最近の出来事を色々と

前回の更新から10日以上経過してしまいました。
ここ最近とても忙しかったのと、様々なイベントが続いていたこともあり、9月に入ったと思ったらあっという間に中旬に差し掛かっていました。びっくりです。

さて、8/26のブログで、プラットフォーム上のアルゴリズムの裏側には何があるのか、ということを書きましたが、世の中には疑うべきことと、疑うことなき明白な事実というものがあります。前者は虚像であり、後者は実績ということもできるかもしれません。

何かを成し遂げる時、その実績(=結果)の裏には数えきれないほどの努力や日々の改善の積み重ねがあるものです。近況報告がてら、最近の出来事から、「実績」について書いてみたいと思います。

先週の金曜日に、リッツ・カールトン大阪で一般社団法人コアティス代替医療協会の10周年記念チャリティパーティーが開催されました。代表理事の滝川愛梨さんは、食事と独自のメソッドによる「コアティス」で「100歳まで健康に、楽しく、美しく、共に生きよう」をテーマに活動されています。僕は彼女と15年近くの付き合いで、社団法人を立ち上げる前、個人でモデル・パーソナルトレーナーとして活動されていた時から知っているものですから、様々な努力を重ねながら、組織を大きくされてきたことに心から賛辞を送りたいですし、これだけの人を集める愛梨さんの人柄と、温かく、楽しい雰囲気の周年パーティーを開催されたことが自分ごとのように嬉しかったです。

一つひとつの積み重ねが大きな結晶となり、さらにその先の10年を照らしていく。
そんな瞬間を目の当たりにしたような気持ちでした。

人の数だけ、ドラマがある。そのドラマの裏には、生きることに対する想い、抗うことのできない世界の流れの中で、自分と向き合いながら、様々な選択をしつつ、より幸せに、より良い人生を送りたいという想いがあるものです。

そんなドラマに触れることができるイベントを、10/17(火)の19:00 から神戸の王子公園Soweluで開催します。

グローバリズムと資本主義経済の限界、人口減少による時代の閉塞感が充満している世の中ですが、身近なところにたくさんの幸せがあり、多くを持たなくても、地域で共生しながら幸せに生きていくことができるのではないか。脱グローバリゼーション、コミュニタリズム。地域に密着した活動を、須磨、長田、王子公園、それぞれの地域をベースに活動されているクリエイター、保育士兼起業家、コンサルティング会社の経営者の視点から語っていただきます。

神戸に移住されてきた方々がこの街でどのような活動をされているのか。最近よく耳にするDAO、自律分散型社会、ウェルビーイングといったキーワードに少しでも関心がある方は、ぜひお越しいただければと思います。

イベントページ
グローバル人事塾公式
Facebookイベントページ

そして、LoveTableのご紹介。

梅田のハービスエントに野菜が美味しいお店があるよ、と連れていっていただいたLoveTableですが、このお店、いろんな意味でコンセプチュアルで驚きました。「平和 × LOVE TABLE × 農 × 食 =いのちを生かす」をテーマに、和歌山の山奥にある農園で育てた自家栽培の野菜を梅田で提供しておられます。食に対するこだわりはぜひ、WEBサイトからご覧ください。

オーダーした、焼き野菜とオムレツ。美味しそうでしょ。

というわけで、長々と書いてしまいましたが、最後にもう一つだけ嬉しかったことを。

某学校法人の創立100周年記念ゴルフ大会が、千刈カンツリークラブで開催され、なんと準優勝してしまいました。歴史を感じる重厚で大きなコンペで賞をいただけたことが嬉しかったです。

これも積み重ねた結果の一つでしょうか。笑

今年も後半に差し掛かっています。
日々の積み重ねが、大きな実を結ぶと信じて、一日一日を過ごしていきたいと思います。

相手の関心を惹きつける間違った方法

今週は一週間東京にいたのですが、夜風に少しづつ秋の気配を感じるようになってきました。日中はまだまだ暑いですが、季節は一歩づつ進んでいるようです。

さて、様々な情報に接する中で、報道されるニュースの裏側には何があるのか、自分が日常的に使っているプラットフォームの裏側には何があるのか、ということをふと考えることがあります。知らずしらずのうちに影響を受けているのではないか、価値観や考え方が、何らかの外的要因によって無意識のうちに意図しない方向に形成されているのではないか。

