最近、自分の周りで国内外問わず話題になっているのが、巨大資本によるプラットフォーム型支配からの脱却と、半径100m以内の人々とのつながりを大切にする独立・自律・分散型のコミュニティの重要性です。
かつての日本は村や集落で自給自足し、助け合いながら生活してきました。水や土地など限られた資源を共有しなければなりませんから揉め事やトラブルなどもたくさんあったでしょうけど、神社や寺などに集まり随時話合いで解決してきたという歴史があります。一方、地域が狭いので相互監視が働き、不自由な側面があったのも事実でしょうね。
21世紀になり、グローバル化の弊害と資本主義の限界が見えてきた時代にあって、この「半径100m以内の繋がり」というのが再度求められていると思うのです。それは物理的な距離(=隣近所)という意味でもあるし、距離が離れていたとしても、価値観、趣味、目指すべきゴール(=目に見えないもの)が一致している人たちとの独立したコミュニティです。同じ価値観を持つ人たちと助け合い、話し合いながら生きていくようなイメージに近いかもしれません。最近お手伝いしたプロジェクトも「足から健康に」をテーマに、同じ志を持つ人々が集まって作ったイベントでしたが、価値観と目指すべきゴールが共有されているので「中にいる人たち」が自発的に動き、自然と助け合うという精神が醸成されていました。何か問題があっても自浄作用が働きます。
また、最近、米国の知り合いから教えてもらった話では、シリコンバレーに来た学生さんの中に「自分たちで自由に使えるSNSがほしいので開発する」という人がいたようです。ちょうど同じ時期に、日本の学生さんからも同じ話を聞きました。FBは中高年しかいないし、TWは誹謗中傷とフェイクと炎上の嵐で、Linkdinは営業ばかり。巨大プラットホームから脱却し「自分たちは自分たちの好きなように生きていく」ということなのでしょう。
このような趣味や仕事、関心事、専門分野など多様な価値観をベースにした無数の分散したコミュニティがどんどん出現し、それらが自律し自走する小さな経済圏を形成していくであろうと予想しています。もちろん、それらの分散したコミュニティはノードとエッジの関係で緩やかにそれぞれが繋がっている。脱・巨大資本プラットフォームですね。フェアトレードも自然に実現してしまうかもしれません。またITを活用すれば、文字通り隣近所に住んでいなくても繋がれますから、相互監視による不自由さなどからも解放されるでしょう。良いとこ取りです。
同じ地域や村に住んでいなくたって、今はそのような「繋がり」を身近に感じ、繋がることができるツールがたくさんありますし、地域通貨による町おこしなど、より狭く緩やかに助け合うという動きがここ2〜3年で加速していくと思います。敷かれたレールもありませんし、決まったロールもありませんから、自律分散したコミュニティを作る、あるいは参加するためには、個人個人も確固とした考えを持ち、どのように生きて行きたいかが問われる時代になっていると思います。
都心で買い物ではなく、近所で完結という行動変容について
美容系店舗ビジネスを全国展開する企業のデジタルマーケティングをお手伝いさせていただいているのですが、そこで興味深い話を聞きました。平日仕事帰りのビジネスパーソンの需要を吸収し、予約でいっぱいだった都心の店舗がコロナが落ち着いてからも全く振るわず、逆に郊外の店舗の売上が伸びているようなのです。
単純に分析すると、
①在宅ワーク、リモートワークがコロナ後も一般的になった
②仕事が終わるとどこにも寄らずにすぐに帰宅するという習慣に慣れてしまった(おうち時間の充実)
③わざわざ都心に出向かなくても、近場の駅でたいていのものは充足するようになった
こういう点が挙げられるかもしれません。
特に①に関しては、自分がお手伝いさせていただいている会社のうち、80%が在宅と出社のハイブリッドか、またはフルリモートを採用しています。逆にフル出勤をしている会社は5社あれば1社程度。もちろん、自分の領域がマーケティング、IT、テックが多いので偏りはあるかもしれませんが、それだけ「オフィスに出社」するという人が減っているのは事実ですよね。それ以外にも不景気により可処分所得が上がらないので、財布の紐が固くなっているという要素もあるでしょう。
よく考えると自分の行動もまったくそのとおりで、梅田には週に一度程度しか行きませんし、行ったついでに店に寄るということも少なくなりました。たいていの物は近所の店やネットで揃うので、仕事以外でわざわざ都会に出る必要がなくなったんですよね。その代わり、地元でお金を落とすようになったと思います。
そうなると、都心の好立地だから高い家賃を払っても回収できるだろうという常識はなくなってしまい、むしろ郊外にチャンスがあるといえるかもしれません。家賃の安い郊外の駅前などがチャンスかも。実際のところは分かりませんが、先日の中華料理屋の話といい、最近、人々の行動変容の変化を直に目の当たりにすることが多くなりました。
実店舗とは別ですがSNS離れも深刻なようです。Facebookは中高年の絵日記と称され(自分もその中に入ってますけど笑)、Twitterはフェイクや誹謗中傷合戦に疲れた10代、20代の若者たちが離れていっているという事実も顕著に出ているようです。時代は急速に変化していますので、リアルな情報から自分の考え方も常にアップデートしていかなくてはならないなと実感しています。

