・
3タイプの人達。
早起き型、夜型、寝ない型。
今日のように真夜中にずっと起きていると、
これら3タイプの人達とまんべんなく出会える。
あ、あと海外時差組の皆さんね。
会える場所はTwitterやFacebook。
こういったSNSでは、何かしらの発言があったり、
「チャット可能な友達(FB)」という表示が出たりして、
ログインしているのが分かるようになっている。
みんな常にどこかで動いているし、
生きている。
真夜中のボーッとした思考の中での、
かすかな息吹を感じる瞬間。
・
どの道をどう進んで、
今ここにたどりついたのか。
忙しい日々の中で、たまに後ろを振り返る瞬間。
身内や親族や幼なじみに出会ったときに感じる、
そういえば、こんなことがあったよな、
と思い出す何気ない心象風景。
そこから導かれる自分のルーツ。
子供の頃に食べた懐かしい味をふと思い出すこともある。
カールスJrのフェイマススターバーガー、
ハワイのカリカリに焼き締めたベーコン、
NYCのプレッツェル。
そこでまた自分が進んできた道を振り返る。
最近、前よりも後ろを振り返ることが多い。
夏って、そういう時期?
・
身辺が散らかっている。
謝ること、反省することが多い。
なんとなく後回し気味にしている仕事も多い。
うーん、反省・・・あ、また反省だ。
すべては自己責任によるもので、
なんでこうなったのかを突き詰めて考えていくと、
戻り過ぎてしまうことが多々ある。
戻り過ぎてしまうと、
なかなか「今」に戻ってこれない。
そうやってボーッとしていると、
あっという間に時間が過ぎていたりする。
今月のテーマ、
「戻る前に行動を」。
「月刊「沈思黙考」」カテゴリーアーカイブ
備忘録
・
昨夜19時から来客があった。
うちは事情が許す限り、
20時からでも21時からでも来客OK。
取引先、関連会社含めて忙しいところばかりだから、
夜の来客は日常茶飯事だったりする。
で、昨夜。
僕の中で「天才集団」と呼ばせていただいている
業界の大先輩方をお迎えし、
レベニューシェアリングでの某プロジェクト開発における
オリエンテーションが行われた。
僕の中での「天才」の定義は幾つかあって、
その中でも、
「破壊力抜群の閃き」と「アイデアフェーズから出口」までの
ストラテジーが一瞬でイメージできる人。
必要のないもの、小さなリスクは全く気にせず、
徹底的にそぎ落とす。引き算。
そこに、チームとしての意思決定の早さ、
徹底的にコンセプチュアル(どこもコンセプトを定めるんだけど、
ブレまくるところがとんど)な企画構築、
バイアウトの早さとタイミング、
要はビジネスと収益性の「勘所」をちゃんと押さえてくる
集団は負けない。
この人達と話をしたのは実は二回目だけれど、
毎回、スピード感と天才的な技術に裏打ちされた
圧倒的な説得力に何度か鳥肌が立つ。
一言一句漏らさずに聞こうとするため、
終わったあと、消化不良を起こしてしまう。
それでも不思議なのは、
とにかくワクワクすること。
どういうカタチでレベニューできるか
模索が必要だけれど、なんとかしたい。
どこにも隙間がないように思えるスケジュールだけど、
この件だけはどうにかしたいなあ、うん。
一週間の実感
・
震災から一週間。
関西にいるので「被災」はしてないのだが、
本当にあっという間の一週間だった。
地震が起き、
その日を起点に世界が変わる。
関西にいてもそう感じるのだから、
被災地はもちろんのこと、
計画停電の影響をもろに被っている関東などは、
心からの実感としてあるだろう。
仕事関係でいろんな話を聞いていると、
関東に本社機能を持つ会社は、
動ける人間は関西に移動しているらしいし、
指示命令系統を確立するため、
役員クラスが関西に移動してきている
という話も聞く。
来週のLA出張のためにフライトチケットを
手配してもらったのだが、
航空会社も異常事態に手配で混乱している様子。
原発問題で、国外に避難する外国人が多いのかも
しれないし、出張のビジネスマンが、
成田を嫌がり、KIXから飛ぶのかもしれない。
発電施設が破壊されている中、
東京が本来の機能を取り戻すのに、
一体どの程度の時間がかかるのだろう。
最低でも、今年一年は混乱が続くと予想される。
僕は阪神大震災をもろに経験しているが、
復興には10年かかった。
10年経って、ようやく仮設住宅が
なくなったんじゃなかったけな。
だが今回は被災地域の広さが違う。
西日本で言えば、
恐らく京都から下関くらいまでの沿岸部が全て壊滅、
というイメージだろう。
・