自分が普段、考えや感情をニュートラルに保つために、インターネットから離れて自然の中に身を置き、図書館に入り浸っているのは、何らかの影響を受けないように自分を守るためなのかもしれません。

よく、人の関心を惹きつける手っ取り早い方法として、相手を怒らせることがあげられます。相手が怒ることをすれば、あるいは、怒るような情報を提供すれば、相手の関心を引き付けることができるというわけです。それを裏付ける証拠として、2021年に全世界を揺るがせたFacebook FileによるFBのアルゴリズムの告発があります。この内容はまさに、大衆の感情を企業が利用しているということが明らかになった一例でした。

FBの元社員、フランシス・ホーゲンによる告発によると、2018年にアルゴリズムの変更がなされた際、人々の怒りを誘発するコンテンツを優先的にニュースフィードに表示させるように設計したということでした。なぜそういうアルゴリズムを組んだかというと、人々の怒りの感情を引き出せば、関心の矛先はそちらに向くし、結果としてFacebook上での滞在時間は伸びる(=FBの利益になる)からです。(ちなみに今はそのようなアルゴリズムは組まれていないと思いますが)

ユーザーの怒りを誘発することは、メディアの世界では「アウトレージ・インダストリー」とも呼ばれるし、日本では炎上商法と呼ばれることもあります。人々を怒らせることが利益になるという一例ですね。Facebookだけでなく、X (旧 Twitter)の在り方に対して、イーロン・マスクがXはユーザー間で荒れること(ヘイトスピーチ)を肯定・容認していることとも関係があるかもしれません。

さよならTwitter【前編】突然の利用制限、ブランド変更にマスク氏の「迷惑体質」
(The Asahi Shimbun Globe+)

そもそもビッグテックは、ユーザーの一人ひとりのことなんて考えてないので、ユーザーが離れても構わないし、人間をモノとしか思っていないので、企業の利益のために群集心理を巧みに利用するのですよね。

じゃあ、自分たちがそれらの影響を受けないようにするにはどうすれば良いか。
SNSは社会のインフラとなっているので、全く触れないようにするのは難しいですが、やはり与えられる情報を鵜呑みにするのではなく、様々な観点から比較分析し、自分の中でのフィルターを通して解釈することが大切なのではないかと思います。

それは人間関係でも同じで「怒れる人」から離れることも重要かもしれません。対話を避けるのではなく、自分のリソースを相手のために無駄に浪費しないようにバランス良く付き合うということが大切です。

とはいえ、都合の良い情報ばかり、好きな情報ばかりに触れることは多事争論を生まないし、それはそれで価値観や考え方にバイアスが掛かってしまうので、異なる意見にも耳を傾けつつ、自分の情報収集能力、フィルターの精度、価値観の形成について、自分で責任を持つということが大切なのでしょうね。

親の悩みは尽きることなし

最近、子育てで悩んでいる三人の親御さんの話を直接お伺いしました。

僕にも大学生と高校生の娘が二人いるから、相手がポツリポツリと話される内容に、うんうん、分かる分かる、と首を縦に振りながら聞いていました。本当にうちの子はこのままで大丈夫だろうか、というのが心配の内容です。親なら分かりますよね。人の子はみんなかわいいし、楽観的に見れるんです。でも我が子となれば、ほとんどの人はキレイゴトではなくなります。

有名私大に進学したけれども、友達ができず大学にも馴染めずに引きこもりになって二年間留年している一人息子。中学受験をして進学校に入学したけれど、ゲーム中毒になってしまって学校に行かなくなった息子。興味の関心が偏っていて、勉強をまったくしない子。

