自然か人口都市か


この土日(正確に言うと土曜日の午後と日曜日の午前)、グランフロント大阪での予定で缶詰に。週間天気予報で「この週末は秋晴れの好天に恵まれる」とあったのだが、本当に文字通りの好天。

こんな日に、コンクリートで塗り固められた人工都市のど真ん中に行くということに何の意義も見い出せず、今週末のように仕事や予定でどうしようもない時以外は、街には極力行かず、例えば、芦屋浜で行われている食イベントの「あしやいち」や、六甲山を目指すのに・・・とブツブツ言いながらグランフロントに行くと・・・

なんじゃコリャ

の人混み。

まあ皆さん、どうされましたか?こんなに良い天気なのに、なぜコンクリートジャングルなのですか?と問いたい気持ちをグッと抑えながら考えてみると、当たり前ですよね、そもそも、週末に自然回帰を志す僕の方がもしかしたらマイノリティかもしれない。

え?山ですか?
え?ランですか?
え?海ですか?
頭おかしいんじゃないですか?

という質問が、そういう方からバンバン来そうなので、これ以上の問いかけはやめておく。だって、どこに行こうがそれは個人の自由なのだし趣味嗜好も千差万別。僕だって人から見れば、「仕事帰りに飲みに行くなんて時間と金の浪費でしかないでしょ」とか言われるかもしれないし、休みの日に山登りや、20kmランなんてバッカじゃないのと言われることも多々あるだろう(笑)

ちなみに誤解のないように言っておくと、同じコンクリートジャングルでも、郊外型のショピングモールはOKです。って何ですか、その差は。笑


ちなみにグランフロントですが、昨日も今朝も、メルセデス祭りでした。

そして、帰宅後、たまらず出掛けた夕方ランで出会えた夕焼けの素晴らしさよ。

ベンツか夕焼け、どっちか選べと言われると、やっぱり夕焼けを選んでしまうなあ・・・(笑

ここ一番で・・・ポルナレフ状態に


新幹線から見える富士山が楽しみだ。

日本人としてDNAに刻み込まれた何かがあるのか分からないが、富士山を見ると、なんだかとても幸せになる。そして元気をもらえる。日本に生まれて良かったとすら思うこともある。

富士山を車窓から見るために、往路・復路共に山側の「E」席を必ず確保するようにしている。しかしそのような情熱をもってしても、今年は一度も美しい富士山に巡り会うことができていない。2014年。なんて年だ。

だいたい月に一回は新幹線に乗っているにも関わらず、毎度、雨か曇りかガス。そこに富士山があるかどうすら確認できないほどの天候ばかりで、正直ゲンナリしている。

昨日も、台風一過で空はクリアなはずだった。しかも大阪や名古屋は晴れていたのにも関わらず、静岡から東京にかけては雨(なんでやねん)。もちろん富士山も裾野すら見えないほど完璧にベールに覆われていた。

まあ、今年はこんなもんかな・・・と思いつつ、その日のスケジュールをこなして溜池山王のホテルで一泊。

(写真は総理官邸。溜池山王や赤坂などにいると、日本が法治国家であるということを再認識できる。当たり前だけど。)


そして今朝。

Yahoo!ニュースでは、初冠雪の富士山の美しい写真がトップに踊り、「今日は秋晴れ」とある。

どのニュースやサイトを見ても、そこには完璧な姿の富士山が掲載されている。しかも、どの写真も「今朝6時の富士山」「今朝9時の富士山」など、まさに今、採れたてピチピチの富士山がそこにあるのだ。

完璧じゃないか・・・


読売新聞へリンク

今日の予定が全て終わるのは夕方。
急いで新幹線に乗れば、日没前の富士山に巡り会えるかもしれないと思い、iPhoneで座席を確保。運良く「E席」を取ることができた。

そして予定どおり打ち合わせを終え、新幹線に飛び乗る。
外は薄暮。東京から新富士までは一時間もかからない。

窓にもたれてイヤフォンでColdplayを聴きながら、メールチェックをする。新横浜を過ぎ、熱海も過ぎた、あともうちょっとで三島、そして、いよいよ新富士だ・・・と思ってパッと外を見ると、

