本日(色々な意味で)最終


本日最終の打ち合わせが終わり、駅近くのカフェで一人ビールを飲みながら仕事の整理。打ち合わせした内容は出来るだけ早めにしたためて置かないと、記憶はすぐに風化してしまいます。駅近くのカフェはその点でとても便利。他のお客さんたちも一人で来ているから、自分ひとり肩肘張ってがんばらなくても良い。みんな、一人で読書をしたり、スマフォを触ったりしている。自分も自然にPCをカチャカチャと出来る訳です。「長い物に巻かれろ」という言葉を適用出来るとすれば、このような場所では誰かと連れ添って楽しくおしゃべりに興じる方が居心地悪く感じる・・・はず。うん。いや、違うな。


仕事を離れたところでのインプットは、つくづくパズルのピースを埋めるのと同じだな、と思う訳です。これは誰でも同じでしょうけれど、普段はなかなかゆっくり物事を考える時間が取れず、理論を実証する時間を十分に持つことができません。いやいや、理論を実践しながら仕事も進めていけばよろしい、という意見もあるでしょうが、最大公約数的に物事を見て行かなければならないことが多い中で(実際問題、ムーンショットはなくても確実に加点は出来る)、時間がかかることとロジックだけでトライするということは、なかなか出来ないのであります。オーダーが「実験的な取り組みで」というものであれば、これは幾らでも放つ(放屁ではありませんよ)ことが出来るのですが、実務は実証を拠り所としてしまうため、理論の実質的な検証はできません。

実証は時間と比例しますよね。
たまにじっくりと物事を考えて、もう一度理論に立ち返ってみると、パズルのピースが埋まるような感覚で、ああ、こういうことが起きるのはこういう理論があるからなんだ、と後で理解することができることがありますが、これは、頭の中で組み立てたロジックとそれまでの経験という(実証)が音を立ててパチッと当てはまる訳で、現在進行形の実証はなくとも、ああ、そういうことだったんだ、という納得を生みます。あくまで過去の経験に対して。
実際これが気持ちの良い作業となるんですよね。どちらが先かは別にして、いずれにしてもインプットがなければ、質の良いアウトプットもできない訳ですから、この時間の確保はとても重要ですよね。

それでは、今日はこの辺で。

ライフ・ポリティクスにより、求められる自己責任

[ad#ad-2]
 
 

ここ数日、ライフ・ポリティクスについて思いを巡らせています。
表面的な部分だけサッと書いてみると、今更だけど自己選択と自己責任の時代だよなあ、としみじみ思う訳であります。

かつての高度経済成長期の日本のように、貧困や後進国というレッテルからの脱却を求めていた「解放」のポリティクスから、ある程度豊かになった現在におけるライフ・ポリティクス(選択とライフスタイルのポリティクス)へ時代が変遷している今、集団的に何かを目標にして国全体で邁進するのではなく、個人個人が「自律的に何を選択するか」という個人による目標設定と完遂が求められている時代ですよね。で、これが結構、自己責任が求められるのですよ。極端な話、ライフ・ポリティクスが進めば、誰も守ってくれなくなる、という訳です。

で、こうなると、人は皆個人として、また、自己責任の中で「自分自身の物語」を紡いで行かなければなりません。つまりはセルフ・アイデンティティの確立です。自分はどうなりたいのか、自分の人生の目標は何か、そのためにどうすれば良いのか。その上でセルフ・アイデンティティを主張するのであれば、自分の人生、自分でケツを拭きなさい、ということになる。これが、後期近代の世の中のあり方ではないのか、と。

まあ、だからと言って自分勝手な生き方をしなさい、という訳ではなく、あくまで人間は社会という枠組みの中で生きて行かなければならない訳ですから、性善説的に自分と社会の益になるようなライフ・ポリティクスが望ましい、と思っています。

そして、企業としても時代に合わせて変化して行かなければならない。雇用者に対し、「同じ釜の飯を食う仲間だよ、一生面倒みるからね」、というのは古き良き時代の安心感があるけれど、今の時代、企業として有用な人材を確保するためには、コミットするところをもっと明確にして(例えば、好きな時間に働いても良いよ。でも、月ベースでこれだけの結果を出さないと解雇だよ、とか。極端だけど・・・w)シンプルに結果を求め、それに対しての報酬を用意するということで両者満足の行く関係を築く、という方が時代に即しているのではないか。今は不景気とは言え極端に人材不足という、一種のアンビバレンツな時代でもありますから、人材確保という面においてもESという面においても、時代に即して変化するのは企業側にも求められているよな、と考えさせられます。僕もあくまで企業人なので、ついつい自分のライフ・ポリティクスよりも企業、組織としてのポリティクスに思いが行ってしまいますね。

