貝殻を宝物と思えるような、小さなこと。

何気ないことで、癒されるってことはありませんか?

今日ね、友達が写メを送ってくれたんですね。

一言、「虹見っけ」って。

神戸の虹です。

ラフデザインを製作中で、

ちょっと産みの苦しみ感じてた時、タイミングよく。

何気ないことが、本当に癒されるんですよね。

これも、決して大きなことではなく。

日常生活の中での本当に小さな出来事で。

この「小さな」とか、「何気ない」ってことが、

大きな意味を持つんだな、って、最近良く考えます。

例えば言葉。

プラスアルファの言葉があるかないかで、全然違います。

「ありがとう」

「忙しいのにゴメンね」

「本当に助かったよ」

とか。

ふとしたしぐさでも。

ちょっとした微笑みでも。

子供の頃、キラキラ光る石ころや貝殻が宝物だったのに、

なぜか大人になると得体の知れない「大きな幸せ」を求めようとします。

「大きなもの」は、きっとハイリスクハイリターン。

でも、人間の本質って、根っこの部分って、

そう簡単には変わらないから、

やはり、「小さなこと」が大きな意味を持つんだと思います。

当たり前のことを大事にして、

出来ることを一生懸命にやって、

良心に従って素直に気持ちを表現すれば、

なんかそれだけでOKなんですよね、きっと。

LOVE & PEACE

次女が誕生してからこの二日。

本当にたくさんのお祝いのメールやコメントやTELを頂きまして、

感謝の念と共に心が温かくなりました。

ありがとうございます。

ある社員さんが言ってくれた言葉。

「子供の誕生というのは、人生のうちで何回もあるものではないから、

しっかり祝ってあげましょうね。」

本当にその通りだな、とつくづく思います。

同じく社内のデザイナーMの言葉。

「子供のために、地球温暖化食い止めないといけませんね!」

これも、本当にその通りで。

子供の誕生を機に、色々なことを考えます。

長女の時も出産に立会いましたが、

今回は病院の先生の薦めで、出産の一部始終を、

先生と同じ側からの目線で立ち会うことができました。

それは気持ち悪いとか、見ていられないとか、

そういう種類のものではなくて。

神秘的で、荘厳で、感動的な光景で。

決して、人間の力だけでない何かが働いている気がして。

それは、神の存在なのか、自然や生命の偉大さなのか分からないけど、

とにかく人間が立ち入ってはいけない、聖なる領域のような気がすらして。

「人間は生まれる時も死ぬ時も一人」という言葉がありますが、

決してそんなことはなく、

沢山の愛情と、温かい人達に囲まれていて。

そして生まれてくると、ちゃんと生きていけるように、

空気と、少しの温かいお湯と、欠かすことが出来ない愛情があって。

ああ、自分ってちっぽけだな、とか、

この地球上で起こっている環境破壊とか、戦争とか、

情けない事件とかも思い出して、

人間の感情の美しいところと、影の部分とに、

どうしようもない気持ちになったりして。

LOVE & PEACE

?

たった二つの単語なのに、

完全に実現するのがこんな難しい言葉はなくて。

?

