休暇明け

花見の報告をすると言いながら、

何の報告もせず、無断ブログ欠勤をしておりました。

ただいま、カオスから戻りました。

tomo-kです。

さて、6日もブログを抜けたことは、

2005年6月の開設以来恐らく初めてのことですし、

通常お休みを頂く時と言えば、

告知するか、正月休みか、海外に行っている時ですので、

これまた前代未聞の珍事が起きてしまっていたのです。

ブログの執筆に関しては、

当然のことながら、どなたとも契約を結んでおりませんので、

自然体で書きたい時に書けばよいのですが、

始めてしまった以上、自分で負った十字架のように、

やらなきゃ、書かなきゃ、始めなきゃと、

時として重たい荷のように感じていたのも事実なのでした。

全て内面的な話です。

何かあった、落ち込んでいた、忙殺されていた、ということはなく、

この間(ほぼ毎日飲みながら)いろんな人と会い、

いろんなことを考えておりました。

言わば、ただでさえキャパの小さい脳をフル回転していたせいで、

一日エントリーが抜けてしまうと、

この際だから休んじゃえー、きょえーっ

と、クールダウンしていたのです。

そして、実際に良い機会になりました。

 

 

 

大好きな海外のビジネス本を読んでいたり、

かつて読んでいた、マイライブラリーに保管されている本を

見返したりしていますと、

「好きなことを仕事にしている」人と、

「しがらみ、責任、義務、大人の事情で仕事をしている人」との間に、

大きな差があるように感じます。

好きなことを仕事をしている人は、

儲かろうが儲からまいが、そこには執着していないような。

それは、ビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェット、イングヴァル・カンプラード、

スティーブ・ジョブズの生き方を見ていても感じることです。

精神的な充足、寝る暇なく夢中になる、モチベーション・・・・

この一番大切な部分において、最大限のポテンシャルを、

意識せずに発揮できているのかもしれません。

スティーブ・ジョブズは、好きなことを仕事にするという点で、

「Keep Looking, Don’t Settle.」

(探し続けなさい、あきらめてはだめだ。)

という言葉を、スタンフォードの卒業生に残しました。

大切なことですね。

Keep Looking, Don’t Settle.

Stay hungry, stay foolish.

やっぱり、考えれば考えるほど、

この言葉に戻ってきます。

というわけで、いつものように支離滅裂ですが、

またブログを再開します。

「tomo-kの身になんかあったんか!?」と、

心配して連絡を下さった皆さま、ありがとうございました。

おひとりおひとりの名前を挙げて感謝の意を表したいところですが、

この場を借りて御礼を述べたいと思います。

ホントに、別に何もなく、ただサボっていただけですので、

ご安心下さい。
そしてどうぞこれからもよろしくお願致します。

conscious+コンシャス

いやー・・・

飲んだ飲んだ。

二件目はジャンケンに負けて、

おごらせて頂きました。

あっさりとした勝負でした。

 

 

さて、本題に入ります。

ふとボディコン」という言葉を思い出しました。

バブルの頃、流行った言葉だ。

体の線を強調したタイトな服を来た女性達。

Body conscious girl.

英語の文法的にはおかしいと思うのだけれど、

つまり「体を意図的に意識している女の子」という意味が

近いのでしょう。ならば、

 

A girl is conscious of her own body.

 

これが、文法的には正しいのかな。

多分。分からないけれど。

 

コンシャス、

つまり、自覚があって、意識しているということは、

主観的な視点からその主体を見てそれを認知することで、

欠点や、ポジション、能力などを、自己で正当に判断し評価し、

そしてそれを良かれ悪しかれ意識することは

とても重要なことなんだと、特に最近思うのです。

自分の強みも弱みもひっくるめて、

しっかりと自覚している人間は、のびしろがあって。

わかってないと克服も出来ないし、きっと成長も出来ない。

僕は特に出来ていない部分が多いからこそ、

「のびしろ」も、人様に比べてかなり大目にありそうな気がする。

たくさんあるものは、贅沢に使って行こう。

成長に向けてやらなければならないことが沢山あるなら、

それを贅沢にやって行こう。

のびしろはまだまだ、たっぷりとありそう。

 

 

周りの環境や他の人は、

自分の代わりになってくれますか?

