人と違った経験を積むことの良さについて


昨日の記事「新卒入社について一考」の中で、「エリートより、変でもキラリと光る何かがある人間が欲しい」と書きました。

その理由は色々とあるのですが、一つに、自分もいわゆる「一般的なレールに乗った新卒入社」ではなく、家の都合で海外留学を諦め、一度社会に出てから、専門学校と大学に行っているという経歴があります。履歴書(もう書き方も忘れた)は人が見たら「何これ」という言うくらいグチャグチャだったりするので、ある意味マイノリティではありますよね。でも、そのお陰で訳の分からない分野の知識を持っていたり、経験をしていたり、多岐に渡る人脈があったりするので、振り返れば苦労も色々とあったけれど、「常に勉強する」という習慣も身についたし、まあ、それはそれで良かったなとも思っています。

自分のようなケースが良い悪いかはさておき、学生時代から20代にかけて色んな経験を積み重ねるというのは、ないよりかはあった方が良いと思っています。仕事とは直結しなくても、ある分野で深い知識を持つこと、幅広い人脈を作るということは財産になります。特に海外と関わって仕事がしたいという方、僕もそんなに広く知っている訳ではないけれど、少なくとも僕が関わっている範囲の世界では訳の分からない人がたくさんいるので、履歴書なんてあまり関係ないということをお伝えしておきたいです。という訳で学生の皆さんも、「有名企業や一流企業」ばかり目指すのではなく(これが大きなミスマッチを生む)、本当に自分を活かせる、自分を必要とする名も知れない会社がたくさんあるということを覚えていただきたいと思います。そういうところは仕事が激務な上に、人が慢性的に足らなかったりするので、いきなり大きなプロジェクトにアサインされたりして、なかなか面白いですよ。(あ、ちなみに決して新卒入社や大手志向を否定している訳ではなく、仮にそうでなくても大丈夫だよ、ということが言いたいだけです)

もう一つ、日本人は新卒入社が社会の大きなレールとなっているので、社会人になってから専門学校に入ったり、社会人大学院に行ったりする人が多いですよね。ある程度仕事ができるようになると、もっともっと専門知識が必要と感じるようになり、志す人が多いようです。もちろん、年齢を重ねてから初めて必要性に気づくということもあると思いますし、その時は院に行くお金がなかったということもあるかもしれませんが、卒業してからすぐに入社するという結果が、そういう流れを生んでいる一面であるかもしれません。ちなみに、お金も支援もなくてキャバクラでバイトしながら親に頼らず学費を全額捻出し、睡眠時間を削って大学(しかも一流)を卒業したという友人を何人か知っていますが、皆、一様に才色兼備のバリバリのキャリアウーマンです。経験が人を成長させる一例かもしれません。学生時代にありとあらゆることに取り組んで経験を積めれば一番良いのかもしれませんが、まあ、卒業後に何をしたら良いか分からなくても、とりあえず、何かに興味を持てる分野に色々と取り組んでみたら良いのではとも思います。但し、怠けることだけはNGです。


「人生勉強」という点について言えば、死生観を否応なしに考えさせる時計が発売されたようです。

寿命まであと何秒? メメント・モリ腕時計「Tikker」(Wired.jpより)

こういう時計を身に着けていると、一分一秒無駄にしないという意識を換気させられるかも。僕も基本的に怠け癖があるので、この時計、発注してしまおうかな。一歩間違えると悪い意味で刹那的になってしまうかもしれませんが、何事も「有限」な方が、人って頑張れる気がします。笑

武井壮に学ぶストイックな生き方


先週の日曜日に放映されていた「武井壮40歳 世界マスターズ陸上に挑戦」、録画していたものを今朝視聴しました。中居正広の番組で「出場します」宣言した後、ブラジルで行われる世界マスターズ陸上の100mと200mにエントリー。忙しい日々の中で毎日欠かすことなくトレーニングする姿勢、トレーナーをつけずジムにも行かずに(もっとも、本人がプロのトレーナーであり、自身の身体を自由に操れるパーフェクトボディコントロールという技術を保持)、夜の公道で一人走りこむ姿勢がとてもストイックで非常に感銘を受けました。

