ポール・クルーグマンの視点から


現代ビジネスで久々にグッと来る記事があったのでリンク。個人的には必読の記事だと思います。

本誌独占インタビュー ノーベル賞経済学者クルーグマン 「日本経済は消費税10%で完全に終わります」(現代ビジネス)

プリンストンのポール・クルーグマン教授。恐らく、現在で最も有名なノーベル賞経済学者です。少し経済学やっている人なら誰でも知っている超有名なマクロ経済学者ですね。

で、彼の主張を一言で言うと、アベノミクスの金融、財政両面の効果で日本経済がせっかく持ち直してきたのに、なんでそんな早くに消費税アップしたの?しかも来年には10%に引き上げると言っている。まだ状況は脆弱なのに、そんなことしたら日本完全に終わるよ?バカじゃないの?今からでも遅くはないから、消費税を5%に戻しなさい!ということ。

普通に考えてみると、消費税アップは消費の冷え込みに繋がりますよね。みんな節約しようとするから財布のヒモが固くなる。お金を使わない。購買意欲が低下する。ただでさえ今は、円安の影響、原材料の高騰で物価が上昇しているのに。

でも、一方で企業の業績が良いから、給料もアップしてるんじゃないの?という意見もある。確かに、大企業を中心にベアアップしたので賃金は上昇傾向にあるし、経済効果の影響で企業が採用に走り、人手不足、人件費は上昇傾向。

でも実際はどうでしょう。
今、心底「豊かになった!めっちゃお金増えた!」という人っています?

ポイントはそこなんですね。

末端まで「景気が良い話」は降りてこない。多少、額面が増えたとしても、地味に税金は(消費税だけじゃなくても)上がっているし、厚生年金等の保険も少しづつアップしている。肌感覚で感じないくらい少しづつです。だから、いつまで経っても「あれ・・・なんでお金増えないんだろ」という人が多いんですね。つまり「実質所得」は減少しているんです。だから、まだまだ景気回復は脆弱なんですね。

また、人件費がアップすると、それが物やサービスの値段に転嫁され、更に物価は上昇しますよね。そんな時に消費税を更にアップすると、もうモノは売れなくなり、売るための価格競争が生まれ、かつてのデフレに逆戻りという訳です。だから、もう少ししっかり景気が回復するまで待とう、時期尚早!と言っているように僕は解釈しています。

経済は感情で動く。感情というのは、「物を買おうかな、それとも我慢しようかな」という人々の購買意欲です。購買意欲が刺激されるかどうかは、感覚的に財布にお金があるか、ないか、使っても良いと思うくらいの余裕があるか、ないか、です。肌身に景気回復を感じない人が大多数のまま、消費税アップに踏み切ればエラいことになるということです。

もちろん、経済は複合的な要素がたくさんあるし、クルーグマンが言っていることが100%正しいとも限りません。誰も、将来を予測することなんて出来ないし、クルーグマンも百発百中ではないからです。これからどうなっていくかは、神のみぞ知るというところでしょうか。

まあ専門的はことはさておき、僕が言いたいことはただひとつ。景気を回復させるためには、僕のように、お金があれば使う、なくても使うという「宵越しの金は持たない主義者」ばかりの世の中になれば、即OKということ。可処分所得を使い果たす人には、国から援助が出て欲しい・・・。笑

同じような内容の記事を、今年の5月に書いていたのを思い出しました。この時は泥酔状態でのエントリー、支離滅裂な内容に苦笑するかしかありません。

「可処分所得を使い果たす人間の思考パターンについて」(2014/5/1)

今日のキーワード(どうでもいい話)


器用と貧乏は、紙一重

欲張りと貧乏も、紙一重

マルチタスクほど深堀りできないものはない。
つまり、何をどうしても浅くて薄いのだ。

人間に与えられた時間は24時間。
何かをしようとすると、何かが犠牲になるというトレードオフ。

深堀りしようとする人は、アンビバレンスに身を投じようとする性質があり、
そういう人は大抵がアル中だ。


海と空が繋がりそうな曇天。

空がどんどん地表との距離を縮めると、大気の天井は低くなり、空気も薄くなり、地上で生きる生物は屈むことを余儀なくされ、四つん這いになり、腹ばいになり、最終的には海に帰って生活するようになる。それが、実は人類にとっては良いことなのかもしれない。空が高いから、殺し合ったり、権力を誇示し合ったり、宇宙に出ようとしたりするのだよ。

