自ら扉を開いておく

「自ら扉を開いておく」

自分が人のお役に立てるかもしれない数少ないことのひとつが、「自ら扉を開いておく」ことかなと思っています。言葉にするのが難しいのですが、先に自分から話すことで、相手に安心感を感じてもらう、というような意味でしょうか。

たとえば、朝、ジョギングや散歩中にすれ違う人には、必ず笑顔で「おはようございます」と声を掛けるようにしています。すると、ほとんどの人が挨拶を返してくれます。挨拶することって気持ち良いですよね。でも、こういうことは頭では分かっていても、自分から声を掛けるのは勇気のいることです。恥ずかしい、相手にどう思われるだろう、めんどくさいことは出来るだけ避けたい。様々な感情が先走ってしまって、なかなか動けない。でもこちらが動く(=開く)と、相手もちゃんと開いてくれるんですよね。

なぜこういうことを書いているかというと、いろんな方からいただいたメッセージに気付かされることがあったからです。

先月からブログで体調不良のことを少しづつ書いていましたが、意外にも多くの方に読んでいただき、たくさんのメッセージをいただきました。僕は自分の考えや感じたことを、このブログで2005年から18年に渡って書き続けているのですが、あくまで個人の日記だし、無名の人間が辺境の地でぶつぶつ独り言を言っているようなものなので、誰も読んでいないだろうと思っていたので驚きでした。そして、いただいたメッセージの多くが「実は自分もこのような病気を抱えていて」とか「同じような経験をしたことがあるので、とても共感できます」とか、表には決して出さない、見えないようなことを、話してくださるのです。これには力や元気をいただきました。

特に誰に向けて書いているものではありませんが、自分が書いた内容に誰かが反応してくださることで、お互いの健康上の悩みを話したり、共感し合えることが、本当に大きな力や慰め、安心感になります。表向き分からないし、外からは見えないんだけど、皆それぞれ自分の荷を抱えて生きてるんですよね。そういうことをぽつりと話し合える相手や場があるだけでも安心できるし、安心感というのが、一歩前に踏み出す原動力になるのだと思っています。

体調の方ですが、たくさん検査をした結果、幸い生死に直接関わるような悪いものは見つからず、ちょっとややこしい病気だけど上手に付き合っていけばなんとかなるようなものでしたので、ゆっくり時間を掛けて向き合って行こうと思っています。

いくつかある持病リストに、一つ仲間が加わったような感じですが、今できることを少しづつ積み重ねて行こうと思っています。

人との関わり、時間、深度について

このGW、皆様いかがお過ごしだったでしょうか。
僕の方は元々、大学生になった長女と一緒に信州蓼科から伊豆方面への旅行を計画していたのですが、予期せぬ体調不良で早々にキャンセル(娘ははじめたばかりのバイトが楽しいらしく、全然いいよ〜と言ってくれました)、主に自宅で連休を過ごしました。

体調も良くなってきたので、自宅からほど近い山や公園、植物園に毎朝のように通って、自然の中を歩き回りました。スマホは持っていましたが、主に花や木の写真を撮るだけ。SNSやネットニュースからもできるだけ離れるようにしていました。

あとは、本をたくさん読みました。
5冊以上読んだかな。印刷された本だけでなく、自分が今関わっているプロジェクトに関係しそうな論文(現代的コモンズ、自立分散化など)も含めるとかなりの文字数を読み、インプットしました。向き合ったのは、木々草花と、鳥のさえずり、風の音、自分の呼吸、そして、文献。静かだけれど、精神的にはとても充実した休暇でした。

僕は基本的に「人好き」なので、人との関わり合いやコミュニティの重要性を常に意識しながら生活していますし、コミュニティの運営や参加も積極的に行っています。でも、ちょっとだけ気分を変えてインプットに集中してみようと、SNSから少し離れてみたんです。

人との関わり方について面白い記事がありました。養老孟司先生は、子供の自殺という問題について日経ビジネスでの連載でこのように述べています。

「人間の相手ばかりしているから死にたくなる」

それにしても人といる時間が多すぎるんですよ
2万人くらいの死にたい人の話を聞いてきた坂口恭平さんは、人の苦労というのはすべて他人との関わり合いのなかにあるとしています。

