物理的な世界は広いし、行ったこともないところばかりだけれど、狭義的な意味においての世界(むしろ、業界)は専門性があればとても狭いし近いのかもしれません。
このブログで仕事のことを書かないのはパブリックなネタ以外はNDAの配下にあることが多いためですが、今年も、大きなことが出来るかもしれません。世界は近い。いや近づけないと!という思いで日々歩んでいます。一歩づつ、一歩づつ。
自分にとってシーズン最後のレースが芦屋国際ファンランで閉幕しました。
今シーズン(2015秋〜2016春)を振り返ってみると、大阪マラソン(4:03)、篠山ABCマラソン(4:30)、芦屋ハーフマラソン(1:48)と、今までのマラソン人生の中で一番記録が出ないシーズンとなりました。30代半ばでマラソンの大会に出始めてから、年々記録が悪くなっているということになりますが、自分の周りでは40代、50代でマラソンを始めてどんどん記録を伸ばしている人もたくさんおられるので、まだまだ40歳と年齢的に若い自分にガッカリすることばかりです。
原因は自分なりには分かっているので、そこを改善すればもう少しなんとかなるのかもしれませんが、自分の中で(過去の自分)は忘れ、(別の角度)で見つめ直してみようと思っています。一つは精神面。心と身体はリンクしていて、走りながらネガな事や嫌な事を思い出すと一気にペースが落ちてしまいます。今年のレースは、スタート前から「ああ、またあのしんどい思いをしないといけないのか・・・嫌やなあ」と、若干憂鬱になりながらのスタートばかりでした。実際、本当に、走るのが嫌なのです。フルもハーフも何度も走っているから、楽しさよりも「しんどさ」の方が脳にしっかりと焼き付けられているんですね。だから、もう、スタート前から嫌なんです。ゴール前ラスト5kmでも同じです。ああ、しんどい。もうやめよう、このレースを最後に引退しようと思いながら走っているんです。そりゃ、好タイムは出ませんよね。もっと前向きに走らないと。
でもなんとか「気持ちを強く、心を強く」と言い聞かせながら、なんとかギリギリのところで思いとどまって走る。そして最後は「ここまで来たらしゃあない、やるしかないやろ」という、諦めというか、投げやりのような気持ちが足を前に進ませます。動機がかっこ悪くても、きれいじゃなくて泥臭くても、結果、最後まで成し遂げるということが大切なんだろうと、いつもマラソンから学ばされています。
そんな感じでしんどさばかりを強調してしまうマラソンですが、ゴールして、ああしんどかったと思いながらビールを飲んでいるとまた次の大会のことを考えているのです。本当にランナーという人種は馬鹿ですよね。病気です。あんなにしんどいのに。
そして、いい感じで酔っ払ってくると後からやって来る他のランナーを誰かれ構わず応援してしまうのです。ゴール1km前の苦しそうなランナーの顔を見て、「分かる、分かるよ、しんどいよね、良くがんばったね。もうちょっとだから、なんとか最後までがんばって。」と目頭を熱くしながら、手を叩いて応援してしまうんです。
とにかくしんどいスポーツだし、もう何もかも嫌になってしまうけれど、皆が苦しい中で一生懸命走り、沿道の皆さんが一生懸命応援してくれるマラソンというスポーツが好きです。
次はどの大会にエントリーしようかな。
人間には皆平等に24時間が与えられているといいますが、実際そうなのかなあと思うことがあります。例えば、息抜きに村上春樹さんの「遠い太鼓」などを読んでいると、そこで書かれていることが事実として、ギリシアの島々に住む人は、こんなに働かなくても生きていけるのか、イタリアという国はこんなにテキトーにやっていても、国として成り立っているのかと不思議に思います。
一方、昼夜休日関係なくひたすら仕事をしている人もいて、人として、この差はなんだろう? この24時間という時間の使い方に一体どんな差があるのだろうと考えさせられます。
