少なくとも自分が見えている範囲では暮らしやすい社会になってきた

我が家の庭も秋の雰囲気。金木犀の香りが漂い、タマスダレも満開になりました。秋は大好きな季節です。

つくづく、良い時代になってきたな〜と実感しています。

というのも、人々が自立に向かっているし、みんなで助け合って生きていこうよ、という思いが強くなっているように感じるんですよね。

特に若い人を中心に、このような考え方が広まっていると感じます。社会そのものが成熟してきて、人は人、自分は自分というスタイルが強くなり、同調圧力のようなものが薄れてきています。少なくとも僕が見えている世界では、違いに対するリスペクトがまず最初にあり、自分も他人も大切にするという考えと共に、地域の役に立ちたい、社会に貢献したいという人が増えています。良い時代になってきました。

自立に向かうというのはとても大切なことですよね。ウェルビーイングの要素のひとつに「自分で決定する」というものがあります。仕事や学びの選択、人や社会との距離感、住む場所、一日の時間の使い方、お金の使い方。誰かに指示されるのではなく、「自分で決める(自己決定)」ことが、幸福度に繋がるのですよね。

情報に対しても同じで、SNS、マスメディアや大企業、政府の情報を鵜呑みにしないのはもちろん、医療の選択、食べる物、着る物も自分で吟味して決定する人が増えてきました。僕もそのうちの一人です。無添加のものやスーパー、コンビニの出来合いのものは極力購入せず、できるだけ自宅で作れるものは作って生活しています。TVもほとんど見ません。必要な情報は自ら検索して取りに行く。そのために、自分の審美眼を養い、真贋を見分ける力を身につけることが大切です。一見すごいように見えることでも、中身がなかったり、ハリボテだらけのものが多いですから。(過去記事「コピペ社会をどう生きるか〜持てる武器を増やす」2024/05/14参照

政治に対する関心が若い人の間で高まっているのも事実で、「自分ごとにする」という考えが強いので、人や国任せにせずに、自分たちでなんとかしなければならないという思いの元、選挙に行く若者が増えているのも嬉しいことです。今月の衆院選は、僕も19歳の長女と一緒に投票に行きます。まあ、国民として、自分の生活だけでなく、今の選択が子どもや孫の将来にも直結するので、当たり前といえば当たり前なんですけどね。

先ほどの「思いやり」でいうと、信号機のない横断歩道でも一旦停止をして、歩行者を優先させる車が増えてきました。元々日本では、信号のない横断歩道では車が優先で、渡りたい歩行者は車の往来を待ってから渡るというのが一般的でした。

自分の仕事先だったアメリカでは全く逆で、横断歩道は歩行者優先で車は一旦停止しなければならない(あるいは、バンプが設置されていて減速を余儀なくされる)のに、なんで日本は車優先なの?と帰国する度に違和感を感じたこともありましたが、最近、街中に高齢者がぐんと増えてきたこともあり、信号のない横断歩道でも一旦停止をし、歩行者を先に渡らせる車が増えてきました。高齢の人や身重な人に優しい社会になってきたなと思います。

人が足りないのも承知の上、様々なサービスが手薄になってきたり、コンビニの営業時間が短縮されたとしても、あるもので満足したり、自動化できるものは自動化したり、みんなで助け合えばいいじゃないかという感じですね。良い社会です。ただ、まだまだ過渡期。一部、昭和の残り香を身にまとっている方々もいて、価値観が混在しているのは事実ですが、それはそれで良いでしょう。歴史を振り返ればそういう過渡期は数十年単位で発生しています。徐々に徐々に、自然の流れで変わっていき、最適化されていくものなのです。

あくまで、自分が見えている世界だけの話ですが、こうして、人と社会と距離を置きながら客観的に観察していると、経済的、安全保障的問題は多々あれど、ミクロ視点では本当に良い社会になってきたな、と実感するのです。

気張るな、というメッセージをいただきました

いろんな方から悩みや相談をお聞かせいただく中で、共通して感じるのは人の根底にある「不安」です。

人って、先が見えない時や、自分がコントロールできない時、見たことのないものが目の前に表れた時に不安を感じるものです。特に、自分のコントロールが効かない状況になった時に、不安になり、恐れ、攻撃的になる傾向があるように思います。