「養老孟司氏、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?」
日経ビジネス 2022/05/20

一部抜粋していますので、前後の文脈を読んでいただきたいのですが、僕自身はこの感覚に非常に強い共感を覚えます。人は何をしているのか、自分は人からどう思われているのか、なぜ「本人」がいるのに「本人確認するのか」。

働く環境、住む環境も「人との関わりの多さ」に影響を及ぼしているかもしれません。

この休暇中に読んだ本の中の一冊に、隈研吾さんの「建築家になりたい君へ」がありますが(建築学生の長女に買ってあげたのですが、パパが先に読んで一日で読了してしまいました)、その中で、資本主義経済は、生産性、効率性を求めた結果、都市にコンクリートのハコを作り、そこに人を閉じ込めた、という文脈があります。確かに人がロボットのように働くことで経済成長はしたかもしれない。でも、それは人にとって良いことだったのだろうか。ハコに閉じ込めて管理することは、人間にとって大きなストレスとなることも広く知られています。

コロナ禍が始まった2020年の春、慶応SFCの安宅先生は「開疎化」という言葉を良く使っておられました。それまでは「密」で「閉」が良しとされていましたが、感染症から身を守るためには、「開」で「疎」であるべきだと。これは物理的空間の話ですが、人と人との関わり方にも関係しそうです。巨大都市に人が集中し過ぎると、24時間人の存在を気にしながら生活しなければなりません。でも、人との関係も疎結合することで、良いバランスを取ることができるかもしれません。

人好きな自分ですが、この連休中はあえて、自然の中で自分と向き合うことによって、大きな成果が得られたと思います。これからキックオフする複数のプロジェクトの骨子と、すべきことが見えた気がするし、断片的に分散していた自分の考えがデフラグされ、整理されたように思います。

まだまだ試行錯誤が続くでしょうけど、より良い社会の実現に向けて微力ながら力を傾けていきたいと思っています。

新緑が眩しい季節になりました

桜の花が散り、新緑が美しい季節になってきました。

冬の寒さを超えて、花を咲かせ葉を茂らす木々のパワーを見ていると「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉を思い出します。目に見えて何かを行うことも成果を出すこともできない。でも、見えないところでしっかりと根を張る。心を鍛え、精神を強くすることが「根を張る」ことに繋がるのかもしれません。こういうプロセスを経て、また新しい自分、アップグレードした自分に出会えるのでしょう。

そういえば、同じことを三年前にも書いていました。
「一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうな」2020年3月2日

少し歩けるようになったので、近所の植物園までゆっくりウォーキングに行きました。歩いたのは3週間以上ぶりでしょうか。病気の影響で自分でもびっくりするくらい動悸と息切れがひどく、一ヶ月前までガンガン走っていたのが信じられないくらいの状態ですが、これはもう仕方ない。こうして外を歩けるだけも大きな大きな進歩です。

ここ一週間を振り返ってみると、数ある検査の中で一番プレッシャーになっていた気管支鏡の検査も終わり、ほっとしています。鎮静剤がちゃんと効いてくれたので(個人差があるので、全然効かない人もいるんですと脅されていました・・・笑)、寝ている間に検査が終わった感じで、これは本当に良かった。苦しまなくてすんだ。

あと、35年ぶりに入院というものをしました。一泊二日の検査入院だったので噛みしめる暇もなかったですが、でも、病院というのはあまり気持ちの良いところではないですね・・・とはいえ、本当に良くしていただきました。大学病院だったのでスタッフの方も若い方が多く、みなさん親切で。医療従事者の方に感謝です。

これで予定されていた検査はすべて終了し、GW明けに今後の治療方針が出る予定です。少なくとも、今の状態が維持できれば、運動はともかく仕事をする分には問題なさそうです。
仮に以下のようにコンディションを段階分けするとすれば、

1,日常生活は問題なくできる
2,体調によっては外に出れる
3,身体は動かないけど、頭は働く
4,寝たきり

今は、3と2の間、2.5くらいのところ。うん、上出来、上出来。
小さなことからコツコツと。

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前回のブログを見ていただいた皆様から、本当に多くの気遣いや激励のメッセージをいただきました。一つひとつのお言葉から本当に元気をいただいています。心を寄せていただいていることがどれだけ大きな力になるか。心から感謝しています。