それぞれ、親御さんの悩みは様々ですが、やはり教育に絡むところが多い。そのうちの一人は子育てに悩み、鬱になったと言っておられました。親としては心配で仕方ないでしょう。こうなってほしい、こう育ってほしい。誰しもそういう願いはありますが、(自分もそうだったように)子は必ずしも親の思うように育ちません。笑
勉強するなといっても勉強する子もいるし、自然の中でのびのび育てたいと思っても、都会に出たがる子もいるし、家業を継げといっても継がない子もいるし、継ぐなといっても継ぐ子もいるし。笑

だから、子供に任せようと思うんですよね。
好きに生きて行きなさい。
なにかで食って行ければそれで良い、そのなにかを見つけてくれれば。

それは大人も同じだし、逆に、親は子に成長させてもらっていると思います。僕も娘たちに育ててもらってきました。

本当の幸せとは何なのか、それは人それぞれだと思いますし、世の中や周りの人が「これが幸せ」と決めて、人にその在り方を押し付けるのもおかしいですしね。そういう意味では、選択肢の少なかった昔と比べて、今は良い方向に向いているような気がします。多様化する生き方に合わせて、人それぞれの生き方、在り方を認めるようになってきた。みんな好きなことを見つけて、それを磨き、それを糧に生きて行けばいいんじゃないかと。

宮沢賢治の「どんぐりと山猫」を読んでいると、人間なんて、まさにどんぐりの背比べ。
人として生きているだけで立派なもの。貴賤の差なし、優劣なんてものはない。たしかに世の中には「すごい人」もたくさんいるけれど、数千年、数万年の歴史の中ではみんな同じ。鴨長明「方丈記」は今から800年以上前に書かれた随筆ですが、読んでいると今も昔も人の心は同じだということが分かります。

だから大丈夫。
なんとかなる。
(とはいえ、キレイゴトで済まされないのも分かる 笑)

最近、こんなことばかり言ってる気がします。
いつの間にか8月に入っていました。

生存本能と転職の話

おはようございます。夏らしい空が広がり、ピカピカの晴天なのは良いのですが、朝6時でも既に陽射しがジリジリ。今週も暑くなりそうですね。

さて、先日の記事で「結局なんとかなる」という内容を書きました。
頭では分かっていても、先のことを考えると不安なのでなかなか一歩が踏み出せないのが人情というものですよね。でも人には生存本能が備わっているので、今いる場所の居心地が「本当に悪ければ」自然とそこから離れて、安住の地を探すものです。

転職の相談を受けることがよくあります。

転職すべきかすべきでないか。転職の理由として多いのは、自分自身のキャリアアップ、待遇、人間関係など様々です。でも、結局動かない人が多いのは、様々な理由に加えて「今の場所で生きている自分が想像できる」からだと思っています。特に経営理念に共感したり、自社の製品やサービスの大ファンだったりしなくても、今日、明日、一ヶ月後、一年後にそこで働く自分が想像でき、身体を悪くするほどのストレスがないのであれば、動く必要も変える必要もありません。あと「自分が抜けると回らない」という人もいますけれど、会社というのは誰が抜けても回ります。一人社長の個人会社でもない限り、極端な話、社長が突然いなくなっても、回るものなんです。会社や組織というのはそういうものです。

20代からの相談で多いのは、転職したいけれど今の場所で結果を出してから、というのもあります。営業職であれば数字という目に見える指標があるから分かりやすいのですが、それ以外の職種での結果を何で測るかは様々です。こういう相談を受ける時に必ず「もし結果が出なければ、一生そこにいるの?」と聞くと、皆さんうーんと唸るんですよね。つまり、そこにいるための理由を自分で作って納得させているということなんでしょう。あと、会社を変えるんだ、と鼻息荒く力説してくれる人もいますが、経営者が変わらないと会社は絶対に変わりません。ですので「変わる、変える」という文脈で話しても良いのは、そもそも経営者が交代できる仕組みが整っていることが大前提になります。

自分のスキルや市場価値というのは誰しも、なんとなく潜在的に分かっているので、損得やリスクを勘案して、動く人は動くし、そうでない人は動かない。そういう意味でも、なんとかなるもの。つまり、人って自然とあるべきところにあるし、住むべきところに住む。なんか達観したような話をしてしまっていますが、人の生存本能を甘く見てはいけないなと思っています(笑)

というわけで、今週もがんばりましょう!