でも、ちょっとづつでも、

次の世代のためにしなくてはいけないことをしていきたい。

今回、本当に様々な面で勉強になりましたし、

またちょっとだけ成長させてもらったような気がします。

全てにありがとう。

切ないペットコーナー。

うちのかわいいティッチャン(♂)の餌を買いに、

ホームセンターに行きました。

娘が喜ぶので、

いつもペットコーナーに行くんですけれど、

手放しで「かわいいー!!」っていう気持ちになれないというか、

楽しめないというか。

どうしても、

切ない気持ちがちょっとだけ出てきてしまうんです。

この子達、生まれてすぐにお母さんや兄弟から離されて・・・とか、

もし買い手がつかなかったらどうするんだろう・・・とか。

彼らはそんな認識はないのかもしれませんが。

もちろん、ワンちゃんもニャンニャンも大好きですから、

ペットコーナーは僕も楽しみに行くんですけれど、

どうも、「生き物を売買する」という行為に違和感を感じてしまいます。

同じ生き物でも、

例えば、金魚とか、観葉植物ならそこまで思いませんが、

犬や猫などは人間ととても近い距離にいる動物ですし、

いわば「パートナー」「家族の一員」的な存在になりますよね。

そういう大事なポジションにいる生き物を、

売り買いしたり、人工的に繁殖させていいのかな・・とか。

?もちろん、命に対する責任を持ってるからこそ、とは思いますが、
どうしても「人間のエゴ」のような気がしてしまって。

真横で寝ている、元野良猫のティッチャンを見ながら、

この子のママはどこにいるんだろ・・・、

兄弟は何匹いるんだろ・・・とか、考えながら、

ペットビジネスのあり方について、

ちょっと考えてしまいました。

月刊沈考2月号 少子化対策等

「両親学級」ってご存知でしょうか。

出産を一月前に控えた夫婦が、

呼吸法だの、産後のケアだの学びに行く場です。

出産予定の病院に行き、

先生と、助産師さんのレクチャーを拝聴します。

ちなみに、私。

一人目の時も参加しておりますので、

この両親学級、今回が二回目になります。

自然分娩に定評のある病院らしく、

長女の時の病院よりも、話もとても興味深いものでした。

それにしても。

もう、一ヶ月ほどで、二人目の娘の顔が見れると思うと、

今からとても楽しみな訳なんです。

さて、本日の両親学級。

夫婦が5組参加です。

少子化対策で、

例の厚生労働大臣がどうしようもない発言をしていましたが、

日本の出生率も若干は上向いたというものの、

まだまだ超低率が続いていますね。

自分も身をもって経験していることですが、

若い夫婦が子供育てて行くのに、

日本はあまりいい環境ではないような気がします。

先日、内田樹先生のブログで知ったことですが、

フランスって、出生率が回復した国として

注目を集めているようですね。

理由は、

「労働法制が整備され、子育てへの行政の支援がなされたせいである

(出産手当、育児手当、ベビーシッターや保育士を

傭うときの補助金などなど)保育園はすべて無料。

そればかりか大学もほぼすべてが国立で、年間の学費はわずか2万円。」

素晴らしい。

お父さんもお母さんも、子供といる時間をしっかり確保できる上に、

経済的負担も少ないのであればそりゃいいですよね。

それともう一つ。

内田先生が面白いことを書いておられました。

「国公立の学校の授業料を(小学校から大学まで)無料にすることこそ、

実は少子化を一気に改善する秘策なのである。
親の負担が激減するばかりでなく、

子供たちは「苦学」ということができるようになる。
自分の進路について、出資者である親の意見を聞かなくても、

「好きなことをやる」ことができる。だってただなんだから。
子供たちはみんな好き勝手な専門分野に散らばって、

自分がやりたいことを夢中になって研究するであろうから、

日本の学術は一気に活性化する。いいことづくめである。」

面白いなー、こういう考え方。

過激ですけど、本当にそうですよね。

出生率と子供の学力、一気に上昇。笑

こういう世の中になって欲しいものです。

ま、政治家の考え方があんなんじゃ、

あまり期待できませんかね・・・

月刊沈考1月号 「おもろい」という言葉考

関西弁でいうところの、

「おもろい」という言葉。

これ、最大級の賛辞なんですよね。

アホやなぁー。っていう言葉も同義語。

単純に、面白いってこともありますが、

人生の喜怒哀楽を良く形容している言葉、

それが「おもろい」なんです。

辛い経験、恥ずかしい経験、苦い思い出。

それを経験しているが故の、思いやりと優しさ。

普段は空けない引き出し。

でも、引き出しの多さ。

人としての深み、奥行き、大きさ。

単純に、善悪で判断しない、