大丈夫。全部そのまま受け入れよう

 この春は元気だな、ひょっとしたらこのまま行けるかもしれないな

そう淡い期待を抱いていた矢先に高熱がドカンと出て早2週間が経過。4月の発熱というのは2020年に始まり今年で4年目。春の風物詩のようなものだけど、今回は熱が高過ぎたことと倦怠感があまりに辛いので、精密検査を受けたら(コロナ、インフルはもちろん陰性)、別のものが見つかりそこから紹介状を持って色々な専門病院で検査続き。すべての結果が出るのはGW明け。

仕事も出張もトレランもゴルフも会食も、発熱と入院で全部キャンセル(関係各所ごめんなさい)。また今年もか・・・

落ち込もうと思えばいくらでも落ち込める。

予定のキャンセルや延期の連絡をさせていただくのは本当に申し訳ない気持ちになるし、5月のウルトラトレイルに向けては体調が悪いなりに昨年末から順調にトレーニングを重ねてきたのに、体重はこの2週間で5kg減り、体力も筋力も落ち、今は1kmも走れない。一ヵ月後のウルトラトレイルなんて想像すらできない。

でも、これが僕の人生だ!!

大丈夫。全部そのまま受け入れよう。僕の場合はありがたいことに持病の色々で心を鍛えていただいてる。健康じゃない人の気持ちも分かるし、動きたくても動けない人の気持ちも痛いほど分かる。人生、思い通りに行かないことの方が多いのも知っている。命は儚いし、いつどうなるかも分からない。だから、もし身体では負けても、心と想いだけは負けないように。そして、今出来ることを一生懸命するように。

幸い、今年は桜満開の時期が元気のピークだったので、近所の名所を何度も花見ランすることができたし、今回、色々と見つかったお陰で、徹底的に調べて治療してもらおうと思っています。そして、かならず復帰するし、一ヵ月後も、絶対走ってやる。

ベッドに横たわり天井を見上げながら、そう思って腐らず、たまに庭に出て、日ごとに開く花の数が増えていくモッコウバラにパワーをもらってます。何かを主張するわけでも求めるわけでもなく、必ず春には花を咲かせてくれる植物の強さってすごいですよね。あと、ずっと寝ているのもしんどいので、少しづつ仕事をしながら明治維新の本ばかり読んでいるのですが、今が令和だということを忘れそうです。(PCを打つのもしんどいので、このブログもかなりの時間を掛けて書いています)

お取引先や仲間たちにはご迷惑、ご心配をおかけしておりますが(激励のメッセージ、ととても励みになっています!)、必ず復帰しますので、もうしばらくお待ちください!!

思い(想い)の役割とは

どちらかというとロジカルに物事を考えてしまうタイプなので、精神論とか「思いの強さ」という考えは苦手だったんですね。でもWBCなどを見ていて思ったのは、思いの強さが最後は勝つということなんだなと。

というのも、ここ一番の勝負どころって誰にでも色々とあるじゃないですか。大切なプレゼンであったり、商談であったり、テストであったり、レースであったり。それに向けて事前にしっかりと準備して本番に備えるわけです。でも、当日になって体調不良やなにかしらの不可抗力が起こり、思い描いたような「完璧な状態」で臨めることの方が少ない。そこで、がっかりして意気消沈するか、諦めずに挑んでいくかが勝負の分かれ目になると思うんですよね。思いの強さは、ここで出てくるんだなと感じています。すごく漠然とした言い方ですが、思いが強いか弱いかでその先の未来が決まるんだなと思うんです。

4月という時期は、個人的に体調を大きく崩す時期でして、今年も先週末からガクンと来てしまいました(ブログの更新ができなかったのはそのためです)。今までと違うのは、単なる高熱だけではなく、精密検査の結果、来週から別の病院で検査入院までしなければならない事態になってしまったこと。病院の先生方が本当に親身になってくれて、早めに動いていただいて良かったなあと思っています。関係各所には予定のキャンセルや調整で多大のご迷惑をおかけしています。

なんだか予想もしないようなことが次々と襲ってくると、気持ちが前向きになれないんですよね。もともと計画どおり動きたい性格だし、キャンセルとか延期とかすごく嫌なので、なんでこうなるんだろと意気消沈して腐ってしまいそうな自分の気持ちと格闘しています。ここで冒頭の話に戻りますが、今こそ思い(想い)の強さが大切だなと。ピンチはチャンスといいますが、良い機会だと思って、自分でしっかり気持ちを前に持って行きたいと思っています。身体は仕方ないとして、心を鍛えることはどんな状況でもできますもんね。

