朝と夜が涼しくなり、いたるところから金木犀の香りが漂ってきます。
我が家にも金木犀の木がたくさんあり、それぞれが花を咲かせ、香りを放ち、一年がめぐってまた秋が来たなと実感します。
金木犀のような植物のすごいところは、大して世話もしていないのに、そこに根を張り、毎年、花を咲かせること。主張も要求もしなければ見返りも求めない。それなのに、人を癒やし、動物や昆虫の糧となるんですよね。
広告やPRが効かなくなって久しいですが「本当に良いもの」は、金木犀のようなものだと思うのです。自分を誇示したり、自社の製品やサービスをよく見せようとしたり、必死でアピールしたりしなくても、良いものであれば自然と人が集まるし、売れるし、成長するし、社会に貢献する。一方、無理やりなものはすぐに見抜かれてしまいます。
良い意味で社会は成熟しているし、人はその裏側に有るものや本質に目を向けるようになっています。ハリボテで作られたものや、メッキが貼られた物はすぐにバレてしまい、本当に重要なこと、たとえば環境に優しいものや、人の温かさや、利他の精神や、愛や、思いやりや、社会の役に立ちそうなことが見えないと、相手にもされません。
高度経済成長期やオリンピックや万博などに代表されるように、未だに過去の成功体験や価値観から抜け出せず、今やっていることが上手く行かないことの原因が分からず、断末魔をあげながら、それでも過去の虚像にしがみつこうとして、周りに迷惑を掛けながらもがいているような光景も目にします。それは人も同じで、見ていて「そういうのはもうだめなんだよ」と思うこともあります。
分断が深刻な影響を及ぼしている現在、見えているものが本当に良いものなのかを見極める力が必要だし、自分は自分で自己研鑽が求められています。
金木犀のように、しっかりを根を張り、見返りを求めず、周りのために花を咲かせることができるか。日々、自己研鑽です。