いずれの場合も、セルフ・アイデンティティというのは、自分自身を再帰的に見た上で自己の物語を紡いで行かなければならない訳で、自己責任という点を念頭に置きながら、日々成長して行きたいと思います。まあ、僕の場合は再帰したところで反省ばかりなのだけど。汗

ということで訳の分からないことばかり考えていると無限ループに陥ってしまいまそうですので、今日はこの辺で。それではまた明日。
 
 
[ad#ad-2]

Blancな時間について


一人で何かに集中できる時間というのは、とても貴重です。この歳になって改めてそう実感。
集中の対象となるのが仕事である場合、それはある意味、義務であり責任でありチャレンジであり。「仕事は楽しく」というのはひとつの形成されたマインドセットなのだけど、好きなことを思い切り勉強できる、というのはこれとは別で、その環境がかなりのレベルで整っている場合、それはとても純粋かつ、贅沢な趣味のようなものです。

で、僕は短期間ではあるものの、今まさにそのような状態に身を置かせてもらっているのだけれど、これがまあ、自分が学生だった時には思いもしなかったような「なんだこの素晴らしい時間は」というような感じで。ホーッと一息ついたblancな時間に色々と思考を思い巡らせては、ああそういうことか、と納得したり、新たな疑問が湧いて来たり。それは今、こうして仕事をしているからこそ、自分なりに理論と実証のスキームを回すことが出来るからなのでしょう。もちろん、キツいこともたくさんあって、それこそ脳から血が出るようなことも知恵熱が出そうなこともあるんだけど、それは仕事をしている時も同じで(仕事ではもっとチャレンジングなことが一杯で非常にエキサイティングであることは明白)、まあ、生きるということはそういうことなんだろうな、と非常に客観的に思えたりもします。


さて、お盆休み期間中とは言え、仕事のところは仕事ですよね。
基本的にPCとネット環境と携帯さえあればどこでも仕事が出来るという僕のMac book Airには、ありがたいことに仕事の依頼や見積の依頼などが毎日やって来ます。大丈夫です、僕は仮にホテルにいようが、大学の図書館にいようが、居酒屋にいようが、ちゃんとキャッチできますから。仕事の人も、バカンスの人も、皆様、明日も良い一日でありますように。

かすうどんの唄(そんな唄はない)


オープン後、初めてグランフロント大阪に行って来ました。工事中の内覧の際、中にカツラが仕込まれたヘルメットを被って簡易エレベーターで見学したことがありましたが、それ以来。近くで働いているのにオープン後初めてなんて。人混みの苦手さがこういうところでも現れてしまいます。

慶應の大阪サテライトキャンパスには個人的に良く行くのですが、以前まで中之島にあったのが、グランフロントのオープンに伴いナレッジ・キャピタルに移転。JR組の僕的には非常に便利になりました。慶應だけでなくて、各大学の出張所がたくさん集積しているのもナレッジ・キャピタルの特徴。

日曜日だけあって盛り上がっています。

野暮用を済ませ少し肩の荷が降りたので、ランチにハイボール。
カウンターに一人で座れて、昼から酒が飲めて、美人な店員さんがいる店をチョイスするとここになりました。偶然にも大好物の「かすうどん」がランチメニューに。これは嬉しい。ハイボールも進む。

いわゆる天カスだけの「ハイカラうどん」よりも油に旨味があって塩味もある「かすうどん」の方が好み。ああ、かすうどん。

二杯目のアテには板わさ。

はい、これもツボ。
刺身を食べる時には「醤油:わさび=1:1」が原則の僕としては、普通の人が食べると「罰ゲームか」と思うであろう程のわさびが詰まった板わさはご褒美でしかない。

という訳ですっかり昼間から良い感じになってしまいました。
まあ、今日くらいはゆっくりさせていただきます。

久しぶりのDeep Houseです。
Ananda Projectと言えば「Kiss✕3」ですが、少しスピード感のあるこれ。

Ananda Project – Rain Down

週末リベラル・アーツ


実務のことを考えると専門的かつ技術的な勉強の方が良いとは思うのですが、いわゆるリベラルアーツは視野を広げて意思決定の幅を持たせるのに役立つのでは、と思っています。遠回りかもしれないが、学びの分野を広げることで歴史と事例を知り、裏付けを得た上で物事の意味を知り、理解を深めることができるような気がして、まあ色々とやっています。