一見、何もなくなったかのように見える日本だけど、
村上春樹さんがNYタイムズに寄せた寄稿の文章は、
全ての日本人が生身の実感として、
共感するのではないだろうか。
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/
— 以下、抜粋 —
私が10年前に書いた小説には、
中学生が国会でスピーチする場面がある。
「この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」と。
今は逆のことが起きている。
避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。
東京も物や電力が不足している。
生活そのものが脅かされており、
政府や電力会社は対応が遅れている。
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。
大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ
奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々の
なかに希望の種を植え付けた。
だから私は信じていく。
---------------—
その通りだと思う。
被災したおじいちゃんのように、
「また再建しましょう。」
「日本人はそんなにやわじゃない」。
いつの時代も、
何度も何度も復興を重ねてきた。
その原動力は「希望」だったのだ。
平時は仕事や生活が不自由なく
送れていることに何も感じない。
不自由のない満たされた生活の中でも、
日常に追われ、時に先が見えず、
閉塞感にさいなまれる時もある。
だが、今は違う。
大変なことが起こってしまったが、
元気な地域も含め、
皆が「もう一度やり直そう」という
気持ちになっているのではないだろうか。
少なくとも、被災地の皆さんはそうだと思う。
僕は、ただでさえ元気な地域にいるのだから、
ただただ猪突猛進的に前を向いて出来ることを
一生懸命行っていきたいと思う。
歩けるところまで歩こう。
差はどこから生まれるのか
・
日本企業は世界で勝負できない、
IT系、ネット系でAppleやGoogleのような
会社は日本から出てこない、とよく言われます。
でも、大手から中小ベンチャーに至るまで、
「志を高く」昼夜問わず必至で稼働している
企業はたくさんあります。
世界で勝負せなあかん、と
息巻いている会社ほとんど今はどの企業も
「そう思っている」のではないでしょうか。
これだけ働く日本人、
どうしてイノベーティブなものが生まれにくいのか。
生まれたとしても世界に広まりにくいのか。
どこもがんばっているのに。
要素はたくさんあると思うんだけど、
そこには、「視野の狭さ」があるのではないのかな、
と思うのです。
言い換えると、判断基準となるものの範囲が狭い。
小さい。自分の狭い世界の中だけで判断してしまう。
要するに考え方が「島国」チックで、
その「島国」的発想を持っている無数の会社が、
それぞれの地域でクラスタになっているような感覚
なのではないかな、と思うんです。
それは昨日エントリーした、
「Life in a Day」の記事の続きになります。
つまり、地球上には60億の人間がおり、
日本の市場なんて1/60だということ。
経済規模だけで言えばもっと大きいけれど、
それでも狭い。
その狭い中のさらに狭い地域、環境、
取引先との小さい関係の中だけで、
物事を判断し、決定し、評価しがちになってしまう。
世界はもっと多様で個性的であるにも関わらず、
その世界を知らないから判断の材料を、
「育ってきた環境」「自分の経験」
「目に見えるもの」「感覚とイメージ」に頼ってしまう。
もしその「自分の目に見える、イメージできるところ」だけで
判断していれば、その世界以上は、絶対に広がらない。
成長がない。
木箱(価値と判断基準の広さ)で育てられた、
四角いスイカみたいなものです。
一地方の一中小企業、
同じ地方の取引先に褒められる会社でしかない。
また仮に日本で一番だったとしても、
あくまで日本で一番でしかない。
日本企業が世界の企業トップ20にも入れないのは、
そこだろうと思います。
Appleなんてキャッシュで
東芝と日立を買収できるんですから。
そのAppleですら、世界で一番ではない。
例えば、新卒採用。
「合う人間」をいれて会社のカラーに染め上げるという発想。
その会社が仮に50人で年商15億円の会社だったら?