今日の一枚は週末のゴルフ場の写真です。夏のゴルフ場の美しいこと!

良いものは自然と認められる

この週末、産学官民連携団体KNS(関西ネットワークシステム)の20周年記念大会が大阪の南港ATCで開催されました。20年!すごい。行政と民間、大学の縦割りの壁を取っ払って、フラットに横の繋がりをもち、様々な課題について議論を深め実践してきた世話人の皆さんには敬意しかありません。

さて、様々なセッションが繰り広げられる中、話題はやはり2025年大阪万博が中心。もう2年後に迫っているというのに、普通の人にとって万博はなんだか遠い存在だし、関西あげて盛り上がろう!という機運も甚だなし。そのような課題感から「どのようにして機運を醸成できるか」というキーワードを聞きました。

「機運醸成」
「チームみんなで」
「盛り上げて行きたい」

という言葉、良く聞きます。組織開発の現場でもしょっちゅう出て来ます。でもね、僕、この言葉に殊更ドライな見方を持っています。理由は簡単。人は誰かによって動かさるものじゃないし、人を自分の思うとおりに動かそうとしている人がいるのであれば、それはエゴでしかない。つまり、利害関係がない限り、人は自分が心から納得しなければ動きません。人が動く時、それは内発的動機に基づくもので、あくまで自己決定がベースになっているからです。ですから、人が良いと思うものなら、機運というものは自然に醸成されるし、参加したいと思うものなら、勝手に参加者が増えて盛り上がるものなのです。だからこそ「良いもの」を作ることが大切です。

少し話は変わりますが、最近、承認欲求を満たしたい、満たされたい、という子供のような大人を良く目にします。これに関しても先の話と同じで、自分を見てくれ、褒めてくれ、というのはエゴでしかない。自分が承認してほしいと思うとおりに、承認してもらえるわけではないんですよね。(子育てについては、褒めて認めて伸ばしてあげることが重要ですが)

だって、そもそも地球上では、人間の存在自体が承認されていないじゃないですか。地球にとって人間はいてもいなくてもどうでも良い存在。むしろ、どんどん数は増えるし、木は切るし、燃やすし、海は汚すし、同じ種族同士で殺し合いはするし。迷惑な存在といっても良いかもしれません。だから、生かしていただいているという謙虚な気持ちと感謝、借りた物はお返しする、という気持ちが必要なんですよね。

またまた話は変わりますが、僕はゴルフのある環境で育ち、その影響で長年ゴルフを趣味としているのですが、このスポーツも承認欲求が満たされない代表格だと思っています。いくら練習しても、風、地形、天候によって思うように行かないし、クラブやボールも言う事を聞いてくれない。思うようにスコアが出ない。だからと言って、道具や人のせいにも出来ない。あくまで自分の問題。日々精進し、自分の腕を磨き、そして、自然に挑む。それを繰り返す。だから「ハマる」んですよね。

そもそも人を動かすことはできない、自分の思うとおりに認めてもらえるわけでもない。そう考えると、気持ちが楽になります。人や環境に何かを求めるのではなく、自分を磨くことに集中できますもんね。周りのことも気にならない。

たまにはこういう視点を持つことも大切ではないかな、と思います。

抗わずに受け入れると楽になる

6月に入りました。梅の収穫シーズンです。
 
我が家の庭には、三本の梅の木があります。その内の一本は斜面に立っているので収穫することは困難なのですが、それ以外の二本からは毎年、たくさんの梅を収穫します。

今年は嬉しいことに、きれいで大ぶりの梅が多かったです。出荷できるんちゃうか、というくらいたくさんの梅を収穫することができました。

農薬も肥料もなにもあげず、勝手に生えてるだけなのに、季節になると実をつける。僕たち人間はそれを見て、今年は大きいな、小さいな、豊作だな、不作だな、と言っているだけで、与えられるものをそのままいただいているだけなんですよね。