海外の人間と話したりビジネス交流する際に文化や背景を知らなければ、ノリで笑いは取れても本当のコミュニケーションは出来ない、とは良く言われることですし、昔学んだことでも今この歳でやるとまた違った観点から見ることが出来たりして発見の連続。学生の頃は「勉強」は決して楽しいものではなかったけれど、「学生のうちの勉強しておきなさい」という親の言葉、今は骨身に染みて分かります。アラフォーになり、それなりに経験を重ねた今だからこそ、学べることの贅沢さが分かりますわ。という訳で、今週末も良い天気に恵まれたこともあり、2日で15km走れたし、本もかなり読めたし、予定していたことをしっかり終えることが出来ました。


早いもので明日から7月スタート。
今年も半分が過ぎ、すっかり夏になってしまいましたね。
暑さに負けず、頑張って行きましょう。

一種のジャンキーであることを堂々と認める


強烈なアプトプットの後は、発散や充電ではなくインプット。
脳みそがスカスカになってしまうと、食欲と同じく、知識欲を満たさずにはいれなくなる。出張先からの飛行機で爆睡したので、疲れは癒えた。帰宅して本を貪り読み、楽しみにしていた23時からのEテレ「ハリウッド白熱教室」を気持ち良く視聴。映画制作界で世界最高峰といわれるUSC映画学部のドリュー・キャスパー教授の講義が、リモコンひとつで簡単に、しかも茶の間で視聴できるなんて、どんなに素晴らしい時代になったのだろう(「MIT白熱教室」といい、正直、Eテレはすごいです。EテレだけがTV番組としてあれば、日本人はもっと賢くなっているに違いない。多少バイアスがかっているかもしれないけど)。テンポ良く語り、次々と生徒に質問を浴びせ、とにかく脳を刺激し考えさせる。1時間があっと言う間、それだけ引き込まれる。講義中、講義の後で実際はディベートの時間などもあるかもしれないけれど、答えを与えたり、覚えさせたりするのではなく、とにかく考えさせて自分の言葉で意見を述べさせる。自分で考えて出した答えに疑問や違和感を感じるから、正しい答えに導かれた時に、ああ、そうか、なるほど、と腹落ちする。毎晩、毎朝、こういう具合に欲求を満たさなけば一日が終わった気がしない。お腹も脳みそも一杯になったので、気持ち良く眠れそうです。


都会でソフィスティケートされた東京もいいけれど、地方で、田舎で、サイズも程良い芦屋に帰って来ると落ち着く。

駅から家に帰る途中の、こんな芦屋川の風景が大好きだ。
後ろを振り返れば、六甲の山並みが月明かりに照らされ、南を見れば、湾岸沿いを走る高速の明かりが見える。その下は海。

明日はリフレッシュの時間。
今週もお疲れ様でした。

良い週末を。

まるで箱庭のような街


小さなエリアに色んな要素をギュッと詰め込んだ、箱庭のような街、芦屋。

家から歩いて5分で人々が散歩やジョギングをしている芦屋川に、同じく5分で車やバスが行き交う駅の北側にアスセスできます。家族が友達の家に遊びに行っている間、僕は自宅に引きこもっていたのですが、気圧の関係で鈍重な頭を少しでもすっきりしたいと思い、気分転換にコーヒーが飲めるところへ家出しました。

フルオープンに開かれた店、タイピングに疲れると時折目を上げて目の前を行き交う人や、ホテル竹園前のタクシー乗り場に降り注ぐ雨を眺めたり。雨の日はいいですね。静かだし、軒下にいる安心感が心地良い。

ほぼ予定通りにスケジュールをこなすことができました。
明日からまた新たな一週間が始まります。

気持ち新たに、5月後半戦、がんばって参りましょう。

環境を整えることと、会いに行くには理由がある、ということ


来週末に提出のレポートがあり、今日は朝から図書館にでも出掛けて一日閉じ籠ろうかなと思っていたのですが、朝から娘たちがバレエに出掛けているので、結局自宅に閉じ篭っています、今のところ。

自宅に篭るメリットは、移動に費やす時間を削減できること。ただしデメリットも。眠たくなったらすぐにソファでコロンと昼寝が出来てしまうのですね。これは問題。そのために、人の目がある公共の場所に出掛けていく訳です。以前にも書きましたが、そこに行くと「それしか出来ない」環境に強制的に身を置くことになります。「それしか出来ない」ということは素晴らしい。