幼い時から、目標を持つこと、なりたい自分像を明確にすること、夢に日付を書き、逆算して行動することなどを徹底的に教え込まれて来ましたので、そのとおりにならないと、やばい、どうしてだろう、と焦ったりもします。不安だから、人の評価も気にします。人からどう思われているだろうかという不安が根底にあるので、キラキラ投稿をしたり、ビジネスやってますアピールをしたり、はたまた世の中を分かったかのように憂い、批判する投稿をしてみたりするんですよね。かまってほしいんですよ、不安だから。

最近、不安を感じるのって「自分がずっと生きている」ことを前提にしているからだよな〜と気づきました。なんとなく、いつかは死ぬとは思っているものの、それがいつか分からない。分からないことを分かろうとするからがんばるんです。分からないことはリリースすれば良いのにね。

自分の人生にとっての時間は有限かもしれませんが、時間そのものは無限です。

神社仏閣巡りをしていると、物事を千年から二千年の単位で考えざるを得ません。このブログでは何度も書いていますが、時間というのは、歴史の年表のように左から右へ直線的にリニアに繋がっているもので、それが何万年と続く中で、たまたま今生まれて来た人が80年かそこら生きているだけのことなんですよ。それに、今目に見えている世界がすべてでもなく、この80年そこらで一旦地球という「バーチャルフィールド」に降りてきて、ちょっと色々と経験して、また別の世界に飛び立つということで、現世は修行の場、という仏教的な考え方もあれば、現世は感謝の場、という神道的な考えもあり、いずれにしてもテンポラリーな「場」としての捉え方もできるということなんですね。

みんな違ってみんないい。
心配事の99%は起こらない。
大丈夫、気張らなくてもなんとかなる。
世の中の経済の仕組みを知れば分かるけど、自分の稼ぎは誰かの借金。
一人で豊かになっている人は、その他大勢を貧しくしているということ。

そういえば、最近「気張るな」というメッセージを尊敬する方からいただきました。そうか、自然体でいいんだ。無理に仕事もがんばらないし、無理に付き合いを広げることもなくなったし、そのおかげで周りには価値観の合う気持ちの良い人だけが残り、ストレスとは無縁の生活を送ることができるようになりました。

幸せになるのは、未来ではなく、今の自分の心なんですよね。
目の前にあることを感謝して生きることが大切ですね。

社会的「林」の中で生きる

仕事柄、今後のキャリアについて相談されることが多くあります。

「今後」と言っても、その人が何歳なのかによって随分見え方が変わるものですが、自分自身が一般社団法人 白秋共同研究所 の理事をしていることもあり、シニア世代、または予備軍(特に40代)の方々からの相談が多く、この世代は特に「今後」を強く意識しておられる方々が多くいらっしゃいます。ポジティブというよりは、どちらかというとネガティブに将来を見ておられるように感じますが、結論からいうと、実は50歳からが人生の黄金期だそうで、いやこれ、事実であれば人生の後半戦を迎えるのが非常に楽しみなわけです。

このブログでも何度か書いていますが、世界では人生を4つに分けて考えることが多いようです。

中国では、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」としていますし、古代インドでは、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という考え方があります。最近よく耳にする「人生100年時代」に当てはめて考えると、それぞれ、0〜25歳、25歳〜50歳、50歳〜75歳、75歳〜100歳と区分できるかもしれません。

老いの工学研究所によると、インドの四住期において「林住期」が人生最高の期間とされるようです。

●「学生期(がくしょうき)」
 まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。

●「家住期(かじゅうき)」
仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。

●「林住期(りんじゅうき)」
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。

●「遊行期(ゆぎょうき)」
人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。

この中で、「林住期」が人生最高の期間とされるようです。

学生期、家住期、林住期、遊行期(インドの四住期)【高齢期に関わる用語集】https://www.highness-co.jp/churakubou/detail/215

林住期の「自分らしく自由に、人間らしく生きる時期」とはどういう意味なのでしょうね。この時期は自分の夢を実現し、必要からではなく興味によって何事かをする時期と作家の五木寛之さんは書いておられます。

振り返ってみると、自分も20代から40代半ばまで一生懸命働き(家族を養い、子どもを育て、経験を積むという必要性があったと思います)、46歳で興味によって何事かをする時期にシフトしたように思います。

