旅で出会った素敵な言葉たち

和歌山から奈良にかけて、一泊二日、六社一寺を巡りました。良い天気に恵まれ、どこに行っても気持ちの良い風と水、空気に触れ、心身共にリフレッシュできたと思います。

和歌山の鹽竈神社に、「和合の松」というものがありました。

和歌の浦特有の、波と風で侵食された岩盤と松の木が一体化したもので、どこから木でどこから岩か分からないくらい、融合、和合しているのです。

「和合」の言葉の意味について、Weblioやコトバンクを見てみると、

二つ以上のものが結合し、とけあうこと
仲よくなること、親しみ合うこと

とあります。

異質もの同士が交わり合い、融合する。排除、忌避とは正反対の概念です。実は今回の神社巡りで「和合」という言葉にふれる機会がたくさんありました。

丹生川上神社下社では、宮司さんから素敵なお話を聞くことができました。

八百万の神。白でも黒でもなく、全部「白」。まずは別け隔てなく受け入れるのが元来の日本の精神。

西洋一神教のように神か悪魔か、こちら側か向こう側か、敵か味方かではなく、受け入れ、和合する。恐らくこのような概念と歴史を持ち合わせている国は日本だけなのでしょう。

ところが、人間の歴史は戦争の歴史と言ってもいいくらい、いつの時代も戦争が起こり、今でも戦争はなくならず、弱い人々が犠牲になり、辛い思いをしている。文明や技術がいくら発達、進歩しても(いや、発達しているのか?)何も変わらない。平和とは程遠い。

グローバリゼーションは「新しい植民地主義」と言われるとおり、弱い国は様々な制限がなされ、自分たちで自分たちを養えるような農作物を作ることすら許されず、自給自足とは程遠い生活を余儀なくされています。今の日本なんて食料に関しては危機的状況でしょう?

考えれば考えるほど絶望するし、しんどくなりますよね。でも、神社巡りをすることで、絶望が希望に変わるんです。

そこには、本来のあるべき姿が残っているし、自然を敬い、命を大切にし、大切すべきものを守り、毎日感謝するという、当たり前のことを再確認できます。本来あるべき姿に戻れば、幸せに暮らせる。

人と比べたり、優劣をつけたり、競ったり、価値観を押し付けたり、否定したりするのではなく、全部「白」。かまへん、かまへん、全部まるっとオッケーでっせー、の精神で生きていければ、物があってもなくても幸せですよね。

今回巡った神社仏閣は以下のとおりです

【和歌山県】
日前神宮・國懸神宮
玉津島神社
鹽竈神社
丹生都比売神社

【奈良県】
龍泉寺
天河大弁財天社
丹生川上神社下社

素敵な出会いに感謝です。弥栄。

Instagramのアカウントの方では「神社巡り紀行」と称して、写真をアップしています。
是非ご覧ください。

丹生都比売神社の花盛祭
龍泉寺 龍の口
丹生川上神社 下社

数百年後の歴史家は、20〜21世紀を何時代と名付けるのだろう

関東から雨の神戸へ帰ってきました。
行きも帰りも、新幹線は外国人でいっぱい。グリーンなんて6割〜7割が外国人(白人多め)で、空席も少なめ。みんな大きなキャリケースを引っ張って移動しています。僕のようなビジネス客なんて少ないんじゃないかな。あえて混み合う朝夜は避けて、真っ昼間に乗っている、というのもあるのでしょうけど。

月に一、二度は関東出張に行っていますが、ここまで外国人が多いのも珍しい。なんでだろうと考えてたのですが、答えが分かりました。桜ですね。

ちょうど3月の終わりから4月にかけて、日本全国桜の花が咲き誇ります。日本特有のシンボリックな風景というのはいくつかあると思いますが、やはり満開の桜が一番「日本らしい」のかもしれません。桜を見ていて思うのですが、地域によっても開花度合いに差があるし、木そのものにも個体差がある。宿泊していた神奈川のホテル近くの桜はほぼ満開でしたが、打ち合わせに帰ってきた新神戸駅の桜はまだ2,3分咲きという感じでした。

さて、この時期はどこに行ってもフレッシュなスーツに身を包んだ新入社員を見かけます。

よく昭和世代、バブル世代、不景気世代、ゆとり世代、最近ではZ世代など、◯◯世代という分け方をされますが、たかだか数十年の時間軸で世代分けされていたら、日本史の年表は線だらけになるでしょう。たまに考えるのですが、数百年後から振り返った20世紀や21世紀は歴史家にとって、どんな分類をされるのでしょうかね。何時代と言われるのでしょうか。工業化時代、世界戦争時代、人口爆発時代、環境汚染時代、温暖化時代、AI時代・・・色々考えると面白いですね。