雨の昼下がりです。

昨夜はカフェでひたすらライティングをした後、疲れを取るために電車に乗って苦楽園のthe Barnsへ行き・・・やはりというか予想通りというかウイスキーを飲み過ぎてしまいました。ここには飲み過ぎるために行っているようなものです。途中から親父のようなマスターも巻き込んで、ほとんど会話もせずに一緒に僕のボトルを飲みましたが、起床時の頭は鈍重。それにしてもマスターにこれを言うと嫌がるかもしれないけれど・・・親父みたいな人だな。だから僕は、通っているんだろうな。ある店に通うということは、ウイスキーが飲みたいからではなく、お店の人に会いに行きたいと思っているから。会いに行くには理由がある。気まぐれで神出鬼没で行けば飲み過ぎてしまうけど、歓迎するしない関わりなく、いつも店を開けてくれているマスターに感謝。


あまりに雨の昼下がりが気持ち良いので、そろそろ出掛けようかとも思っています。
Nicola Conte が 雨の日に心地良すぎる。

Nicola Conte – Other Directions

ぼく、えりまき持っていたら、それ、首にまいて、持ってけるよ。


ぼく、えりまき持っていたら、それ、首にまいて、持ってけるよ。花がぼくのものだったら、その花をつんで、どこへでも持ってけるんだ。だけど、星をつむわけにはいかないじゃないか

「星の王子さま」 より

「星の王子さま」の中には、「哲学」がたくさん詰め込まれている訳ですが、このフレーズはまたとても印象深いものです。この後に、星の数を紙に書いてそれを預けて鍵をかけておくだけでいいんだよ、というアドバイスが続くのですが、まさに貨幣経済というのは、「信用経済」と言われているように、貨幣の価値=国の信頼や取引量、個人のファイナンス面での信頼度というのはまさに紙(通帳)に書かれた額(残高や資産価値)である訳で、なかなか実体が掴めないのがこの世の中です。例えば、今、取引を進めている相手国の一つにインドネシアがありますが、ここの物価水準はモノにもよりますが、だいたい1/3〜1/5くらいと言われています。給与水準は1/8〜くらいでしょうか。同じモノやサービスなのに、住む国によって値段は大きく変わります。経済学的には何も不思議なことはないのですが、別の角度から考えてみれば不思議なことです。

一方でビジネスシーンでも学業においても「がんばり」が評価されるのもまた数字である訳で、ある意味で可視化しやすいものでもありますよね。GW中に身を置いていた自然の中から都会のど真ん中でPCを相手にゴリゴリと仕事をしている中で、色んな事を考えながらプロジェクトを進めています。
「つみたい星」というのは各々のコンディションによって違うものですし、ある意味人生のテーマのようなものですので、忙しい日々の中でもたまにゆっくりと立ち返って考える時間も確保してみたいものです。

知的欲求を刺激し、満たすこと


昨夜からスタートした
「バークレー白熱教室 大統領を目指す君のためのサイエンス」

仕事終わりでちょうど番組開始に間に合い、視聴。
物理学の人気教授で、「今この世界を生きているあなたのためのサイエンス 1」でも有名なリチャード・ムラー教授の講義ですので、以前から楽しみにはしていたのです。

なぜ人気があるのか。

「分かりやすく、話が面白い」

この一言に尽きます。専門的なことをいかに分かりやすく、完結に、そして面白く教えるか。話に惹きつける。例えば、チョコチップクッキー一枚と弾丸一つ、どちらがエネルギーを持っていると思いますか?TNT火薬と石灰では?水素とウランでは?こうした対比が興味を生むのです。そこからエネルギー問題に繋げて講義を展開していく。ソーラーパネル1k平方メートルで1GWの電力を生むことができる。でも、それは太陽が真上にある時だけ。車一台を動かすためには、どれくらいの電力が必要?とかね。

「例え」の使い方がうまいですね。自然落下させるハンマーと、腕の振りというエネルギーを加えたハンマーではどちらが仕事率が良いか。実演してみせる。僕もいつの間にかメモを取りながら食い入るように見入ってしまいましたね。理系ではない人間に分かりやすくエネルギー問題を提起して教えるという点、やはり非常に面白い授業だったと思います。それと、経済学の知識があれば、経済学的視点からも非常に興味深く見れましたね。物理と経済学似ているね。

また来週が楽しみです。


今朝も5時起きです。
早起き気持ちいい!

今日も予定がいっぱいですが、週末を楽しみましょう。
それでは、皆様も良い土曜日を。