具体的には、会社勤めを辞めて若手や後進にバトンタッチをし、フリーに身軽に働けるようにして、自分の会社で収益を上げつつも、関心が向く方に多くのリソースを割けるようになりました。「関心が向く方」と「ビジネス」は両立しない場合が多く、自分の場合は複数ある社団法人の活動やコミュニティ運営、地域活性、シニアキャリア、神社のお祭りなどは収益とはほど遠い場所にあります。むしろ、持ち出しの方が圧倒的に多いかもしれません。でも、これらの活動に注力できているのは25年間の「家住期」があったからなんですよね。

「林」という表現が面白いな〜と思います。街ではなく、林。憩いの場所、落ち着く場所、静かな場所、里山のようなイメージ。でも街から遠くは離れていない。家住期の人たちに混じってがんばるのではなく、少しだけ距離を置いて興味関心に向き合う。なにかあれば、街の人たちを手伝ってあげる。

こう考えると、家住期にどれだけがんばれるかがとても大切なのかもしれません。20代〜30代の方、急がず焦らず、楽しみながら泥臭くがんばりましょう。どのみち急いでも何者にもなれませんから(笑)、安心して目の前のことをひとつづつね。

と、前置きが長くなりましたが、こういったことってなかなか一人で出来るものでもありません。相談できる場所や仲間も必要です。そこで、白秋共同研究所では、「White Club(ホワイトクラブ)」というサロン型のコミュニティで、月に一回、神戸のカフェ・テイストなコワーキングスペース「Sowelu」に集まり、ワイワイガヤガヤと様々な話や情報交換をしています。

今日書いたような情報は、月に二回メルマガとして「白秋世代エンジョイニスト」であり、合同会社アーベント代表の吉川公二さんにコラムを書いていただき、発信しています。

このホワイトクラブですが、実は誰でも参加できます。原則、毎月第四水曜日の18:30に、10人ほどで集まって、ゲストスピーカーの身の上話を30分聴き、その後は乾杯スタート。王子公園のグルメをケータリングでいただきながら、みんなで最近あった出来事や関心事などを話しています。こちら、興味がある方はお気軽にゆるっとご参加ください。会場代、飲食代を入れて 3,000円です。

既に林住期を迎えている方でなくても、家住期の現役の方、30代の方なんかは今後のキャリアの参考になるとも思います。ほんといろんな人がいて面白いですよ。

あと、「林住期の面白い方」も常に探しています。僕の方からゲストスピーカーとして急にお声を掛けるかもしれませんので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。笑

WEBサイトはこちらから
https://hakushu-lab.com/whiteclub.html

旅雑誌や機内誌のコラムを地で行くような楽しみ方

夏ってイベントが多い季節ですよね。
毎週のように暑気払いや会合など、仲間たちと集まる機会が多く楽しく過ごしています。

飛脚まらそん大会運営チームの決起集会、社団法人主催のシニアコミュニティの会合、ランニングコミュニティの10周年、所属ゴルフクラブの有志飲み会、三重県ゴルフ合宿・・・毎日のように行事ごとがあり、色んな意味でアツい。皆さん元気で何よりです。

先日のブログで、コミュニティは空気のようなもの、と書きました。
「新しい文化を作る」2024年7月26日

様々なコミュニティに属していると感じるのですが、誰もが「ここが心地良い」と思って集っている人の集団なので、やはり根底に、価値観や文化の共通の土台のようなものが横たわっています。先日、そんなコミュニティのある人と、関西エルマガジン社が発行するMeets Regionalの話題で盛り上がりました。

僕はMeetsを20年前くらいに熟読していて、江編集長や内田樹先生、中場利一さん、バッキーイノウエさん、ひさうちみちおさんなど、ちょっと斜めな人たちが書くコラムが大好きでした。街場の◯◯考として、下町や地域に根ざす店などを一風変わった角度で考察したり、時事ネタを面白く扱ったり、とにかく毎号楽しく読んでいたのです。街を知り尽くした賢くカッコいい大人たちに憧れたものです。少しアカデミックな視点が入っているところもあり、読むと賢くなれたような気もしました。

久しぶりに、当時のMeetsがどれだけ面白かったか(もちろん、今でも面白いと思いますが)を共通言語で語れる人がいたのが嬉しかった!そんな話で盛り上がりながら、僕はその頃から地域の小さな経済圏や、文化や、郷土史が好きだったんだな、と再確認できたのも収穫でした。