うまく新卒社員を染め上げたとしても、
50人15億を稼ぐ会社の中でしか働けない社員が育つだけ。
それ以上のブレークスルーはない(変わらなければ)。
ずっと現状を維持し続けるのが会社の目標であれば、
それでもいいけれど、「現状維持=衰退」という方程式を
あてはめれば、もうそこからは衰退しかない。
もしそこに収まらない能力の社員が出てきたら、
すぐにやめて大きな会社に移るでしょう。
・
ボーダレス、という言葉は、
意味合いだけでは「境がない」という簡単な
イメージになりますが、実はもっと深い。
一昔前、人々の世界感なんてせいぜい、
「住んでいる地域」「家族・親族」
「職場、取引先」「職場の中」くらいのものでした。
国の情勢や世界情勢なんて、
TVの向こうの世界、それだけのもの。
そんな狭い世界で育っているから、
地域や地元での結束は強いけど、
価値観、世界観が狭い。
でも今は時代が違うのではないかな、と思うんです。
「Life in a Day」を見ていても、
エジプトのネット規制の問題を見ていても、
FacebookやTwitterの世界の広がりは、
想像以上に広いし、フラット。
本当にグローバルな会社、
超速の成長を続けるイノベーティブな会社には、
人種国籍性別年齢を問わず、
ありとあらゆる文化的背景を持った人間が働き、
とてつもなく自由な発想で、働いている。
子育てをしながら働いている日本女性の横で、
インド人や中国人が働いているような環境。
自分の想像を超えたアイデア、
世界で受け入れられる製品やサービスは、
このような環境の中からしか絶対に生まれない、
と思います。
やはりどうせ仕事しているのなら、
もっと自由に、もっと大きくやりたいですよね。
まずは自分が変わることから始めます。
朦朧とした意識の中で
・
少し仮眠ができたので、
この時間から仕事をしようかと思ったが
やっぱり断念。
眠さとだるさ以外にも原因があって、
「仕事モード」のスイッチが入らない。
で、なぜ仕事スイッチが入らないか。
「ビジネス・コンプレックス」の思考パターンが
頭をもたげてくるから。
つまり、自分は仕事ができないやつなんじゃないか、
その仕事ができないことに対する理由付け。
違和感、適性、ギャップ、方向性・・・
こういった方向へ思考が向くと、たちが悪い。
毎度毎度、よくないな。
・
で、ここから先は誤解を恐れずに正直に。
つまりそれは何かというと、
どうも僕は一般的に言う「ビジネス」に
向いていないのではないか、という自己分析。
ハングリー精神
「Make Moneyに対する嗅覚」
押しの強さ
圧倒的な実行力
夢の実現
執着心
・
・
・
「金を稼ぐ」という行為において、
その「成功」への道筋の大部分で、
自分は向いていないような気がする。笑
これは学校を卒業して勤め始めた頃から
ずっと思っていることだから、
この感覚との付き合いはとても長い。
もちろん、お金は欲しいし、
稼ぎたいという気持ちは人並みにはある。
お金の大切さも良く分かっているつもり。
でも、そのモチベーションが薄い。
何がなんでも、という気持ちがとても薄い。
かと言って、どうでもいい、という訳ではなく、
とても負けず嫌いなところもある。
実は・・・
一般的な資本原理主義的「ビジネス」に
あまり面白さを感じていないのかもしれないな。
ビジネスを哲学や学問の一種ととらえ、
一つの仮説に対してロジックを組み立て、
結論を導き出せる実践の場として、
捉えるのであれば・・・
うん、なんとなくピンとくる。
でもそれだけでは不十分。
そこに、社会貢献やコミュニケーションが
入ればなかなかだし、
一つの「文化」を作ることができれば最高。
「学ぶ」ことを目的とすることは
当たり前のことなんだけど、
「日々勉強」とか「失敗は成功の母」などという
ざっくりした学びではなく、ロジックも戦略も、
自分自身の人間性、行動に至るまでをすべて、
学びを実践する場として捉えればいいのかな。
で、あとは人間関係。
人が好きで、人とのコミュニケーションが大好きな性格、
そこが今はモチベーションの大きな柱になっている、
そこは間違いない。
もちろん、仕事は大好きだ。
働くことのすべてが好きだ。
金を稼ぐこともすべて肯定。
だけど・・・なんだか違和感がずっとある。
これはおそらく大きなテーマになりそう。
意識が混濁しているので何とも言えないし、
結論はまったくでないのだけど、
