今年最後の車窓から、世の中の仕組みをあれこれと考える


最終営業日を控え、そろそろスローダウンされている皆様も多いのではないでしょうか。うちは今週の土曜日が最終営業日となっています。その日は大掃除に納会という感じですから、実質、今日と明日で全ての仕事を納めなければなりません。今週に入ってからも、年を跨いで継続する案件やキックオフする案件のためにスピードは緩むことはなく、なかなかゆっくりと更新する時間もありません。

しかし考えてみると、「年末年始」と言っても一週間程度の休みを挟んで日にちが変わるだけのことで、我々のような足の長い仕事は「きっちり年末で終わって、年始から新規でスタート」という事にはなりません。あくまで、気持ち、区切り、の問題ですよね。

大掃除や忘年会などの年末の風物詩も、一年が終わるということを「きっかけ」として普段出来ないことをこの機会にやろう、しっかり区切りを付けよう、という心理が少しは働いているのだと思うし、クリスマスに至っては、家族や恋人と集って愛を誓い、プレゼント交換をするためのきっかけでり、キリストの誕生日でも何でもないことはキリスト教のどの宗派でも良く知られていることだし(クリスマスを祝うと決められたのは西暦354年、ペルシア起源太陽神ミトラの冬至のお祭り騒ぎに対抗して、ローマ司教リベリウスによって ”俺らも何かで盛り上がろうぜ” と定められた:出典「キリスト教の歴史」小田垣雅也)、仮に、キリストの誕生日だったとしても、クリスマスのアイコンはもはや「キリスト・イエス」ではなく、「サンタクロース」になってしまって(1930年代の米コカ・コーラ社の戦略は見事だった)、儲かるのは、電力会社、ホテル、飲食、ケーキ屋、おもちゃ業界という、見事に現在の商業主義に上手く乗っかったなという印象で、こちらもきっかけに過ぎませんよね。

ちなみにサンタクロースのモデルとなった東方教会(正教会系)のニコラウスは、教護の聖人であると共に、商人の守護聖人でもあります。世の中、実にシンプルに出来ています。実際、今の世界を形作っているのは、ローマ帝国と資本主義であると考えると、世界全体がシンプルに見えたりして面白いです。まあ、それは置いておいて、世の中には、仕掛ける側と仕掛けられ側が存在し、搾取する側とされる(踊らされる)側が存在することによって成り立っていると考えると微妙な気持ちにはなりますが、それは有史以来、不変の原則であり、どちらに回るか、何を持って幸福とするかは、人それぞれの価値観にもよるのだろうと考えたりします。


12/26ということで、今年最後の東京出張。
新幹線の社内から更新をしています。

お世話になった皆様へ挨拶すると共に、最後の最後まで仕様のツメを行うプロジェクトもあり、最後の最後までがんばりたいと思います。天気予報で期待していなかった富士山ですが、山頂だけに雲がかかっていました。今年最後の、富士山見納めです。