 

そんな問いかけを、

昔誰かにされたことがあったっけ。

自意識、自覚。

それがあるのは、自分という個だ。

自己が自己に対して問いかけ、

インスパイアする。

あー、なんだかな。

もう少し賢ければ良かったのに。

そんなこと、ふと考えることがあるけど、

諦めや不満とコンシャスは全く違いますね。

そんなことを考える、

体力的の低下を自覚する金曜日。

うわー、もう一週間終わっちゃった。

早い・・・

1・17とAir.

13年前、

僕は19歳になる直前の18歳だった。

当時、住んでいたマンションで、

明け方とんでもない揺れに飛び起きた。

あまりの揺れの激しさに地震が起きたという認識はなく、

「飛行機が近くに墜落したのか!?」

と思った。

足の踏み場もなくなった部屋で

足を切った父と一緒に、

余震が続く中、祖父と祖母が住む家へと

車を走らせた。

祖父とその家は、今はもうない。

築50年の木造三階建ての家は半壊になり、

震災から一年後に取り壊し、

建て直した家に、今は僕と嫁娘と祖母が住んでいる。

今でも、

あの時に体験した揺れ、その後の生活の不便さ、

横倒しになった高速道路、崩れた無数の家々、

線路を歩く人々・・・

沢山のボランティアの人々、

直に目にした光景の数々は、

すぐに思い出すことができる。

13年も経ったんだ。

金曜日は、2008年最初の交流会である。

新年会も兼ねているため、

金曜の夜、所属も組織もバラバラな25名の人間が集まる予定。

異業種交流会ならぬ、

同業交流会である。

金曜は間違いなく遅くなるし、

土曜日は出勤のため、

早めに帰宅して靴磨きと片付けをした。

気になっていたことをちゃんと終えると、

なんだか軽くなる。

「軽い」つながりで、

Macから新発売したAIR、軽くて世界最薄だそうである。

Windowsユーザーであるが、

人としてのジョブスと、Apple社は、

僕の興味を捉えて離さない対象の一つだ。

大好きである。

Mac World Expo2008 の、

スティーブ・ジョブズのプレゼンを見ていたが、

彼のカリスマ性と「なんだかワクワクさせる」Appleの戦略は、

もはや伝統芸能の領域。

すごい人だし、すごい会社だ。

nostalgic tomorrow

歌舞伎役者の坂東玉三郎さんは、

「先のことは考えない。

明日のことだけを考える」

と語っておられた。

なるほど、先に目標を設定すれば、

そこにたどり着いた時、終わってしまう。

コンディションが良くなければ

先のことを考えすぎて、

しんどくなってしまうこともあるかもしれない。

 

とにかく「明日」をがんばって生きる。

 

これはシンプルな言葉なんだけど、

やはりとても奥深い言葉。

 

僕は、まだまだこれからだからこそ、

「明日を精一杯がんばる」ということに、

もっともっと真摯に取り組まなければならない気がする。

 