目の前に広がる景色を丁寧に記憶に残す

今年の桜は早い開花で話題になりました。

桜満開の中をジョギングするのって本当に気持ちいいですよね。今年は天気が良い日が続いたこと、時間も自由に使えるようになったということもあり、例年以上に桜を楽しむことができました。

朝の夙川

朝の北山植物園

時期の早い遅いはあるとはいえ、春先に一斉に桜が開花することで一年の終わりと始まりを意識することができます。また春がやってきた、来年の桜の季節までにはがんばろう。そんな感じでしょうか。

学校でも企業でも、4月はじまりというのは一年のスタートという意味では良いですよね。あともうひとつは地域を意識するということ。特に僕はランナーなので、近所をあちらこちら走ることで、その地域の良さを桜をきっかけに再認識することができます。

そういえば面白かったのは、花見ドライブに祖母と叔母を連れて行った時に二人口を揃えて「今年の桜は花が小さいな〜」と言っていたことです。僕は「桜は桜」だと思っているので、花の大きさ小ささなんて意識したことがなく、この視点は新鮮でした。毎年の桜を、なんとなくではなく、丁寧に見ているんだなと感心しました。目の前に広がる景色を丁寧に観察して記憶に残すって素敵なことですね。

今日、入社式のところも多かったのではないでしょうか。

新社会人も新入生も。君たちの人生を拘束するものは何もない。
仮に人生を拘束しようとする人・事が現れるのであれば、それは君たちの人生にとっては不要なもの。とにかく何にも邪魔されず、何か夢中になれるもの、何か打ち込めるものを見つけて、やり抜いて。

自分の人生は自分で作る!
無限の彼方にさあ行こう!

答えを探すのではなく、問いを立てること

先月エントリーしたブログで、効率的、直線的、最短距離という言葉に何の魅力も感じないと書きました。その理由として、「一つのことに集中し、答えを探すことももちろん大切なのですが、一見遠回りと思えることに一生懸命時間を費やし楽しむことで、異なる要素が結びつき、良いアイデアが生まれたり、ビジネスの種を見つけたり、ボトルネックになっている問題の解決策のヒントが得られたり、新たな人との出会いがある」としたのですが、それに加えてもう一つ気付いたことがあります。

ChatGPTのようなgenerative AIが台頭してくると、答えを得ることはとても簡単になります。あれこれ考えたり、論文を漁ったり、調べたりしなくても、先行研究や論文データベースはすでに検索対象としてあるし、実際に起こった事実を考察して結論を出し、AIがそこから答えを自動的に生成してくれます。答えを得る作業に費やす時間は、ほぼ0になりつつある。つまり答えを探すという行為そのものは既に最短距離で実現できてしまうものだと思うのです。(ちなみに効率化に関しては、これを本気で実現すると働き手は不要になるので一部の資本家だけが儲かるというディストピアが生まれるだけです)

でも、問いを立てる、ということについてはどうだろう。

自分でなにかに関心を持ち、これは本当なのだろうか、他にもっと良い方法はないのだろうか、この課題を解決するにはどういうアプローチをすれば良いのだろうか。問いを立てる能力がこれからもっと必要になっていくのではないでしょうかね。前回の記事で、福沢先生や谷崎の本を読んでいると書きましたが、現代から見ると情報もモノも何もない明治維新前後や昭和初期の時代、彼らは常に「問い」を立てていることが分かります。その時代、自分で考え、選択肢を準備し、決定して行動しなければ何も起こらないし何も始まらないからです。

白秋共同研究所で研究と実践のテーマにしている「ウェルビーイング」は、まさにこの点を指摘しているのかもしれません。僕は専門家ではないので教えてもらったことだけを紹介すると、ウェルビーイングの構造は、まず「経済成長」「民主化」「社会的寛容」という社会的条件があり、その上で「働く/生きる上で選択肢から自己決定する」→「主観的な評価と体験」がウェルビーイングな状態である、ということです。

つまり重要なのは、自ら考え、自己決定をするということ。
そのためには答えをすぐに探そうとしたり、答えを見て判断するのではなく、問いを立てることが必要だということですね。これ、習慣化したいと考えています。