だから、肯定も否定も、是非もジャッジせず、

全て受け入れられる、愛情。

建前でなく、素直さ。

自分の居場所、立ち位置。

格好つけないで、素直にさらけ出して、

僕こんなもんっすよ、って認め言い合う、潔さ。

楽しさ、笑い。

そして、振り合えると、胸が締め付けられるような、

引きずってるもの、影。

人としてのつながり。

肩たたきあって、認め合って、学びあって。

でも、人としての「のびしろ」は忘れずに。

こういうの、全部ひっくるめての、

「おもろい」。

いい言葉ですよね・・・。本当に。

男二人で、酒飲んで、いい飯食って、

笑って、さらけだして。

ああ、最高です。人生。

摂津本山、「生粋」。

だって、ウニが軍艦巻きじゃないんやもん。

コハダの〆具合、最高なんやもん。

リニューアルした蔵上人。阪神芦屋駅すぐ。

クリス君に久しぶりに会えて嬉しかったー。

本当に良いお店。

生きてるだけで、まるもうけ。

一筋縄では行かないけれど。

だから、人生はおもしろい。

月刊「沈思黙考」12月号 JB死去と、大事な友人と。

歴史に一つピリオドが打たれました。

帰ってネット見てびっくり。というかショック。

ソウルの神様、ジェームズブラウン御大が召されました。

「大御所」という言葉を通り越して、

「神様」「ゴッドファーザー」という称号が本当にぴったりの人でした。

僕みたいなひよっこがとやかく言うのも恐れ多いくらい、

すごい人なんですが、一つの歴史が去ったようで、

なんとも言えない寂しい気がします・・・・・。

破天荒な人生も含め、偉大な人だったなぁ。

天国行っても、絶対ライブをしていて欲しい人。

そうなら、あの世でも楽しみ増えますもん。笑

さて。

いろんな形の財産がありますけど、

本当に安心して甘えることが出来る友人って、

貴重な財産だと思うんです。

それは異性同性年齢関わりなく。

半年ぶりくらいかな、昨晩久しぶりに飲んだYは、

女性で、誕生日二ヶ月違いの同じ歳なんですけど。

お互い結婚してる上に、気心知れあっているので、

どんなことを話していても安心。コンフォータブル。

僕ね、意外に気を遣うタイプなんで。見えないでしょうけど。笑

まあ、満たされたんです。

こういう友人って、本当に財産ですよね。

感謝してます。

きっと、僕は自分で言うのもなんですが、

友人には恵まれてると思うんです。

もともと人が好きだからってのもありますが、

そんな財産を大事に出来るか出来ないかは、

本当に自分次第だと思います。

大事なことを大事に。

大切なことを大切に。

当たり前のことを当たり前に。

うーん。

なんか分からないけど、いいよなぁ。

肝臓も休む暇ないよなぁ。←泥酔

月刊「沈思黙考」11月号 たまにはね。

11月です。

今年もあと二月。

月刊「沈考」シリーズも残すところ、あと二回。

過去のアーカイブを見直してみると、

随分と無責任なこと、恥ずかしいこと、猛毒たっぷりなこと

(たまに、平和的内容)を書いてきたなぁ、と思うわけです。

ま、そういうカテゴリですのでね。

今月は、「たまには業界のことでも、ね。」がテーマです。

WEB業界は、「WEB2.0」時代真っ只中です。

「WEB2.0」の定義は広範囲に渡りますが、

ブログ、SNSに代表されるように、

個人からの発信が、無視できないメディアとして、

認識されるようになって来たのも、その一つの表れです。

でもね。

日本のネット人口約8000万人に対して、

ブログユーザーは800万人。

mixiのようなsnsユーザーは700万人程度。

mixiユーザーにいたっては、62%が20代、25%程度が30代で、

合わせると80%以上のユーザーが20、30代で占めてるんです。

実際にmixiの収益の90%程度が広告収入。

(もちろん、アメリカや韓国などに比べると、

そもそもSNSユーザーが少ないので、

まだまだ発展する余地はありますよ。)

そんな中、この業界に対して最近なんとなく思うのは、

どんなサイトでも、ブログ機能とSNS機能を乗っけようとすることと、

mixiに限らず、せっかく人間集団が出来ているのに、

ピンポイント広告以外に、その集団に対して「こうしよう」という

答えを出し切れていないケースがすごく多い、ということです。

それに、一番人口の多い50代~60代の世代を

囲いこめていないのもすごく問題なんですね。

僕はね、

きっと、最新の技術とか、どうすれば¥になるの?

といったことばかりにフォーカスしているから、

なかなか上手くいかないんだと思うんです。

資本主義経済も、そろそろ成熟してくると、

人々の関心事も、大量消費から、

「質」や「環境」や「社会的意義」に遷移してきます。

今の時代、本当に大切なのは何?