今、各地の神社仏閣めぐりをしながら、その土地の歴史や文化を学び、地域の産物に舌鼓をうち、道の駅で買い物をして帰るような旅を趣味のようにしていますが、そのルーツは、Meetsにあったのかもしれません。紙媒体や活字が好きなのも昔から。こんなことを書いていたら、図書館に行きたくなってきました。

旅先での街歩き、小料理屋での店主や女将さん、地域の常連さんとの会話。
惹かれるままに、思いのままに。旅行雑誌や機内誌のコラムを地で行くような楽しみを、これからも続けて行きたいと思います。

さて、告知です。
お手伝いしている「服部足祭り」ですが、この度、7月28日(なにわの日)に開催された「第24回 なにわ大賞」の「大賞」を受賞しました!「なにわのいちびりさん」に与えられる歴史ある栄誉ある賞をいただけたこと、関係企業、運営スタッフ、ボランティアの皆さんと一緒に喜びを分かち合えたことが本当に嬉しいです。
そして、8名の審査員の方々が、カッコいい大人の方々なのでした。

服部足祭り、今年は10月5日、6日に開催されます。
ぜひ、遊びにきてくださいね。

新しい文化をつくる

人の「想い」に触れることが多い今日この頃です。
様々なプロジェクトに携わらせていただく中で、決して派手だったり、目立つわけではないけれど、心の内に秘めた温かさや思いやりをじんわりと感じることができるのは、本当に幸せです。

類は友を呼ぶといいますが、自分が持っている価値観、物事の捉え方、人への接し方、人生に対する考え方などに近しい方々が自然に集まります(不思議なんですけどね)

コミュニティにおけるこのような循環がオートマティックにまわり始めると、集まる人々が醸し出す温かさ、優しさ、思いやりが大気のようにコミュニティを包み、その空気を吸うことが心地良いと感じる人々が集団を形成していくんですよね。僕は優しく、温かく、誰も攻撃したり排除したりしないコミュニティが大好きです。日本の「和合」という文化を大切にしています。

取り決めもルールもなく、目に見えない不文律がゆるやかに包む。同調圧力でも、押し付けでもなく、出入り自由。みなさん、どうぞご自由に。シンプルに、その場の空気が心地良いと思う人々が集団を形成しているんです。

そんなコミュニティから生まれたイベントのひとつが「飛脚まらそん」です。

江戸時代において、飛脚は手紙や書という形で人々の想いを運びました。親が子を、子が親を想う気持ち、愛する人を想う気持ち。少しでも早く、想いを伝えたい。

自分も15年のキャリアを持つランナーなので、多くのランナーさんを見てきました。距離やタイムを追い続けるのも尊いことですが、自分のように体調を崩したり、故障したりして以前のように走れなくなってしまった人、SNSのキラキラ投稿ばかりがタイムラインに流れてきて、他の人と自分とを比べてしまい、走ることの楽しさを見失ってしまった人、参加費の高騰で都市型マラソンに辟易してしまった人。

でも、きっと、走ることは嫌いじゃないんです。
それぞれ、自分と戦いながら、大切な人を想いながら走ることの素晴らしさを知っている。そんな想いを「飛脚」に重ねて走ってみましょう、というのが「飛脚まらそん」です。

距離は、1里(約4km)、5里(約20km)、10里(約40km)の部。
タイム計測はありません。

家族で楽しめるように、親子かけっこ教室もあります。

ちなみに、飛脚まらそん実行委員会は、日本人初6大陸のアドベンチャーレースを走破し、先日もヒマラヤ1700km横断レースを完走された、プロランナー北田雄夫さんを委員長に、全国各地で数々のレースを主催するGRlabさん、「ランナーズ」でおなじみのアールビーズさん、そして足の神様服部天神宮さんが実行委員のメンバーとして名を連ねています。

プロランナーや第一線の実業団ランナーたちが主催しているのに?

なぜ飛脚?

僕はそんな疑問に対して「日本古来の文化を見直し、走ることに対する新しい文化を作りたいから」と、答えています。極限の厳しさを知り、世界を見た人の優しさは本物です。それぞれが自由に新しい文化を楽しんでみませんか?