なにかを成し遂げる人の裏側にある、緻密な段取りと地道な努力の積み重ね
ランイベントでお会いする方、クラブの仲間たちの中には、世界的に活躍するランナーから、ウルトラマラソンを十数回完走している人、ハードワークと平行しながら百名山を制覇している人など、いわゆる「すごい人」がたくさんおられます。
昨夜もそんな方々のお話を中華料理屋でビール片手に伺いながら、「なにかを着実に成し遂げる人」に共通する資質について思いを巡らせていました。彼らに共通するのは、緻密な計画、それを実現するための計算しつくされた段取りと日々の努力の積み重ね、そして、必ずやり遂げるんだという強い意思。特に、見えないところでの段取りと日々の鍛錬には目を見張るものがあります。
物事を成し遂げる時に近道は存在しない。多くの人が、どうせやるなら最短距離でと、高いハードルを設定して闇雲にがんばろうとするのですが、人間の能力は高々しれているのですぐに飛び越えることはできません。最初はやる気もあるし元気だから何度も飛び越えようとがんばる。でも無理だからそのうち諦めてしまう。結果、小さなハードルすら超えれず時間だけが過ぎ去っていくんですよね。
良く「いついつまでにこうなります!」「何歳までにこれを実現します!」と肯定口調で威勢よく宣言してくれる若い人がいますが、誓うことは全然OKですし、自らの脳に働きかけているという点でも良いことかもしれませんが、結果的に何年も状況が変わっていない人が多いのは、きっと目先の小さなことから着手するのが苦手なのかもしれません。夢は大きく、目標は高くというのは多いに結構ですが、実現して始めて評価されるもの。
ですから、なにかを成し遂げたい時は目先の手が届くことにまず着手すること。地味な積み重ねがきっと良い結果を生むということなんですね。いや、ほんと多くを学ばせていただきました。
階段を一歩づつ登るかのごとく、小さなことからコツコツと。

街場の中華とクリニックで聞く、人の流れの意外な変化
「最近、人の流れが全然読めないんですよね」と、人気中華料理屋のマスター。
木曜日の19時、界隈では人気の名店ともあって念のため予約して行ったにも関わらず、ほぼ貸し切り。おかげでカウンターの奥、調理するマスターと会話が出来る特等席に座らせていただきましたが、もっとお客さんいてもいいのに、なんか変。
美味しい創作中華をいただきながら料理の説明を親切にしてくれるマスターですが、お会計の時、「お客さんの流れが全然読めなくて。月曜日に満席になって、後から来られたお客さんをお断りすることもあれば、同じ時間にお客さんが集中しててんやわんやになることもあって、分散していただければと思うのですが、両極端なんです」と。コロナ前まではある程度お客さんの流れを読めたし、週末は予約である程度埋まるから段取りの計算も出来たらしいのですが、不思議ですよね、とのことでした。
自分も仕事の仕方が大きく変わったので行動変容した側の人間ですが、確かに「週末だから行こう」「週初めだから控えよう」というのはなくなりました。集中できる早朝に仕事をして、夜は早めに就寝というスタイルに変化しましたし、出勤しなくて良いので食事に出る時は、お店を決めて早い時間からスタートという形になりました。会社勤めの人たちも、自分のように、時間場所にとらわれないワークスタイルが徐々に浸透しているのかもしれませんね。
そういえば、治療でお世話になってる歯科医の友人も同じことを言ってました。彼はキャンピングカーを保有し、ご夫婦でのキャンプが趣味なのですが、休暇を取ってキャンプに行くと「平日やったのにすごい人やったわー」と。やっぱり多くの人のワークスタイルが変化してるのかな、と。そうかもしれませんね。自分も週末仕事して平日に休むこともありますから。
行動変容で従来の人の流れが変化しているのは事実のようで、今後、営業時間や定休日のあり方なども変わっていくかもしれませんね。
さて、冒頭でご紹介した中華屋さんですが、大阪は本町の瓦町仔鹿さんです。
料理が美味しいのはもちろんですが、ドリンクの氷もかわいくて、思わず写真を撮ってしまいました。美味しいお料理とお酒、真面目だけど気さくなマスターとスタッフさんに癒やされました。ありがとうございました。