現役選手を引退してから10数年のブランクがありながら、黙々とトレーニングに打ち込む。ブラジルに発つ前の空港で、「もう全てやりました。やり切りました」という言葉が出てくるのがすごい。忙しさを言い訳にして「もうちょっと走りこみたかったのだけど、なかなか時間が取れなくて」といってしまうのが普通かもしれません。睡眠時間45分という百獣の王、武井壮と比べることは到底出来ませんが、少なくとも市民ランナーレベルの僕はマラソン大会に出る前はいつもそう言っていると思います。しかし彼は日本を発つ4日前、中居正広に出場の報告に行った際、「今までの人生の中で、一番追い込んでいます」と40歳にして断言できた。これ、実はすごいことだと思います。

「やり切る」

幾ら忙しくても寝る間を惜しんで時間を取り、練習に打ち込んでいたからこそ出る言葉。その証拠に、200mで見事に銅メダルを獲得した後、仰向けに倒れこんでタオルで顔を覆って泣きむせびながら、「本当に、本当に一日も休まずに毎日練習した成果が出たんだと思うと・・・」ということが出来たのだと思います。努力、努力、努力の積み重ね。元々の才能に加え、人一倍ストイックにコツコツと重ねる。だからこそ、競合がひしめく初出場の世界マスターズ陸上で3位に入ることができた。早朝に一人で番組を視聴しながら、僕も何度か泣いてしまいました。武井壮が泣くシーンが多いので、ついつい感情移入してしまうというのもあったかもしれません。彼の生い立ちや大人になってからの生活、「40歳までが本当に長かった・・・」と涙を流しながら回想する辛い時代の経験の中でも決して気持ちを切らさず諦めなかった人生だったんだと思います。

何かの頂点を極める人は、本当にストイックですね。武井壮しかり、一度決めたことは習慣化させて必ずやり通すという元マクドナルドCEOの原田泳幸氏しかり、「学生時代、世界で一番勉強していたという自信はある」という孫正義氏しかり。元々の才能に加えて、自分に厳しく努力も惜しまないからこそ何かをつかむことができるんですよね。逆に何も続けなければ、何も得ることは出来ない。「No pain,no gain.」学ばなければ。

なにはともあれ、早朝にしっかりインスパイアされたので、その後10Kmランに出掛け、図書館に篭っているのは言うまでもありません。今朝の日差しも気持ちのよいものでした。

結局何がしたいのか(したかったのか)という原点回帰


今日は、物事をシンプルに考えることがいかに大切かという話を少し。

人間はどうしても悩んだり迷ったりする生き物ですから、日々、あれこれ詰まりますよね。特に仕事が思うように進まなかった時や、答えが見つからなくなった時。これからどういう戦略で攻めて行ければ良いか、何を選択するのが最善か、リスクはどこまで勘案すべきか、資金はどれだけ投入できるか・・・。

良く言われることは「悩む暇があれば、まずやりなさい」ということですが、気合と根性があれば解決するようなものなら、チョンと背中を押してもらって「えい、やあ!」で踏み出せることはあったとしても、どうしても先送りしないといけないような種類があるのも事実。物事が複雑化すると、ベストどころかベターすら分からなくなることもあるのです。

僕自身が、典型的な「考えすぎて破綻する」タイプの人間なので、最近ではこういう状況に対して努めて「シンプル」に考えるようにしています。そもそも何がしたいのか。何がしたかったのか。理想は何なのか。今一度、原点回帰してみると、スッと目の間の景色が変わることがあります。

例えば、金を稼ぐことが主目的である場合。自分の働いている時間単価を上げれば、金を今より稼ぐことができます。月に得ている収入を働いた時間で割れば、時間単価が算出できます。時間単価を上げようと思うと、現状を分析することから始めます。無駄な時間はあるか、人に手伝ってもらえるような事はあるか。そう考えると、じゃあ、この事務作業はアウトソースしようとか、もっと生産性の高い仕事に着手しよう、とか、効率性を良くしよう、とか、力のある人なら良い給料が得られるところに転職しよう、とか、モノを売ろう、とか。逆に「金を使わない」ということも、時間単価を上げる一つのソリューションですよね。いずれにしても、何かしらの方向性は見えるはずです。