当日はボランティアスタッフも募集しています。
走る側でも、支える側でも。

ぜひ、一緒に新しい文化を作りましょう。

近況報告〜肩の力を抜きつつ11期目がスタート

7月に入りましたね。毎日暑い日々が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。こちらは色んなことが重なり、非常にバタバタしていました。

近況としては、まず、自社の10期目の決算を6月に迎えました。
今期(いや、7月に入ったから前期ですね)は、おかげさまで過去最高益、前年比300%以上増で着地。顧客、取引先には大変お世話になりました。2022年3月に独立してから、ようやくあるべき形やペースが見えてきたこと、良い評判をいただいて色んなルートから仕事を紹介いただけることになったこと、領域がコンサル、マーケ、採用、事業開発以外にも拡大し、ご支援させていただける企業や団体が増えてきたことで、このような結果になったのだと思います。

ペースという意味では、今でも平日休日関係なしの生活をしています。平日でもゴルフや神社めぐりをしているし、予定のない週末は大好きな図書館やカフェで仕事をしています。会いたい人には会いに行き、行きたいところがあれば行く。時間や場所に拘束されないライフスタイルというのが、僕自身の理想であり、そのために一人でフットワーク良く動けるように環境づくりをしています。

弊社は7月から11期目に入りました(実は独立前の役員時代から二足のわらじを履いています)。ありがたいことに今期も既にたくさんのご相談をいただいています。どんなご相談でも恩返し、恩送りと思ってお受けさせていただいていますのでお気軽にお声がけください。

そして、もう一つ。
6月末に、96歳の祖母が亡くなり、通夜葬儀の喪主として見送りました。

昭和3年生まれ、終戦後に若くして嫁ぎ、数え切れないほどの苦労があったことは容易に想像ができるし、夫(祖父)を22年前に、長女(母)を3年前に亡くして寂しかっただろうけど、認知症もなく、家族親族を大切にし、義理人情に厚く、記憶力抜群の聡明な女性でした。おばあちゃんは僕自身の良い理解者で、いつも僕がすることを心配しつつも応援してくれていました。

親戚やご近所の方が弔問に訪れてくれた際、松田さんは本当に賢い人だった、という言葉を何度も聞きました。「賢い」とはどういう意味なのかを考えていたのですが、恐らく、記憶力が良いこと、勘が良くどんなことでも器用にこなすこと、常に周りの人間のことを考えて一歩二歩先の手を打っておくこと、そんな感じなのかなと思います。

おおよそ100年、ひとつの世紀を生きたわけですから、大往生といわずしてなんというのか。我が家としては一つの時代が終わったな、という感じです。戦前、戦中、戦後を強く逞しく生き抜いた昭和の女性の強さはマネできるとは思っていませんが、僕は僕なりに、受け継いだものを守り、祖母を安心させてあげれたら、と思っています。

今週は東京出張からスタートです。
一週間がんばりましょう。

さあ、これから何して遊ぼう

思えば遠いところまでやってきたなあ、というのが実感です。
このブログは2005年の6月に始め、今月で丸19年を迎え、20年目に入りました。

たかだか20年とはいえ、その間、様々なステージチェンジがありました。0歳だった長女は大学生になり、始めた当時は生まれていなかった次女も高校生になりました。僕自身のキャリアも色々と変化がありました。絶好調の時もあれば、絶不調の時もありました。そのような山谷を乗り越えながら、なんとか生きている。結果的に生きてきた。そんな感じでしょうか。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、パスカルが「パンセ」の中で書いた言葉と言われています。

この言葉、若い頃は意味が分からず、なんて刹那的な言葉なんだろう、もっと人生には深い意味があるのではないのかと思っていたのですが、今となっては、ああ、人生って確かに死ぬまでの暇つぶしなんだなと素直に共感しています。今生きている人が、それぞれ思い思いに暇つぶしをしている。その手段が仕事であったり、何かの活動であったり、趣味であったり、結婚や子育てであったりするのですよね。「生きがい」というものを見つけ、それぞれがそれぞれの人生をまっとうする。「暇つぶし」とは、時間を無駄にしているような印象を受けますが、時間の使い方と考えると、そういうものだよな、と納得します。

養老孟司先生は、何かのインタビューで「生きることの意味?生まれてきたんだから、生きるしかない」というようなことをおっしゃっていて、腹落ちしたことがあります。生まれてきたからには生きるしかない。そこに意味なんてなく、生まれたからには、死ぬまでどう生きるか、それだけ。というシンプルな答えにたどり着きます。親から受けたバトンを、80年か90年生きて、子や次の世代にバトンを渡して、死ぬ。