そろそろ自分の5年後、10年後を見据え、
方向性を見出していくべき時であるのは
間違いない。
何が原因だろうか。
走りながらでも、考えてみよう。
今日も素敵な言葉にたくさん出会った。
・
この時間、
珍しく妻が「ママ友の新年会」で、
15名のママ軍団と夙川で飲み会。
いつも僕ばかり家を空けて飲み歩いている
ものだから(こう書くとめちゃ悪い亭主みたいw)、
今夜は娘たちをお風呂に入れて、
寝かしつけてから、一人の時間を堪能しています。
・
素敵な言葉にたくさん出会った日。
神戸女学院大学の内田樹先生の最終講義。
もちろん僕は聴講できなかったのだけど、
Twitterでほぼ実況中継してくれている方が
おられて、その言葉の一つ一つを、
後で読ませて頂きました。
内田先生の文章は、
もう何年も前から大好きで、
Meets Regionalに連載されていた
「街場の現代思想」は本当に
面白かった。
そのためだけにMeetsを買っていたようなもの。
いろんな意味で影響を受けた人の一人です。
さて、
本日の「最後の授業」。
もちろんこれだけでは意味が伝わらないことを
承知の上でいくつかピックアップ。
出典は @ikedaosamu さんです。
もう一つ。ヴォーリーズの校舎は、暗いのである。
そして、外は明るいのである。だから、外に出ると驚く。
浮遊感。出生の瞬間。この世に生まれて来た瞬間を考えて
設計しているのではないかと思う。
高等教育は、生成、ブレークスルーが大事である。
本学の隠しなんとかの向こう側にあるのは、
共通しているものであった。
それは風景の広がりであった。
「校舎が人を作る(byヴォーリーズ)」
他のどこからも見ることの出来ない美しい風景が
待っているのである。
(自分でたどり着かないとその景色は見えないのだろうなあ)
学びのダイナミズムは、そういうものである。
なんか分からないものがある。なんか引きつけられる。
そこを自分の体と感覚を信じてドアノブをあけるものだけ、
学べる。学びの比喩であり、信仰の比喩なのである。
レビナスの言葉にもある。
存在しないものと関わる。
その波動を受け止め、自分から波動を送る。
このやりとりをコミュニケーションというと
私は考えている。
珠玉の言葉の数々。
なんか分からないけど、
心が震える。
それが、学びのモチベーションかな。
この人も、
「なんか分からないけど、心が震える」
音を出す人。
あ、この人は天才だったか。
あえて、くるりのカバー(恐ろしい程カバー)で。
震災の日を無事に迎えることができた
・
1.17はいろんな意味でエポック・メイキングな日だ。
都市、街、人、それぞれが、
あの日を境に変化した。
最近開通した西宮、芦屋をつなぐ山手幹線。
夙川から芦屋の間、
芦屋と神戸をつなぐ一部、
古いお屋敷が並び、
本当にこんなところに道なんてできるかな、
ずっと、夙川カトリック教会の前で分断されているんだろうな、
と思っていたら、震災を境に、工事が一気に進み、
15年の歳月をかけて山手幹線が開通した。
街の整備事業や区画整理から、
店の歴史、家族の変化、ペットの寿命。
すべてにおいて、
震災を経験している人の口からは、
「この家は震災後に建てたからもう築14年やな」
「うちのネコが家にきたのは震災後やったな」など、
「震災」が、あたかも「戦前、戦後」と同じように、
時間を図る物差しの一つとして語られる。
それくらい、あの一瞬の破壊的な揺れは、
すべてを破壊し、変えた。
そして僕もあの時、
激震地域の真上にいた。
あの日を境に、遠くに引っ越した人達もいた。
西宮北口までは電車が走っていたから、
みんな大きな荷物を抱えて東に向かって、
線路を歩いていた。
ガス、電気、水道、電話、
すべてが破壊され、分断され、
トイレを流すのにみんな川の水を汲んだりしていた。
そう、水。
飲み水もさることながら、
トイレを流す水の確保は大切ですよ。
ライフラインがなくなった時の対応や教訓は
たくさん学んだ。
・
経験したことをすべて書くと大変な長さになってしまうけど、
この日ほど鮮明に覚えている一日もないな。
震災の記憶を風化させず・・・というけど、
実際の経験者にとっては風化させるどころか、
忘れることはできない日。
亡くなった同級生もいるし、
崩れた家の前で、茫然と立ちつくし、
涙する人達もたくさん見た。
近所の体育館や小学校は遺体安置所になり、
たくさんの棺が並べられていた。