テクノロジーオリエンテッドな仕事をしているけど、目の前で起きている事象を評価する時と、選択を迫られた時は、僕は常にアナログ目線で行きます。つまり、生と死、生存に必要かどうか、です。

思いを馳せる先の風景


9月1日。
月初の月曜日は何かと忙しい。

月末までの慌しさが一段落し、棚上げしていたToDoを、よっこらしょっと棚から下ろすかのように、カチャカチャとアポイントと仕事のスケジュール調整。今週の出張と、来週のシリコンバレーへの出張に向けて時差を気にしながら各方面にメール。

夕方から降り出した雨の影響からか、頭が重たい。

なんとかスッキリならないものかとコーヒーを淹れてみたり、仕事とは直接関係のない記事に目を通したり(さっきは『建築家ビャルケ・インゲルスが描く「未来都市」のつくりかた』を読んでいた)、思いを来週の出張先であるカリフォルニアの青い空に馳せてみたり。

日本の梅雨時期に行った2ヶ月前のシリコンバレーは本当に気持ち良く、この秋雨前線活発な時期に、来週は4日間程度の短い滞在ではあるけれど、またあのカラッと晴れた素晴らしい気候の土地に赴けると言うのはとても嬉しいし、それを想像するだけで、なんとなく鈍痛のトンネルを抜けれる気がして気分も晴れる。

という訳で、今日はこの辺りで切り上げて読書の海にでもダイブすることにしましょう。

それでは、また明日。

とにかく、人間というのはChill Outを求めたいのだ


英米人が使う ”Chill out” という表現は、ドラッグ的な幻覚から覚醒するという意味ではなく、「ゆっくりしたい」「落ち着きたい」という意味で使うことが多い表現です。

ですが、その前の状況としては、「work too hard」であったり「too much drink」であったりする訳で、その人のキャパシティを超えた何かがあって、そこから自分の世界に戻って来たいと感じることを”chill out”というのではないのかなと、個人的に解釈していたりします。

この欲求には個人差はあるものの、大抵、僕の場合はprimitiveな感覚に戻ることによって”chill out”したいと思うことが多いようです。具体的に言うならば、美しい風景を見たり、原風景を思い出したりですね。

そこで紹介したいのが、”A river runs through it”という映画です。

僕は何もモンタナ州の生まれでも何でもなく、ただの関西生まれ関西育ち、釣りなんて何の興味もない、どうしようもない奴なのですが、幼い頃にビデオで見せてもらったカナダやアメリカ北部の大自然の映像が未だに脳裏に焼き付いており、それを思い出すトリガーになるのが、この映画な訳です。


人それぞれ、Chill Outしたい時の過ごし方は様々でしょうけれど、少なくとも、「何か」に戻りたいというのは自然の欲求ではないでしょうか。そして、戻る場所には、何らかの意味があるのだと思います。

今まさに帰阪中なので、帰阪という言葉について出来るだけ浅く考えてみる

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一週間の横浜滞在を終え、鉄路にて帰阪中です。

ちなみに「帰阪」というのは「大阪に帰ること」ですね。

厳密に言うと、僕の家は兵庫県の阪神間に位置しているので「帰兵」や「帰神(神戸)」(聞いたことない)が正しい表現なのかもしれないけれど、少なくとも新幹線で「新大阪駅」に帰るので、「帰阪」という言葉を使うことにします。

東京や大阪などの大都市は、「上京」「帰京」「来阪」「帰阪」「入洛」などという言葉を割と良く使うと思うのですが、興味を持って調べてみると、各地域により地名の最初の文字や後ろの文字を取って「帰◯」「上◯」「来◯」などということは良くあることなのだそう。

【参考】『帰名』とは…こういうこと?(OK wave)

(例)
帰名=(名古屋に帰ること)
来福=(福岡側から見て相手が来ること)
帰仙=(仙台に帰ること)
来沢=(金沢側から見て相手が来ること)

などなど。
もちろんこれらは地域毎に便宜上使っている言葉でしょうから、全国的レベルで認知度が高い訳ではないでしょうけれど、各地域毎に調べてみると面白い結果が出そうですね。

という訳で、今日はこの辺で。
 
 

 
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旅ランというライフワーク


腰痛悪化のために少し休憩していたランニングですが、徐々に快方に向かっているため、筋肉をほぐし、汗を流してデトックスするために、久しぶりに走って来ました。滞在しているホテル近くの多摩川河川敷です。