その間、自ら問いを立て、その問いにどう答えていくか。
その繰り返しと積み重ねですよね。

仕事柄、人と会うことが多いのですが、色々な人と話をしていると、この人はこういうところで生まれて、このように生きてきたんだ、と、それぞれの今までの人生を想像しています。人それぞれの「暇つぶし」の仕方を聞くのは楽しいですよね。ああ、あなたはこういう方法を選んだんだ、それ、面白そうですね!僕はこんな方法で暇つぶしをしていますよ、というような感覚です。周りの人に寛容になれるし、重たいものを背負う必要もないし、楽しめたらそれでいい、という感覚になり、肩の力が抜けます。

さあ、これから何して遊ぼう。
皆さんの遊びもお聞かせくださいね。

このブログでは、日常生活から日頃考えていることまで幅広く書いていますが、これも一つの暇つぶし。今どきブログも流行りませんが、自分に対する備忘録として、インターネットという海に浮かぶ過疎の島で細々と何かを書いて発信すること、続けられる限りは続けて行きたいと思っています。

20年目もよろしくお願いいたします。

近況1:先週、モデルのお仕事をさせていただいた有馬グランドホテルで
近況2:同じ日の夜、関大梅田キャンパスで「人のこころに寄り添うプロデュース」と題してお話させていただきました。

大人の林間学校 広島〜山口

旅の記録が続きます。
先週末、広島県と山口県に一泊二日でゴルフ合宿に行ってきました。自分が所属しているゴルフクラブの提携コースの一つに、山口県の周南カントリークラブがあり、メンバーの皆さんと一緒に一度回ってみましょう、という企画です。

周南CCは土曜日にラウンドすることが決まっていたので、金曜日は広島県の別のゴルフ場でラウンドすることにしました。初日はAM3:30に集合。車で約3時間30分、まずは広島県三原市の白竜湖カントリークラブへ。

最高の天気です!
調べてみると、かつてはポカリスエットオープン(1982年〜1994年)が開催されていたトーナメントコースのようでした。

この辺りは、祖母の家も近く、車で走っていても馴染みのあるところばかりなので、なんとなくホーム感はあるのですが、ゴルフだけの目的で来るのは新鮮でした。コースは平日なのにまあまあの人。コンペでも開催されていたのかもしれませんね。

ホールアウト後は、本日の宿、山口県岩国市へ。
チェックインまで少し時間があったので、錦帯橋へ行きました。

若い女子たちのマネをして、錦帯橋ポーズ

青い空に美しいアーチが映えますね。
そして、翌日は、周南CCへ。

1966年開場、数々のランキングで上位に入る山口県屈指の名門コース(WEB調べ)だそうです。僕たちのメンバーコースである千刈CCが1965年開場ですから、ほぼ同じ年なんですね。だから提携しているのかも。

ここは、JLPGAステップアップツアーの「山口周南レディースカップ」」が開催されているとのことで、クラブハウスには選手のサインがずらり。

木々でセパレートされた庭園のようなコース。

コース内には、巨石もありました。古代の祭祀が行われていた磐座かな?と一瞬思いましたが、マグマが固まったものが長い年月をかけて表層に押し上げれたのだそう。巨石好きとしてはたまりません。

前の週から出張が続き、今回の合宿もなかなかのハードスケジュールでしたが、やっぱり楽しい。一昨年の富士CC、伊豆大仁CC、そして昨年の三重県ココパリゾートに続く、提携コースを巡る旅。

大人の林間学校でしっかりリフレッシュできたので、また今週からがんばりたいと思います。

ご一緒いただいた皆様、ありがとうございました!
(腰痛が悪化しているのでしっかり治さなきゃ・・・)

6月といえば

6月といえば、梅雨。梅雨といえば、紫陽花ですね。
あちらこちらで紫陽花が咲き始めていますが、先日、関西では「花寺」として有名な、奈良県の長谷寺に行ってきました。西国三十三所の第八番のお寺です。

まずは門前町で腹ごしらえ。
このあたりは三輪素麺で有名なところですので、どのお店でも素麺や柿の葉寿司などを楽しむことができます。

お会計の時に、お店の奥さんから「紫陽花はまだ三分咲きくらいかな」と教えていただいたのですが、実際、地植えの紫陽花はまだまだ。でも、鉢植えの紫陽花は満開でした!
 
