空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか

鈍ってきたなと思うことが多々あります。
頭の回転も、体力も、気力も。

年齢の問題もあるかもしれませんが、色んな意味で満たされてきたのかもしれません。若い頃は足りないことばかりで、自分に対しても、周りに対しても「もっとこうしたい」「もっとこうあるべき」という気持ちが強く、その満たされない思い(ハングリー精神)から、色々な考えを発信し、遅くまで飲みながら仲間たちと話し込み、仕事もプライベートも、睡眠時間を削りながらがむしゃらにがんばってきたと思うのです。

ところが、人生経験もある程度積んできて(「ある程度」というところがポイントです)、経済的にも社会的にも満たされつつも、一方で、なんとなく社会や経済の仕組み、金儲けの仕方、組織や人の在り方と限界、理想と現実の間に存在するギャップ、長い歴史から見る人間の営みと愚かさ、栄枯盛衰などについて理解してくると、まあ、こんなもんかなと、すべてを受け入れられるようになってくる。

良い意味でいうと、角が取れてくる。
角が取れると、自分に出来ることと出来ないことがはっきり分かるし、出来ないことは素直に「出来ない」と認めて、出来る人に任せれるようになるし、出来る人が羨ましいとも思わなくなる。逆に、出来ないことはどんどん手放し、ストレスフルな環境から離れ、人生の最適化を行うようになるんですよね。

これって、とてもストレスフリーなんです。ある意味とっても幸せな状態。でも角がないので、全部受け入れられる状態になり、色々な意味で鈍ってくるのと、生き物として「弱い」んです。満腹状態の動物って、空腹の動物と喧嘩したら負けるのは明らかなのですから。腹が減っては戦はできぬ、ではなく、腹が減っているから戦をする、なんでしょうね。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれている人々のように、明治維新で国家が誕生し、ちょんまげだった民衆や畑仕事をしていた農民が、慣れない「国民」となり、無理やり近代化を急速に推し進めていきながら日露戦争に勝利したのは飽くなきハングリー精神の賜物だし、戦後の焼け野原から高度成長期を経て世界第二位の経済大国になったのも「腹いっぱい食いたい」との思いからだったに違いありません。でも一旦満たされると、あとは衰退の一途をたどってしまう。諸行無常、栄枯盛衰ですね。

人間、ある程度「腹が減っている」状態の方がいい。がんばれる。

不条理に対して「なんでやねん」と食って掛かるくらいの気持ちをいかに持ち続けることができるか。実力も結果も全然伴っていない若者が「こうあるべき」「こうしたら成功する」と発信しているのを見て、いや何も分かってないな〜とは全然思わないんです。満たされていないことは、強さだ。

じゃあ、自分はどうなのか。何に対してアツくなれるのか。今年はどういうテーマでがんばろうかと思っていましたが、アツくなれるものを探すのが一つのテーマになりそうです。

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