ライフ・ポリティクスにより、求められる自己責任

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ここ数日、ライフ・ポリティクスについて思いを巡らせています。
表面的な部分だけサッと書いてみると、今更だけど自己選択と自己責任の時代だよなあ、としみじみ思う訳であります。

かつての高度経済成長期の日本のように、貧困や後進国というレッテルからの脱却を求めていた「解放」のポリティクスから、ある程度豊かになった現在におけるライフ・ポリティクス(選択とライフスタイルのポリティクス)へ時代が変遷している今、集団的に何かを目標にして国全体で邁進するのではなく、個人個人が「自律的に何を選択するか」という個人による目標設定と完遂が求められている時代ですよね。で、これが結構、自己責任が求められるのですよ。極端な話、ライフ・ポリティクスが進めば、誰も守ってくれなくなる、という訳です。

で、こうなると、人は皆個人として、また、自己責任の中で「自分自身の物語」を紡いで行かなければなりません。つまりはセルフ・アイデンティティの確立です。自分はどうなりたいのか、自分の人生の目標は何か、そのためにどうすれば良いのか。その上でセルフ・アイデンティティを主張するのであれば、自分の人生、自分でケツを拭きなさい、ということになる。これが、後期近代の世の中のあり方ではないのか、と。

まあ、だからと言って自分勝手な生き方をしなさい、という訳ではなく、あくまで人間は社会という枠組みの中で生きて行かなければならない訳ですから、性善説的に自分と社会の益になるようなライフ・ポリティクスが望ましい、と思っています。

そして、企業としても時代に合わせて変化して行かなければならない。雇用者に対し、「同じ釜の飯を食う仲間だよ、一生面倒みるからね」、というのは古き良き時代の安心感があるけれど、今の時代、企業として有用な人材を確保するためには、コミットするところをもっと明確にして(例えば、好きな時間に働いても良いよ。でも、月ベースでこれだけの結果を出さないと解雇だよ、とか。極端だけど・・・w)シンプルに結果を求め、それに対しての報酬を用意するということで両者満足の行く関係を築く、という方が時代に即しているのではないか。今は不景気とは言え極端に人材不足という、一種のアンビバレンツな時代でもありますから、人材確保という面においてもESという面においても、時代に即して変化するのは企業側にも求められているよな、と考えさせられます。僕もあくまで企業人なので、ついつい自分のライフ・ポリティクスよりも企業、組織としてのポリティクスに思いが行ってしまいますね。

いずれの場合も、セルフ・アイデンティティというのは、自分自身を再帰的に見た上で自己の物語を紡いで行かなければならない訳で、自己責任という点を念頭に置きながら、日々成長して行きたいと思います。まあ、僕の場合は再帰したところで反省ばかりなのだけど。汗

ということで訳の分からないことばかり考えていると無限ループに陥ってしまいまそうですので、今日はこの辺で。それではまた明日。
 
 
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