子供の未来、自分の未来

長女の高校生活最後の体育祭。
秋晴れの晴天に恵まれた最高のコンディションの中、観戦に行きました。

体育祭ってやっぱり良いものですね。

思えば幼稚園の頃から15年、娘二人の学校行事の参加を第一優先にして来ました。次女がまだ高校1年生なのであと二回はありますけれど、こうして少しづつ学校行事への参加が減ってくるのは、成長を喜べる反面、寂しいものでもあります。小学校1年生からずっと一緒に育ってきている娘の友達たちも立派に成長して、まるで自分の子のように思えます。

親御さん同士の会話はやはり、子どもたちの進学先とその先の就職について。

昔と違って、この大学、この会社に入れば一生安泰というのは全くなくなりました。業界構造が代わり、日本型雇用の三種の神器が崩壊した今、自分の道は自分で切り拓かなくてはなりません。これから先、年寄りだらけの国で頑張らなくてはならない。結局、自分の中の強烈な動機付けが必要だし、誰かに引き上げてもらうのではなく、自分で成長して行かなければなりません。そこに加えて気候変動や政情不安(まあ人類の歴史なんて、戦争、疫病、天災の繰り返しなんですけどね)もあります。でも、この子たちは大丈夫。背中を見ていてそう確信しました。

生徒たちを見ていると、自分もまだまだこれからだよなと実感するのです。先日の記事に書いたとおり(「ミドル世代(45〜55歳)の役割と価値について考えてみる」2022/09/17)、身体と気力が許す限り、チャレンジを続けたい。逃げ切り、一丁上がり、のんびりゆっくりという安泰を求めるのではなく、やはり新しいことに挑み続けたいと思うのです。自分を甘やかそうと思えばいくらでも甘やかせるからこそ、子どもたちに負けないように自分もがんばらないと。

そして、幸せな未来を作って行ければ良いですね。