や、不条理に苦しむ人々の絶望と、アフリカの子供達との悲しみには、何かの違いがあるのだろうか。

ちょうど毎年好例の Forbes 400 がリリースされた。

Forbes400 – The Richest People In America 2014

毎年、大体同じ顔ぶれが並ぶ。ゲイツの8兆円に続き、バフェット、ラリー・エリソン、そして悪名高いコーク兄弟が4位、5位を締め、ウォルマートファミリーが10位以内を独占という変わらぬランキング。若干30歳、ラフなTシャツを着たザッカーバーグが3.4兆円で11位に入っているのが話題という。トップ400人の個人資産の合計と、人口2億人のブラジルのGDPが同じ額という、にわかに想像し難い富の偏りも、この世の現実として存在する。

とは言え、裕福な彼らが死の淵に立たされた時の絶望、あるいは愛する人を亡くした時の深い悲しみの気持ちと、アフリカの子どもたちの気持ちに何か違いがあるのだろうか。

人の生き死にや絶望や悲しみというのは、極めて個人的体験なのではないかと考えるのは、どこかで「人間は公平であるべきだ」「命の価値は同じだ」、あるいは「現実を見たくない」という自己納得と自己防衛本能が入り混じった考え方なのかもしれない。

香港の抗議デモのように、目に見えない力で人々の自由や平等や尊厳が奪われることもある。

世の中は不公平と不条理で満ちているかもしれない。それでも、病気であれ、地震であれ、戦争であれ、人の生き死には悠久の歴史で繰り返されてきた「いとなみ」であるし、その場その場の体験は、ごく個人的なものなのだということを受け入れることで救われることもあるのかもしれない。

それでも、何か出来ないか、何とか良くする方法はあるのか、せめて何かしたい・・・
こういう人々の気持ちがこの脆い世界を支えているのも、また事実として存在するのだろう。

このような光景が見られるのも今だけ?


打ち合わせに行く途中に、良く通り過ぎるグランフロントのウェストサイド。

この光景が大阪駅の北側すぐっていうところが、いつ来ても信じられない。近年、没落傾向が指摘される大阪だけれど、少なくともGRP(域内総生産)では、ロンドン、パリに継ぐ世界第7位の地域。その玄関口である大阪駅から徒歩5分の場所です。

もちろん、これだけ「郊外感」が出ているのには理由がある。
まず南北を貫くグランフロントは全て連絡通路で繋がっていて、ビル内で移動が出来ること、西側も北側も現在再開発地域で何もないこと、北の中津方面からの往来くらいしか人や自転車がないことを挙げることができます。

まあ、ある意味で、この光景は再開発中の今くらいしか見ることができない光景なのかも。何かが出来れば人の流れもすぐに変わりますからね。でも、なんだかとても不思議な光景です。

ちなみに、大阪駅北側はこんな感じ。

夏になると水場で家族連れが遊んでいます。これが都心のど真ん中。来る度に微笑ましく思える。ある意味、街づくりとしては成功かもです。

グランフロントについては以下の記事も書いています。

「Shrink or keep原理主義者」でも美しいと思える街 (2014/7/31)

無駄を創る〜 Wired主催 グランフロント大阪のソーシャルモビリティイベントに行って来た (2013/10/29)


テスラ、スペースX、ソーラーシティの三企業を率いるイーロン・マスク。自動車、ロケット、エネルギーというこれまで大企業のみに許されてきた分野をベンチャー精神で揺るがす。

重厚長大な産業界にInnovationを起こす彼の脳内が見える記事。

これだけ多忙な人が、これだけのアウトプットを出来る背景には何があるのか、一日の時間を何に割き、何を考えているのか。

是非、ご一読を。

世界に役立たないなら、会社の存在意義はない
EVとロケットの革命児、イーロン・マスク氏が語る野望

美しいグラデーション


夕飯前のジョギングの良さは、美しい夕陽を見れること。

空のキャンパスいっぱいに広がる壮大で美しい色合い、山吹色と金赤色が混じったような色から、紺碧色と群青色を混ぜたような色への変化。

そして汗を流しながら、空を見上げる一人のランナー。


冬の大三角形の一つ、ベテルギウス(太陽の約900倍の大きさ)が超新星爆発を起こすかもしれず、もしそうなればガンマ線バーストで地球の大気が一瞬で吹き飛ばされて滅亡に至るという可能性が0%ではないという話からも分かるけれど、人間って、地球という一つのとても小さな星の上で生かされ、ちょこちょこと動いているだけのもの。ただ、生かされているだけの生物、いや、微生物。

空の雄大な光景を見ると、所詮人間が考えることなんてどうでも良いことと思ってしまいますね。

それでは、今日も良い一日を。

「イタリアの形はブーツに似ている」という世間一般の風潮に一石を投じる

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イタリアの形は、良くブーツや長靴に例えられますが、本当にそんな風に見えている人って、この世にどのくらいいるのでしょうか。

僕の意見ですがほとんどいないと思うんですよね。
皆さん、改めてイタリアの形をもう一度、目ん玉をかっぽじってよーく見てみましょう。

はい、もう分かりましたね。
そうです、イタリアは明らかに男性そのものの形をしているのです。誰がどう見たって、あそこにしか見えない。はっきり言いましょう、

イタリアはち◯こです。

でも、この国土の形が、この国が生み出すプロダクトと大きな関係があるということは意外に知られていません。イタリアの名産品やプロダクトがどうしてかくもお洒落なのか、それはまさにその国土の形にあるのです。

まず、イタリアと言えば車やバイク。
男性器の形をした国の男性は、男性器そのものです。つまり、「モテること」しか考えていない。だからこそ実用性はなくても、モテるためだけに走る車である、フェラーリやランボールギーニ、マセラッティ、ブガッティなどを生み出したのですね。バイクで言うとDucatiもそうです。モテることしか考えていない男達が作った車、それがイタ車です。

同じように、イタリアの名産と言えば何でしょうか。
そう、生ハムやワイン、そしてアートにファッションです。日本のように、昆布とか、こけしとか、木彫の熊とか、饅頭なんてものはイタリア人は作りません。なぜなら、そんなものを作っても「モテない」からです。モテることしか考えていない国の男性は、その国の形そのものがそうである通り、もっさい物は作らないのです。

アルマーニを来てフェラーリに乗り、生ハムをアテにワインを嗜み、アートやカンツォーネ、オペラを鑑賞する。

日本人のように、青山のスーツを来てプリウスに乗り、塩昆布や干物をアテに焼酎を嗜み、春画や大衆演劇、演歌を鑑賞したりしないのです。

こう考えると、国土の形が、その国の文化にいかに大きな影響を及ぼすかを理解することができます。イタリア=長靴 なんてイメージはその「重大な事実」を隠すためのカモフラージュでしかないのです。

これからは、世界地図を見る際に、その国の国土がどのような形に見えるか、そしてその形がその国の文化とどのような関係があるかを考えながら見ることにいたしましょう。きっと新たな発見があるはずです。



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