その横で、たくさんの人達が避難していたっけ。
あの光景は今から考えると、
何とも言えない気持ちになる。
今、生きていることに感謝し、
これからの日々を大切に生きよう。
毎年1.17は、一年を生きていく上で、
思いを新たにできる日。
あれから16年か。
今こそ全体を俯瞰し、論点を整理しよう
・
サービスや製品の開発段階で必ず「戦略会議」なる
ものが存在する。
別に開発会議でも企画会議でも構わないけど、
今日はそこでちょっとブレイクスルーしたかな。
開発部が入念に準備したであろう方向性に対して
少なくとも自分の中ではすとんと「腹落ち」した。
しかも、最低限の言葉で。
こうなると早い。
結論までのマイルストーンがしっかりと
イメージできるから、ポンポンポンと必要な石だけ
おいて、ロジックを組み立てればよろしい。
役割分担も明確にイメージ可能。
このような「会議」であればちゃんと結論が出るので、
時間を取るだけの価値はある。
会議の仕方について少しだけ考えてみると、
いくつかの要素が必要になってくることがわかります。
今日は少しだけ、自分なりの考えを。
ちゃんとまとめてないし、思いつきなので、
乱文お許しを。
またちゃんとまとめます(いつか)。
1、目先の議論に没頭しない
陥れいりやすい落とし穴は、
「目先の議論」に没頭してしまって、
論点がどんどん逸れて行ってしまうこと。
話すべき主題は何?
この会議で結論出したい論点は何?
ちゃんとそこに立ち返りましょう。
よくあるのが、
「販売戦略」を考えていて、いつの間にか
「広告戦略」を議論していたり。
これじゃ決まるものも決まりません。
こういう話は、ブレストであればOKだけど、
結論出さないといけない会議の際は無意味です。
あれ?ちょっと違うな、と思ったら、
すぐに目線を上にあげ、全体を俯瞰しましょう。
2、「たられば」「かもしか」の話をしない
まず、ネガティブな要素はすべて「リスク」として扱う。
注意すべきは、リスクを主要論点として扱ってしまうこと。
そして、「たられば」の話は、
レイヤー上げて議論の本筋にのっけてしまうと、
結論が幾筋にも分岐してしまうので別で扱う。
(※ブレスト時は扱ってもいいですよ、もちろん)
できれば扱いとすれば、
システム開発時の「テスト・試験」のように
フェーズを分けることができれば最高。
クリティカルな要素は誰だって気づくよね、という、
自浄作用を期待した会議の進め方でも問題ないように思う。
そして、「たられば」の話に関しては、
必ず根拠を設けるように。
たとえば、
「もしアクティブ10万ライセンスユーザーが
集まれば起動画面に広告入れれるよね?」
というような話は、サービスリリース前の
戦略段階では無意味。まさに絵に描いた餅。
そこを話す前に、アクティブ10万ライセンスを販売する
方法(もっと言えばまず1000ライセンス)を考えよう。
3、枠組みとディテールで会議のレイヤーを分ける。
骨子立案→ディテール落とし込み
それぞれ会議の方向性も招集するメンバーも違う。
同じ時間内に行わないこと。
4、会議のための準備をしっかりする
これに関してはそのまんま、そして、
実はこれが一番大事。
準備したアイデアには説得力を持たせよう。
5、スピード
とにかく結論スピードを速く。
迷う暇があれば、
再検討する時間があれば、まずやってみよう。
あとはチーム各員の能力に依存しますよね。
普段から情報収集に勤め、
勤勉に仕事に取り組んでいるスタッフからは、
「思いつき」や「自分の経験・考えに頼った感覚」
といった定量化できない訳の分からない意見は出てこない。
これだけ情報スピードの速い世の中、
ユーザーの目も肥えている。
ユーザーを甘く見てはいけない。
今までとは違うアプローチでいかなければ、
過去に何度となく繰り返された手法を
トレースするだけになってしまうんですよね。
自分の思考の整理にもなりました。
・
具定例も掲載されていないので、
あまりいい記事とは言えないけれど、
内容的には分かりやすく書いてあるので一応掲載。
まあ、目次的な内容にはなりますが。
「わかったつもりになっていませんか:
「ビジネスモデル」とはなんだろう?」
IVS備忘録
・
今週に入って早二日経過(現在進行中)。
時間が秒速で過ぎて行くが、
今日は京都でIVS(Infinity Ventures Summit)が開かれている。
詳細はこちら。
スピーカーの方々の顔ぶれを見れば、