人は先のことを見ることは出来ない。

ただ、過ぎた過去は、

自分の脳裏に、また、瞼にしっかり刻み込まれ、

ふと懐かしい空気に触れると、

その時の光景が雪解け後の地肌のように

少しずつ形を現す。

時に気温が下がるこの季節。

かつてパウダージャンキーだった人間は、

あることがきっかけで雪山に対して

ノスタルジックな出来事を回想する。

あちらの島にいる男も、

かつてプロボーダーを目指していた人間だった。

行動も、スタイルも、滑る道具も別々だが、

夜中に車を走らせ、雪山を眺め、

汗を流して滑り続けた経験のある者同志。

夢中になったこと、達成したこと、

後ろ髪を引かれる想いで残してきたほんの小さな物とが

思考の中で混沌としていた。

それも過ぎた過去。

ほんの少しだけ残して来た物を、

いつか取りに帰れるように、

また明日を精一杯がんばろう。

めまぐるしく動く

ジェットコースターは、

動力を得るためにウインチで高い所に移動し、

あとは下り坂で得られる動力でレールの上を滑って行く。

今週の月曜日と火曜日前半は、

その「高いところに上るための時間」であったような気がする。

夕方から、登りきったジェットコースターは

ゆるやかに、そしてすぐにスピードをつけて走り始めた。

そして気付けば、週も半ばに差し掛かっている。

昨夜社内での打ち合わせの延長で、

中津→東通りへと、飲みを三軒ハシゴする。

終電・タクシーで帰宅し、ブログも更新できずに眠ってしまい、

まだ霧のかかった頭と、少しもたれた胃を無理矢理叩き起こし、

午前中の打ち合わせに突入する。

 

夢から現実、そしてまた夢へ。

 

思考は境界線を越えて、

あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりする。

楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。

そして、このまま今週もあっという間に終わるのだろう。

 

ジェットコースターに乗り終わった後のように、

楽しかった満足感と、心地よい安堵にも似た疲労感と、

少しの寂しさを感じながら、

また時計の針はゆっくりと回りだす。

 

 

 

 

有機と無機のハザマ

シミュレーションというのは、

とてもシステマティックなもので。

0と1の世界の無機質なイメージがあるのだけれど、

脳内における、あるいは対「ヒト」に対するアウトプットに

関して言えば、それはとても有機的なものなのだと思う。

有機と無機の大きな違いは、

そこに「血」が通っているかいないかに他ならないと思ったり。

仕事初めの社内は、

血が通っていて温かいという意味においては、

とても有機的だった。

休みの期間中に、「ヒト」はその限られたキャパシティの中で、

思考を巡らし、考え、適性を判断し、

漠然とした分かる筈のない未来の形を掴もうとする。

内田先生が語る言葉に出会う。

「真理よりももっと大切な知識」とは何か。
それは「私は何を以て『真偽』を判定しているのか。

その基準の正当性を私自身は基礎づけることができるか?」という問い、

つまり自分の知性の「不調」についての知識のことである。

哲学的だけれど、至極全うな言葉。

茂木先生が言う、

「メタ認知」も、ある種そういうことなのかと、

僕のゆで卵並にツルッツルな脳は判断した。

故に、

ヒトはもがき、マドルスルーを楽しみ、

苦難と悩みの中で、

光を見出そうとする。

それこそが、

生きている楽しみ。

前を向こう。

一歩一歩、歩を進めよう。

肩を叩き合った、

青臭い30オーバーの男二人の会話がそこにあった。

帰り道、

心の中のもう一人の「自分」と対話する。

対話しながら、思う。

自分に正直に。

素直に。

滾々と湧き出る泉は、

きっと僕だけのものだった。

ときの試練によって磨かれる美

「ときの試練によって磨かれる美」
魅力的な唇になるために、やさしい言葉を話しなさい。
愛らしい目を持つために、人のよいところを探しなさい。
お腹をすかせた人に食べ物を分けてあげれば、身体はほっそりするよ。
1日1回子供が指で梳いてくれれば、髪はつややかになる。
決してひとりでは歩いていないことを知っていれば、

弾んだ足取りで歩けるはず。

おまえの未来のために伝統を残しておこう。
愛情をこめた人のやさしい慈しみは、決して忘れることがない。
物は壊れたらおしまいだけど、
人は転んでも立ち上がり、失敗してもやり直し、生まれ変わり、
前を向いて何回でも何回でも何回でもあらたに始めることができる。
どんな人も拒絶してはいけないよ。
助けがほしいとき、必ず誰かが手を差し伸べてくれることを

覚えておきなさい。
大きくなればきっと自分にも二つの手があることを発見するだろう。
ひとつの手は自分を支えるため。もうひとつの手は誰かを助けるため。
おまえの「すばらしき日々」はこれから始まる。
どうかたくさんのすばらしき日々を味わえますように。
サム・レヴェンソンの孫娘宛の手紙
(オードリー・ヘップバーンのお気に入りの文章)
『母、オードリーのこと』 
ショーン・ヘップバーン・フェラー著

