雑記

緊急事態宣言が出たため、GWの予定を大幅に変更しました。毎年滞在する信州の八ヶ岳ベース行きを今年も諦め、地元で過ごすことにしたのです。昨年も同じパターンでしたので2年連続自粛ということになりました。仕方がないとはいえ、娘たちの楽しみを奪うのも申し訳ないし、1500mの蓼科高原で高地トレーニングをしようと思っていた自分も残念です。ホームコースの六甲山を走り回ろうかなと思っています。

大人はまだしも、学生時代は「その時」しかない子供たちにとって、オンライン授業やリモート、部活の制限などは本当にかわいそうに思います。自分も振り返って思うのですが、学生の頃にもっと勉強しておけば良かった、もっと友達を作っておけば良かったと思っても、その瞬間はもう戻ってきません。10代は一瞬の光のきらめき。いかに学生時代が貴重な時間だったかは過ぎてから実感するものです。

いずれにしても、今のこの状態は、将来振り返って評価した時に大きな分岐点になるかもしれません。機会損失による経済的、教育的ダメージがどうでるか。そう考えると(ワクチンも万能ではないとはいえ)ワクチン接種も老人優先ではなく、子供たち優先でしてあげるほうが、よほど良いのではないか。圧倒的な数の票を持つ高齢層を優先するのも、お年寄りは重症化しやすいので人道的対処というのも、接種しなければ老人ばかりが運び込まれて医療崩壊するというのも分かりますが、この国は老人優先の政策が多い気がします。それで未来はあるのかな。未来ある子供たちをもっと大事にできないのかな。その前に国としての危機管理能力と外交力が弱すぎるか。

もちろん功労者である高齢層を大事にするのは当たり前で、ないがしろにしろと言っているわけではありませんが、教育や体験の機会損失は取り戻せません。子供たちがこの国を作っていくのにね。

明日も雨模様です。

積読になっている本を片付けるチャンスかな。
あと動画も撮ろうかな。

盆栽飼育された社員にならないためには 〜 自分の成長は自分で決めるための方法について

「盆栽飼育」という言葉があります。

この言葉からイメージできるように、盆栽飼育とは、大きく成長する熱帯魚を小さな水槽で育てることによってそれ以上の大きさにならないように育てる方法のことを言います。逆にいえば、魚はその水槽の大きさ以上に成長はしません。

これは会社組織も同じです。

会社を水槽と見立てた場合、基本的にその中で働く社員もその会社の大きさ以上は成長しません。水槽以上に大きく成長しようと思うと、外の世界を見ることが必要になります。それはなにも会社を辞めるとか転職するとかそういう意味ではなく、知見を深め広げるために自ら外の世界に出ていくということが必要ということです。セミナーに参加する、勉強会に参加する。コロナで人に出会えなくても本を読むことくらいはできます。

4月に入り、社員面談の季節です。

数年前に新卒で入ってくれた若者たちも、3年目、4年目となってきました。彼らにも伝えたのですが、これから先「大きく伸びる」か「低空飛行を続けて気づけば中年」になるかの大きな分かれ目が社会人3年目、4年目なのです。ここから20代後半をどう過ごすかでその先の人生が決まると言っても過言ではありません。

そのためには、自分が働く会社という小さな世界だけに目を留めるのではなく、その中で学び、しっかり結果を出しながら(ここ大事)、視野を広く持ち、学び続けるということです。昔はパワハラまがいの仕事の仕方で理不尽な上司や先輩に仕事を押し付けられ(与えられ)、寝るや寝ないやの世界で必死でやった結果、特に秀でた能力や専門性のない凡人でもそこそこ仕事ができるくらいの能力は身に着けさせてもらえたのですが、今は違います。自分で決めて、自分で成長しなければならない。会社の外にはとんでもないレベルの人がごまんといるし、上には上がいます。そういう仕事レベルの高い人たちと交流することが自己の成長に繋がります。小さくまとまってはならない。

そんなことを面談で話しました。

盆栽飼育されないように、自分のレベルは自分で上げて行きましょう。皆がそうすることで、会社という水槽のサイズも大きくなって行くものです。

一方、マネジメント層は社員の何倍も学ばなければなりません。水槽(会社の大きさに限らず、チームでも、部署でも)のサイズはマネジメントの器で決まります。水槽が小さいままなのはマネジメントの責任です。

社員の成長スピードよりも何倍もの速さで水槽を大きくしていかなければなりません。マネジメント層こそ、外に出て業界問わず広い世界を見、ハイレベルな交流を広げて深めていかなければなららない理由はここにあります。

歓喜で始まった月曜日の朝

松山英樹選手、そしてチーム松山の皆さん、関係者の皆さん、マスターズ優勝おめでとうございます!!日本人、いや、アジア人初のマスターズ優勝。いつかはと思っていましたが本当に実現しましたね。ゴルフファンとして夢のようです。