みんな行きたくなるのではないでしょうか。
Twitterのハッシュタグで追っていると、
出席されている方のツイートで、
リアルタイムの情報が流れてくる。
その内容が、とても興味深い。
来客や打ち合わせで全てを追うことは
当然できないけど、幾つか目についた内容を、
備忘録代わりに記載します。
・
みんなで盛り上がる雰囲気、をつくるより、シンプルにして組織のシステムをきちんと作れば、後は組織が自動的に動き出すというのが田中さんの組織論。これって堀江貴文さんがライブドア時代にやってたことと同じだと思う。しくみ原理主義というか。
・
目標の高さが尋常じゃない。3時間ごとに集計し毎日世界中の営業マンがチャンピオンシップで闘うGroupon。
・
Groupon Japanは毎週月曜日に50、60人の新入社員を迎える http://t.co/jnEJ0bF via @techcrunchjapan
・
社長はみんなのためにいい道を必死で見つける。この道でディズニー超えようぜ。その道にみんな青春をぶつける。道がみんなわかってたり議論して出るならみんな自分で会社作るでしょ。
・
グルーポンジャパンCEOの瀬戸氏は、30才という若さ。 社員は、もうすぐ600人。キーワードは、マイクロ?マネジメント、グローバル?ナレッジ、グローバルで共通した経営指標KPI。日時売上だけじゃなく、3時間毎に数値を可視化。
・
グリー田中氏「5年後にはガラケーがなくなる。自分たちのビジネスは5年後にはなくなるよ。」と話しているとのこと
・
夏野さんから創業社長さんへのメッセージ。自分より優秀な人を自分より高給で雇って下さい。すると会社は成長します。
と、こんな感じ。
資金、スピード、人。
結局当たり前のことじゃないか、と思うけど、
そこが揃った上でビジョンが明確であれば
組織は伸びる。
そして、しくみ原理主義は理想形。その仕組みに「精神論」「企業カルチャー」までインクルードしてしまえばいい。組織を束ねる帰属意識形成をマネジメントするのは難しい。仕組み見せた上で個々が共鳴し、結果、自然発生的に盛り上がる環境になればいいのではないか、と。
理想追求型で行くしかないな。
ここまでって、線を引けばそこで終わってしまう。
ブレイクスルーを待つ
・
人として、深みと幅が増す瞬間って、
どういう時なんだろう。
僕の周りにいる「懐が深い」人達を観察していると、
やはり壁や挫折や、自分ではどうにもならないこと、
例えば生まれた場所とか、家庭環境とか先天的なものとか、
そういったものを全て受け入れて、
ブレイクスルーしている人なのかな、と思います。
突き抜けることができないものには、
「蓋をする」、未決ファイルにお蔵入り、という扱いにして、
回避してもOK。それも一つの解決。
受け入れるということは、
諦めとか逃げとか、そういったネガティブなものではない。
逆に、真正面から向き合い、ぶつかった結果のもの。
どうにもならないこともある、
例えば、過去を変えることはできない。
自分という存在を捨てて、誰か他の人になることもできない。
ただ、自分と向き合い、戦い、
最後には受け入れるだけ。
そして、前に進む際には、自分を信じてあげる。
そういう人は、優しい。
優しくて、深くて、幅がある。
どれだけのことを考えただろう。
頭で分かっていても、
どうしても受け入れられないこともあるしな。
そこを笑い飛ばせるようになれば、
きっと僕も少しは近づけるかな。
ということで、
そのブレイクスルーの瞬間を、
ただただ待ちたいと思います。
多分、方向性は間違えていない気がするので。
・
気ばかりが焦って、
体がついて行かない。
頭がモヤモヤし、どうもすっきりしない。
これも昨日の診察で変わればいいけど、
焦って焦って焦りまくる。
焦ってもどうにもならないことも、
もちろん分かっているんだけど、
気持ちと体は別だな。
竹を割ったような分かりやすい判断、
切れ味鋭い仕事の仕方や、
ロジックの立て方や、
自分の理想とする仕事のフローとか、
全然出来ていない、むしろ退化している。
もっともっとやりたいことがあるのに「。
良くも悪くも、環境の中での自分と、
本来自分が良しとする自分との中で、
かなりの乖離が発生している。
そこは肌感覚で分かる。
だから、焦る。
でも、体がついていかない。
この秋はしんどい季節になりそうな予感。
忘年会シーズンまでには必ず乗り越えよう。