ミドル世代(45〜55歳)の役割と価値について考えてみる
最近20代の若手経営者と話す機会が多いのですが、自分が学生だった25年前に比べて格段にビジネスチャンスが広がっていて、起業がとても身近な環境にあるんだなと、改めて実感しています。
インターネットやスマートフォン、SNSの普及がベースにあるのはもちろんですが、「良い大学に入って良い企業に就職する」というティピカルなキャリアパスではなく、「良い大学に入って起業する」という学生がとても増えているようなイメージなんですね。大企業に入ってほしいというのは、「バブル崩壊後の失われた30年」を身を以て体験した親世代の希望であって、三種の神器(新卒一括採用、終身雇用、企業内労働組合)が崩壊し、生まれた時から不景気、少子高齢化、人口減少を当たり前に見ている若者は、もはや右肩上がりの経済成長や、働けば働いただけ稼げるという成長イメージは最初からなく、会社に依存せずに自分が自分の力でいかに道を切り拓いて行くかに集中しているように思うのです。たまたま、僕の周りの20代経営者がそうなのかもしれませんが。
先日も東京で大学2年で同級生と起業し、現在23歳で会社の役員になっている起業家と飲んだのですが、その時に思ったことがあります。
自分も最近まで、起業を志す若者たちに「起業するなら、まずはどこか会社に入って基礎を学び、実績を積んでからの方がいい」とアドバイスしていたのですが、いや、待てよ、最初から起業できるなら、その方がよほど良いではないか、と思うようになったのです。彼のようにすでに事業化に成功していて、ある程度の売上を確保し、会社も成長スキームに乗っているのであれば、既存の会社にわざわざ入ってなにか学ぶ必要はないよな、と。もちろんビジネスマナーや、財務、経理などは学んでおいて損はしないと思います。採用や教育もしかり。でもね、それらは自分で学ぶことが出来るし、今の既存の会社を見渡しても、時代の変化についていけずに右往左往しながら泥舟の如く沈みつつある会社がほとんどで、従業員平均年齢も40歳を超え、いかに逃げ切れるかを模索しながらしがみついている社員ばかりの会社(すべての会社がそうだとは言いませんが)で学べることなんて、そんなにないよなとも思っています。仮に、技術や製造、創薬、研究といった専門分野で活躍したいのであれば国内主要メーカーに就職するのは最高ですし、国プロのような大きな事業に参画したいのであれば、イスタブリッシュメントな大手商社などをターゲットにするのももちろんアリだと思います。外コンに入って腕を磨くのもありでしょう。この辺りは目利きが求められると思います。
さらに、若いうちに起業して仮に失敗したとしても、起業経験がある人は、どこにでも就職できます。ビジネスの立ち上げを経験しているし、営業からマーケ、経理も全部知っているし、信用なしのゼロべースで営業して売上数千万作った経験を持つ若者なんて、どの企業もほしいでしょう。僕ならすぐに採用します。ですから、可能な人はまず起業というのは選択肢として大いにオススメします。どのみち会社に就職しても苦労はするのですから。
若いっていいですよね。
僕も46歳でフリーになったので分かるのですが、家族や子供がいると、毎年莫大にお金が掛かりますので、一歩踏み出すのにとても勇気がいるのです。「年齢なんて関係ない」とは言いますが、どうしても年齢は関係します。体力の低下や健康問題はたくさん出てきますし、家のローンや子供の学費だけで日本人の平均年収くらいは毎年飛んでいくんですよ。子供がいる親たちは、先行き不透明な世の中で自分の仕事がどうなるかも分からないのに、これから重たくのし掛かる子供の学費に怯えている人もたくさんいるのではないでしょうか。それなのに起業なんて、ね。だから、若ければ若い方がいい。いくらでもリトライできるし。
一方、40代、50代の役割についても考えています。自分もその世代ですが、僕たちの役割ってなんだろう。日々、多方面から事業やマーケティングに関する相談を受けますが、はっきりいって、ワクワクするようなアイデアは若者たちがたくさん持っている。ツールや技術力もある。僕にあるのは経験だけ。でもその経験って本当に役に立つのだろうか。タブレットの時代に、鉛筆の削り方を誇ることができるのだろうか。いや、人脈はあるな。人脈はたくさん持ってる。それってビジネスではとても重要なので、必要な人材を紹介することで若者たちの役に立つことはできるかもしれない。
その上で、自分のようなミドル世代に求められているのは、やはり「新しいことに常に挑戦し続ける姿勢と結果」だと思うんです。生活があるからといって守ったり、しがみついたりはせず、常に自分の知識と判断力をアップデートし続け、環境の変化に柔軟に対応し、失敗したらピボットするを繰り返す。「逃げ切り」の気持ちは捨てる。自分だけ逃げ切れても、自分の子どもたちにより良い環境と社会を残さなければ意味がない。
日々、自分をアップデートすることで、社会のお荷物ではなく、どのように役に立てるかを模索していきたいと思います。そういう意味で、若手起業家に慕っていただいているのは本当に嬉しいのです。
【出張がてら旅日記】御殿場、伊豆 〜 提携ゴルフコースへの旅
自分が所属している千刈カンツリークラブのメンバー仲間の発案で、千刈提携コースである、御殿場の富士カントリークラブと伊豆大仁カントリークラブでラウンドすることになりました。提携クラブはなんと特別優待料金でラウンドすることができるのです。御殿場、三島、伊豆は家族旅行で何度も訪れている思い出の地。数ヶ月前から楽しみでワクワクしていました。
それぞれ土日の前後に出張を入れることにし、僕は木金の二日間東京で仕事をし、金曜日の夜は御徒町で会食してから(若い20代経営者とのヤキトン、楽しかった!)、三島に向かいました。
さて、当日朝。
同伴のお二方と三島駅で合流し、レンタカーで御殿場の富士カントリークラブへ。1965年開場の千刈CCよりも更に古い、1958年開場の富士カントリークラブ。ヒストリカルなクラブハウスには歴史遺産がいっぱいです。