自然のまま、という言葉の大切さを最近特に感じています。
 
ありのまま、とか、抗わない(あらがわない)とか、自然体、とか、様々な表現ができるかもしれません。自然の恵みをそのままいただくのと同じで、身体や、環境の変化なども、そのまま受け入れると楽ですよね。

僕の場合、病気の影響で、体温が上昇すると発熱する(免疫暴走してしまう)ということが分かってきました。例えば、お酒を飲んだり、ランニングなどの激しい運動をすると、もれなく高熱を発熱します。また、疲労や、緊張も良くないようです。一度発熱すると一週間は続くので、割と細かな用心が必要です。

走って飲むということが趣味だったので、この二つが同時に出来なくなっていることは残念なことではありますが、「抗わない」こと、受け入れること、そして、別の楽しみを見つけることで変化に適応していくことが心身ともに健康に過ごすことの秘訣だと思います。そういえば、先週は東京に四日間出張していたのですが、すべての会食をノンアルで過ごしました。いや、これ、全然楽しかった!飲めなくても全然楽しい。むしろ健康的だし、新たな発見です。

そういえば、今朝たまたま目に止まった蛭子能収さんの記事、まさに自然体やなあ、と思いました。

「“蛭子さんの人生相談”最終回「言いにくいことを言い出すには?」

自分のしたいことに嘘がない。ダメ人間で何が悪い。
この開き直りとも言える自然体が、キラキラSNS時代の中にあって、より一層際立ちます。こうでなければならない、こうすることが成功の秘訣、そんな外部の情報に一切影響されず、無理せず、かっこつけず、(人には迷惑を掛けないように)自分に正直に我が道を歩んで行きたいものです。

新緑が眩しい季節になりました

桜の花が散り、新緑が美しい季節になってきました。

冬の寒さを超えて、花を咲かせ葉を茂らす木々のパワーを見ていると「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉を思い出します。目に見えて何かを行うことも成果を出すこともできない。でも、見えないところでしっかりと根を張る。心を鍛え、精神を強くすることが「根を張る」ことに繋がるのかもしれません。こういうプロセスを経て、また新しい自分、アップグレードした自分に出会えるのでしょう。

そういえば、同じことを三年前にも書いていました。
「一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうな」2020年3月2日

少し歩けるようになったので、近所の植物園までゆっくりウォーキングに行きました。歩いたのは3週間以上ぶりでしょうか。病気の影響で自分でもびっくりするくらい動悸と息切れがひどく、一ヶ月前までガンガン走っていたのが信じられないくらいの状態ですが、これはもう仕方ない。こうして外を歩けるだけも大きな大きな進歩です。

ここ一週間を振り返ってみると、数ある検査の中で一番プレッシャーになっていた気管支鏡の検査も終わり、ほっとしています。鎮静剤がちゃんと効いてくれたので(個人差があるので、全然効かない人もいるんですと脅されていました・・・笑)、寝ている間に検査が終わった感じで、これは本当に良かった。苦しまなくてすんだ。

あと、35年ぶりに入院というものをしました。一泊二日の検査入院だったので噛みしめる暇もなかったですが、でも、病院というのはあまり気持ちの良いところではないですね・・・とはいえ、本当に良くしていただきました。大学病院だったのでスタッフの方も若い方が多く、みなさん親切で。医療従事者の方に感謝です。

これで予定されていた検査はすべて終了し、GW明けに今後の治療方針が出る予定です。少なくとも、今の状態が維持できれば、運動はともかく仕事をする分には問題なさそうです。
仮に以下のようにコンディションを段階分けするとすれば、

1,日常生活は問題なくできる
2,体調によっては外に出れる
3,身体は動かないけど、頭は働く
4,寝たきり

今は、3と2の間、2.5くらいのところ。うん、上出来、上出来。
小さなことからコツコツと。

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前回のブログを見ていただいた皆様から、本当に多くの気遣いや激励のメッセージをいただきました。一つひとつのお言葉から本当に元気をいただいています。心を寄せていただいていることがどれだけ大きな力になるか。心から感謝しています。