話は元に戻りますが、長い時間軸からみた今この瞬間は、老いも若きもなく、皆おなじ世代の人間です。たしかに文化風習、言葉、流行などに違いはあれど、大して変わりません。◯◯ガチャという言葉もありますが、今も昔も同じだろうと思うのです。戦争を経験している親戚のおじいさんから、「軍隊はなあ、運(うん)隊と呼ばれてたんやで。配属される部隊によっては天国か地獄。まさに運任せや」と、子供の頃に聞いたことがあります。今でいう配属ガチャですよね。

なんの因果かその時代に生まれ、同じ世代の人間と一緒に育っていく。世代間ギャップなんてあってないようなもの。いつの時代も学ぶこと、努力することは必要だし、昨日よりも今日、今日よりも明日を少しでも良くすべく、今できることをがんばって精一杯生きることだけです。こうやればうまくいくという答えもないので、自分で色々と模索しながら探して行きましょう。

4月に入りました。
これからますます良い季節になりますね。今週末が桜の見頃でしょうか。楽しみです。
 

雨の神戸三宮

日本人は誰を、何を守ろうとしているのだろう

ちょっと前にお正月を迎えたと思ったら、もう二週間が経とうとしています。
皆さまはどのように年末年始の休暇を過ごされましたか?

僕は普段と同じペースで生活をしながら、地元の廣田神社、越木岩神社、芦屋神社を周り、6日には日帰りで伊勢神宮にお参りしてきました。

伊勢神宮。
2000年続く、生きた神殿。

深い森、大きな木々、美しい五鈴川のせせらぎを見ながら、心の底から清らかな気分になりました。それと同時に、僕の頭は少し混乱してきました。そうか、ここは遺跡でも遺産でもなく、2000年間ずっと人が維持し、守り、呼吸をし続けてきた「生きた神殿」なんだ、と。

世界には様々な神殿がありますが、パルテノンやアンコールワットなど、いつしか人がいなくなり、遺構だけが残されているところがたくさんあります。そのようなところは「世界遺産」として登録されている。でも、伊勢神宮は違う。なぜなんだろう。なぜ、世界で唯一ここだけが数千年の歴史を保っているのだろう。日本人は、誰を、何を守ろうとしているのだろう。

伊勢神宮には、20年に一度、外宮と内宮のすべての社殿が建て替えられる「式年遷宮」があります。前回の遷宮は2013年でしたから、次は2033年の予定。第63回目となるそうです。持統天皇の時代から始まった式年遷宮の回数が記録に残っているのもすごいことですが、1300年続くこのお祭りのために、神宮は木々を育てる森と、その水源となる森の両方を有し、萱山で屋根を葺くための萱を育てているそうです。

環境保護とかSDGsとか色々と言われていますが、なんのことはない。
八百万の神々の思想を持つ日本人は、2000年の間、自然と調和し、自然を敬い、大切にしてきたのでしょう。森を守り、水を守る。当たり前のようで、今となってはとても難しいことをさらりとやってきた。そこにはある種の秩序やルールのようなものがある。

自然界には「エントロピー増大の法則」があります。物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはないということです。沸騰したお湯は放っておくと冷めるし、家を放置しておくと荒れ廃れてしまいます。エネルギーは低下し、無秩序の状態に変化していくのです。でも、ここは常に人の手で守られてきた。式年遷宮により、技術と精神性が受け継がれてきたんですよね。

そう考えると、自然破壊や、水源を外国資本に簡単に売却するようなことは、どれだけ浅はかで馬鹿馬鹿しいことかと思うのです。技術は進歩し、便利な世の中になり、医学が進歩したおかげで寿命も延びた。でもそれが本当の豊かさなんだろうか。むしろそれは地球から見たら、人間が傲慢で自分たちのことしか考えないモンスター化しているだけなのではないだろうか。それは進化ではなく退化なのではないか。

そして、もう一つ気付いたことがあります。
本物には自然と人が集まる、ということです。

宣伝したり、PRしなくても、いつの時代でも人々が足を運び、お参りする場所というのもすごいことだと思います。廃れたことがないのです。親から子、子から孫へと、日本人の中に脈々と生き続けてきたこと。それって一体なんでしょうね。

