知的であるかどうかを見分ける方法

知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。という記事を、Books&apps で見掛けたので、自戒を込めて引用します。

一つ目は、異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

二つ目は、自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない

三つ目は、人に物を教えるときの態度
知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている

四つ目は、知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する

五つ目は、人を批判するときの態度
知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。

知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。

分かっちゃいるけど、ついつい出てしまうこともたくさんありそう。実際、心当たりあるし。常に自己チェックですね!

ちなみに、このBooks&appsを書いていらっしゃる安達裕哉さんですが、7月27日の第49回グローバル人事塾に「普通の会社が飛び抜ける 新時代コミュニケーション活用!」というタイトルで登壇してくださいます。場所は東京の麻布。詳細はまもなく人事塾公式サイト公式Facebookページで告知されると思いますので、要チェック。

今日の写真は快晴のシリコンバレー、El Camino Realです。
記事とは直接関係ありませんが、梅雨を吹き飛ばしたいので掲載しました。ちなみに、僕は今、日本にいます。

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夜間飛行という言葉の響き

それは、サン=テグジュペリの「夜間飛行」にあるようなスリリングな、危険と隣合わせの郵便飛行のイメージではなく、なんとも言えないノスタルジックな、旅情を通り越した郷愁を感じます。

夜という響きと、暗くて静かな機内とは対照的に、月明かりに照らされた雲海、そして数時間後に到着するであろう異国の地に馳せる思いに繋がるのかもしれません。到着後のハードな動きを前にした、しばしの休息。出来るだけのリラックス。僕は大きなスーツケースを抱えてどこに向かおうとしているのだろう。

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ジェットストリームというFM番組がありました。
当時遠かった異国の地に対する憧れ、飛行機という非日常。それを彩るかのようなクラシックやラウンジミュージック。それは心地の良い音でした。

最近、Twitterを再開して「銀河鉄道の夜bot」をフォローしました。あのなんとも言えない言葉の数々にハッとさせられます。これもすべて暗闇の中を走る汽車の光景や月明かりに照らされた明るい野原の光景を思い出させます。夕暮れを走る汽車は、千と千尋の神隠しでも出てきます。

「その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう、凍った北極の雲で鑄たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。」

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たちいっしょに進んで行こう」

「カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ」ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、そのいままでカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの形は見えず、ただ黒いびろうどばかりひかっていました。

宮沢賢治の小説には死生観が出ています。死や別れは寂しいものです。旅も楽しさと同時に寂しさもあります。始まりがあれば終わりもあります。ただ時間は流れ、その先を見るのは、信じる心でしかありません。その先にあるものを信じることで、点と点が線として繋がる。

「夜間飛行」という言葉のなんとも言えない複雑な響きは、見えない未来を見る強さと、過ぎ去った過去に対する小さな郷愁から来ているのかもしれません。

週末のメンタルケア

雨のためインドアの一日。

晴れていればランニングも出来るんだけど、雨なので仕方ありません。それに、曇天と降雨時は著しくパフォーマンスが低下(頭痛と自律神経系)してしまうので、ここはもうスパっと諦めてしまう。流されることと、自分にとって心地よいことを行うようにしています。

音楽を聴きながら寝そべって旅行記を読んだり、アイロン掛けをしたり、靴のメンテをしたり。疲れたら窓の外の雨音を聴きながら目を閉じて寝る。無理をしない。先日東京で開催された日経ヒューマンキャピタルでも、メンタルヘルスやヘルスケアのブースが活況でした。仕事で最大限のパフォーマンスを発揮するためには、やはり、心身の健康が不可欠という訳です。週明けからスタートダッシュを決めるためにも週末を効果的に使いたいものです。

僕にとって、整理整頓もメンタルケアの上で大切な要素です。
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ブログと共に迎える12回目の夏

毎年6月は拙ブログの誕生月。

2005年6月からスタートしたこのブログも、12年目に入りました。なんとなく始めた割には随分長いこと続いているものです。そして、日々稚拙な文章であるにも関わらずに読んでくださっている皆様、上手に伝えることができませんが、いつもありがとうございます。僕の励みです。

僕にとってブログを書くことは、一日一日を塗りつぶすこと。
願わくば、出来るだけ丁寧に。

時間は過ぎゆくものです。何かをしようがしまいが、起きてようが寝ていようが、時計の針は正確かつ無情に時を刻み、人はその刻まれた時間の分だけ、年を取り、死に近づいて行きます。

時間に流されたり、目先の事に追われて、ただ漫然と日々を過ごすということだけは避けたくて、一日一日を振り返り、感じたこと、考えたこと、あった出来事を記録として残し、そして書くことによって考えを整理しています。聞いたことや学んだことをテキストとしてアウトプットすることで、インプットした情報がメモリーされるので、ブログに書いたことは良く覚えています。

そして、その繰り返しにより、少しでも成長して行きたいと願っています。昨日より今日、今日より明日。特別な才能もスキルも持ち合わせていないので、派手なことは出来ませんし、目立つこともできません。一足飛びに跳ねることもありません。ただ出来ることは、良いと思うものを継続するということと、遅いと言われても、鈍いと言われても、少しづつでも正しい方向に積み上げることです。少しづつ、少しづつ。そして、コンパスが指す方向へ一歩一歩、歩みを進めることです。

「世界の変化のスピードがこれだけ速くなると、〈地図〉はもはや役に立たない。必要なのは〈コンパス〉だ」

いろんな出会いと機会に恵まれ、仕事の幅も年々広げていただいています。少しでも、自分に関わる人たちのお役に立てればと思っています。家族、共に夢に向かう会社の仲間たち、友人たち。そして、様々な活動や仕事で触れ合う方々、そして、このブログを訪れていただく皆さん。何か少しでもこのブログに来ることが良かったなと思えるようなことがあればと願います。これからもよろしくお願いいたします。

Keep looking,don’t settle.
Stay hungry,stay foolish.