また、例えば、シェアを拡大しようとする場合。
シェアを拡大しようと思ったら、マーケットを俯瞰することから始める。自分が身を置いている分野のマーケットがどれだけニッチで、投入するサービスなり製品がどれだけ有用かという点を考慮しなければなりませんよね。今から何かをゼロベースでやろうとした時に、あえて人がたくさんいるところで始めても仕方ない。で、こうなってくると求められるスキルは「目利き」になる訳です。あらゆる市場を片っ端から調べ、分析し、数値化することが求められる。参入障壁が高い市場は大抵、特殊能力が求められるものです。でも、もしかすると誰も気付いていないニッチがあるかもしれない。そこを探し当てるのも、目利きの一つです。

いや、お金もシェアも後回し。自分はこういう製品を作りたいんだ!という場合は、とにかく、作りたいものに時間と金を注げば良い。理念と哲学をその製品やサービスにつぎ込み、イメージを形にして理想に近づけていけば良い。技術が足りなければ外から調達すれば良いし、仲間を集めてチームを編成することもできる。

上記の例は極端ですが、結局、どうしたいのか、何を得たいのか、によっておのずと行動は変わってくると思うのです。何も分からなければ、思いつく方法を次々と何も考えずに試せば良いし。

そんな感じで「シンプル」を追求していきたいと思います。それでも何も見えてこないようなら、その時は潔くロジックを破綻させようと思います、はい。

ふとしたことから、2006年当時を振り返ってみることに


先週の日曜日になりますが、現在運営しているこのブログに移転する際に、アメブロからのデータ移行が上手に出来ず、欠落したままとなっていた「2006年1月〜10月まで」の記事を、アメブロから”ようやく”移行しました。

ご存知の方も多いと思いますが、この個人ブログを開設するまでの約7年間、僕はアメブロで記事を書いていたんですね。そして昨年、「これだけ長く、そしてほぼ毎日ブログを書いているのなら、いっそ外部サービスではなくて個人ブログとして運営しよう。うん、そうしよう。」と思い立ち、アメブロ → FC2ブログ(データ移行のみで使用) → 現在のブログ(Word Press)へインポート という形で全ての記事を移行し、晴れて「個人ドメインでの個人サイト」を開設するに至った訳ですが、その大移動の際に、なぜか2006年1月〜10月までの記事が抜け落ちてしまっていたのです。

恐らく僕のオペミスだとは思うのですが、そのまま放っておくのも忍びない。なんだか、パズルのピースが抜け落ちたような感じで気持ち悪いし、これでは、いつまで経っても、アメブロのアカウントを抹消することはできない(データエクスポートするまでは記事を生かすため)。それに、同じ記事の重複はグーグル先生からも嫌われるし、いつかやらねば・・・と思っていて一年半が経過してしまいました。という訳で、先日。1時間もかからない作業をさくっと終えて、無事に欠落していた日付を埋めることができました。うん、すっきり。

インポートチェックをしている際、その当時の記事を幾つかピックアップして読んでみました。2006年中の9ヶ月分とは言え、ほぼ毎日書いている訳ですから250以上のエントリーがある訳ですね。全部はさすがに読めない。

2006年といえば、早生まれの僕が30歳になった歳でもあります。今から7年前というと、つい最近のように感じますが、20代から30代になった頃と、40歳という大台が徐々に近づいてきた今とでは、ネタのピックアップの仕方や文章のテイストなどは明らかに異なります。これを成長というのか退化というのか加齢というのかは分かりませんが、今の自分から見た時の率直な感想としては・・・

