【大阪マラソン 19kmリタイア】不自由さを受け入れてこそ、次のチャレンジがあるんだと教わった大会

三度目の大阪マラソン。

リウマチ+足底筋膜炎の診断を受けてから3ヶ月まともに走れていない中、走ることはおろか、スタートラインに自分がゼッケンをつけて立つなんて夢にも思わなかったし、今年はDNSなので応援がんばります!なんて前日まで宣言していたのに・・・なぜかスタート地点に立ってしまいました。いや、立たせていただきました。

僕の中でのマラソンは、「毎回サブ4目指すべし、リタイアするくらいなら最初から出るな」だったので、大体4時間以内、悪くてもなんとか4.5以内では完走をしてきました。だから今年の大阪のスタートラインに立つということは考えられなかったのです。

ですが、大好きなラン仲間である、堂野さん、大堀さん、そして、前日エントリーでオレンジチームブースの運営をしていた前職の部下の「ダメ元で一回走ってみては!」という言葉に、なるほどそういう選択肢もあるんだ、と気付かされ、当日朝の調子を見て、走れなくはない、と判断したのでした。みんなに背中を押されて、スタート地点に立てた。

僕はどうしてここにいるんだろうという不思議な気持ちとともに、だめならそこでストップする、そう気づかせていただいた仲間たちに感謝しながら、透き通る真っ青な空を見上げました。

この雰囲気がたまらず、思わず涙が出そうになりました。

スタートしてから予想通り最初の5kmまでは痛みを我慢できたのですが、10km手前から失速。途中、勝俣州和さん一行が4人組でいい感じで走っていたので、それについて15kmまではがんばれました。沿道の声援とかっちゃんに感謝。

当初、うめランチームが待つ中之島公会堂を一つのゴールに設定していたのですが、皆さんの笑顔を見て、もうちょっとがんばろうと再スタート。

足は相変わらず砂利道を裸足で走っているような痛みですが、今度は痛みとだるさが徐々に膝から太ももに上がってきました。そして、更に失速。Cブロックからスタートしたのに、気づくと周りはEブロック、Fブロックの人たちばかり。Gブロックのランナーも混じり始めます。それでも、なんば駅が見えてきた。

そしてついに19km地点で腰がはずれて(ギックリの方は分かりますよね)、人生初のリタイア。どうやってリタイアしていいのか勝手が分からず、沿道のボランティアの人にリタイアの旨を伝え、最寄りの地下鉄駅を目指しました。

そうか、僕は腰もダメだったんだ。足裏と足首だけを気にして、ベルトを巻いている腰は大丈夫だろうと思っていたら、ギックリ一歩手前になった。なんて不自由な身体なんだ。ショックを通り越して呆然としてしまいましたが、5kmくらいで限界を迎える最近の自分としては、(かなり強引なポジティブ思考で)良かったと思わなくては、と言い聞かせました。

(あくまで自分的に)身体が言うことを聞かない不自由な状態とどう付き合うか。そして、自分のマラソンと今後どう向き合うか。その課題に対して、同じチームの皆さんの激走に、答えをいただきました。タイムや納得感ではなく、歩いてでも、這ってでも、ゴールを目指す。メダルと完走証は、タイムの良し悪しではなく自分に勝った勝者にだけ授与される。

その諦めない気持ちこそがチャレンジであり、マラソンなんですよね。不自由な身体をいつまでも嘆いていては何にもチャレンジできない。

それを受け入れて、それでもチャレンジを続けるということこそが、マラソンの醍醐味なんだと。少なくとも、僕は上手に、早く走れなかったり、すぐに腰がはずれたとしても、走ることが大好きで、マラソンが大好きで、大会そのものやボランティアや、皆さんの応援も、応援する方も大好きなんだという気持ちあるのであれば、マラソンから離れることは考えないでおこう、そう学んだのです。

来年から大阪マラソンはコースが変わりますが、僕は、この地点で止まってしまった僕を、また来年、乗り越えて行きたいと思います。

最後に、愛するランナーの皆さん、応援の皆さん。
今日は朝から晩まで楽しい一日をありがとうございました。

大好きな方のお見舞いに

午前はセミナーに参加し、午後からは友人のお見舞いへ。

生きてりゃいろんなことが降り掛かってくるものです。トラブルや、失敗や、突然の病など。

波風のない人生なんて面白くもなんともない。とはいえ、はるかに予想を超えた、テールリスクとも言うべきことが降り掛かってきた時、人はどう対処するのでしょうか。それが、命に関わるものであれば。

