日の出に感謝

典型的な朝型人間なので、毎朝5時台には目が覚めます。
先週は天気が悪い日が多かったのですが、雨が降る前の朝焼けってすごくきれいなんですよね。まるで夕日のような、燃えるような色をしているのです。

我が家のリビングは東向きなので、はるか遠く大阪平野の東端にある生駒山から昇る朝日を見ることができますが、その色の美しさったら!朝焼けがきれいに見えると天気が崩れるといいますが、まさにそのとおりの先週でした。

前回のブログで「何をモチベーションにするか」ということを書きました。
空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか(2024年2月17日)

あれから色々と考えていたのですが、自分の場合はただ単純に、毎日生かされていることに対する感謝の気持ちがモチベーションになっていることを再認識しました。せっかく生かされているのだから、誰かの何かのお役に立ちたい。願わくば、周りにいるひとたちを少しでも幸せにできればいい。

毎朝、太陽が昇ることに感謝
水や空気があることに感謝
その日、元気に生きていることに感謝

感謝すべきことを数えあげればきりがありません。
それは自然に対してだけでなく、人や社会に対しても同じ。社会的な生きものである人間にとって、一人で生きていくことは難しい。仕事をさせてもらえていることも、美味しい食べ物をいただいていることも当たり前ではないし、自分の力で出来てることって何もないよな。自分のためにはがんばる気持ちは沸かないけれど、人のためにはやる気が出るな。不思議ですよね。

さて、あっという間に2月も終わりです。
確定申告も早々に終わらせましたので、スッキリした気持ちで3月を迎えることができそうです。年度末という区切り、4月からの新たなスタート。春から夏の予定もたくさん入ってきて、今からワクワクしています。

昨春は体調を大きく崩し、通院、入院、検査続きの春でした。
この経験のおかげで人生と向き合い、色んなことを学ぶことができた一方、先々の予定を入れることの難しさも実感しました。今年は上手に乗り越えれるでしょうか。まあ、先のことは分からないので、その時々の判断ですね。

とりあえず、今のところは元気です。

空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか

鈍ってきたなと思うことが多々あります。
頭の回転も、体力も、気力も。

年齢の問題もあるかもしれませんが、色んな意味で満たされてきたのかもしれません。若い頃は足りないことばかりで、自分に対しても、周りに対しても「もっとこうしたい」「もっとこうあるべき」という気持ちが強く、その満たされない思い(ハングリー精神)から、色々な考えを発信し、遅くまで飲みながら仲間たちと話し込み、仕事もプライベートも、睡眠時間を削りながらがむしゃらにがんばってきたと思うのです。

ところが、人生経験もある程度積んできて(「ある程度」というところがポイントです)、経済的にも社会的にも満たされつつも、一方で、なんとなく社会や経済の仕組み、金儲けの仕方、組織や人の在り方と限界、理想と現実の間に存在するギャップ、長い歴史から見る人間の営みと愚かさ、栄枯盛衰などについて理解してくると、まあ、こんなもんかなと、すべてを受け入れられるようになってくる。

良い意味でいうと、角が取れてくる。
角が取れると、自分に出来ることと出来ないことがはっきり分かるし、出来ないことは素直に「出来ない」と認めて、出来る人に任せれるようになるし、出来る人が羨ましいとも思わなくなる。逆に、出来ないことはどんどん手放し、ストレスフルな環境から離れ、人生の最適化を行うようになるんですよね。

これって、とてもストレスフリーなんです。ある意味とっても幸せな状態。でも角がないので、全部受け入れられる状態になり、色々な意味で鈍ってくるのと、生き物として「弱い」んです。満腹状態の動物って、空腹の動物と喧嘩したら負けるのは明らかなのですから。腹が減っては戦はできぬ、ではなく、腹が減っているから戦をする、なんでしょうね。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれている人々のように、明治維新で国家が誕生し、ちょんまげだった民衆や畑仕事をしていた農民が、慣れない「国民」となり、無理やり近代化を急速に推し進めていきながら日露戦争に勝利したのは飽くなきハングリー精神の賜物だし、戦後の焼け野原から高度成長期を経て世界第二位の経済大国になったのも「腹いっぱい食いたい」との思いからだったに違いありません。でも一旦満たされると、あとは衰退の一途をたどってしまう。諸行無常、栄枯盛衰ですね。

