読書は畑を耕すのに似ている


本を読むことをは畑を耕すのに似ています。
特に専門書や学術書の最初の1ページは、あたかも広大な荒野を耕し始めるような感覚。最初の一鍬をいれるのに力がいります。そして、これから始まるであろう開墾作業に対して、期待、不安、楽しみが入り混じった不思議な感覚を持って、1ページづつめくっていくのです。

畑を耕すかの如く最初は力が必要です。通読の一回目は固い地面をほぐす作業。二回目、三回目と、どんどん地面はほぐれて柔らかくなって行き、畝を作ったりして、自分なりの畑に仕上げることができるんだろうと思います。


昨夜から新しい専門書に手を出し始めました。

これがまた全然違う分野の本なもんだから、まさに荒野を耕す感覚。でも楽しい。脳みその使っていない固くなった部分も同時に柔らかくしているような感覚。いつも柔らかい頭でスタンバイしていて、どんなものが来てもスッと入るように準備ができていればいいんだろうけど、そうもいかないのが現実。ちょっと無理をしてでも、柔らかく耕して行きたいと思います。

疲れてボーっと呆けてしまうことがないように。


(先日のSCにて)

それはあくまでツールにしか過ぎない


先月からイギリス人のベテランSEが入社し、あるプロジェクトでがんばってもらっています。とにかく「真面目でフレンドリーで良い人」。日本での在住期間は5年以上、日常会話でのコミュニケーションは日本語で問題ないのですが、仕様の確認や進捗の確認、少し突っ込んだ話などでは、日本語でのコミュニケーションにも限界があります。そこで、日常会話は日本語+英語を交えて、突っ込んだシビアな話が必要な時には英語オンリーで、と、なんだか変な使い分けでやり取りしています。

しかし全ての社員が英語を話すことができる訳ではありません。皆とは日本語でやり取りしているので、うまく伝わらない時は僕が通訳的にブリッジをするような形を取っています(ちなみに僕の英語も決して褒められたものではないですよ)。無駄に時間を掛けるよりも、会議をまとめる方が早い。言葉はあくまで手段でしかないので、そこは迅速に対応するようにしています。

しかし仮に言葉の壁があったとしても、「人となり」は伝わるものです。先ほど、二人だけで突っ込んだ話をしましたが、彼の真面目で真摯な正確は仕事にも現れていますし、文化は違えど、本当に真剣に仕事に向き合ってくれているのがヒシヒシと伝わってきて、ちょっと感動してしまいました。今後の戦略のキーパーソンにも成り得る人材、期待せずにはいれません。
しかし、システム開発の場合、言語が世界共通というのは便利ですね。言葉が通じなかったとしても、コードで会話できる訳ですから。(ちなみにうちの日本人PGとは本当にソースで会話しているシーンも見受けられます 笑)


週も後半に差し掛かってきました。
今日は少し息抜きを、ということで、今から軽くお酒でも飲んできます。

それでは今日はこの辺で。

ナレッジジャンキー


真夜中に興味ある分野の文献を漁っていると、なかなか眠れなくなります。どうしても今日はここまでやろうとゴールセットしてしまうので、途中で眠気が襲って来ても風呂に入って気分転換をしたりコーヒーを飲んだりして(夜中のコーヒーは意外と胃もたれする)無理やり目を覚ましたり、自然の摂理に反することをしてしまうのです。
色々と分析してみると、これは一種の中毒ではないかと思うようになりました。頭の悪さをインプットで補おうとする「ナレッジジャンキー」(tmk造語)なのではないかと。知的欲求を刺激されるとアドレナリンが出る。これはまさにジャンキーではないのか。そうすると全てに説明がつくような気がしてきました。えっと、どうでもよい与太話はここまで。


大量生産、大量消費社会において、デバイスは一年たったら捨てられ、新しいものに買い換えられる。でも理念は何年も生き続ける。プロダクトやサービスは「理念駆動型」であるべき。それこそがサステイナブル。(MIT石井先生)
昨日のエントリーの続きになりますが、「理念」をすべてのプロダクトの浸透させているのがまさにAppleだと思うんですね。「Apple」と聞くと、ロゴ、CMの雰囲気、シルバーの筐体、UI全てに統一されるコンセプトカラーとユーザーエクスペリエンスが脳裏に浮かんでくる。これ、実はすごいことじゃないでしょうか。まず、イメージをグローバルに浸透させるためにはどれだけ時間がかかるか。パッと聞いてロゴが思い浮かぶだけではなく、体感までも思い出させる。コンセプトと「理念」を思い浮かべることができる。感動、エクスペリエンス、カルチャーに染み渡る理念。