静岡を新幹線が通過しているところだった。

・・・何が起こったのか、全く分からなかった。
まさに「ポルナレフ状態」

やってもた。

あんなに楽しみにしていたのに、夕陽に染まる初冠雪の赤富士を想像していたのに、どうやら、熱海を過ぎた辺りから寝落ちてしまったらしい・・・

本当に、なんて年だ。

【iPhoneギャラリー】空と雲の造形が美しかったので撮ってみた


薄暮ランの良いところは、刻一刻と表情を変える空の色を楽しめること。

夕方16時半から18時半、20kmランニング中にどんどん表情を変えて行く空をiPhoneで撮ってみました。台風接近中だからかな?不穏な空模様が一段と魅力的です。

読んでる本が面白くて仕方ない


ちょっと読んでみそ、と薦められたので、リリー・フランキーの本を読んでいる。

今更感満載だと思うのですが、今まで読んだことはなかったのでした。この本も2005年初版発行だから随分前のものですね。

美女と野球 (河出文庫)

通勤電車の中でパラパラと読んでいるとニヤニヤしてしまうのでマズい。かといって、しっかり腰を据えて読むというものでもないような気がするし、良い意味で物凄くバカバカしい内容からしてもそういう読書の仕方は逆に失礼じゃないかと思ったりしていると、消去法的に通勤電車となるわけです。

で、ここ数日の行き帰り電車はスマフォから離れて、読書。

ニヤニヤ、ニヤニヤ・・・プッ!!!・・・
あ、あかんあかん。

変な汗をかいています。


三連休の後半は超ド級の台風が直撃するようですが、ここ最近は割と天候が良いということもあって、平日の2、3日は朝ランをしています(今日はお休み)。起きた時間に合わせて、6kmの時もあれば、10kmの時もあるけれど、平日に少しでも距離を稼いでおくと月間距離が伸びて助かる。この一ヶ月、久しぶりに月間走行距離150kmに到達しました。

ようやく走れる身体に戻ってきたような感じ。

それでは、週の最後、金曜日。
しっかり頑張りましょう!!

71歳の御大に学ぶ「したいことがありすぎて」ワクワクして夜もなかなか寝付けないような生活


ライフストーリーが好きだ。

自己啓発書やビジネスのノウハウ本を読むのなら、人のライフストーリーを読む方が余程楽しい。そういった意味では、AppleやGoogleなど成功企業を外から取材してまとめられたような本も大好きである。

さて、最近読んだ記事で面白かったのがこれ。

『ビデオゲームの父』が語るゲームと学習の今後、ATARI、BrainRush創業者Nolan Bushnellへのインタビュー (TECH WATCH)

僕は「アタリ」という社名にノスタルジーを覚えるような世代でもなく(僕達はファミコン世代だ)、アタリと聞いて思うのは、スティーブ・ジョブズが40番目の社員として入社したこと、新人のクセに尊大な言葉をまき散らしながら裸足で風呂にも入らず社内をほっつき歩いていたこと、この会社で与えられた仕事をウォズにやらせて報酬をピンハネしたことなどのエピソードでアタリを知っているだけである。

しかし実際に、このインタビュー記事の中で創業者のノーラン・ブッシュネルが語る言葉を読んでいると引きこまれてしまった。ゲーム業界の生けるレジェンドであるノーランを語るのにこの記事はあまりに短すぎるし、もっともっと色んなことを聞きたい、知りたいという欲求が沸き起こる。

特に印象的だったのは、御年71歳、ビデオゲームの父と呼ばれる彼のこの言葉だ。

<記事引用>

『僕は死ぬまでにあと12個のビジネスをつくりあげると決めている。今までに22のビジネスに携わり築き上げてきた。4つのビジネスに失敗し利益のでないビジネスも他にいくつかあった。それでもキャリアからのリタイアは僕にとって死ぬのも同然なんだ。まだまだやりたいことがありすぎる。将来何十年先にくるであろう未来をもっとはやく実現したいし、常に未来を生きていたいからね。』(TECH WATCH)