目指すは珍味

我が家は父方も母方も祖母が健在でして。
ふたりとも95歳前後なのに、特に病気をすることも、認知症もなく、本当に健康に暮らしています。おばあちゃんたちを見ていて長寿と健康の秘訣について思うことは、「土に触れること、良く食べること、良く寝ること」この3つだと思っています。あとは、友達がどれだけたくさんいるか。技術やITやエコノミクスとかはどうでも良くて、ただ毎日を生きる。たっぷり寝て、ご飯つくって、働いて、食べて、寝る。なにかのタイミングで生活がドラスティックに変わったり、科学技術の革新によって考え方が変わったわけでもない。戦前から戦中、戦後の混乱期、高度経済成長期、バブル、失われた30年・・・それぞれの時代の中で、なるように生きてきた。

僕はそれだけですごいことだよな、と感心すると共に、人間の本質って基本的に変わらないとも思うのです。

最近、福沢諭吉先生の自伝を読み返しているのですが、150年前でもその当時と昔を比べておられますし、文豪・谷崎の戦前の随筆の中でも、いまどきの若い子は言葉使いが変わってきた、とか、服装が変わってきた、とか書かれているんですよね。つまり、いつの時代も同じということなんでしょう。

今週も様々なニュースが飛び込んできました。SVBやCSなどの銀行破綻による金融不安、米国IT企業の大規模リストラ。その間にもGPT-4やBardなどのレビューも相変わらず絡みあって、これからの時代はどうのこうのという論調が目立つんですけど、はっきり言って「そんなもん」でしょう。良い悪いをただただ繰り返すのが人間の歴史です。

ここ30年という短い間だけでも、ドットコムバブルの崩壊、リーマンショック、コロナショックがあり、なにかある事に大規模リストラが行われ、景気が良くなると大規模雇用が行われてきました。今はインフレ抑制のための金利上昇による株安とリセッションを見越してのリストラなわけで、一通り落ち着いたら、また雇用が促進される。一喜一憂したり、起きている事象を分析して論評したりするのではなく、自分の生活を自分なりに、コツコツと積み上げていくことが大切なのだろうと思います。

そうそう。
先日、産学官民連携団体KNSの定例会が関大梅田キャンパスで行われたのですが、僕も含めて多くの方が社会課題解決のために「ローカル」と「共助」と「人間らしさ」をテーマに活動されていることが分かりました。やっぱりそうだよね。大切なのは半径数メートルの人間関係と思いやり、そして、自分らしく意思決定しながら人生を歩むこと。儲からないことを一生懸命やるところが日本人らしくて良いなと思っています。

日本全体としていえることだと思いますが、世界のスタンダートを目指すのではなく、やはり「珍味」になることが大切だと思うんです。目線を上に上げすぎても下に下げすぎてもだめで、バランスの良さを保ちながら、ハンバーガーやピザではなく、珍味を目指す(笑)グローバルニッチというのか、土地に根ざす文化というのか。島国という土地に根ざす文化から出てくる製品やサービスが海外で受け入れられるわけないじゃんという割り切りも大事なのではないでしょうか。

いずれにしても、何が起きても動じず、そうそう、こんなもんだよね。人間の歴史って山あり 谷ありだよね、と思えるようになれたら楽ですね。うちのおばあちゃん達のように、健康長寿の秘訣はそれだと思います。

先日の中華ランチ美味しかった

血流と脳への刺激について

週末が忙しいものですから、月曜日に前週を振り返るというパターンが定着しつつあります。皆様いかがお過ごしでしょうか。

この一週間を振り返ってみると、個人的に一番のグッドニュースは、花粉症が改善に向かっているということです。3月に入ってから花粉症がひどくて喘息のような咳が止まらず、耳鼻科でもらったアレルギーの薬を飲みながら凌いでいたのですが、なかなか改善に向かいません。そんな折、MC業をしている友人から、アナウンサーなどの専門職が通っている耳鼻科があるということで診てもらったところ、そこで処方された薬がハマりまして。ようやく改善されつつあります。少し強めの薬なのかもしれませんが、人に会って話をすることが仕事ですからね。

さて、昨日は六甲縦走キャノンボール大会でした。トレラン草レースの人気大会で、道中、関東から来ました〜というトレランナーさんご一行もいましたよ。宝塚から須磨浦公園までの片道縦走46km、累積標高±2500mのコースですが、ラン友さんたちと無事完走。楽しい一日でした。さすがに今日は多少筋肉のハリがありますけれど、普段のトレーニングに加えて血流を良くすることを意識しているので、自分でも驚くほど痛みはありません。やはり普段の積み重ねが大切ですね。