根源に関わるテーマから入らないと、

きっと、円熟した本物志向の人間はついてきませんし、

PCやデジタルに苦手な50,60代の世代は絶対に入れません。

使い手に意識させないのが、

本当の先端技術だとも言います。

「儲かる、儲からない関係なしに、

このサイトを立ち上げることによって

どんな社会貢献につながるだろう。

どんな風に人々の生活が本質的に豊かになるだろう。」

本質を見極めて、ニーズにシンプルに応える、

生活がより充実するように、ちょっとだけお手伝いする。

謙虚なスタンスでいなかいと、

この業界、先走り過ぎちゃう気もするんですよね。

あ、これ、自戒もこめて。笑

という訳で、

自分自身もビジネスモデル策定でちょっと頭悩ませてたから、

クールダウンの意もこめて、原点回帰してみました。

あはは。

月刊「沈思黙考」10月号 本のような日々

スペイン在住のvacaciones さんが、

以前、僕のブログにコメントを下さった時に、

「一日一日、そのページをちゃんと塗りつぶす」

という表現を用いていらっしゃったのが、

すごく印象的で、今でも思い出します。

・・・「ページを、毎日丁寧に塗りつぶす」

素敵な表現だと思うんです。

生活が忙しかったり、

何かに夢中になっていたり、

病気で体調が悪かったり、

考え事していたりすると、

毎日があっという間に過ぎ去って行きます。

一日のどこかで、ちょっと立ち止まって今日を振り返り、

思い出し笑いしたり、反省したり、キュンとなったりすることは、

とても大事なことなんですよね、きっと。

小さな奇跡がたーくさん積み重なって、

仮に80年生きれたとします。

今30歳の人は、残り50年。18250日です。

40歳の人は、14600日。

うちの娘は一歳だから、28835日。

やっぱり、大事に大事に「塗りつぶして」行きたいですよね。

今日は、頭痛がいつもよりひどい一日。

やっぱり、こう、偏頭痛が起こると、消極的なことも考えましてね。

不謹慎だけど、

「明日、死んだら・・・」とか思うわけです。

そう考えると、やっぱり、

感謝して生きている日をちゃんと塗りつぶしたいし、

出会う人を大切にしたいし、

嫌な気持ちのまま、一日を終えたくないな、なんて。

簡単だけど、難しい。

難しいけど、意外に簡単。

奥が深いテーマだけど、

自戒を兼ねて、この秋は追求してみましょうかね。笑

月刊「沈思黙考」9月号~小さいこと。

「何も知らないでいることが幸せ」

良く聞く言葉です。

人も、社会も、情報も、国家も、

人自身で制御出来ない程に、

複雑になり過ぎた現在では、

特に意義深い言葉なような気がします。

世の中には、一度知ってしまうと、一度始めてしまうと、

なかなか抜けることが出来ない、

ゴールの見えないスパイラルが存在します。

より早く情報をキャッチすること。

命をかけた、マネー争奪戦。

それぞれの国、土地、場所で、

長い年月をかけて大事に育まれてきたものを、一瞬で破壊し、

自国の文化とやり方を押し付けようとする世界。

そこに「キリ」はあるのでしょうか?きっと、ないですよね。

だから、「究極のソリューション」に辿り着くことは出来ない。

戦争も、ビジネスも、物質追及も。

誰かが救われると、誰かが死んでいます。

小さな世界で、

知らないでいいことは知らないで、

自分の食べるものは自分で育てて、

大事にしなければいけない物を大事にして。

「生きている」という本質を噛み締め、

当たり前のものを大切にするのが、

人間として、決してぶれてはいけない軸なのかな。

小さい人間に出来ることは、

小さい世界を大切にすること。

多分、人間のキャパって、

せいぜいそれくらいに設定されてる気がします。

そんなこんなで最近、少し脱力気味。

色んな意味で過渡期かなぁ。笑

月刊「沈考」シリーズでは珍しく、毒ブログでもないしね。

これも過渡期?笑

近所のスーパーで、偶然お友達に出会いました。

ガラス越しの無言のスマイル挨拶。 ↓

大好きなお姉ちゃんと、スーパーの前の公園で遊んでもらう。

きっと彼女にとっては、大事件です。

月刊「沈思黙考」8月号 – ホッとする言葉。

ふとした瞬間に出会ったいい言葉。

今回は、永江朗さんの書評から。

◇写真家、上田義彦の「at Home」。

本作は彼自身の家族を撮った写真集。

最後にはこう記されている。

「一刻、一刻、過去となり、忘れ去られてしまう運命にある

なんでもない日常の中に、二度と見ることの出来ない、

大事な小さなほほ笑みがある。

写真はそれを鮮明に記憶してくれる。」

「小さなほほ笑み」は「幸福」と呼び変えてもいいだろうし、

「人生」と言ってもいい。なざなら、幸福は状態(瞬間)ではなく、

過程(一定の幅を持った時間)のことだから。

(永江評)

「小さなほほ笑み」を大事にするっていいですね。

静かで、暗めのトーンの写真。

きっと、そこには鮮やかな色があるに違いありません。

◇保坂和志の「途方に暮れて、人生論」から。

××しなきゃいけない、と考えた瞬間に人は不幸になる。

なぜならそれは現状を否定することだから。

しかし、希望を抱いたり、進歩したりすることが

そんなにエライことなのだろうか。

彼は、「それでじゅうぶんじゃないか」と言う。

それが人生を肯定することだから。

肯定できればいい。

(永江評)

現状を肯定しつつ、進歩する。

仮に進めていなかったとしても、「取り組んだ事実」を肯定する。

そうすることが、自然体でいるってことなのかもしれません。

永江さんのように、

短くて、簡潔で、でも的を得た言葉を書くためには、

いい言葉をたくさん読むことが必要なのかもしれません。

そう考えると、ゆっくり、かみ締めながら読書をする時間が必要です。

ここでも大事なのは「読まなきゃ」ではなく、「読める時に読もう」。笑

無理せず、自然に。

でも、過ぎ行く一瞬のほほ笑みは大事に、ね。