大丈夫。全部そのまま受け入れよう

 この春は元気だな、ひょっとしたらこのまま行けるかもしれないな

そう淡い期待を抱いていた矢先に高熱がドカンと出て早2週間が経過。4月の発熱というのは2020年に始まり今年で4年目。春の風物詩のようなものだけど、今回は熱が高過ぎたことと倦怠感があまりに辛いので、精密検査を受けたら(コロナ、インフルはもちろん陰性)、別のものが見つかりそこから紹介状を持って色々な専門病院で検査続き。すべての結果が出るのはGW明け。

仕事も出張もトレランもゴルフも会食も、発熱と入院で全部キャンセル(関係各所ごめんなさい)。また今年もか・・・

落ち込もうと思えばいくらでも落ち込める。

予定のキャンセルや延期の連絡をさせていただくのは本当に申し訳ない気持ちになるし、5月のウルトラトレイルに向けては体調が悪いなりに昨年末から順調にトレーニングを重ねてきたのに、体重はこの2週間で5kg減り、体力も筋力も落ち、今は1kmも走れない。一ヵ月後のウルトラトレイルなんて想像すらできない。

でも、これが僕の人生だ!!

大丈夫。全部そのまま受け入れよう。僕の場合はありがたいことに持病の色々で心を鍛えていただいてる。健康じゃない人の気持ちも分かるし、動きたくても動けない人の気持ちも痛いほど分かる。人生、思い通りに行かないことの方が多いのも知っている。命は儚いし、いつどうなるかも分からない。だから、もし身体では負けても、心と想いだけは負けないように。そして、今出来ることを一生懸命するように。

幸い、今年は桜満開の時期が元気のピークだったので、近所の名所を何度も花見ランすることができたし、今回、色々と見つかったお陰で、徹底的に調べて治療してもらおうと思っています。そして、かならず復帰するし、一ヵ月後も、絶対走ってやる。

ベッドに横たわり天井を見上げながら、そう思って腐らず、たまに庭に出て、日ごとに開く花の数が増えていくモッコウバラにパワーをもらってます。何かを主張するわけでも求めるわけでもなく、必ず春には花を咲かせてくれる植物の強さってすごいですよね。あと、ずっと寝ているのもしんどいので、少しづつ仕事をしながら明治維新の本ばかり読んでいるのですが、今が令和だということを忘れそうです。(PCを打つのもしんどいので、このブログもかなりの時間を掛けて書いています)

お取引先や仲間たちにはご迷惑、ご心配をおかけしておりますが(激励のメッセージ、ととても励みになっています!)、必ず復帰しますので、もうしばらくお待ちください!!

思い(想い)の役割とは

どちらかというとロジカルに物事を考えてしまうタイプなので、精神論とか「思いの強さ」という考えは苦手だったんですね。でもWBCなどを見ていて思ったのは、思いの強さが最後は勝つということなんだなと。

というのも、ここ一番の勝負どころって誰にでも色々とあるじゃないですか。大切なプレゼンであったり、商談であったり、テストであったり、レースであったり。それに向けて事前にしっかりと準備して本番に備えるわけです。でも、当日になって体調不良やなにかしらの不可抗力が起こり、思い描いたような「完璧な状態」で臨めることの方が少ない。そこで、がっかりして意気消沈するか、諦めずに挑んでいくかが勝負の分かれ目になると思うんですよね。思いの強さは、ここで出てくるんだなと感じています。すごく漠然とした言い方ですが、思いが強いか弱いかでその先の未来が決まるんだなと思うんです。

4月という時期は、個人的に体調を大きく崩す時期でして、今年も先週末からガクンと来てしまいました(ブログの更新ができなかったのはそのためです)。今までと違うのは、単なる高熱だけではなく、精密検査の結果、来週から別の病院で検査入院までしなければならない事態になってしまったこと。病院の先生方が本当に親身になってくれて、早めに動いていただいて良かったなあと思っています。関係各所には予定のキャンセルや調整で多大のご迷惑をおかけしています。