コース自体は山岳コース。
久しぶりにアップダウンの激しいコースで、砲台グリーンや富士山の裾野特有の芝目に苦戦しましたが、コースコンディションは最高に良く、コースも戦略的で楽しめました。
本当は真正面に富士山が見えるはずが、雲に隠れてなかなか姿を見せてくれません。スタッフの方は「女富士と言いましてね、いい男が来ると隠れちゃうんですよ」と。なるほどなあ。こういう富士山にちなんだフレーズ、たくさんあるんでしょうね。
この写真の正面に富士山がきれいに見えるはずですが・・・

ご同伴の皆さんと。

ティーグランドのヤード表示も富士山でかわいい。

クラブハウス。ここでは天丼ともりそばをいただきました。


スタッフの方々もとても親切で気さくで、我々ビジターを暖かく迎えてくださいました。この居心地の良さは、長年のメンバーさん達が大切に築き上げてこられたものなのでしょうね。ああ、またすぐに来たい!
さて、その日の夜は三島駅近くの海鮮居酒屋でたらふく飲み、翌日は伊豆大仁カントリークラブへ。1976年開場の、こちらも歴史のあるクラブです。

前日同様、最高の天気!
富士山、なんとか姿を見せてくれました!

ラウンドしたのは、天城→富士コース。ここは27ホールあります。

こちらもコースコンディションは抜群。フェアウェイもふかふか、グリーンも目がしっかり詰まっていて、ディボット跡も起こせばすぐに元に戻ります。メンテナンスの素晴らしさを実感しました。

高原の風が気持ちいい!


センチュリー21レディストーナメントを何度か開催したコースなんですね。

ここではゴルフランチの王道、カツカレーを。美味しかった!