血流って、たとえば冷温交代浴など、刺激を与えることで活性します。外部からの刺激ってとても大切で。これは脳も同じだと思うんですよね。適度な刺激がないと、筋肉同様、考え方も思考パターンも凝り固まってしまう。最近特に思うのは「刺激は自ら与えるもの」ということです。

独立して一年、仕事も時間もライフスタイルもすべて自分で選べるようになりました。会社勤めをしていると、日々、人間関係も含めて良いことも悪いこともあります。がっかりすることも嫌な思いをすることも。でも、フリーになると、そういうことがほとんどないんです。居心地の良い環境、人間関係、コミュニティ、仕事。すべて自分で選べるのでハッピーでしかない。ノンストレスな毎日は最高です。

でも一方で、不可抗力的に降り注ぐ「嫌な刺激」って実はとても大切なんですね。このブログでも何度か書いていますが、人を成長させるのは「理不尽な経験」と「居心地の悪さ」だと思っています。いやこれ本当に。修羅場(と言っても大げさですが)をどれだけ超えたかによって、人としての器の大きさや引き出しの多さが決まると思っていますので、苦労は買ってでもするもの、ということもできますよね。

独立して一年を振り返る時期に来ましたので、この一年がどうだったか、独立してどうだったかは追々時間を掛けて書こうと思いますが、もし課題があるとしたら、自分に「刺激」をどう与えるかという点です。そのために、来る仕事は何でもする、知らない場所に積極的に出掛ける、人がしないような仕事を自分から買って出る。朝、ジョギングや散歩中にすれ違う人とは必ず挨拶をする、こういうことを日課としてやっています。

脳の血流が凝り固まってしまわないよう、血流良くすることって大事ですね。

縦走中に出会った須磨アルプスの夕焼け

お願いする力、聞く力

起業にしても、転職にしても、「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように、自分ひとりで悩むのではなく、いろんな人からのアドバイスを聞く方がより良い判断ができるのは明白です。

僕自身も人に相談を仰ぐこともあれば(優れた経営者の本に助けを求めることもあります)、相談されることもあります。最近いずれも20代の起業家3人のカベウチ相手になりましたが、こちらが学ぶことも多く、「相談させてください」「アドバイスをいただきたいので時間をください」と言われると、逆に「ありがとうございます」と思ってしまうくらいです。そういう意味では、最近の20代起業家は(皆がそうであるかは分かりませんが)、今の自分自身や自分のビジネスに足りないものを的確に把握し、そのピースを埋めるための情報やメンターを素早くスタッフィングするのが上手ですね。それに社外にサードプレイスを作れと言わなくても、呼吸をするように様々なコミュニティに属していろんな人とコミュニケーションをしている。自分が若い頃はそんなことできなかったよな〜と、感心の眼差しで彼らを見ています。

個人的に、仕事を成功させる上で重要な要素の中に、「お願いする力」と「聞く力」があると思っています。「お願いする力」というのは、お願いの仕方が上手いとかではなく、その人自身の人間性、人となりにあると思っています。プライドや恥ずかしさを捨てて、謙虚にお願いするのはもちろん大切なのですが、それよりも普段から思いやりを持ち、親切に人に接し、自分にできることは何でもお手伝いするといった利他の精神かつ見返りを求めないコミュニケーションで、人から愛されるようなことをしている人。そういう普段の積み重ねがあるからこそ、何かをお願いした時に「よし、君のためなら喜んで!」という気持ちなるのだと思います。

また「聞く力」についても、聞き方のテクニックよりも、事前の準備の方が重要です。相談相手の仕事やキャリアを調べ、その人からどんな情報やアドバイスを聞き出したいかを整理し準備しておく。そして、相談相手が答えやすい質問を投げる。ただなんとなく、どうすれば良いですかね〜では、相談相手もどう答えて良いか分かりません。そうして引き出したアドバイスを、ビジネスの血肉にするべく謙虚に分析することも必要です。事前の入念な準備が必要なのは、打ち合わせや会議でも同じですよね。

いずれにしても将来有望な若手起業家のお手伝いが少しでも出来るのは自分にとっても本当に嬉しいことです。もちろん、自分もまだまだ挑戦し続けるつもりではありますけれど。

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今日の一枚は、インバウンドの観光客が戻りつつある二寧坂の写真です。