たくさん人がいるので、人が入らないように撮影するのは至難の業です。

奇跡的瞬間!人がいない!
長谷寺といえば、登廊ですよね

慌ただしく過ぎていく日々の中で、季節を感じながら生活することを心がけています。自分たちは自然の中で生かされているのだという実感を得ることができるからです。花ってすごいですよね。その季節になったら花を咲かせるのですから。

自宅の温室では、カトレアが咲いています。
庭の梅の収穫も終わったので、これからは梅干しづくり。

日々コツコツと。

水の大切さについて本気で考える

先週の金曜日、和歌山県橋本市にある「ゆのさと」に行ってきました。
ここは「月の雫」という水で有名な場所で、温泉施設でありながら、多くの方がタンク持参で来られて、水を汲んで帰るという場所です。僕たちが行った日は平日でしたが、他府県ナンバーの車も多く(品川ナンバーもあった!)、全国からゆのさとの水を求めてやってくるという話は本当なんだと実感しました。僕も20リットルのタンク2個に水をいただき、毎日飲料や食事に使っています。

人間の身体の水分量は60%と言われていますよね。
水で出来ているとは過言ですが、それだけ水は人間にとって必要不可欠、最も大切なものだと言えます。ゆのさとの訪問がきっかけで水について色々と調べていた時、2年前に熊本で開催された水サミットでの天皇陛下の記念講演を知りました。下記のリンクから全文を読むことができます。

宮内庁ホームページ
第4回アジア・太平洋水サミットにおける天皇陛下記念講演(2022年、令和4年4月23日)

長年、水の研究をライフワークとされている天皇陛下が、ご専門ならではの知見で水に関する民族信仰についてお話されています。先祖代々続く人々と水との関わりが、その地域固有の文化と社会を形成してきたと。あれこれ言わないので、とにかく読んでください。

この話のすごいところは、水=龍神(弁財天や九頭竜)や蛇の神(宇賀神、ナーガ)、亀蛇(妙見祭)など、水と神との関係は、日本のみならず、形を変えてアジア太平洋全域に広がっていることから、わたしたちは一つ、みんな一緒なんだよ、ということを伝えられているということなんですね。だから共存共栄していきましょう、と。まさに大和=和合の精神。水から民族信仰、和の精神に論理を発展されるところが、平和と安寧を願っておられる陛下ならではなのですよ。誰もがこの精神を持っていたら、争いや分断、格差なんて起こらないでしょうよ。

ビジネスマンの僕がいうのもおかしいのですが、資本と技術を追求し続けると世の中は金、物の世界になってしまいます。金、物の世界って、限界があるんですよね。そもそも人口が増え続け、消費が右肩上がりで増え、投資を永遠にし続けることが前提のシステムになっているので、お金を永遠に増やさなければならない。人口が減少している今の世の中では成り立たないし、物を売るためには、「人々が満足しないように」しなければならないわけです。つまり、常に人々を不安な状態にさせること。戦争や疫病は技術を進歩させ、産業が活性化します。ひどい話だけど。でも、そのお金も価値が下がりつつあります(物価が上がっているのではなく、お金が増えすぎてお金の価値が下がっている)。そろそろ限界なんじゃないかな。

一方、生物としての人間としての「在り方」を追求すると、縄文時代の村のように、争いもなく、皆が共に汗をかき、畑を耕し、自然に感謝しながら平和に暮らす世の中になる。どっちがいいのでしょうね。実態のないもの、終わりのないものを、体力気力をすり減らしながら追いかけ続けることに何の意味があるのでしょうね。それだけの体力気力があれば、僕は後者に進路を取って行きたいなと思います。

さて、先の記念講演で、陛下が「奈良県の室生には、龍が棲むという洞穴があり」と、吉祥龍穴に言及されておられたことが個人的に胸アツでした。僕の大好きな室生龍穴神社の奥宮です。知る人ぞ知る秘境のことを陛下が知っておられたとは。ちなみに、竹生島や天河弁財天にも言及されてるんですよ!お分かりになる方はピンとこられると思いますが・・・

というわけで、今日はこのあたりで。
水について、しっかり考えてみましょう。

吉祥龍穴(室生龍穴神社奥宮) 松田撮影
奈良県、大峰山龍泉寺の湧水 松田撮影
善女龍王、高龗神(ともに瀬織津姫)が祀られている室生龍穴神社 松田撮影