「若い!!」

この一言に尽きる。
不思議なことに、ネガな意味ではなく、いい意味で「勢い」があったように感じるのです。先日、前職時代から10年以上一緒にいる役員仲間と一緒に中華を食しながら、店のTVから流れるパ・リーグCS「楽天vsロッテ」の最終戦を視聴していたのですね。則本が8回を抑え、マー君が9回の抑えに登場し、最後のバッターを打ち取ってガッツポーズ、ハイタッチ、そして胴上げ。そのようなシーンを見ながら、「最近、雄叫び上げながらガッツポーズとかしてないよなー」みたいな話になりました。歳を重ねて行くことで見える景色も仕事の内容も、時々で乗り越えなければならない壁や問題も徐々に変化はして行きますが、7年前の自分のように色んなことに一喜一憂しながら、いくつになっても、はしゃいでいたいものです。

久しぶりに記事を読み返してみると、そう言った発見もあり、忘れていたものを取り戻すきっかけにもなり、やはり日記というものは良いものですね。という訳で、本記事で、無事に、そして欠落がない純粋な5449エントリー目となります。WordPressは記事ID=記事数となるので、より積み重ねを実感出来るのも良いところ。

人口減少に対応して、開発した宅地を「自然」に戻していくという試みは生まれてこないのだろうか


戦後の高度成長期と人口増加による住宅需要を補うために山野を切り拓いて開発した宅地を、人口が減って誰も住まなくなったから自然の状態に戻して行く事業(あるいはビジネスモデル)って出来ないのだろうか、と考えています。人口減少時代に対応する「散らかしたものは元に戻しましょう」事業。子供の頭で考えても理にかなっている事だと思うのだけど。

ではまず、人口減少と住宅供給の矛盾から考えてみたいと思います。

世界的に見れば人口は増加して行くのですが、日本の人口は40年後には4000万人少なくなります。今の人口の30%が減るんですよね。国立社会保障・人口問題研究所の人口推計によると、日本は2008年をピークに減少期に入っており、2048年には人口が1億人を割り、2050年には9700万人、2060年には8700万人になるとのこと。つまり2030年(今からたった17年後!)以降は、毎年約100万人ずつ人口が減っていくことになるわけだから、そもそも家も土地もどんどん価値を失っていく訳です。住む人がいないんだから。

普通に考えると40年後には、今建っている家の1/3、いや、今は住宅が大量在庫を抱えている供給過剰だから、ひょっとすると2戸に1戸くらいが空き家になるんですよね。移民政策、人口増加政策などを考えない限り、もう住宅地も、高層マンションもスッカスカになります。特に農村や郊外では顕著に現れるのでは。(総務書統計局のHP参照

今から40年後というと結構近い将来です。今から家を買って35年ローンを組んだとしても、もしかしてまだ払い続けているかもしれません。資産価値がなくなって、周りの空き地や空き家がタダ同然で売られているのを尻目に、小さな土地や家やマンションの高額なローンを払い続けるのなんて切な過ぎます。高度経済成長期に住宅が少なくなって、マイホーム志向が強まった世代に育てられた30代、40代はまだマイホーム志向の影響が強いのかな・・・。今でもすでに家は売れなくなって来ていますが。(ビジネスジャーナル:マンションなんて、買ってはいけない〜新築の9割売れ残り?人気エリアでもマンションが売れないワケ)。

話は変わりますが、週末ですから新築マンションの広告が山のように入ります。どこも販売に苦戦しているみたいで、「増税前の今が買い時、金利の低い今がローンの組み時」と煽っているのですが、そもそもデフレ時期にローン組むなというのは経済学的には当たり前(物の価値は下がって行くし、給料も下がり続けるのに、ローンの支払いはずっと変わらない。一般的に平均的な給与のピークは43歳くらい)の事を煽るのってどうなんだろう。そして極めつけは、「買っても分譲貸しとして貸せますから損はしません」という宣伝文句。ついにここまで来たか、という感じです。見るとマイナーな駅から徒歩15分の不便なところ。将来的に貸せる保障がどこにあるんだろう。うちは大阪、三ノ宮の両方に10分で行ける人気の駅から徒歩3分のところで賃貸マンションを経営していますが、それでも空きがあるんですよね。僕から言わせてみると、そんな立地のマンションで「買っても貸せるから大丈夫」というのは”詐欺”でしかありません。しかも結構高い家賃を設定してシミュレーションしているし。人口減少時代に住宅在庫は山積みの中、誰が借りてくれるの?と思うのです。もちろん、買い手も少なくなるので、売却も年々厳しくなるでしょう。今、資金が潤沢にある人は家を買っても良いと思いますが、無理なローンを30年以上も組むのは余りにリスクが高い。

