書き続けて9年が過ぎ、10年目に入りました


2005年の6月10日に最初の記事を投稿してから、丸9年が経過しました。そしてこの慌ただしい日々の中、いつの間にやら10年目に入っていることに今日気付きました。「十年ひと昔」と言いますが、何か一つの区切りに感じますよね。されど、まだ10年目。

始めた当時はまだ20代だったと考えると、随分と昔のようにも感じますが、そもそも精神年齢は成長してないにも関わらず、逆に、良い意味でも悪い意味でも大人になってしまった感、変に “こなれた感” があり、あの頃の「勢い」や、エッジや、若さと勘違いゆえの「俺がんばってるやん!」などの尖った気持ちは全く衰えてしまっているような気がします。たまに昔のエントリーを読み返すこともありますが、なかなか良い事を書いていたりするのを見ると、ああ、もっと頑張らないとな、と思うこともしばしばです。

それでも、「時間に流される」こと、「目先のコトに追われて、ただ日々を過ごす」ということだけは避けたくて、一日一日を丁寧に塗りつぶす(そうできないことも多々ありますが)ということだけは意識して来たように思います。この「塗りつぶす」という言葉は、もう何年も前にスペイン在住の読者の方がコメント欄で「毎日を丁寧に塗りつぶされていますね」と書き込んで下さって以来、とても気に入って使わせてもらっています。

書く目的は、備忘録であったり、反省であったり、ニュース記事であったり、日記であったり。その日に何を感じ、何を考えたのか。それを記録として残すこと、そして書くことによって考えを整理すること。聞いたことや学んだことをアウトプットすることで、インプットした情報がメモリーされるので、書いたことは良く覚えています。そう考えると、少なくとも、書くことによる悪い影響はなかったのではないでしょうか。唯一あるとすれば、社員が面白がって僕のブログを音読する、ということくらい。あれは、相当ダメージがありますね。そういう時、彼らのタイムラインの投稿を逆に音読して仕返しをしたりしています。(←小学生レベル)

出来る限り毎日書くことを自分にコミットすると、否応なしにその日を振り返ったり、ネタを探したりする作業が必要になりますよね。頭の中で整理して、書く。この作業が習慣化しているので、伝える、書くということに抵抗がなくなったのは大きな収穫でした。この部分は、まさに仕事に直結するからです。

「習慣化」というのは、自分の中で大きなキーワードです。特別なスキルも才能も持たない人間にとっては「コツコツと積み上げること」が唯一成長するための手段だと思いますし、そのためには習慣化することが必要です。でも実際「言うは易し、行うは難し」で、習慣化するのって結構大変だったりします。まず面倒くさい。仕事や学校ならまだしも、人から「やれ」とも言われていないことを、自分で勝手に決めて行うことに何の意味があるのか。しかも、ほぼ独り言。面倒くさいなー思うことも多々ありました。

そのハードルを乗り越えるためには「その事を好きになる」ことが一番早いですよね。好きになれば勝手にやる。これは仕事も同じで、やっていることを好きになる(ジョブズは「好きなことを仕事にしなさい」と言っていますが)と、人間って勝手に動くものです。義務命令ではなく、能動的にPassiveに動く。そういうものだと思って、今まで続いています。

自分が始めた当初は、ちょうどブログが流行り始めた頃で、みんながFC2やアメブロやライブドアブログなどで書き始めていた頃です。今はその中の何割の人が残っているのか分かりませんし、無料ブログ=アフィリエイトという要素が強いので、拙ブログのような何の利益も生まない(むしろドメインやサーバ代などで赤字)、本当の意味でのプライベートブログは段々と数が減ってきて、SNSのタイムラインに移行している訳ですが、これから益々「個の時代」が加速すると、特定の企業が提供するSNSプラットフォームではなく、独立したプライベートサイトやプライベートブログが、逆にどんどん増えてくるような気もしています。
 
 
そのように時代が変わったり、流行り廃れがあるかもしれませんが、いずれにしても、僕はここで何かを書いていくつもりです。
 
 
さて、長くなってしまいましたが、10年目に入った「analog-web」。
これからも、ゆるくお付き合いいただければ嬉しいです。