長女の誕生日に。

三歳、おめでとう。

Victory!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

皆様に良い報告ができることを嬉しく思います。

tomo-k、31歳。

こんなにがんばったのは、

本当に久しぶりです。

少し古い言い回しですが、

自分で自分を誉めてやりたいと思います。

という訳で、5人の死闘の結果はこちら。

 

 

一位 N村    -8.4kg

二位 Stosi   -7.4kg

三位 tomo-k  -7.2kg

—以下、罰ゲーム—

四位 社長  -6.5kg

五位 Kまさ  -6.2kg

という結果。

元々デブの、一位N村さておき、

どうです?tomo-kの-7.2kg。

いや、がんばりました。

 

 

そして計量の後は、こんなご褒美を。

1、ゴマ塩タン

 

2、特上ロース


  

  

3、霜降りの寿司


 

 

本当に、言葉にならないくらい美味しい。

勝利の美酒に酔いしれました。

 

 

それにしても。

なんとレベルの高い戦いだったのか。

一ヶ月で6.2kg減量しても勝てないのですから。

恐るべし、我社のメンバー。

さてさて。

明日からはグアムです。

関空からのエントリーを最後に、日曜日までブログはオヤスミです。

グアムのとんでもない様子のレポート、楽しみにしててくださいね。

僕はこの日を忘れない

自分でも驚くほど平穏な気持ちで、

この日を迎えることができている。

12月5日。

そう、計量日。

 

 

 

35日前の11月1日から、

僕たちの戦いは始まった。

35日間の、死の行進、自分との死闘。

そして、手段を選ばぬ情報操作。

土日が来る度に、何度、

「今食べている料理」の写メールが飛び交っただろう。

もちろん、相手を安心させるために。

 

 

でも、そんなこともみな終わり。

いよいよ、今日の夜で全てが決まる。

 

 

僕は生まれて初めて、

35日間で-6.3kgの減量に成功した。

ところがもっと驚くことに、

このデスマーチにエントリーした他の4人も皆、

-6kgをクリアしているのである。

 

恐るべき、レベルの高さ。

恐るべき、負けず嫌い。

恐るべき、執念。

当初の目標は-4kg。

なんだ、皆クリアか、めでたしめでたし。^^

なわけない。

減量の数値が低い者二名が、

残りの三人に焼肉を奢らなければならないのである。

5人で行けば、恐らく6万円は覚悟せねばならぬ。

罰ゲーム、一人3万円。

痛い。

痛すぎる。

何が何でも負けられない。

恐らく。

勝負の分かれ目は、-6.5kgライン。

僕の予定では明日、絶食で-0.5kgを上乗せし、

合計-6.8kgで上位三位に食い込む予定。

  

必ず勝ちますようにーぃーロックキュー!!!

日がとても短い

神戸の西、垂水に向かう車中からの景色が

僕は好きである。

須磨を抜けたあたりから、

国道二号線は海沿いを走る。

明石海峡大橋、淡路島も見渡せる、

絶好のドライブロード。

時間は13時半だというのに、

もう夕暮れの日差し。

明日は出勤日である。

昨日のエントリーでも書いた、

三分間スピーチを考える。

 

 
 

「Knowing what I know.」

という言葉がある。

文字通りには、

「私が知っていることを知っている。」

 

脳の機能の一部で、「メタ認知能力」という。

現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。(wikipedia参照)

自分を少し外から客観視できる能力も、

メタ認知の一部である、と、茂木先生が言っていた。

「違和感」を感じることも大切なことだと。

「違和感」を感じ、その心の声に正直に従って行動すれば、

仕事の内容も改善されるだろうし、

「天職」にも巡り合えるかもしれない。

メタ認知能力を測定する方法も

wikipedia にあるのでご参考までに。

スピーチのネタは、

このメタ認知能力に決定。

それにしても、

最近、自己矛盾にさいなまれている。

「そんなこと」に気付いているだけでも、

まあ良しとすべきか、

もう一歩踏み込んで考えるべきか。

脳がパンクしそう。

久しぶりに家飲みでアーリータイムズ。

この酔いがとても気持ちいい。