日本人は誰を、何を守ろうとしているのだろう

ちょっと前にお正月を迎えたと思ったら、もう二週間が経とうとしています。
皆さまはどのように年末年始の休暇を過ごされましたか?

僕は普段と同じペースで生活をしながら、地元の廣田神社、越木岩神社、芦屋神社を周り、6日には日帰りで伊勢神宮にお参りしてきました。

伊勢神宮。
2000年続く、生きた神殿。

深い森、大きな木々、美しい五鈴川のせせらぎを見ながら、心の底から清らかな気分になりました。それと同時に、僕の頭は少し混乱してきました。そうか、ここは遺跡でも遺産でもなく、2000年間ずっと人が維持し、守り、呼吸をし続けてきた「生きた神殿」なんだ、と。

世界には様々な神殿がありますが、パルテノンやアンコールワットなど、いつしか人がいなくなり、遺構だけが残されているところがたくさんあります。そのようなところは「世界遺産」として登録されている。でも、伊勢神宮は違う。なぜなんだろう。なぜ、世界で唯一ここだけが数千年の歴史を保っているのだろう。日本人は、誰を、何を守ろうとしているのだろう。

伊勢神宮には、20年に一度、外宮と内宮のすべての社殿が建て替えられる「式年遷宮」があります。前回の遷宮は2013年でしたから、次は2033年の予定。第63回目となるそうです。持統天皇の時代から始まった式年遷宮の回数が記録に残っているのもすごいことですが、1300年続くこのお祭りのために、神宮は木々を育てる森と、その水源となる森の両方を有し、萱山で屋根を葺くための萱を育てているそうです。

環境保護とかSDGsとか色々と言われていますが、なんのことはない。
八百万の神々の思想を持つ日本人は、2000年の間、自然と調和し、自然を敬い、大切にしてきたのでしょう。森を守り、水を守る。当たり前のようで、今となってはとても難しいことをさらりとやってきた。そこにはある種の秩序やルールのようなものがある。

自然界には「エントロピー増大の法則」があります。物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはないということです。沸騰したお湯は放っておくと冷めるし、家を放置しておくと荒れ廃れてしまいます。エネルギーは低下し、無秩序の状態に変化していくのです。でも、ここは常に人の手で守られてきた。式年遷宮により、技術と精神性が受け継がれてきたんですよね。

そう考えると、自然破壊や、水源を外国資本に簡単に売却するようなことは、どれだけ浅はかで馬鹿馬鹿しいことかと思うのです。技術は進歩し、便利な世の中になり、医学が進歩したおかげで寿命も延びた。でもそれが本当の豊かさなんだろうか。むしろそれは地球から見たら、人間が傲慢で自分たちのことしか考えないモンスター化しているだけなのではないだろうか。それは進化ではなく退化なのではないか。

そして、もう一つ気付いたことがあります。
本物には自然と人が集まる、ということです。

宣伝したり、PRしなくても、いつの時代でも人々が足を運び、お参りする場所というのもすごいことだと思います。廃れたことがないのです。親から子、子から孫へと、日本人の中に脈々と生き続けてきたこと。それって一体なんでしょうね。

最近の僕の関心は、ビジネスでも技術でもなく、日本という国はどういう国で、日本人は一体何を、どんな目的で守ってきたのか、ということです。あまりに長く、深い歴史と文化に、目眩がしそうです。僕の頭では到底理解が及びませんが、今、自分が生きている短い間だけでも、少しでも社会が良くなるよう、皆が幸せに生きることが出来る世の中になるよう、できることをコツコツとやっていけたら、と思うのです。

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