この減少は何も住宅に限ったことではなく、グランフロント大阪のような新しいオフィスビルでも同じです。結局、今入居している企業のほとんどは、大阪の地場に自社ビルを構えていた会社が、それらを売却して入居しているか、半径数キロ以内のオフィスビルに入居していた企業が近所から移動して来たかしかないんですよね。人口と同じで、新しく会社が生まれる訳でも、外資系企業が大阪に進出してくる訳でもない(むしろリーマン以降、撤退している)。だから結局、入居率は30%台推移しているし、新しいビルがどんどん出来たとしても近所の古いビルがガラ空きになるだけなんですよね。梅田から盛り上がると、本町が過疎化するのと同じです。根本的に需要が増えないと、何の解決にもなりません。

さて、話が逸れてしまいましたが、子供の頭で考えても矛盾があり、近い将来、コンクリートと鉄くずだらけのゴーストタウンになることが分かっているものを新しく建設することはやめて、今あるもの(高速道路や橋梁など)を補修することと、人口が減少している地域の宅地や空き家をどんどん山野に戻す事業、自然復元事業を国レベルで推進してはどうでしょうか。

もう山野を切り拓いての宅地造成はしない。
逆に必要のないものは壊すか放置して、環境保護区に指定して国が管理し、どんどん山野に戻す(住みたい人がいれば、適正価格で売却)。そうすることで土地や住宅の需給のバランスが取れて価格も健全な水準で安定するし、資源も無駄にならないし、環境にも良い。消費者をあの手この手で騙してローンを組ませて利子を払わせて搾取し、今だけの利益を確保して無理やり経済を回そうとするのであれば、マイホーム減税や住宅ローン減税をなくして税金を少し高くしても構わないから、その分、「散らかしたものを自然に戻そう事業」に補助を出すこと、医療や環境、テクノロジー分野に注力して、未来の日本を作る方にシフトチェンジすれば良いと思うのですが。ちょっと過激な考えでしょうか。

20年生きた猫の話を書いてみたいと思う


ワインと美味しい野菜をたくさんいただいたほろ酔いの深夜に、20年生きた猫の話をしようと思う。

先週、祖母が大事に飼っていたヒマラヤンのボク君がなくなった。
長毛種の割には20年、良く長生きしてくれた男の子だった。

今から20年前というと、僕は高校生で祖母は65歳。今となっては65歳だった頃の祖母は想像できないけれど、今、僕がこの歳になって思うことは「みんな若かったな」ということだ。まだ祖父も健在で、仕事も現役だったし、ゴルフも教えてくれたりして元気だった。

その頃、ちょうど親戚の叔母さんのヒマラヤンに子猫がたくさん生まれたからというので、色んな人がやって来ては欲しい子猫からもらって行ったそうなのだけど、一番最後に残った子が、ボクだった。引取先がないから、ということで祖父と祖母のところにやって来た。ふわふわで、手のひらに乗るくらい小さくて、でも、生まれた時から上手になくことができなくて、基本的に無言。やっとないたと思ったら絞り出すような、か細い声で「あ゛〜」といった。ボクがおじいちゃんになるまで、基本的にずっとなくことが出来なくて、静かな猫だった。

祖父はどんな名前を付けようかと思って考えていたらしいのだけど、ボクは男の子だし、気の利いた名前を付けれるようなハイカラなタイプでもなかったので、そのまま「ボク、ボク、」と呼びかけていたら、そのまま「ボク」がその子の名前になった。それから「ボク」という名前はどんどんと変化していった。祖父はその子猫を相当かわいがっていたので、愛情を込めて、「ボクタン」「ボクタンさん」と呼び、最終的には「タンさん」となった。祖父は「ボク」を「タンさん」と呼び、僕は「タンさん」から更に派生させて「タンコ」と呼ぶようになった。