なんだか予想もしないようなことが次々と襲ってくると、気持ちが前向きになれないんですよね。もともと計画どおり動きたい性格だし、キャンセルとか延期とかすごく嫌なので、なんでこうなるんだろと意気消沈して腐ってしまいそうな自分の気持ちと格闘しています。ここで冒頭の話に戻りますが、今こそ思い(想い)の強さが大切だなと。ピンチはチャンスといいますが、良い機会だと思って、自分でしっかり気持ちを前に持って行きたいと思っています。身体は仕方ないとして、心を鍛えることはどんな状況でもできますもんね。

目指すは珍味

我が家は父方も母方も祖母が健在でして。
ふたりとも95歳前後なのに、特に病気をすることも、認知症もなく、本当に健康に暮らしています。おばあちゃんたちを見ていて長寿と健康の秘訣について思うことは、「土に触れること、良く食べること、良く寝ること」この3つだと思っています。あとは、友達がどれだけたくさんいるか。技術やITやエコノミクスとかはどうでも良くて、ただ毎日を生きる。たっぷり寝て、ご飯つくって、働いて、食べて、寝る。なにかのタイミングで生活がドラスティックに変わったり、科学技術の革新によって考え方が変わったわけでもない。戦前から戦中、戦後の混乱期、高度経済成長期、バブル、失われた30年・・・それぞれの時代の中で、なるように生きてきた。

僕はそれだけですごいことだよな、と感心すると共に、人間の本質って基本的に変わらないとも思うのです。

最近、福沢諭吉先生の自伝を読み返しているのですが、150年前でもその当時と昔を比べておられますし、文豪・谷崎の戦前の随筆の中でも、いまどきの若い子は言葉使いが変わってきた、とか、服装が変わってきた、とか書かれているんですよね。つまり、いつの時代も同じということなんでしょう。

今週も様々なニュースが飛び込んできました。SVBやCSなどの銀行破綻による金融不安、米国IT企業の大規模リストラ。その間にもGPT-4やBardなどのレビューも相変わらず絡みあって、これからの時代はどうのこうのという論調が目立つんですけど、はっきり言って「そんなもん」でしょう。良い悪いをただただ繰り返すのが人間の歴史です。

ここ30年という短い間だけでも、ドットコムバブルの崩壊、リーマンショック、コロナショックがあり、なにかある事に大規模リストラが行われ、景気が良くなると大規模雇用が行われてきました。今はインフレ抑制のための金利上昇による株安とリセッションを見越してのリストラなわけで、一通り落ち着いたら、また雇用が促進される。一喜一憂したり、起きている事象を分析して論評したりするのではなく、自分の生活を自分なりに、コツコツと積み上げていくことが大切なのだろうと思います。

そうそう。
先日、産学官民連携団体KNSの定例会が関大梅田キャンパスで行われたのですが、僕も含めて多くの方が社会課題解決のために「ローカル」と「共助」と「人間らしさ」をテーマに活動されていることが分かりました。やっぱりそうだよね。大切なのは半径数メートルの人間関係と思いやり、そして、自分らしく意思決定しながら人生を歩むこと。儲からないことを一生懸命やるところが日本人らしくて良いなと思っています。

日本全体としていえることだと思いますが、世界のスタンダートを目指すのではなく、やはり「珍味」になることが大切だと思うんです。目線を上に上げすぎても下に下げすぎてもだめで、バランスの良さを保ちながら、ハンバーガーやピザではなく、珍味を目指す(笑)グローバルニッチというのか、土地に根ざす文化というのか。島国という土地に根ざす文化から出てくる製品やサービスが海外で受け入れられるわけないじゃんという割り切りも大事なのではないでしょうか。

いずれにしても、何が起きても動じず、そうそう、こんなもんだよね。人間の歴史って山あり 谷ありだよね、と思えるようになれたら楽ですね。うちのおばあちゃん達のように、健康長寿の秘訣はそれだと思います。

先日の中華ランチ美味しかった