IT社会になると仕事なんてなくなるのでは、移動や出張や出勤すらなくなって、みなリモートワークになるのではと思っていたのに、事実はむしろその逆で、人はもっと忙しくなり、神経質になり、全てがセンシティブで、一体何に振り回されているのだろうと思うくらいではないでしょうか。そして、社会はその結果、本当に豊かになっているのでしょうか。天文学的な数字の資産を持っている大富豪と、調子が良い国の爆買いばかりが注目されていますが、市井の民はどうなのでしょうか。幸せのレベルは人によって違いますが、「差」という点に目を向けてみると、「自分が食べたいものを自由に飲食している」人と、「健康オタクで摂生している」人の寿命には2,3年の差くらいしかありません。この努力の差って、一体なんなんでしょう。
シンプルなことを複雑にしているのは他でもない人間自身で、24時間の使い道をコントロールするのも自分です。
たまにこういう事を深く掘り下げて考えてみると、楽しいですよ。人それぞれに、しなければならないことが見えてくると思います。
また電車飲みやっちゃった。
ではなく。
もう少し出来る、まだまだ出来る、という意味で。一週間が分速で過ぎて行きますが、持ちあわせたキャパが耳かき一杯分程度しかない事に加え、若い頃と比べて低下していく体力を、経験と要領で補えるはずがそうもいかず、積み残しも多く、全てギリギリ。あかんあかん、そうじゃ、そうじゃない。
最近、登壇の機会が増えてきました。来週は英語一本、日本語ニ本。4月終わりの中国・深センのカンファレンスはさすがにお断りしましたが、ゴールデンウィークの後半連休からはアメリカ出張が決まり、ご招待いただいた「Tie-con」でプレゼンする機会をいただくことができました。ちなみにシリコンバレーの著名アントレプレナーが集まるTieConで登壇できる機会はとても貴重で、本当に感謝です。もちろん、これから準備が大変なんですけれど、一世一代の大舞台(そしてそれまでの山積している仕事達も含め)に向けて、寝ない覚悟で日々を乗り越えて行きたいと思います。
とりあえず、明日のグランフロントと、明後日のハーフマラソンを乗り越えなければ!
アメリカにいる友達を中心に、グルテンフリーを実践している人が増えてきました。グルテンとは小麦粉などの穀物の胚乳から生成されるタンパク質の一種で、食欲をひたすら増進させる作用があります。パンやスイーツを食べだすと止まらないといった現象はずばりそれですね。小麦を食べると 血糖値が急上昇し、それを下げるためのインスリンが過剰に分泌されます。結果、脂肪を溜め込み、太りやすくなるため、シミやシワといった老化の体内時計を早めることにもなりかねません。つまり、老化の大敵である糖化を促進する作用があります。
しかし世の中、うまくいかないなあと思うのは、グルテンが含まれる食事は美味しいということです。
出来るだけ、小麦粉などの穀物は避けつつ、肉や野菜などをメインに組み立てたいと思う今日この頃です。
告知です。
4/13(Wed)19:00-21:00 Osaka Innovation Hub で行われる MakersBootCamp × HWTrek主催のMeetupに登壇します。テーマは「Heading to global market with IoT startups?Get ready for expanding your business」。QuadceptもCohostとして10分のスピーチを行いますので興味のある方は是非。
主催の Makers Boot Camp はハードウエアスタートアップスのアクセラレータとして、量産化試作の開発支援、経営支援、ネットワーキングと幅広いサービスを提供しています。そのMBCが今回、IoTの世界最大のプラットフォーム HWTrek と大阪でイベントを行うということで僕も今からとても楽しみです。ものづくりをはじめようという気持ち、アイデアはあっても実現するためのチームをどのように作れば良いか分からない、メンバーを集めたいという人のためのMeetupイベント。ちなみに、このイベントのREMARKは 「The event will be conduct in English mostly」ですので、大阪にいながらグローバルな雰囲気を楽しめると思います。
最近、ご老人のグループから「人生を楽しむ」ということを学ばされる機会が多くあります。