こちらのクラブもスタッフ皆さん、とても気さくで親切。両コースとも本当に楽しくラウンドできました。またすぐに訪れたいゴルフ場です。もちろん、クラブ仲間のお二人がいたからこそ。楽しい二日間のゴルフ合宿をありがとうございました!
千刈カンツリーは、この2コース以外にも岩手の南部富士カントリーや台湾のゴルフ場とも提携しています。いずれ全部制覇したいよね〜と。
ゴルフは大人のピクニック。
そのために仕事もがんばり、健康もしっかり維持しないと!
夢は広がります。
足りないものを補うことが上手な人について
多くの人がそうであるように、一日何時間あっても足りないという生活は現代人の特徴かもしれません。時間を意識的に作ろうと思うと「何でもやる」という考え方から「何もしない」に考え方を切り替えなければなりません。
ところが難しいことに、世の中そんなに甘くなく、仕事でも何でも日々様々な案件や相談事が舞い込んで来ますし、ITやDXでは解決できないことばかり(ITやDXは人の暮らしを楽にしない、戦争に勝つためには必要かもしれないけどね、というのが最近の持論です)ですので、やはり自分自身の「処理能力」が求められるわけです。
そこで限られたCPU(=己の脳みそ)をフル活用するために、様々な策を講じるわけですが、そのうちの一つが環境を変えることだったりします。中でも仕事が捗るのが、カフェ。
移動の合間にカフェに入ると、仕事が進みます。なぜなら「ここにいる50分の間に、これだけを終わらせよう」と時間を区切るので、集中できるんですよね。一時間、あるいはそれ以下の時間で細かくエンドを区切るには、移動中のカフェが一番良かったりします。
環境づくり以外に仕事が出来る人を観察していると、足りないものを補うのがうまいな、と思うことがあります。それは、情報であったり、人であったり、物であったり。足りないピースをちゃんと埋めて行く力。
抽象的な表現ですが、「足りないものを補うことが上手な人」っているんですよ。要領がいいとか、世渡りが上手とか、そういうのではなくて。
自分もそうなりたいと思います。
さて、明日から東京、そして週末は静岡で色々とお楽しみが待っています。またブログで報告しますね。

目の前に複数の選択肢がある時、利益、近道、意味の有無では選ばない
月末から月初にかけて非常に忙しい一週間でした。
気づくとあっという間に9月。9月の声を聞くと今年ももう後半戦ラストスパート。あと4ヶ月と考えるか、まだ4ヶ月もあると考えるか。どちらにしても時間はあまりに速く、あまりに着実に進んで行きます。自分にとって激動の一年となった2022年を振り返った時に、この一年をどう評価できるか。すべてはここから年末までの自分のがんばりに掛かっています。
オンライン、リアルともにミーティングが多い一週間でしたが、やはりリアルな場は良いですね。異業種の方々と混じり合い、様々なプロジェクトを進めていく。
「異業種、混じり合い、プロジェクト」
ごめんなさい、とてもざっくりした表現ですよね。でも、こういう表現以外思いつかないのです。独立した後、自分の専門分野以外の方々と一緒に仕事をする機会が本当に増えました。スポーツ業界、アスリート、クリエイター、アーティスト、行政、大学などなど・・・どんな分野であれサービス、製品、イベントなどをイチから作ろうとした時、ジャンルは違えど自分の今までの経験を活かせることが多く、やはりサラリーマン時代に業種業界関係なく、いろんな人と積極的に交流し、学ばせていただいたことが本当に役立っています。2年前に「儲からないことに一生懸命」という目標を掲げましたが、楽しい、やりたい、社会の役に立つ、そういう視点を最優先して二年間がんばってきましたが、間違いではなかったようです。
だから、目の前に複数の選択肢がある時、それが利益につながるか、近道か遠回りか、効率的か、意味があるかないか、そういう短期的な視点で物事を見て動かない方が良いですね。そもそもVUCAの時代ですので「これをやれば儲かる」なんて考えても、まず思う通りに行きませんから。事業計画書をアドバイスすることもありますが、書いても100%そのとおりに行かないので、自分がこれからやることを整理するだけの目的として作った方が良いですよ、と言っています。
「セレンディピティ」という言葉がありますが、歩いていると予想もしない素敵な偶然に出会ったり、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけることもある。そこから新たな世界が広がることもあるのです。
話は逸れましたが、貪欲にいろんな人と交流すること。できれば臨場感のあるリアルな場で。明日はコロナ後、久しぶりにKNS定例会が関西大学梅田キャンパスで開催されます。今から皆さんとお会いできるのが楽しみです!
臨場感といえば、今週は娘たちと甲子園球場に阪神vs広島戦を見に行きました。雨で試合開始が45分遅れ、途中も中断あり。びしょ濡れになりましたが、娘たちも楽しかったようで、また行きたーいと。TVで観戦する方が見やすいというのもありますが、やはり球場は臨場感があって良いですね。