こちらは等々力陸上競技場ですね。

途中から雨が降り出したので切り上げてきましたが、それでも、やっぱりランは気持ちいい!!!しっかり汗を流した後は、ビールとハイボール。ここで飲まなきゃ痩せるのになあ。酒量が多いのが弱点ですね。

前回の旅ランは、二ヶ月前のミネソタ州と、シリコンバレー、そしてロサンゼルスでした。今回の東京滞在でもラングッズ持って来て良かった。旅ランの魅力に憑かれたら、もう中毒になりますね。最高です。

「魔女の一撃」の一歩手前

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慢性腰痛持ちの悩み、それは定期的に訪れる腰に走る激痛。
幸い、今回はギックリ腰までは行かないものの、その直前でギリギリ留まっている感じ。もっと分かりやすく言えば、ギックリ腰と取り組んでいて土俵際まで追い詰められたけれど、うっちゃりを決めたという感じ。だからなんとか今回は、朝イチは動けなかったけれど、お昼からはちゃんと会社に行き、夜は送別会で楽しく飲むことが出来ました。まあ、安静にしておかないとね。

ギックリ腰は、ドイツ語で「Hexenschuss」。魔女の一撃といいます。経験したことない人は分からないと思うけれど、この表現は、本当にピッタリ。見えない相手に後ろからバットで腰を一撃されたかのような感じなのです。腰痛は、人間が二足歩行をし始めた時からの病だと思うので、これはこれで受け入れないといけないですね。


(wikipediaから引用)
 
 
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【極論注意】InnovationとVisionが会社員から生まれない理由は、給料という制度に縛られているからである


財布の中に入っている千円、二千円を数えながら日々を生活しているサラリーマン(自分を含む)がInnovationを生み出そうと思っても、それは現実的に難しいという理由の一つとして、「人生、受託仕事」という一言に尽きると思います。お金をゲット出来る手段が、唯一、給料であるからですね。つまり、ニーズあっての仕事だからです。ニーズが顕在化している前提の上で仕事をしても、それはマーケットに対しての「工夫」であって、Innovationでも、Visionでもない。

サラリーマン(=社員)というのは、給料を経営者から得る人達のことです。そして給料とは、自分の労働の対価として会社(経営者)から受け取る物です。つまり、サラリーマンは会社がオーダーする仕事を受託しているのです。会社のオーダーに対して満足の行く仕事をすると、気持ち良く給料を受け取ることができる(オーダー以上のことをした場合は、色が付くかもしれない)。しかし、及第点に至らない場合や、客(経営者)が満足しない場合は、叱責と共に給料も減る。それが、会社と社員の関係です。ちなみに、ここでは経営者が従業員のモチベーションを上げるために取る工夫については言及しません。

しかし面白いことに、ほとんどのすべての会社は、やはり同じように取引先から仕事を「受託」しています。客にサービスや製品を提供し、その対価としてお金を得る。つまり、ニーズが顕在化しているという大前提があって初めて、金をゲットすることが出来るのです。サラリーマンも会社も、マクロ視点では、全く同じ土台の上に成り立っている訳ですね。もちろん、世界のごく一部の企業は「ビジョナリーカンパニー」です。それは、マーケットの期待値やニーズを勘案するのではなく、社会は、未来は、人類はこうあるべき、という概念先行・理念駆動でマーケットを牽引する力を持っている企業です。概念駆動型の企業はリスクを恐れない。だって、マーケットがないから儲かるんでしょ!?という子供のような心を持っていて、実際、そこに全力で進むからですね。最近では、Uberや、Squareがその典型です。

さて、InnovationとVisionに話を戻しましょう。よく「100年続く会社を作りたい」という経営者に出会います。しかし、そんな経営者に限って、「副業禁止」などといった極めてレベルの低いレギュレーションを設けていたり、管理やマネジメントに血眼を注いでいたりするのですが、そんな会社は一代であっという間に終息します。100年続く企業にしたいのなら、Innovationを生む土壌を作るのが先決です。その土壌は何かと言うと、それは「金の心配をしなくても良い」または「金は自分で自由にどんどん稼げ」ということを制度として容認するかどうかなのですね。

前者の場合は、大企業がそれに当たります。大企業というのは、とても素晴らしいオプションを保有しています。家賃補助制度、福利厚生、残業代、社員持ち株制度、ランチ手当、家族手当など、額面に現れない手当で、従業員が千円、二千円を数えながら生活しなくて良いように、ゆとりのある制度と給料体型を数十年に渡って計画的に提供しています。しかし、中小零細企業は、当たり前ですが、そこまで充実した制度を整備する体力がない。よく言われる、「金なし、人なし、時間なし」という典型です(一部、めちゃくちゃ儲かっている中小零細もありますが)。だからこそ、逆に従業員を自由にすべきなのですね。会社としてはこれだけしか出せないけれど、足らない分は、自分で稼いでね。というスタンスでしょうか。