先日、訪問先に行く前に仕事をしようと、朝早めに家を出て駅近くのカフェに入りました。まだ8時頃でしたが、70前後の男性一名、女性二名がワイワイと楽しそうに入ってきて、会話しています。夫婦や親戚関係の感じでもなく、みな、友達同士のようです。それぞれの孫の話などで盛り上がっているのかと思っていると、いやいや、とんでもない。どこぞの店が美味しかっただの、パスポートを更新したから今度はパリに行くだのと、まるで20代の若者グループと同じような会話をしているのです。
どうやらいつかの旅行費用の建て替えの精算をしているようでしたが、70代男性が「いや、この端数はオレ持ちで」と言った事に対して、70代女性二人が、「いやいや、あなた何言ってるのよ。今は男とか女とか、そういう時代じゃないんだから。はい、これでちょうどOK。」などと言っているのです。
すごいな。ある意味、今のご老人の方が、人生を楽しみ、新たな価値観を持ち、日々をしなやかな生きているんだなと感心しました。もちろん、身なりや会話の内容から、比較的余裕のある人たちなんだろうとは想像できるので、皆が皆そうではないとは思いますが、家族や親族に頼らず、自分たちは自分たちで、若い頃と同じように友達と連れ立ってカフェに行き、旅行に行き、楽しく会話をすることで、助け合いながら生きていくというスタイルに、ニ十数年後に人口8000万人、65歳人口が30%超える「超高齢者ばかりの社会」における幸せのあり方を見たような気がします。
今日と明日は、芦屋川の「さくら祭り」です。
僕も芦屋川から徒歩圏すぐのところに住む地元民の一人として、毎年楽しみにしているのですが、その楽しみの一つが「元気なご老人を見る」ことです。杖をつきながらワインを飲み、JAZZ生バンドにノリノリのご老人方を見ると、幸せな気持ちになります。
2015年の統計では、芦屋市の高齢化率(65歳人口比率)は、25・4%に達し、全人口の4人に1人が65歳以上の状態で県平均を上回っています(神戸新聞の記事にリンク)。当然、さくら祭りを切り盛りするボランティアの方も、商工会などの出店の方も、来場する方も、高齢者が目立ちます。それでも、友達連れでテーブルに座り、ワインを飲み、生演奏を楽しみ、20時頃になると賑やかに帰宅していく様を見ていると、心が暖かくなります。ああ、こういうのいいな、僕もそうなりたいなと思うのです。
とにかく、身内だけでなく、人との関わりを持つこと。一人にならないこと。友達たくさん作ること。人生80歳ピーク説に賛同する者としては、日々を楽しみながら生きるということのお手本が、ご老人なのです。
ふと思うことがあり、自分の中では珍しく二夜連続の「休肝日」を過ごしています。幾つかある理由の中には、飲み会が続いていること、季節の変わり目で体調不良も続いていること、そして、仕事が溜まりすぎていること、があります。
特に2番目の理由を検証するために「飲んで寝た次の日」と「飲まないで寝た次の日」のコンディションを比較してみることにしようと思いました。このダルさ、身体のあちこちの痛み、目眩はどこから来るのか。今までは、これらを吹き飛ばす(あるいは誤魔化す)ために、ガーッと飲んで寝ていたのですが、まあ、気分は良くなっても身体にはプラスにはならないことくらいは分かります。初日の昨夜は、遅く就寝したにも関わらず、早朝5時台に起きることが出来、仕事と家事を片付けることができました。うん、良い成果です。体調に影響が出ているかどうかは分かりません。さあ、明日はどうでしょうか。
休肝日を設けるというのは自分の中では大きな挑戦で、幾つかのハードルを超えなければなりません。まず職場から駅までの間。駅のキオスク(疲れた時はいつもキオスクでハイボールを買って、電車で飲みながら帰ってしまいます)、そして地元の駅から自宅までの間の「寄り道欲」との戦いです。たいていの事はそうかもしれませんが、摂らないことより、摂ることの方がよっぽど楽ですよね。入れないよりかは、入れる方が楽なんです。これが逆転するケースもあるんでしょうけれど、そこまで行くと何かを根底から変えなければならないような気がするので、今は「出来る時は」くらいのペースで行きたいと思います。そういえば、もうちょっと若い頃は「酔拳」とか言って、ちょっと飲んでるくらいの方が仕事が捗るとかうそぶいていましたが、あれは間違いなく、若さです。今は帰ってから何も出来なくなってしまいますから。
そういえば、今日は3月最終日でしたね。
お疲れ様でした。