ボクがやって来てから2年後に阪神大震災が起きた。元々旅館の一部だったような、木造3階建ての大きくて古い家屋は一部損壊〜半壊し、隙間だらけ。震災直後からボクの姿は見えなくなった。ぐちゃぐちゃになった家の片付けに行くと、祖父も祖母もボクを探していたけれど、ただでさえ大きな家、部屋もたくさんある。古い家具もいっぱい置いてあり、押入れも多くて、とにかく物が多い。「どこかの部屋で下敷きになっているかもしれない」というので、弟とおっかなびっくり家具を持ち上げたり、物をどけたりしながら家中を探したが見当たらない。ボクは元々なくことも出来ないので、生きていて助けを求めていたとしても分からないし返事もできない。祖母はそれを心配していた。するとある時、家の外にある溝の中で微動だにしないボクを誰かが見つけた。おびえて、ずっと、コンクリートの溝の中でじっとしていたらしい。無事に見つかったから良かったものの、その時にボクは蚤を連れて帰って来た。

それから月日が経ち、家の建て替えと共にボクは祖父母と一緒に引っ越しをし、祖父は震災後にくも膜下出血で仮の住居に居た時に倒れた。祖母はそれから祖父の入院や看護、旧家の倉庫の片付けや新築の家への引っ越しや片付けなどに追われていたため、ボクと一緒にいる時間も少なくなった。でも、家に帰ればボクがいる。きっと、祖母にとってボクは夜一人でいる時の話相手になっていたのだと思う。

祖父はそれから何年か経って亡くなった。脳出血の後遺症で話すことも出来なかったし、何年も病院や介護施設で過ごしていたので、あれだけ可愛がっていたボクと一緒にいた時間は実は短かったのだと思う。祖父がなくなってから、本当の意味で祖母はボクと二人暮らしになった。とはいえ、新築の家は二世帯住宅だったので、二階には両親(数年間は僕も住んでいたが)と、震災後に両親の家にやって来たチンチラのティッちゃんもいたので、寂しくはなかったと思うが。

ボク君とティッちゃんは一度か二度程しか顔を会わせたことがない。ティッちゃんは昨年亡くなったのだけど、十数年、同じ屋根の下にいたのに、面白い話だ。会うとお互いびっくりして喧嘩するかも、ということだったので、それぞれ階を別々にして暮らしていた。ティッちゃんが先になくなり、当たり前だけどボクもどんどん歳をとっていく。今夏の前くらいから一気に弱り始めて、祖母はボクのことをとても心配していた。20歳だし、どこかで祖母も覚悟はしていたのだろうと思う。

一ヶ月程前に、祖母がこう言った。

「ボクが亡くなったらどうしようかと考えている」。

ちょっと前までは、祖母は私が先に亡くなっって、ボクがその後に亡くなったら、芦屋川のペットの霊園に連れて行ってあげてな、と言われていたのだけど、どうやら、祖母はボクが先に亡くなると感じたらしい(ちなみに祖母はとても、とても元気だ)。それから、祖母は考えに考えて、二週間前に結論を出した。ボクはもう自分で歩くことの出来なかったけれど、二週間前に僕が最後にボクに会った時、奇跡的に歩いて台所まで出てきたのだった。「きっと、最後の挨拶や、これが最後になるだろうから、抱いてやってな」と促され、あんなにコロコロで大きくて重たかったのに、やせ細って軽くなったボクを、僕はギュッと抱っこした。その時、祖母は「色々考えたんやけどな、庭に埋めようと思うんや。」とポツリと話してくれた。僕は黙って、うなずいて賛成した。

ボクが祖母の元に来てから、色々あった。震災もあったし、祖父が倒れて介護の日々が続き、その中で数年は僕の家族と一緒に暮らし、娘たちも生まれて賑やかになったり色々あったけれど、祖母の癒やしはボクだったんだと思った。