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音と空間

次女のピアノ発表会。

長女は多忙のため今回はスキップ。子どもたちの演奏からプロの先生方の演奏まで、ゆったりとしたホールの客席に深く腰掛けて目を閉じ、奏でられるヴェートーベンやショパンに耳と身体を委ねます。時間の速度が普段の日常生活からは考えられないくらいゆっくりと流れ、五感で感じる空間のディティール一つ一つをしっかりと味わいながらの土曜日はとても素敵な一日でした。

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昨日までの日経ヒューマンキャピタルでも、メンタルヘルスやヘルスケアのブースが活況でした。会社は人なり、と言いますが、働き手がパフォーマンスを最大限に発揮し、チームとして売上と利益を右肩上がりで増加させるためには、身体と心の健康が不可欠です。

ちょっと無理しているなと感じた時には、自分が一番リラックスできる環境に身を置きリフレッシュすることが、仕事でのパフォーマンスを最大化するためにも必要だと感じます。

明日も晴れるといいな。

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Startups が経済的に成功するための極私的分析と手法

うちはスタートアップスではありませんが、最近、よくスタートアップス支援やプログラムを目にするので・・・ちょっとだけ書いてみました。ここで言う「経済的な成功」というのは、バイアウトかIPO、または社員数100名以上、年商30億以上の会社に成長することと定義付けたいと思います。そのための要因は幾つかありますが、僕のすごく個人的な、極私的分析によると、下記のいずれかを満たさなければなりません。

唯一無二のアイデア
唯一無二の技術力
圧倒的な資金力
圧倒的な人脈
圧倒的に優秀な人財確保
圧倒的に大きな市場

曲りなりにも色んな方と会い、色んな会社を見て、色んな情報に接していると、一種の法則が見えてきます。スタートアップスは隙間をついたビジネスを創出し、意思決定力とスピードで成長することがイニシアティブですが、大企業が、R&Dや新規事業創出室、オープンイノベーション推進室なんて、切り離しの効く部署を独立させ、小・零細企業の年商規模の予算をつけて、頭の良い人間をアサインして、はい、どうぞ、5億円程度の予算なんだから、最悪失敗しても良いよ、と言い始めたら、どこに勝てる要素があるでしょうか。

だからこそ、甘くはないのです。

上記6つのどれかを満たして始めて、成功します。でなければ、2年以内にケリをつけましょう。それ以上は、時間の浪費になるかもしれません。毎日骨太です。

(記事の内容は極私的分析によるもので、会社を代表しての見解ではございません)
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24時間の使い方による差は、どれほど意味を持つのだろう

人間には皆平等に24時間が与えられているといいますが、実際そうなのかなあと思うことがあります。例えば、息抜きに村上春樹さんの「遠い太鼓」などを読んでいると、そこで書かれていることが事実として、ギリシアの島々に住む人は、こんなに働かなくても生きていけるのか、イタリアという国はこんなにテキトーにやっていても、国として成り立っているのかと不思議に思います。

一方、昼夜休日関係なくひたすら仕事をしている人もいて、人として、この差はなんだろう? この24時間という時間の使い方に一体どんな差があるのだろうと考えさせられます。

IT社会になると仕事なんてなくなるのでは、移動や出張や出勤すらなくなって、みなリモートワークになるのではと思っていたのに、事実はむしろその逆で、人はもっと忙しくなり、神経質になり、全てがセンシティブで、一体何に振り回されているのだろうと思うくらいではないでしょうか。そして、社会はその結果、本当に豊かになっているのでしょうか。天文学的な数字の資産を持っている大富豪と、調子が良い国の爆買いばかりが注目されていますが、市井の民はどうなのでしょうか。幸せのレベルは人によって違いますが、「差」という点に目を向けてみると、「自分が食べたいものを自由に飲食している」人と、「健康オタクで摂生している」人の寿命には2,3年の差くらいしかありません。この努力の差って、一体なんなんでしょう。

シンプルなことを複雑にしているのは他でもない人間自身で、24時間の使い道をコントロールするのも自分です。

たまにこういう事を深く掘り下げて考えてみると、楽しいですよ。人それぞれに、しなければならないことが見えてくると思います。

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反省

また電車飲みやっちゃった。

ではなく。
もう少し出来る、まだまだ出来る、という意味で。一週間が分速で過ぎて行きますが、持ちあわせたキャパが耳かき一杯分程度しかない事に加え、若い頃と比べて低下していく体力を、経験と要領で補えるはずがそうもいかず、積み残しも多く、全てギリギリ。あかんあかん、そうじゃ、そうじゃない。

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最近、登壇の機会が増えてきました。来週は英語一本、日本語ニ本。4月終わりの中国・深センのカンファレンスはさすがにお断りしましたが、ゴールデンウィークの後半連休からはアメリカ出張が決まり、ご招待いただいた「Tie-con」でプレゼンする機会をいただくことができました。ちなみにシリコンバレーの著名アントレプレナーが集まるTieConで登壇できる機会はとても貴重で、本当に感謝です。もちろん、これから準備が大変なんですけれど、一世一代の大舞台(そしてそれまでの山積している仕事達も含め)に向けて、寝ない覚悟で日々を乗り越えて行きたいと思います。

とりあえず、明日のグランフロントと、明後日のハーフマラソンを乗り越えなければ!