彼の年齢の半分程度、現在38歳の僕は同じような気持ちで日々を過ごしているだろうか。やりたいことが多過ぎて、毎日ワクワクして夜もなかなか寝付けないような生活をしているだろうか・・・ 楽しいこと、ワクワクすることも多いけれど、実際はそうでないことの方が多い。この状態は、まさに「猛省」の一言に尽きる。なぜなら、どうせ元気で生きていて、一日10時間仕事をしているのなら、常にそうでいたいではないか。

シリコンバレーに出張することはあっても、現地で住んだことも、勤めたこともない僕にとって、ノーランが育ったその風土がどんなものなのかは分からない。ただ、失敗しても何度でもチャレンジできるという文化がDNAレベルで根付いているというようなことが、梅田望夫さんの「シリコンバレー精神」に書いてあったような気がする(うろ覚え)。

もしそういう文化なのであれば、日本のような終身雇用とは対局に、やりたいことをやって、失敗しても何度でもチャレンジするという生き方がごく自然に出来るのだと思う。成功しようが、成功しまいが、こんなに楽しい人生はないだろう。


冒頭に触れたので、この機会に、幾つかお薦めの本を紹介しておく。
どれも業界の人なら知っている、スーパーメジャー級に有名な本ではあるけれど、良いものは良い。

1,社員をサーフィンに行かせよう

昨日書いた記事ともリンクするが、環境企業として名高いアウトドアブランドの「パタゴニア」創業者の経営哲学。普通の企業が絶対にしないような、自分達の商品なのに「この製品は買わないで」というようなキャンペーンや、平日の勤務時間でもいつでも社員はサーフィンに行っても良いというルールなどを実施し、成功している。人生観が変わる(読み過ぎると、現実との差異に悩むので要注意)経済書。

2,icon スティーブ・ジョブズ 偶像復活

先のアタリでのエピソードも、僕はこの本を通して知った。544ページという分厚い本だけれど、何度も読み返したくらいの名作だと思う。ちょっと気分が落ちた時などに読むと、また元気になったりする(多分、僕だけ)。

3,グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ

Googleのインサイドに迫る本。これもとっても面白い(世界を本気で変えようとしている戦略は時に怖い)。こちらも632ページを超える大作だけど、全く飽きないでジェットコースターのように読める。サーゲイとラリーは二人共「したいことを徹底的にさせる」モンテッソーリ教育を受けた点にも注目されているけれど、実は僕もモンテッソーリ教育で有名なマリア幼稚園の出身だ(笑)。同じ教育を受けているはずなのに、なぜこうも違うのか、なんて思ってみたりして(笑)

クレイジーな発想は「常識」という無価値な壁をブレイクスルーする


ハフィントン・ポストから。

クレイジーな人々が新しい時代を創る!「ダム撤去」を常識に変えた”ダムバスター”

ダムが環境に及ぼす影響を懸念する人々がダムを撤去し「川を開放する」という運動のドキュメンタリー。実際に過去20年で約850基のダムが撤去され、生態系が取り戻されつつある。クレイジーと言われる人々の発想が、今の時代だからこそ必要とされる。これは僕も常日頃考えている「シュリンク」と「散らかしたものを片付けるというビジネスモデル」とも(比べるのは恐れ多いけれども)リンクする。また、「環境経営」のお手本として、MBAの教科書に必ず載るパタゴニアの経営戦略も思い出される。(参考:「ぶれない環境経営がブランドになったパタゴニア 時代が会社に追い付いてきた」– 2014/6/2 日経ビジネス)

時代は変わる。今「常識」と言われていることは、いつどの時代に設定されたものなのか。その時代背景と、今の時代とは同じなのか。

貨幣価値は?
人口は?
街は?
ワークスタイルは?
家族構成は?
経済は?
インフラは?
産業構造は?
市場規模は?