大好きな仲間のHさん。

ラン友であり、ゴルフ友であり、飲み友でもあり。男としてもかっこ良くて、いつも、すごいなあ、強いなあと羨望の眼差して見ている方です。

そんな大好きなHさんが重たい病気に掛かりました。僕の母と同じ病。それでも、Hさんは、強いんです。昨夜ちょっと体調が悪くなったという連絡を受けて、みんなで急いでお見舞いに行ったのですが、いつもと同じように、走ってる時やゴルフしている時と同じように、面白くて、かっこよくて、気立てがよくて、優しくて。弱音なんて一切はかない。

少し前、僕がリウマチの症状が出た時でも、「なんかあったらいつでも言ってな!またゴルフ行こう!」って激励のメッセージをくれました。逆に励まされてしまって。今日、面会に行った時も、「最近、車乗り換えたらしいやん、助手席乗せてな!」と言ってくれました。

僕が大好きな映画の一つが「紅の豚」なのですが、劇中、ヒロインの一人であるフィオがこんなセリフを言います。

「意地も見栄も無い男なんて最低よ!堂々と戦いなさい!」

Hさんは意地も見栄もお見せになりませんが、男らしく、強く、堂々と戦っておられます。その、なんとカッコよいことか。フィオの言葉を逆に取ると、最高の男なんです。一方の僕は、すぐにくよくよしてしまって。恥ずかしいなあ。

僕はHagiさんが大好きです。
こんなカッコいい生き方をしたいと思っています。

身近にカッコいい男(男だけじゃなく、かっこいい女性も多いですが)が多くて、見本に困ることはありません。また一緒にゴルフをプレーできる日のために、しっかり腕を磨いておきますね!


 
 
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【情熱大陸】心を掴んで離さない方、尾畠春夫さん

周防大島で2歳男児を発見して一躍時の人となった尾畠春夫さん。

ちょうどお盆休みに東京のホテルでニュースを見て以来、あの方は僕の心を掴んで離さない存在になりました。発する言葉の竹を割ったような明確さ、芯の強さ、ぶれない生き方。こんなに気持ちの良い方がいらっしゃるんだ。どんなに有名で、偉い人の言葉よりも、一言一言がグッと胸に刺さります。

そんな尾畠さんが毎日放送「情熱大陸」に出演されるとのことで、忘れず録画(夜が弱く、翌日がゴルフだったのでリアルタイムで見れなかったのです)。その録画を、この二日間で朝と夜に2回づつ、4回はリピートして視聴しています。娘たちからも、パパは尾畠さん好きだねと言われる始末。仕方がない、心底尊敬しているんですから。

「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」を地で行かれる方。尽くす分には慣れているが、お昼ご飯の差し入れには涙を流す。

「78歳になるけど、おふくろに思いっきり抱きしめてもらいたい。いつか向こうに行った時に、頭をなででもらいながら、背骨、肋骨が折れるほど、思いっきり抱きしめてもらいたい」

そう涙目で語る尾畠さん。

極貧家庭で生まれ、小学校5年の時に母を亡くし、近所の農家に奉公に出されて以来、ずっと一人でお母さんの背中を思いながら生きてきたんだろうな、と。どこかで見ているお母さんに恥じない生き方がしたいんだろうなと、感じました。

それに比べて、自分はなんと物質的で独善的な生き方をしているか。
尾畠さんの背中を追うにはまだまだ修行が足りません、いや、足りなさ過ぎますが、少しでも、関わる人間に尽くすことができるような生き方がしたいと思います。もっと、あらゆる物に対する愛情も深めていきたいな。

これから、ちょっと疲れたり、元気がなくなったりした時など、この録画にお世話になりそうです。


 
 
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皆さまの温かさにふれながら、父とのツーサムラウンド

昨日のブログ記事「一人のランナーがリウマチ発症に際して考えること、感じること(急がず焦らず、マラソン復帰を目指します!)」に対して、本当に心温まる励ましの言葉やお気遣いの言葉をたくさんいただき、感激しています。皆さま、ありがとうございます。心に染み入るとは、こういうことを言うんでしょうね。書いているとおり、しっかりコントロールしながらマラソン復帰を目指しますので、これからもよろしくお願いいたします!