昨日は、ホームコースでいつものメンバーの皆様方とマスターズ3日目の松山・無双状態のラウンドをトークのネタにゴルフをしていたのですが、4打差あっても今朝は本当にはらはらどきどき。でも本当に良く逃げ切った。最後は祈るような気持ちでいましたが、なんとか一打差での優勝。

最終日のバックナインは松山クラスでもあんなに緊張するんだと思って見ていましたが、凡人では想像すらできないほどのメンタルの強さです。トラブルもボギーで切り抜けて。あんな状態なら手が震えて打てないと思うのですが、やっぱりトッププロはすごい。それだけの自己研鑽と「ナンバーワン」といわれる練習量に裏打ちされているものなんでしょうね。努力は嘘をつかないんだ。

グリーンジャケットを来て嬉しそうな松山。中嶋さんの「日本に帰ってきたら、一度グリーンジャケットに袖を通させてな」のコメントに涙しました。

そして、世界を感動させた早藤キャディの一礼。
これぞ日本人だ。

最近、色々と元気がないニュースが多いし、日本どうなるんだろうと不安になる時もありますが、この礼節の文化が残れば、それでいいじゃないかと思わせる一幕でした。そしてこれをちゃんと見逃さなかったESPNもさすがです。

なにはともあれ、朝から元気になるニュースをありがとうございました。

コツコツ無骨に努力を続けること。
思いを強く持つ事。

自分もモチベーションが上がりました。

持論と共感の関係について

今日は神戸ラン。いつもの国道コースではなく、ちょっと気分を変えてみたかったので山手幹線(阪神間を東西に貫く山の手の道路です)をラン。このコースは気持ち良い。気になった路地や森など、自由気ままに立ち寄りながら三宮方面へ。

結局、芦屋→岡本→六甲八幡神社→水道筋商店街→王子動物園→新神戸駅→異人館→三宮という15kmのラン行となりました。今日のヘッダーイメージ写真は、王子公園の神戸文学館です。今日は単独ランでしたので、疲れた脳を空っぽにしながら走ることを心がけました。それでもあれこれと考えるものです。

最近のテーマは「結局人間ってわがままな生き物だよな」ということです。

みんな勝手に考えて勝手に行動して。当たり前のことなんですけどね。悪いのは、それをあたかも正論のように押し付けること。これがいけない。

考え方が人それぞれなのは当たり前。世の中に誰一人同じ人はいない。みんな個性があるし、生い立ちも違うし、育つ環境も違います。その中で人格が形成がされてゆき、経験の中で学びながら成長するので考え方が違うのも頷けます。ある人は卑屈でネガティブな考え方かもしれないし、ある人はおおらかで余裕があるかもしれない。仕事に対する考え方も経営に関する考え方も人それぞれ。みんな持論があるからこそ、面白いのですよ。譲れないものもありますしね。

先日、アマゾンプライムでジム・キャリー主演の映画「イエスマン」を見たのですが、超ネガティブで人のことを信用しなかった銀行員が、すべてに「イエス」というようになってから幸せな人生を歩み大成功を収めるというストーリーでした。このなんでも「イエス」というのも「ノー」というのも一つの持論なわけですが、結局はその人の考えであり、それと相反する人がいるのも事実。大切なのは、自分と異なる考え方を受け入れるということです。

どうしても、自分の意見を相手に押し付けたければ、共感ができるようにしなければなりませんね。共感してもらうということはとても大切なことです。結局その考え方の良し悪しは、共感する人の数の多さで決まります(死後、認められるというケースもありますが、当の本人には関係のないことです)。

僕はその人の「人徳」を見る時に、その人が「利害関係のない仲間をどれだけたくさん持っているか」を見るようにしています。これ、間違いないです。お金や仕事の繋がりで人脈があるのは当たり前。大事なのは「利害関係がない」ということ。みなさんもその目線で見てみてはいかがでしょうか。

理由は簡単。その人の言動が共感を生むから、周りに人が集まるんです。大衆迎合や人気取りのために無理してやっている人もちゃんとバレます。自分では分からないかもしれないけれど、周りの人間ほどよく見ているものです。所詮メッキは剥がれますから裏表のある人も残念な結果になります。

ローマは一日にしてならず。
相手の立場に立って物事を考え、感情移入し、違う考え方は受け入れつつ、お互いを認めつつ、自己研鑽に励む。自戒を込めて。

そんなことを考えながらのランでした。

その時その時の小さな努力や積み重ねの一つひとつが今につながっている

4月1日の入社式当日から毎日研修が続いています。今年の新人は優秀で飲み込みが早い。こちらもタイムテーブルに合わせて時間を調整するのではなく、どんどんスピードを上げて前倒し前倒しでこなしています。そこで出来た時間は、別の内容の研修に充てるようにしています。