最近の僕の関心は、ビジネスでも技術でもなく、日本という国はどういう国で、日本人は一体何を、どんな目的で守ってきたのか、ということです。あまりに長く、深い歴史と文化に、目眩がしそうです。僕の頭では到底理解が及びませんが、今、自分が生きている短い間だけでも、少しでも社会が良くなるよう、皆が幸せに生きることが出来る世の中になるよう、できることをコツコツとやっていけたら、と思うのです。

季節を感じる

この三連休は季節外れの暑い日が続きました。
今年はエルニーニョ現象が続き、冬も暖冬になるそうですね。

「今冬は暖冬傾向、エルニーニョ現象の影響で9〜2月の気温は平年より高い予想」ウェザーニューズ、2023.09.06

日本はせっかく四季があるのですから、春夏秋冬のメリハリがきっちりしている方が嬉しいのですが、気候変動の影響でしょうか、境があいまいだったり、季節外れの何かがあったり、穫れるはずのものが穫れなかったりというのはなんだか気持ち悪いなと思う今日この頃です。

さて、10月は割と出掛けることが多く、それなりに秋を楽しむことができました。

金沢・近江町市場

金沢駅近くの居酒屋でボタンエビなど

富山・雄山神社

称名滝の紅葉

そして、秋といえば、ひやおろしに新そばですよね。

季節を感じることができるのは、それだけ平和な証拠だなと、昨今の戦争や紛争のニュースを見ていて思います。人間ってなぜ殺し合い、搾取したりするんでしょうね。環境は壊すわ、勝手に増えて地球上の資源を食い荒らすわ、同じ種族で殺し合うわ。地球にとっては一番迷惑な生き物でしょう。

富山の雄山神社で修験道の行者さんたちを見かけた時、人間ってもっと謙虚に生きるべきだと思いました。

いつの時代も人間同士で争いはあったでしょうし、これから先も未来永劫、争い事はなくならないと思いますが、日本人は昔から自然を敬い、自然を崇拝し、自然と調和して生きてきたのでしょう。その文化を大切にしていきたいですし、そうすることで、日本人らしく和の心で生きていくことが少しでも出来れば御の字です。そういう意味では、キリストやイスラムなどの一神教は八百万(やおよろず)の日本人にはどうも合わない。一神教って、それこそ争いしか生まないように出来ていますよね。(あ、それぞれの宗教を否定しているわけではありませんよ)

さて、11月に入りました。
今年も残すところあと2ヶ月。昨年と今年でどう変わったでしょうか。少しは進歩したでしょうか、それとも退化したでしょうか。進歩ありきとは思っていませんが、良い意味で成熟した考えを持ち、その考えをベースに生活をデザインできればとは思っています。

あと二ヶ月、今年の集大成です。

相手の関心を惹きつける間違った方法

今週は一週間東京にいたのですが、夜風に少しづつ秋の気配を感じるようになってきました。日中はまだまだ暑いですが、季節は一歩づつ進んでいるようです。

さて、様々な情報に接する中で、報道されるニュースの裏側には何があるのか、自分が日常的に使っているプラットフォームの裏側には何があるのか、ということをふと考えることがあります。知らずしらずのうちに影響を受けているのではないか、価値観や考え方が、何らかの外的要因によって無意識のうちに意図しない方向に形成されているのではないか。

自分が普段、考えや感情をニュートラルに保つために、インターネットから離れて自然の中に身を置き、図書館に入り浸っているのは、何らかの影響を受けないように自分を守るためなのかもしれません。

よく、人の関心を惹きつける手っ取り早い方法として、相手を怒らせることがあげられます。相手が怒ることをすれば、あるいは、怒るような情報を提供すれば、相手の関心を引き付けることができるというわけです。それを裏付ける証拠として、2021年に全世界を揺るがせたFacebook FileによるFBのアルゴリズムの告発があります。この内容はまさに、大衆の感情を企業が利用しているということが明らかになった一例でした。

FBの元社員、フランシス・ホーゲンによる告発によると、2018年にアルゴリズムの変更がなされた際、人々の怒りを誘発するコンテンツを優先的にニュースフィードに表示させるように設計したということでした。なぜそういうアルゴリズムを組んだかというと、人々の怒りの感情を引き出せば、関心の矛先はそちらに向くし、結果としてFacebook上での滞在時間は伸びる(=FBの利益になる)からです。(ちなみに今はそのようなアルゴリズムは組まれていないと思いますが)