大柄な見た目とは違い、20代半ばで心の病を発症したり、30代も様々な病気と付き合い、40代でこれですから、実は常に「何か持っている」という状態。人一倍健康には気を使っているつもりでも、残念ながら僕は色々と出てしまうタイプのようです。それなら好きに生きりゃ良いという考えもなくはないですが、少なくとも「何かを持ちながら生きている」方が、きっと良いことがあると思っているのも事実。少なくとも、同じく持っている人の気持ちは良く分かります。

さて、昨日は父とツーサムでホームコースをラウンド。

自宅から近く、こじんまりとしていて、メンテナンスも良いという理由だけで二人で一緒にメンバーになった神戸グランドヒルゴルフクラブ。親子で一緒に回ることで、僕の目線では「親孝行」、父としては息子との時間をピクニック気分で共有しながら気分転換し、色々と家のことを話し合う時間にしているようです。あと、ゴルフも真剣に上達したいみたい。いくつになっても元気なのはいいですね。

先々どんどん進んでいく父。

アドレスはなかなか良い父。この後、ド天ぷらショットを放ちました。笑

僕の方はというと、手首の調子はよくスイングも支障なし。足の方も大丈夫。ホームコースでツーサムということもあり、45+42=87 と合格点のラウンド。力が抜けて良かったのかもしれませんね。

ただやっぱり、ラウンド後のダメージはあるかなー。関節に負担が掛かっているのでしょうね。でも、今のところはゴルフと山歩きは問題なし。むしろ良いスコアが出てしまってます。笑 どういうこっちゃ。

というわけで、今週土曜日も会社メンバーとゴルフですが、まずは一週間しっかりお仕事。最終週、がんばります!
 
 
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絶賛 足底筋膜炎 なう

先月末から発症しはじめた足底筋膜炎のため、ラン絶ちをしてから早一週間。

この一週間はストレッチと筋トレ。旅行や通勤や移動などであっちゃこっちゃ歩き回っているので運動不足にはなっていないと思いますが、やはり朝起きた後の一歩目の痛みは嫌なものです。

11月のマラソンシーズンまでは適度に調整しながら楽しみたいと思いますが、そういえば、毎朝走っている芦屋浜も、この台風の影響で砂浜や防波堤に六甲アイランドから流されたコンテナが大量に漂着してこの世の終わりみたいになっている様子。

(ちょうどこの写真で走っている防波堤が、コンテナゴロゴロになっているようです)

(写真:神戸新聞)

ラン絶ち中のため見に行けていませんが、随分と様子が変わっているのでしょうね。

今朝も北海道で地震があり、道内全域(北海道って信じられないくらい広いのに)が停電になったとのニュースもありましたが、自然災害と上手に付き合っていくような社会が求められているのかもしれません。人口減少に伴い、危険なところには住まない、とか、復旧できないところは放置して、安全なところに人を集める、とか。

まるでディストピアのようですが。
 
 
 
 
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塵も積もれば夕方ラン

 
お盆休みも後半ですね。
今日の夕方ランは風が強い上に涼しくて、夕焼け空もきれいでした。

夏場のランの極意をつかんだ訳ではありませんが、毎日数kmをコツコツと重ねていると、今日時点で80kmも走れています。盆休み明けは出張ラッシュですが、今月も100kmはなんとか超えそうです。

やっぱり、どんなことでも近道はありませんね。
日々、コツコツ、積み重ね。

 
 
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心の洗濯、精神の安定

相変わらず、通勤時も、移動時も、走っている時も、僕のイヤフォンからは「夏休み 子ども科学電話相談」が流れています。リアルタイムで聴けなくても、NHKのラジオアプリで聴けるので、場所と時間を選ばず、便利。

そして、特にランニング中は「走っていることを忘れるくらい」番組に没頭してしまい、暑さ・しんどさが軽減されるので、ランナーの皆さんにはオススメですよ。笑
 
今日は名物先生方が四人揃う「神回」だったのですが、僕個人として、今日かわいいなと思った質問は、以下のとおり。

「カブトムシの足が取れちゃったんですけど、元に戻すことはできますか? なんか、かわいそうだなあと思って」

「ハトは三秒で物事を忘れてしまうんですか? もしそうなら、餌を食べたことを忘れてしまうんじゃないかと不思議です」

「恐竜の肉は美味しいんですか? お母さんがワニの肉を食べて美味しいと言っていたし、恐竜から進化したトリも美味しいので、恐竜も美味しいのかなと思いました。」

子どもの疑問、好奇心は、本当にプライスレス。
それに答える先生方の専門的・哲学的回答、そして、生けるものへの愛情。

心が洗われます。
 

 
 
 
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なにがしあわせかわからないです。 ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。

昨夜、なんとなくNHKのSONGSを見ていたのですが、宇多田ヒカルが自身の生い立ちと家庭環境、その上に形成された世界観を語る時に、「銀河鉄道の夜」に出てくる燈台守の言葉に影響を受けたと語っていて驚きました。実は、僕も大好きなのです。

なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。 〜 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

彼女の場合は、どこに行っても転校生、明日いきなりNYに住むよ、来月日本に帰るよ、というような、目先どうなるか分からない不確実な生活を世界レベルで経験しながら成長したという、ある種のアイデンティティの欠如をベースとしたものだと想像するのですが、僕の場合は、一つひとつの選択の正しさを後ろ盾してしもらえる言葉として励みにしています。

過去を振り返った時に、あの時の選択は本当に正しかったのだろうかと思うことがあります。

人生というのは小さな選択と決定の連続で、その時その時の必死で一生懸命の積み重ねが今に至るのであれば、過去の自分をしっかりと肯定してあげることが、今とこれからを生きるための糧となるのではないのかなと思います。

それが願わくば、「ただしいみちを進む中でのできごと」であり、「峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつ」になれば良いなと。辛いことも、悲しいことも、その先の「なんだか分からない幸福」に近づけるのであれば、乗り越えていけますし。

夕方涼しくなった頃、走りながらこの文章を反芻していました。

さあ、7月スタートです!
 
 
  

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震災ネイティブなめんな

人間は自然によって生かされる。
その人の人生においてどれだけの苦難を経験したかが、その人の深みと咄嗟の行動に影響を及ぼすのではないか。

僕は阪神大震災を震度8地域で経験しているし、東日本大震災も淀屋橋の耐震ビルの9Fで経験している。ゆらゆら揺れるビルの中で、メニエールとの併発でえらく気分が悪く、アウトプットしそうになったことを覚えている。阪神大震災の時は、強烈だった。飛行機が当時住んでた家に落ちたと思った。それが地震だと分かった後、遠くから地鳴りのように聞こえる余震に怯えながら過ごした。家から徒歩すぐの体育館には、白い棺が並んでいた。遺体安置所だった。水道ガスが止まっていたので、川から水をくんでトイレに流し、シャワーが浴びれないので、水を使わないシャンプーを使い、線路を歩いて大阪の茨木(今回の震源地)の叔母のところに身を寄せた。

震災ネイティブをなめんな。

今朝8時のあの揺れを、早朝出勤中の会社で感じ、マニュアルどおりにすぐに公園に避難したが震災ネイティブからしたら屁でもない。しかし、尊い人命が奪われてしまった。自然が暴れる時、必ず人の命を(少なからず)奪っていく。それはなぜなのだろう。その子の命が尊ければ尊いほど、自然は自分の中に取り入れたがるのか。それは優しさなのか。自然の愛情なのか。

僕のように心の弱い人間は、その事実を受け入れることができず、極力日常生活を平穏に過ごそうとする。表向き、自分の命を惜しいとは思っていない。好きな時に自分が満足しながら死ねたら本望だとも。だから、こんな日でも身内の安否が保証されたのなら、酒を飲む。

あのなあ、人類ってそんなにヤワじゃないんだよ。
死滅し、数が減り、色々の苦難を経ても、生存し続けるのがホモ・サピエンスなんだよ。

震災ネイティブなめんな。
 
 
 
 
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父とのラウンド、そして限りなくプロに近いアマチュアゴルファーとの出会い

父が、やっぱりゴルフ場は自宅から近い方が良いと、自分のメンバーコースではなく、最近会員募集をしているゴルフ場(実家から車で25分くらい)の視察に行こうといいだし、2年ぶりに親子プレーをしてきました。

眺望最高です。

当然ツーサムかと思いきや、カートには僕たちのバッグ以外に2つバッグが乗っています。なんとツーサム同士で一組になったようで最初はびっくりしたのですが、相手方も動揺しながらもとても感じの良い方々で、すぐに意気投合して色々とお喋りをしながらのラウンドとなりました。

そして、なんとその内の一人が某有名クラブのクラブチャンピオン(ハンデ0)という限りなくプロに近いアマチュアのゴルファーで、来週は企業対抗戦の競技に出場するとのことで練習モードでしたし、こちらは視察プレーなので終始リラックスムード。僕としては、眼の前でハンデキャプ0のプレーを見れたし、父共々アドバイスをいただきながらのとても楽しいラウンドとなりました。

ここ数回のラウンドがずっとボロクソのスコアが続き不調で意気消沈していたのですが、今日は上手な人に引っ張られて、あがり3ホールは連続パーと満足の行くラウンドになりました。

同伴者がいるというのは、アメリカでのラウンドにサンフランシスコの貿易会社の社長が合流した時以来でしたが、やっぱり、クラブというのは、本来こういうものですよね。

楽しい一日に感謝です!


 
 
 
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