多角度的かつ比較して考えるなら、今、「そんなの常識」と言われていることが、いかに古いかがよく分かる。僕達が子供の頃と、自分達の子供が生活する環境は全然違う。たかだか30年で、全然違う。違いに気付き、個人で責任を取らないための言い訳となる「常識」と、集団主義的な固定観念などの、余分かつ不要な要素を取り除き、濾し取り、最終的に残るであろうものは何か。それは、社会でも、仕組みでも、人間でもなく、「自然のサイクル」である。数百年後に人間が「絶滅危惧種」として認定されないという保証はどこにもない。

そういうことを学ばされる気がする。


今日は久しぶりに鈍重から開放されたので、帰宅前のカフェ勉タイム。
従って、ノンアルコール。

週明雑記 〜 酒場放浪、島暮らし


台風一過のクリアな空が好きな人は多いと思う。
まるで空に掃除機がかけられたような気分になるから、気持ちもスッキリする。


低気圧が過ぎ去ったにも関わらず、どうにも調子が良くなかった今日。重たい頭を抱えながら歩かなければならないような時、気をダランと抜いて見れるような番組が好きだったりする。

その一つが、「おんな酒場放浪記」

BS-TBSで放送している、とてもダラダラした番組だ。

コピーも「酒場という聖地へ 酒を求め 肴を求めてさまよう・・・」というダラけたもの。

でも、この番組が僕は大好きである。酒豪を自称する女流棋士、モデル、カメラマンなどが居酒屋にフラッと入って常連と交流しながら酒を飲むだけの番組なのだけど、これがまた、同じく「酒場好き」の僕からしたら、その雰囲気がとても心地よくて、ああ、出張先や旅先でこんなことが出来ればいいなと、自分の中の妄想と重ね合わせてバーチャルトリップを楽しんだりする。そして、そのような時はバーよりも居酒屋や小料理屋がいい。


どこからが「アル中」なのか「そうでない」のか、その境は分からないけれど、外飲みじゃなくても、家でも必ずウイスキーをソーダで割って何杯も飲むし(今日のような鈍痛の時は、着替えもせずに真っ先にキッチンにいって冷凍庫で冷やしたサントリー角瓶を取り出す)、それすら我慢できない時は、最寄駅前のコンビニで缶ハイボールを買って、家までの徒歩3分の間にぶらぶらと飲みながら帰ったりする。だから、夜にブログを更新する時は、必ずアルコールが入っている。今もまさにそうだ。

そうすることで、硬直した脳に血を通わせているような感じがする。一口飲むと、脳にまた血が通い始める。これで「ああ、良かった、今夜も寝るまでの時間を楽しめる」とホッとする。これってなんだろう。精神安定剤のようなものだろうか。


帰宅すると、珍しく長女が起きていて、iPadを駆使しながら何やら調べ物をしている。聞くと、宿題で「周防大島の暮らし」を調べなけれならないとのこと。なぜに山口県?と思っていると、娘が通っている小学校は4年生から毎年修学旅行のようなものがあり、今年は広島、山口に行くと。恐らく、その前調べなんだろうと思う。

早く寝なきゃいけないからパパも手伝ってと言われ、周防大島について調べていると、なんとまあ、島暮らしの素晴らしいことよ。美しい海に、大自然。うまい魚に農作物。

何もTVを見なくても、こんなことがきっかけでバーチャルトリップが出来ることもある。

このような光景が見られるのも今だけ?


打ち合わせに行く途中に、良く通り過ぎるグランフロントのウェストサイド。

この光景が大阪駅の北側すぐっていうところが、いつ来ても信じられない。近年、没落傾向が指摘される大阪だけれど、少なくともGRP(域内総生産)では、ロンドン、パリに継ぐ世界第7位の地域。その玄関口である大阪駅から徒歩5分の場所です。

もちろん、これだけ「郊外感」が出ているのには理由がある。
まず南北を貫くグランフロントは全て連絡通路で繋がっていて、ビル内で移動が出来ること、西側も北側も現在再開発地域で何もないこと、北の中津方面からの往来くらいしか人や自転車がないことを挙げることができます。

まあ、ある意味で、この光景は再開発中の今くらいしか見ることができない光景なのかも。何かが出来れば人の流れもすぐに変わりますからね。でも、なんだかとても不思議な光景です。

