ここはかつて温泉街だった

自宅から、昭和初期の苦楽園二番町付近の住宅地図が出てきました。

地図の上部に「六甲三楽園、六甲苦楽園 住宅経営地」と書かれています。
現在の苦楽園バス停がある山椒橋(現在は、三笑橋)を中心に、この地図には今は跡形もなくなってしまった旅館やホテルなどが記載されています。

僕は、自分が生まれ育った西宮市苦楽園が明治末期から昭和の初期までラジウム温泉街として栄えていた、ということは知っていたのですが、実際、どこにどのような旅館があったのかということは知りませんでした。

この地図を見ると、大観楼、松雲楼、長春楼といった旅館や、当時の社交場だった六甲ホテルの記載もあります。ちょうど自宅がある場所が、山椒橋と松雲楼の間くらいにありますので、ここも元は旅館の敷地だったということが分かります。

また興味深いことに、地図の上部には、阪神西宮駅から苦楽園までを繋ぐ「摂津電気軌道予定線」という線路も描かれています。そう、かつてこの苦楽園の山上まで電車を通そうという計画もあったんですよね(それも聞いたことがあります)。土地勘のある方は分かると思いますが、あの急勾配をどうやって電車通すの?と思われるかもしれませんが・・・もしかすると麓からはケーブルカーを敷設する計画だったのかもしれません。

この地の歴史については、「西宮ペディア 苦楽園ラジウム温泉」に詳しく書かれています。このサイトにも我が家にあるのと同じ地図が掲載されていました。

苦楽園ラジウム温泉には、多くの著名人が訪れ、当時の写真には、大隈重信や、犬養毅の奥様が人力車のようなものに乗って温泉に療養に訪れている写真も残されています。また、関東大震災から逃れてきた谷崎潤一郎が滞在していたのは、菊水館や萬衆館だったようです。

下の地図を見ると、「山上プール」の上に小さく「稲荷神社」とありますが、ここは今の苦楽園神社ですね。苦楽園神社には、清瀧龍王、大国龍命の石があり、南無阿弥陀仏と書かれた石碑の下には「豊受大神・三玉大神・蚕玉大神」と彫られています。苦楽園神社は、清瀧龍王(おそらく、善女龍王と清瀧権現=瀬織津姫がごっちゃになったものと思われます・・・)と、なんと伊勢神宮外宮の「豊受大神」が鎮座しているのは、個人的に胸アツなのですが、いずれにしても神仏習合の名残でしょうね。

郷土史って面白いですね。
かつて栄えた温泉地も、昭和13年の集中豪雨による阪神大水害で大打撃をうけたことで温泉が出なくなったこと、そして、戦争へ向かう世の中で次第に廃れ、今の閑静な住宅街となっていったことが分かります。

とはいえ、自宅の庭に残る石垣や、1995年の阪神・淡路大震災で半壊するまで残っていた実家のかつての姿をみると、ここが温泉地だった名残が今も残されていることが分かります。

震災で建て替える前の我が家

100年前は温泉地だったところも、今は住宅地になりました。
これから100年先はどうなるのでしょうね。