今後もデバイスは形を変えて行くでしょうけれど、理念は100年続く。これ、まさに真実だと思います。自分自身も仕事をする上で目先のことだけでなくどれだけ「理念」を意識することができているか。考えさせられました。

さて、今夜は新地で会食です。
皆様も良い花金を。

先頭車両に乗ると見える景色が主観的になる(脳内キャリブレーション)


事情が許すなら、先頭車両に乗りたいのです。
普通の在来線でも十分楽しめるのですが、出来れば、ゆりかもめやポートライナーのような無人の新交通がベスト。目の前にはレールしかなく、あたかも自分が運転しているという感覚に浸ることができるからです。乗車中の能動的体験。もちろん景色も大変に良い。

テクノロジーのカッティングエッジな先生方の話は、まるで電車の先頭車両に乗っている気分を味わえます。先生方の考え方や理論がレールであり、ビジョンをモデル化したものが目の前に広がる景色。

昨日まで東京で行われていた MIT Media Lab @Tokyo 2013 は、まさにこれからの世界はこうなって行く、こうなった時に人はこういう体験をし、このような考え方をするだろう。というビジョナリーばかりが集まるプレゼン、パネルディスカッション。

是非視聴したかったのですが、仕事で見れず。こちらにまとめられていたので、ザザッと全文読んでみました。夢中になって時間を忘れますよ。一部、個人的に刺さる箇所のみ、まとめサイトから抜粋してみました。「」内が引用です。それらに対してコメントを追記しています。

「理研の藤井さんによる「SR(代替現実)」。エイリアンヘッド被って見るSR(代替現実)で現実と区別できない世界を実現。」まさにアバターの世界ですね。被験者は迷うとまず自分の手を見て現実を確認するそう。

ここで注目して欲しいのは、人が幽体離脱のような神のような経験をするということ。SRによって人は現実と仮想の区別がつかなくなり、騙されるかもしれないということ。現実と過去が融合する体験。仮想現実の見破り方を議論するとは・・・すごいことです。

「情報も、水と同様に循環し、生態系をつくっている。
例えばhttp://sourcemap.com/ でサプライチェーンを可視化するとそのチェーンが本当にサステイナブルなものかどうか見えてくるということ。」

確かに情報を流水として考えると分かりやすい。soucemapのように情報に色をつけて可視化した時にどのように伝達しているかをトレースできる。プロダクトに関して言うと、理念駆動型であるべきということ。ただ作った、だけでは一時的に消費されて終わってしまいますもんね。

とまあ、ざくっとこんな感じですが、その他、SONY笠原さんによる、カメラ映像に映った物体をタッチ操作すると、実際のモノが動くexTouchや、プロトタイプの作り方、クローズドな考え方はもう古過ぎる、ハードもオープンハード化すべき等の話も必見です。ビシバシ刺激されます。あととにかく登壇されている方の面々が素晴らしい。(実況された林信行さんに感謝です。)

MITの石井先生がおっしゃる通り、「世の中がどう変化して、どこに向かおうとしているかの視座と基軸をもつことこそが大事。」という言葉、心から御意。

個人の価値基準や実体験、成功体験に基づく判断基軸なんていかに小さく稚拙なものか。細かいルールなんてどうでもいい。大きな視点でこれからの時代がどう変化していくかに関する視座と基軸を持つためには情報をどれだけインプットするかだと思うんですよね。フィルターの精度は筋肉と同じで、I/O作業を日々繰り返していれば、徐々に鍛えられて(人や会社から理解されようがされまいが)自分自身の正しい視座を持つことができるようになるんだと思います。普段から違和感を感じていることに対しての自問自答、やっぱりなんだか色々間違っているのかもしれないな、という問い等を含めて、脳内のキャリブレーションになりました。

娘たちも勉強タイム終わったようです。
寒い日曜日ですが、ちょっとクールダウンに出てきます。

「ベストを尽くして失敗したら、それはベストを尽くしたってことなんじゃないのかな」


極私的なことですが、ある分野の提出物が最高の評価を受けて返ってきました。
自分としては余り自信を持てていなかったので、予想外の評価に驚きと喜びを隠せず、心の中で小さくガッツポーズ。掛けることができる時間が限られている時はどこかで線を引かなければなりません。最後は必ず「うーん、こんなもんでいいか」状態。自分の中で自分を無理やり納得させるようなイメージ。第三者が評価する場合、明確な答えがなく参考資料もない場合、時間が限られている場合。このようなケースでは「よし、これで完璧!もうすることはない!」というフェーズまで持っていけることの方が圧倒的に少ないのではないでしょうか。