こうして新入社員の研修をしていると、今まで作りためた研修資料の数の多さと、その時々の自分の「がんばり」が客観的に見えて、我ながらがんばって作ったなあと思ったりします。自分が作った研修資料で自分が学ばされるというか。

たまには過去を振り返って自分がやってきたことに触れるのもいいですね。その時その時の小さな努力や積み重ねの一つひとつが今につながっている。点と点が線となって繋がるというジョブスのスピーチのとおり、何ひとつ無駄なものはなかったと思うのです。良いことも辛いこともすべて必要だったプロセスで、それが今に繋がっている。

このブログは2005年6月から16年近く続いているのですが、時代の変化と自らの年齢の変化ととも文章の内容と文体、トーンも変化しています。当たり前ですが。柔らかかった時もあれば、尖っていた時もあるし、穏やかな時期もあればそうでない時期もあった。全力疾走していた時期もあれば、疲れてスローダウンしていた時期もあった。

ただその時その時の自分の一生懸命を重ねてきたことだけは事実なのです。そこは肯定してあげたい。自己満足ではなく、肯定。「自己満足」と「肯定」とは似て非なるものです。「肯定」という言葉の前提条件として、日々の努力やマドルスルー(泥の中をもがいている状態)を経てのブレイクスルーの繰り返しがなければなりませんから。

若い20代前半の社員たちを見ていると、これからが本当に楽しみです。どんな成長をしていくのだろう。でもきっと、君たちの出会いはすべて正しい。

機械の擬人化、変化の時期、新年度へ向けて

あっという間に3月も最終日。
明日4月1日は入社式です。桜も美しい季節。こういうイベントがあるとリフレッシュして気持ちを新たにさせる時期でもありますね。

4月からスタートする理系学生インターンシップの計画を大学の教授と打ち合わせをさせていただく中で、昨年学生たちががんばって開発していた介護系IoT製品のプロトタイプを見せていただきました。我々は設計〜基板実装とソフトウエアの制御までしかお手伝いしていないので、筐体つきでしっかり動くものの完成を見届けていないのです。

面白かったのは、幾つかの製品が「〜君」とか「〜丸」とかのネーミングをつけられていたこと。たとえば「ページめくり君」とか、「泥棒お知らせ丸」とかね。なんとなくイメージ湧きますよね?犬のことをポチ、猫のことをタマ、というくらい、〜君、〜丸、と名前をつけて、プロタイプのロボットや機械を擬人化するのって人間の性ですね。

SNS上では、今日を最後に会社を退職される方の挨拶が散見されました。例年より多く感じたのは気のせいでしょうか。昨年来のコロナ禍で世界がガラリと変わりました。今まで漫然と生きてきたところに、今までの常識を根底から覆すようなことが起こり、人々の思考がより本質的なところに向いたような気がします。

本当に自分がしたいことってなんだろう
理想の形を諦めてないだろうか
自分に言い訳して漫然と過ごしていないだろうか
これからの社会にとって良いこととはなんだろう

こんなことを考えた時、一度きりの人生、過ぎたら二度と帰ってこない時間の一分一秒をどのように使うかを真剣に考えはじめたのではないのかなと思うのです。

どんな人生も、尊く輝かしいもの。
全力で応援します!

雨なので、茅乃舎だしを使って簡単料理(だし好きにはたまりません)

昨日の晴天がウソのような、雨の日曜日。こんな日は朝から簡単料理です。

だしが好きなので、茅乃舎だしを使って牛肉のお吸い物(関西ではにくすいと言います)を作りました。だしの味がたまりません。しかも5分で作れた。簡単!日本人はやっぱりだしでしょう。海外から帰国した時の空港に漂うだしの香りに何度癒やされたことか!

先週に引き続き、今週もレシピ動画を作ってみましたよ。よかったら見てみてください。
動画って撮影したり作ってるだけで楽しいですね。

桜はこの雨で散ってしまうのでしょうか。それとも来週まで持つのかな。
いずれにしても、皆さま良い週末を!

35kmラン:大阪城は満開の桜、ランニングクリニックで筋肉痛(普段の走り方がいかに悪いか!)

今日は、所属チームと姉妹チームの合同ランニング練習会。
舞台は大阪城ですが、集合場所の淀屋橋ミズノ・ランニングステーションまでいつものように自宅からランで21km。2号線東向きも慣れてきました。要所要所で桜が満開。

メンバーの皆さんと合流して大阪城へ。
お堀端の桜は毎年見ていますが、美しいですねえ。

今日はプロの辻コーチに教えていただきました。

体重の乗せ方、バランスとリズムの大切さ、そして、安定するための方法。理論が目からウロコなのと、普段使わない筋肉も使ってしっかり筋肉痛。普段いかに無駄な動きが多いか、使うはずの筋肉を使っていないか、ですね。

ちゃんと教えてもらうと勉強になりますね!
ストレッチ、トレーニング方法、早速実践です。

その後、軽く流して集合写真を撮って解散。

そこからまた淀屋橋まで戻って総距離35km。いい練習になりました。気温も高かったので、結構バテてしまいましたが・・・5月のウルトラまでしっかり身体を作っていかないと。今のままでは不安要素しかない。笑

それにしても週末が天気だと嬉しいですね。

ご一緒させていただきました皆様、ありがとうございました!