人間、ある程度「腹が減っている」状態の方がいい。がんばれる。

不条理に対して「なんでやねん」と食って掛かるくらいの気持ちをいかに持ち続けることができるか。実力も結果も全然伴っていない若者が「こうあるべき」「こうしたら成功する」と発信しているのを見て、いや何も分かってないな〜とは全然思わないんです。満たされていないことは、強さだ。

じゃあ、自分はどうなのか。何に対してアツくなれるのか。今年はどういうテーマでがんばろうかと思っていましたが、アツくなれるものを探すのが一つのテーマになりそうです。

ここはかつて温泉街だった

自宅から、昭和初期の苦楽園二番町付近の住宅地図が出てきました。

地図の上部に「六甲三楽園、六甲苦楽園 住宅経営地」と書かれています。
現在の苦楽園バス停がある山椒橋(現在は、三笑橋)を中心に、この地図には今は跡形もなくなってしまった旅館やホテルなどが記載されています。

僕は、自分が生まれ育った西宮市苦楽園が明治末期から昭和の初期までラジウム温泉街として栄えていた、ということは知っていたのですが、実際、どこにどのような旅館があったのかということは知りませんでした。

この地図を見ると、大観楼、松雲楼、長春楼といった旅館や、当時の社交場だった六甲ホテルの記載もあります。ちょうど自宅がある場所が、山椒橋と松雲楼の間くらいにありますので、ここも元は旅館の敷地だったということが分かります。

また興味深いことに、地図の上部には、阪神西宮駅から苦楽園までを繋ぐ「摂津電気軌道予定線」という線路も描かれています。そう、かつてこの苦楽園の山上まで電車を通そうという計画もあったんですよね(それも聞いたことがあります)。土地勘のある方は分かると思いますが、あの急勾配をどうやって電車通すの?と思われるかもしれませんが・・・もしかすると麓からはケーブルカーを敷設する計画だったのかもしれません。

この地の歴史については、「西宮ペディア 苦楽園ラジウム温泉」に詳しく書かれています。このサイトにも我が家にあるのと同じ地図が掲載されていました。

苦楽園ラジウム温泉には、多くの著名人が訪れ、当時の写真には、大隈重信や、犬養毅の奥様が人力車のようなものに乗って温泉に療養に訪れている写真も残されています。また、関東大震災から逃れてきた谷崎潤一郎が滞在していたのは、菊水館や萬衆館だったようです。

下の地図を見ると、「山上プール」の上に小さく「稲荷神社」とありますが、ここは今の苦楽園神社ですね。苦楽園神社には、清瀧龍王、大国龍命の石があり、南無阿弥陀仏と書かれた石碑の下には「豊受大神・三玉大神・蚕玉大神」と彫られています。苦楽園神社は、清瀧龍王(おそらく、善女龍王と清瀧権現=瀬織津姫がごっちゃになったものと思われます・・・)と、なんと伊勢神宮外宮の「豊受大神」が鎮座しているのは、個人的に胸アツなのですが、いずれにしても神仏習合の名残でしょうね。

郷土史って面白いですね。
かつて栄えた温泉地も、昭和13年の集中豪雨による阪神大水害で大打撃をうけたことで温泉が出なくなったこと、そして、戦争へ向かう世の中で次第に廃れ、今の閑静な住宅街となっていったことが分かります。

とはいえ、自宅の庭に残る石垣や、1995年の阪神・淡路大震災で半壊するまで残っていた実家のかつての姿をみると、ここが温泉地だった名残が今も残されていることが分かります。

震災で建て替える前の我が家

100年前は温泉地だったところも、今は住宅地になりました。
これから100年先はどうなるのでしょうね。