庭にボクを埋めたら、いつでもおばあちゃん、会いに行けるもんね、と僕は言った。

そして、ボクは、先週のある日、眠るようにして亡くなったらしい。それまでに父が庭に深い穴を掘って準備をしていた。ボクはそこに埋められ、上に石が置かれた。亡くなったのを知ったのは、二日後だった。祖母からメールが来た。あんなにクールに冷静に装っていた祖母なのに、ボクの死を知らせるまでに二日かかったんだと思うと、すごく悲しくなった。一昨日祖母に会いに行った時、祖母は気丈に振るまっていて、ボクの話をしようとはしなかった。淡々と、ボクの残りのカリカリ(餌)はこの人に持って行ってあげて、と、言付かったりもした。でも祖母は最後に、「なんや、物忘れしたような感じがするわ」とポツリと言った。

「なんや、物忘れしたような感じがするわ」

この言葉に、祖母とボクの20年間が凝縮されているような気がする。色々とあった中で、ボクと祖母との関係の深さは、推し量ることができない程、深い絆で結ばれていたのだと思う。そして、ボクはなかない猫だったけれど、祖母の話を毎晩、毎晩黙って、目を見つめて聞いていたのだと思う。

ティッちゃんが亡くなった時も、すごく悲しかったけれど、祖母のボクが亡くなった先週は、特にこたえた。ペットはいずれ亡くなる。そこも含めて、みんな家族なんだ。

あれからずっと、僕は時間さえあれば空を見上げている。今、こうして文章を書いているのも、芦屋川のベンチだ。真夜中のベンチで、色々と思い出しながら書いていると、涙が止まらなくなってしまっている。

ありがとう、ボク。
祖母のところに来てくれて。

相棒がいないのであれば


何か一つのことに没頭してあれこれロジックを捏ねくり回していると、キャパが飽和状態になり煮詰まってしまう。やはり気分転換もしたくなるというのが人情というもの。

こんな時、普段はウイスキーという相棒をカランとしたいところなのだけど、その相棒もいないので、こんな本を手に取ってみる。

スコッチウイスキーで有名なアイラ島。村上春樹がその聖地を巡礼する本。
アイラ島には一度は行ってみたいと思っているが、とりあえずこの本をパラパラとめくっているだけで、ピートの芳醇な香りが漂い、強い海風が無機質な空間に吹き荒んで来るように感じるのだから、本の持つパワーは偉大だ。力のあるテクストは、その情景を目の前に広げ、空気の香りを感じさせ、風の音を聞かせる。

ライフ・ポリティクスにより、求められる自己責任

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ここ数日、ライフ・ポリティクスについて思いを巡らせています。
表面的な部分だけサッと書いてみると、今更だけど自己選択と自己責任の時代だよなあ、としみじみ思う訳であります。

かつての高度経済成長期の日本のように、貧困や後進国というレッテルからの脱却を求めていた「解放」のポリティクスから、ある程度豊かになった現在におけるライフ・ポリティクス(選択とライフスタイルのポリティクス)へ時代が変遷している今、集団的に何かを目標にして国全体で邁進するのではなく、個人個人が「自律的に何を選択するか」という個人による目標設定と完遂が求められている時代ですよね。で、これが結構、自己責任が求められるのですよ。極端な話、ライフ・ポリティクスが進めば、誰も守ってくれなくなる、という訳です。

で、こうなると、人は皆個人として、また、自己責任の中で「自分自身の物語」を紡いで行かなければなりません。つまりはセルフ・アイデンティティの確立です。自分はどうなりたいのか、自分の人生の目標は何か、そのためにどうすれば良いのか。その上でセルフ・アイデンティティを主張するのであれば、自分の人生、自分でケツを拭きなさい、ということになる。これが、後期近代の世の中のあり方ではないのか、と。