少し話が逸れましたが、Innovationを生み出すために中小零細のサラリーマンが出来ることとしては、常に、自分主体で物事を考えることと、これからの時代はこうあるべきという、概念先行で物事を考えれるかどうかです。身近な人間を決して見てはいけない。身近な人間を見ていると、その範囲でしか大きくはならない。ましてや、上司や経営者を見ていてはいけない。そこから先に大きくなる余地はない。企業が経営者の器でしか大きくならないというのは、プランターで育てた野菜が、大きく成長しないのと同じ意味です。だから、自分が大きく成長したいのであれば、会社を見ないようにすべきなのです。

逆に言うと、そういう人間ばかりが集まった集団組織というのは、リミッターが外れた「成長力が青天井な」企業ということが出来ます。そこまで行くと、強い組織ですね。そんな素敵なチームを作ってみたいと思うのが、人の心というものでしょう。

僕は、概念先行、理念駆動という言葉が大好きです。
過去記事でも、色々とその観点から書いています。

理念(理想的概念)とハードウエア、ソフトウエアの関係(2014/3/18)

ソーシャルシティと概念先行型(2013/10/12)

自分の価値、集団として、チームとしての価値を上げるためには、見えないものを見ているかのように果敢に挑戦し続ける力と、リスクを取らない器、100年先に何を残したいのかという、理念とビジョンがあるべきだと思う、今日この頃なのでした。

※この記事は1000%、自省を込めて書いています。

次回は、スクラップ アンド ビルドという資本主義経済の根本について持論を展開したいと思います。(←酔っぱらい)

グラス越しに女性が一人


The Ritz-Carlton のクリエイション。

新しく考案した飲み物に、お客様の名前をつけます。
あなたと共にいつまでも。

うん、センスいい。
グラスの中に女性が浮かぶクリエイション。


明日からのISMS更新監査で脳ミソがウニなんだけど、ハフィントン・ポストに掲載されていたこの動画を見ると、そんなことどうでも良くなるという。こんなバレルあるんだ。美しすぎて言葉が出ない。

GoPro: Kilometer Barrels With Benji Brand – GoPro of the World June Winner

スキルって一体なんだろう


最近コンタクトをいただいた某外資系企業のアメリカ人担当者から夜の約束の時間に電話があり、そのまま30分くらい話をしていたのですが、自分の経歴を色々と話す中で「自分のスキルって一体何だろうか」と、短時間で自問自答する良いきっかけとなりました。思い掛けず「自分の棚卸しをする」機会になったというか。

で、そういう風に自分で自分を棚卸してみると、僕は何も特別なスキルも才能もキャリアも持ちあわせていないんですよね。僕が持つ程度のITリテラシーなんて、最近のデジタル・ネイティブの子供達なんかは皆当たり前のように学習し、身に着けてくると思うので、「WEBが出来ます、プログラムが掛けます、システム設計が出来ます、アプリケーションが使えます」なんて、その子達が大きくなった頃には、もはやスキルではなくなっているでしょうし、英語にしたって、これだけネイティブレベルのバイリンガルが増えてくると、普通の英会話力もスキルとは言えなくなってくるでしょう。

では、スキルって一体なんでしょうね。

もちろん「スキル」という言葉の定義によっても受け止め方は変わって来ます。技能や能力、身体的な能力、資格などはスキルと呼ばれますが、ビジネスに限定して考えてみると、それがステークホルダーから必要とされるかどうか、重宝されるかどうかという「相対的な評価」と「希少価値」にあるような気がします。それは、技能でも、資格でも、学歴でもなく、ビジネスを成功させるために必要とされる能力なのではないのかな、と。

まあ、ビジネス上、必要とされるスキルというのは、特に立派な技能でなくても「有能なイエスマン」や「謝り上手」なども組織としては必要だったりするのですが、これから必要なのは、無から有を生み出せる力、ビジネスを拡大できる力、組織を引っ張る力、勘所を見分ける力、など、実に「分かりにくい能力」、定義しにくい能力なのではないのかなと考えました。これって、持って生まれたものも多いに関係すると思うし、経験に裏付けられることでもあるでしょう。

いずれにしても、僕の「分かりにくいスキル」を身につけるための模索は、まだまだ続きそうです。