人は長所で尊敬され、短所で愛される

忙しい一週間でした。

外食することは全くといいほど、なくなってしまいましたが、三週間ぶりに馴染みの店で金曜日の夜にお疲れ様会。

今週は、アラスカ500km極寒レースを日本人初の5位入賞され、無事に帰国された北田雄夫さんのアドベンチャークラブ報告会から、人事塾オンライン講義での中北朋宏さんによる「コンプレックスを武器にする 究極のパーソナルブランディング」など、高度なインプットを仲間たちと得ることができました。心に残った言葉は、

「人は長所で尊敬されて、短所で愛される」

なるほどな。短所で愛される。そのためには自己開示が必要なんだけど、なんでも自己開示すればいいって訳でなくて、自分の中で昇華されたコンプレックスを明るく開示することで、人に助けてもらえるようになる。

そうそう、これこれ。
結局パーフェクトな人間なんていないわけだし、どのみち支え合い、補い合いながらやっていかなくてはならないのだから、最初から苦手なこと出来ないことを開示する。その代わり、長所で貢献する。出来ないことを補ってもらったら謙虚に感謝する。この相互作用が良いチームを作るのですよね。

ということで週末のスタートです。
走りますよ!

本質を見極めることと、抽象化能力の関係について あーもうなんかやだやだ

本質思考、というのは言うは易し。

でも本質思考ってどんな考え方なのかをちゃんと理解している人ってすごく少ないのではないのかなと思うです。前提条件として本質思考に必要なのは抽象化能力です。抽象(英語:Abstraction)とは、「物事の共通部分を抽出して、把握すること。一般化。上位の概念に物事を昇華して考えること」。具体的に言うと、ひまわり、チューリップ、パンジーの上位概念が「花」であること、ガスト、サイゼ、すかいらーくを抽象化すると「ファミレス」であるということを瞬時に発想できるかどうかなのです。

日本企業の問題点について、先日、冨山和彦さんがこのようにツイートしておられました。

出てきました「抽象化能力の欠如」。まさにそのとおり。

日本が得意なのはプロセス管理と社内規定のチェックリストを満足させることで、ビジネスアーキテクチャを構想できない。本来どうあるべきなのか、何が目的なのかを見失って時間・費用などのコストが増大して機会損失という最悪のロスに繋がるケースがとても多い。加えて、成功体験にあぐらをかかずに真面目に成功体験を深堀りし精度を上げることで方針転換が出来なくなるという「パラダイムの不条理」=「方針転換は悪」という考え方が更に泥沼にいざなうケースもあります。もう何度見てきたことか。

参考:「レナウン、シャープも陥った不条理 真面目だから失敗する日本企業」(日系ビジネス)

冨山さんにもリツイートしていただいたのですが、僕自身、日々仕事をしている中で多くの会社がこの「抽象化能力」に欠けているのではないかと実感する場面に直面することがあります。新しい設備を導入する際に、本来入手したい技術やスペックとは無関係な安全基準を優先させるための調整に時間が掛かり致命的な納期ロスが発生してしまうケースとか。これによってまた世界からどんどんと置いていかれてしまうリスクの方がよほど深刻なのではなかろうか。

ではどうすればよいの、ということなのですが、もうこれは教育の問題ではないかと思っています。予め正解が決められていて、テストで◯☓を付けられて判定されるようなこと。お手本があって、それを倣うこと。画一化された価値観。はみ出したら村八分。日本が工業国になったのは勤勉さ、真面目さゆえでしたが、そこには欧米列強というお手本がありました。ゼロイチが生まれにくい。

加えて、完璧な物を作ろうとするあまり時間が掛かり、先に市場をごっそり持っていかれる。ハードにこだわりすぎてソフトが弱い、など色々と。とはいえ、単一民族、日本語という難しい言語、空気を読む文化に守られた1.2億の市場があるので、その中で幸せにやって行く方法もあるのでいいんですけどね。

いずれにしても、抽象化能力に長けている人は、勘所のつかみが早く、判断が早くて正確です。それは会社も同じ。モノ作っても売れない、一年で市場環境が変わる時代だからこそ、必要なのは抽象化能力=本質を見極める力です。

自分もガッカリするくらい全然足りていないんですけどね。マジで自戒をこめて投稿しておきます。