まあ、だからと言って自分勝手な生き方をしなさい、という訳ではなく、あくまで人間は社会という枠組みの中で生きて行かなければならない訳ですから、性善説的に自分と社会の益になるようなライフ・ポリティクスが望ましい、と思っています。

そして、企業としても時代に合わせて変化して行かなければならない。雇用者に対し、「同じ釜の飯を食う仲間だよ、一生面倒みるからね」、というのは古き良き時代の安心感があるけれど、今の時代、企業として有用な人材を確保するためには、コミットするところをもっと明確にして(例えば、好きな時間に働いても良いよ。でも、月ベースでこれだけの結果を出さないと解雇だよ、とか。極端だけど・・・w)シンプルに結果を求め、それに対しての報酬を用意するということで両者満足の行く関係を築く、という方が時代に即しているのではないか。今は不景気とは言え極端に人材不足という、一種のアンビバレンツな時代でもありますから、人材確保という面においてもESという面においても、時代に即して変化するのは企業側にも求められているよな、と考えさせられます。僕もあくまで企業人なので、ついつい自分のライフ・ポリティクスよりも企業、組織としてのポリティクスに思いが行ってしまいますね。

いずれの場合も、セルフ・アイデンティティというのは、自分自身を再帰的に見た上で自己の物語を紡いで行かなければならない訳で、自己責任という点を念頭に置きながら、日々成長して行きたいと思います。まあ、僕の場合は再帰したところで反省ばかりなのだけど。汗

ということで訳の分からないことばかり考えていると無限ループに陥ってしまいまそうですので、今日はこの辺で。それではまた明日。
 
 
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失った水分を取り戻す方法


ここ数日、日中はMTGのため出ずっぱりの日々が続いております。
まるで東南アジアのジャングルにいるかのような、はたまたサウナの中にいるような天気の中、歩いていても止まっても座っても汗が噴き出し、社内に戻ると冷房で身体が冷えるという悪循環が続いています。

毎日これだけ汗をかいていると、体内の老廃物が出て良いのではとも思いますが、決して代謝が良くなっている訳ではなく、ただ体内の水分が出ているだけだと思うので、失った水分を取り戻す仕方に注意した方が良さそうです。先週から今週にかけて、僕の水分補給方法はビール+ウイスキーの毎日(もちろん、夜限定)が続いていますので、インプットの方法とすれば決して良いとは言えませんね。


与太話が続く時はボトルネックフェーズである、ということは長年自覚しているものの、それをビシっと「大阪の半沢直樹」(現実はドラマよりも何倍も大変らしい)に言われてしまいました。そうなんです、分かってるって。今、先の見えないボトルネックに差し掛かってしまっていたので、半沢を呼んで軽く二杯だけ付き合ってもらいました。ウイスキー二杯、1時間半の軽い宴で、持論のエビデンスとブレイクスルーポイントが見つかったという夜。友というのはありがたいものです。

ドラスティックな発想転換に役立つ思考パータン


Wired.jpに掲載されていたこの記事を読み、
背筋に電気が走ったので、共有。

「10%よりも10倍のムーンショットを」:グーグル X責任者からの提言

何かを行うのに10%の改善を目指すことより、10倍の成果を目指す方が実は容易な場合がある。10%の改善を行おうとすると目に見える事象を原資にしてしまうことから、ドラスティックかつラジカルな発想転換には繋がらないし、成果も上がりにくい。ムーンショットは「アポロ計画の月面着陸」のこと。アポロ計画を立ち上げた当初、人を月面に送り込むための技術的エビデンスも予算もなかった。人はそれを「夢物語」と呼んで信じようとしなかった。しかし、10年後にアポロ計画は成功した。不可能なことを実現させるためには、無から有を生み出す劇的な発想転換が必要になったというのは容易に想像できます。

最近見たTVで「グリーンフロート構想」が特集されていました。
この壮大な計画も、ムーンショットですね。

10倍を生み出すための思考パターン、常に持ち続けたいと思います。
日々の生活にクレイジーな発想を。


夜も更けて来ましたので、そろそろ帰宅準備を。
明日は金曜日。しっかり締めて行きましょう。