結果が出る前は、自己納得=これだけやったのだから、それはやったということなんだ。と考える(しかない)。仕事でもスポーツでも学びでも、結果が数値や評価として出てしまうものはそう納得するしかないのだろうと思います。もちろん、納得感にはレベルが存在しますけれど。スティーブ・ジョブズの言葉にあるように「ベストを尽くして失敗したら、それはベストを尽くしたってことなんじゃないのかな」という言葉、至極納得。逆に「ベストを尽くして成功したら、それはベストを尽くしたってことなんじゃないのかな」とも言える訳ですね。


最近は時間がないことを言い訳にするのはやめて、ないならないなりに出来る方法を考えて行動しています。「こうであるべき」という模範的な行動モデルはどの分野にも存在しますが、人それぞれライフスタイルやタイプは全く異なるので、モデルは一つのベンチマークとしつつも、そこに枝葉を張った「自己流」が合うのであればそれで良いのではないのかとも考えます。仕事でも学びでも「結果が全てである」ことを大前提に考えると、モデルに無理に押しこめようとしてアジャストするまでの時間や結果的に合わなくてしんどい思いをしたというリスクを勘案すると、例えメインストリームでなかったとしてもマイナーストリームで良いのではないか、と。しかし、いずれにしても共通するのは「どれだけ頑張るか」ということなんですけれどもね。

さて、今日の夜から明日にかけては雨模様。
雨が振る前に子供たちのリクエストに応えてお出掛けしてきましょう。

Nicola Conte – Rituals

気分を盛り上げたい時には


自宅仕事もそろそろ限界。
腰の可動域も広がってきたので、明日から出社しようかと思っている前夜、とても元気になる映像を見つけて気分が高揚しています。以下、紹介文抜粋。

前陣速攻愛板談義 石井裕 × 古川享
石井裕氏(MITメディアラボ副所長・教授)と古川享氏(慶應義塾大学メディアデザイン研究科(KMD)教授、元マイクロソフト日本法人会長)による談義。パネル討論を知的格闘技/エンターテイメントへと昇華して行く「前陣速攻学術漫才実験対談シリーズ」の記念すべき第一弾!コーディネーターは金正勲氏(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授)。



Video streaming by Ustream

仕事をしながらラジオ感覚で視聴。
二人の大先生の対談、これが本当に面白くて。単に知的好奇心を刺激されるという時限を超えた、気持ちの高揚、ポジティブな思考、子供のような純粋な心を思い出させてくれます。それはご本人達が仕事を仕事と思わず、楽しんでいるからなんでしょうね。あくまで推測ですが。話題は技術的内容が多いのですが、哲学や生き方、学び方、未来、文化、人類にまで及び、その知見の広さ、スケールの大きさが不思議と心地よかったりします。

目先の仕事や生活にただただ追われていると、本当に大切なことや、自分がしたいこと、ワクワク感を見失い、忘れてしまうものです。ワクワク感が欲しい時、目線が下がってしまう時には、カッティング・エッジな先生方のラフなトークが何よりの刺激になります(あくまで僕にとっては)。ぜひ、おすすめ。


「新・厄年」という言葉、御存知でしょうか。
一般的に言われている「厄年」というのは平均寿命が30代前半だった江戸時代に定着したものであること、今とは生活習慣も全く異なるため、実は僕も以前から「昔の厄年ってアテにならないよね」と違和感を感じていたのです。そんな折、昨日さとなおさんから、「37歳は新・厄年だからお気をつけあれ」と教えていただいたのが、このサイト。

75万人のデータ分析でわかった「厄年」のサイエンス 全日本人必読 男女別あなたが「病気になる年齢」がわかった

現代ビジネスの記事です。そもそも厄年というのは統計学やデータに基づくもので、やはり傾向値としてそれくらいの年齢で病気が出やすいということですので信ぴょう性はありますね(占いや宗教的なものではない)。僕も2月2日に37歳を迎える訳ですが、まさに男の厄年。思い返すとここ2,3年前から出るわ出るわ病気の嵐。やはり年齢的に気をつけなければならないようです。

〈男性〉24歳、37歳、50歳、63歳
〈女性〉25歳、39歳、52歳、63歳

ということらしいので、近い方は気をつけましょう。
いずれにしても健康には気を使っていきたいものです。身体が資本ですからね!