ちなみに、大阪駅北側はこんな感じ。

夏になると水場で家族連れが遊んでいます。これが都心のど真ん中。来る度に微笑ましく思える。ある意味、街づくりとしては成功かもです。

グランフロントについては以下の記事も書いています。

「Shrink or keep原理主義者」でも美しいと思える街 (2014/7/31)

無駄を創る〜 Wired主催 グランフロント大阪のソーシャルモビリティイベントに行って来た (2013/10/29)


テスラ、スペースX、ソーラーシティの三企業を率いるイーロン・マスク。自動車、ロケット、エネルギーというこれまで大企業のみに許されてきた分野をベンチャー精神で揺るがす。

重厚長大な産業界にInnovationを起こす彼の脳内が見える記事。

これだけ多忙な人が、これだけのアウトプットを出来る背景には何があるのか、一日の時間を何に割き、何を考えているのか。

是非、ご一読を。

世界に役立たないなら、会社の存在意義はない
EVとロケットの革命児、イーロン・マスク氏が語る野望

美しいグラデーション


夕飯前のジョギングの良さは、美しい夕陽を見れること。

空のキャンパスいっぱいに広がる壮大で美しい色合い、山吹色と金赤色が混じったような色から、紺碧色と群青色を混ぜたような色への変化。

そして汗を流しながら、空を見上げる一人のランナー。


冬の大三角形の一つ、ベテルギウス(太陽の約900倍の大きさ)が超新星爆発を起こすかもしれず、もしそうなればガンマ線バーストで地球の大気が一瞬で吹き飛ばされて滅亡に至るという可能性が0%ではないという話からも分かるけれど、人間って、地球という一つのとても小さな星の上で生かされ、ちょこちょこと動いているだけのもの。ただ、生かされているだけの生物、いや、微生物。

空の雄大な光景を見ると、所詮人間が考えることなんてどうでも良いことと思ってしまいますね。

それでは、今日も良い一日を。

「イタリアの形はブーツに似ている」という世間一般の風潮に一石を投じる

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イタリアの形は、良くブーツや長靴に例えられますが、本当にそんな風に見えている人って、この世にどのくらいいるのでしょうか。

僕の意見ですがほとんどいないと思うんですよね。
皆さん、改めてイタリアの形をもう一度、目ん玉をかっぽじってよーく見てみましょう。

はい、もう分かりましたね。
そうです、イタリアは明らかに男性そのものの形をしているのです。誰がどう見たって、あそこにしか見えない。はっきり言いましょう、

イタリアはち◯こです。

でも、この国土の形が、この国が生み出すプロダクトと大きな関係があるということは意外に知られていません。イタリアの名産品やプロダクトがどうしてかくもお洒落なのか、それはまさにその国土の形にあるのです。

まず、イタリアと言えば車やバイク。
男性器の形をした国の男性は、男性器そのものです。つまり、「モテること」しか考えていない。だからこそ実用性はなくても、モテるためだけに走る車である、フェラーリやランボールギーニ、マセラッティ、ブガッティなどを生み出したのですね。バイクで言うとDucatiもそうです。モテることしか考えていない男達が作った車、それがイタ車です。

同じように、イタリアの名産と言えば何でしょうか。
そう、生ハムやワイン、そしてアートにファッションです。日本のように、昆布とか、こけしとか、木彫の熊とか、饅頭なんてものはイタリア人は作りません。なぜなら、そんなものを作っても「モテない」からです。モテることしか考えていない国の男性は、その国の形そのものがそうである通り、もっさい物は作らないのです。

アルマーニを来てフェラーリに乗り、生ハムをアテにワインを嗜み、アートやカンツォーネ、オペラを鑑賞する。

日本人のように、青山のスーツを来てプリウスに乗り、塩昆布や干物をアテに焼酎を嗜み、春画や大衆演劇、演歌を鑑賞したりしないのです。

こう考えると、国土の形が、その国の文化にいかに大きな影響を及ぼすかを理解することができます。イタリア=長靴 なんてイメージはその「重大な事実」を隠すためのカモフラージュでしかないのです。

これからは、世界地図を見る際に、その国の国土がどのような形に見えるか、そしてその形がその国の文化とどのような関係があるかを考えながら見ることにいたしましょう。きっと新たな発見があるはずです。



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