刺激をどのように作るか
夏も終わりに近づいてきましたね。
実際はまだまだ暑い日が続くのでしょうけど、8月も最終週に差し掛かり9月が見えてくると、余計にそう思います。夏の終わりを感じるイベントのひとつ、今日は淀川の花火大会だったんですね。
会場から20km離れた自宅からも遠目で見ることができました。部屋の電気を消して、一時間たっぷり鑑賞しました。3年ぶりの素晴らしい花火でした。

さて、先日Instagramにも投稿したのですが、最近、怒ること、苛立つこと、落ち込むことが本当に少なくなりました。ほぼ皆無といえるかもしれません。精神的にネガティブになることもなく、誰かに対して負の感情を抱くこともなく、毎日忙しくとも本当に楽しく、笑顔で過ごすことができています。これって独立して得られる最大かつ最高のご褒美なのではないのかなと思うのです。
自分で仕事を選び、時間の使い方も自分で調整していると付き合う人たちも変わってくるので、自分と意見が相違する、あるいは自分から見て残念に思うような考えや戦略に接する機会がほとんどなくなったことが最大の要因かもしれません。環境は人を作るといいますが、ネガティブな環境にいると成長もしないし、埋もれたまま。逆にポジティブでハイレベル(定義はさておき)な環境にいると自分もそうなります。
一方で、悪い刺激が人を成長させるということも事実です。たとえば上司に反面教師のような人がいると、こんな人になりたくないと「なにくそ根性」でがんばれるし、環境が悪いとその環境を少しでも改善しようと努力する。不条理や低レベルな事象に面した時、もっと良くしたい、成長したい、脱出したいなど、モチベーションは様々あれど、悩み、もがき、苦しみながら成長できるというのは事実ですし、自分自身もそんな風に年を重ねてきたと思っています。
ただ、一旦そのような環境から解放されると、本当にノンストレスで毎日楽しくて仕方がないため逆に怖くなるんですよね。ないものねだりをしてしまうというか。こんなに楽しくて良いのだろうか、こんなに幸せでいいのだろうか。
そこで今、自分が取り組んでいるのが学び直しです。今までやってきたこと、感覚的に会得してきた物事を体系立てて学問として再構築してみるということをやっています。たとえば経営であったり、統計であったり、組織論であったり。経済紙などを読んでいると、研究の題材になるようなニュースが毎日たくさん流れてきますよね。たとえば最近だと、日本電産の後継者問題なんて、外部から見ていると本当に興味深い。経営学の教科書に載りそうな題材です。
いずれにしても刺激は自分で作ること。興味関心の幅を広げるために、様々な社会課題に目を向けてみること。
こうすることで、ただのお気楽ハッピーおじさんにならなくて済むような気がします。(ただのお気楽ハッピーおじさんでもいいんですけれどね)
パパ、ちょっとしたニュースがあるよ
そういえば、面白いことがありまして。
二週間ぶりに帰宅したら、長女が恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、パパ、ちょっとしたニュースがあるよというので、なに?と聞いてみると、おもむろに次女を呼んで背くらべをし始めました。
長女は高校3年生なので、もうとっくに背の伸びも止まったと思っていました。女性の平均身長よりちょっと高いくらいの身長で、大柄な我が家の中では小さめサイズ。次女にも身長を抜かれ、本人ももうちょっと大きくなりたいな〜と気にしていたようです。
ところがですよ。
パパが留守していたこの二週間に、驚くべきことになんと6cmも伸びたと!次女よりも大きくなっているのを証明するためにパパの目の前で背くらべをしてくれたのです。ウソじゃない!確かに大きい!縦に伸びた分、細くなってるし!こんなことってあるんですね〜不思議!これで、長女は我が家ではパパに次ぐ第二位の身長になりました。パパとはまだ20cmも差はありますけれど。一応、一時的に伸びただけで縮んでも困るので毎日身長を測っていますが、今のところ縮むことなく維持されています。笑
次女も身長抜かれたことはちょっと悔しいみたいですが、でもお姉ちゃんが自分より低かったのも気を使うようで、嬉しそうにしています。なんだか、背の高さで一喜一憂して、かわいいなあ。
話は変わりますが、最近、自分が子供の頃の夏休みを思い出しています。
スイカの種を飛ばし合って遊んだり、紙飛行機を作って飛距離を競いあったり、そんな素朴な遊びが無性にしたくなってしまっていますが、これは年齢のせいでしょうか。笑