諸々の準備を行う


昨日はピアノの送迎、今朝はバレエの送迎。娘たちが稽古事をしている間、僕はカフェで一人インプットの時間です。この時間が本当に貴重だし楽しみなのです。

サービスショット(何が

連休と年末の買い物を兼ねてコストコへ行きましたが、はい、年末恒例、駐車場大渋滞。遥か彼方まで続く車列に辟易して、まずはランチ、そして伊丹のスカイパークへ飛行機を見に行くことにしました。めちゃくちゃ寒かったけど、飛行機がテイクオフするのと同じく気分もテイクオフ。離陸を見ていると気持ちが高揚します。ボンバルディアもボーイングも飛行機大好きだ!

夕方、若干空いた頃にコストコに行き、食材大量購入。これでまずは一安心です。それにしても人・人・人・・・Xmas前ということもあり、皆さん家族総出でお買い物。まさに連休の光景ですね。

ethics


概念的で抽象的な言葉が好きです。
例えばギリシア語の「エートス」。

本来、「帰る場所」を意味する言葉が転じて道徳的な習慣、特徴、特性などを表す言葉になりました。今では、生活態度、心的態度、倫理的態度を表す概念として理解されています。利用シーンはたくさんあるものの、例えば論理を組み立てるに当たり、これらの要素は基本概念としてとても重要です。自分のな内奥と対話するエートス、人に物事を伝え、説得させるエートス。ちなみに僕は、自身の「エートス」は何かという点について日々自問自答を繰り返しています。掴みどころがないですね。


時に人間は矛盾だらけの生き物です。
ナウシカが残したあのセリフ「破壊と慈悲の混沌だ」という言葉がとても好きで、まさに人間そのものを表しているような気がします。その中でもエートスを確立して自分自身のマインドセットとする。これはとても体力のいることですが、必要不可欠なプロセスなのでしょう。

今夜は良い酒が飲めました。
ちょっと酔っているので支離滅裂な内容ですが、明日からまたがんばって確立して行きたいと思います。

それではまた明日。

well-organized …


東京から帰って、自室の机を整理整頓。
目先のこと追われていると、いつの間にか机の上には書籍が散乱、未開封の郵便物がドサッ(期限があるものは一応開封)、書類の山。優先度の高い物を所定の位置にリプレースし、そうでないものを並べて整頓してかなりすっきりしました。身も心も大変気持ちが良ろしい。これで心機一転、12月をスタートできそうです。


一つのことが終わった時には「区切り」が大切です。その区切りをつける行為の中に整理整頓があるんですね。コンペが終わった時、大きなプレゼンが終わった時、仕事が一段落ついた時。週の終わりの金曜日もそうです。散らかったものを整理整頓。必要なものはファイリングし、不必要なものは捨てる。しっかり掃除して、次の仕事にとりかかる。一日の大半覗き込んでいるであろうデスクトップも机と同じですね。デスクトップ上やフォルダ内に散らかったデータを削除したりまとめたり、リネームして整理したり。僕は出来るだけ一日の終りにデスクトップの整理を行うと思っています。そうでないとなんだか次の日の朝、すっきりスタートできないような気がする。

いずれにしても整理整頓、大切です。
今日はとにかくドバーっといらないものを捨てたのでスッキリ!

さて今週もスケジュールが大変なことになっていますが・・・日々楽しく乗り切って行きたいものです。では、今日も一日がんばりましょう。

Cafe Paris Lounge – Mixed by DJ Dimsa

Runaway


おはようございます。
昨日とは打って変わって最高の秋晴れですね。
こんなに良い天気の日曜日ですが、本日中に進めなければならないことがあり、娘をバレエ教室に届けたついでに家出なうです。逆にこの天気がモチベーションになり、ここ一本集中して効率よくタスクを終わらせ、午後からは山か海にでも行きたいところです。場所を変えることによる心理的効果は環境心理学によっても実証されていますので(カウンセリングを専門にしていた父も良くこの手を使っていました)、この「家出」というウエポンを使わない手はありません。


昨夜、デスクに向かいながらモード・ジャズの教科書のようなアルバム、Miles Daviの”Kind Of Blue”をBGMとして流していました。これが深夜2時という時間には最高に心地良く、その余韻で朝もポチってみたのですがあまりに渋すぎたので陽気な曲にチェンジ。

Nicola Conte – Do You Feel Like I Feel

それでは、お休みの人も働いている人も素敵な日曜日を。
僕は今から二時間、どっぷりと潜水します。