ユーザーの怒りを誘発することは、メディアの世界では「アウトレージ・インダストリー」とも呼ばれるし、日本では炎上商法と呼ばれることもあります。人々を怒らせることが利益になるという一例ですね。Facebookだけでなく、X (旧 Twitter)の在り方に対して、イーロン・マスクがXはユーザー間で荒れること(ヘイトスピーチ)を肯定・容認していることとも関係があるかもしれません。

さよならTwitter【前編】突然の利用制限、ブランド変更にマスク氏の「迷惑体質」
(The Asahi Shimbun Globe+)

そもそもビッグテックは、ユーザーの一人ひとりのことなんて考えてないので、ユーザーが離れても構わないし、人間をモノとしか思っていないので、企業の利益のために群集心理を巧みに利用するのですよね。

じゃあ、自分たちがそれらの影響を受けないようにするにはどうすれば良いか。
SNSは社会のインフラとなっているので、全く触れないようにするのは難しいですが、やはり与えられる情報を鵜呑みにするのではなく、様々な観点から比較分析し、自分の中でのフィルターを通して解釈することが大切なのではないかと思います。

それは人間関係でも同じで「怒れる人」から離れることも重要かもしれません。対話を避けるのではなく、自分のリソースを相手のために無駄に浪費しないようにバランス良く付き合うということが大切です。

とはいえ、都合の良い情報ばかり、好きな情報ばかりに触れることは多事争論を生まないし、それはそれで価値観や考え方にバイアスが掛かってしまうので、異なる意見にも耳を傾けつつ、自分の情報収集能力、フィルターの精度、価値観の形成について、自分で責任を持つということが大切なのでしょうね。

純喫茶とビストロ

ここ最近のマイブームといえば、純喫茶めぐりです。

Mac Bookを開いて仕事をするにはスタバやタリーズなどのチェーン店が便利ですが、PCから離れて気分転換したい時、本を集中して読みたい時、そして、レトロな雰囲気に浸りたい時は純喫茶が良いですね。以前までは喫茶店といえば全席喫煙のところが多かったので、煙草が気になって敬遠していたのですが、今は分煙または完全禁煙のお店が増えてきたので随分入りやすくなりました。

さて、最近神戸で仕事をすることが増えてきたのですが、神戸といえば「にしむら珈琲」に代表されるように、老舗純喫茶が多い街です。打ち合わせの合間や、会食の前など、意識して街を歩きながら探していると・・・三宮や元町のそこかしこに喫茶店があります。

最近行った喫茶店で良かったのは、コーヒーポット(名ばかり分煙)、喫茶ボントン(1F禁煙、2F喫煙)、そして、モトマチ喫茶(完全禁煙)。
こういう喫茶店のアイスコーヒーって本当に美味しいんですよね。

路地裏にひっそり佇む喫茶店。震災を乗り越えた古いビルや建物に今も残る昭和の香り。カフェチェーンに負けずに何十年も営業を続けていること自体が素晴らしいです。

日本もヨーロッパのように「古きものほど良い」という文化を、神社仏閣や歴史遺産だけでなく、こういう何気ない街の建物やお店にも浸透させるともっと良いのに、と思います。どうせ新しい建物作ったって、人口減るから埋まりませんよ。そこにお金かけても回収できないのはわかっているはずなんですけどね・・・古いものを大切にリノベしながら使って行きましょうよ。なんつって。

神戸の路地裏といえば、バーやビストロも多くあります。

いくつかお気に入りのビストロがあるのですが、先日行った「BISTRO On-y-va ビストロオニバ」は、2020年のオープンという比較的新しいお店にも関わらず、すでに人気店となっていて予約必須でした。

17時半の開店時間に合わせて予約し、明るいうちからワインを堪能。
カルパッチョには白ワイン、名物ビフカツには赤ワイン。

カウンターだけの小さなお店ですが、マスターも笑顔が素敵な方で。
お客さんが描いたであろう店の絵からも、この店が愛されていることがひしひしと伝わってきます。客との距離が近いのはいいですね。

自分も歳を取ってきたのでしょうか。
小さければ小さいほど、疎であれば疎であるほど、静かであれば静かであるほど良いように思えています。

抗わずに受け入れると楽になる

6月に入りました。梅の収穫シーズンです。
 
我が家の庭には、三本の梅の木があります。その内の一本は斜面に立っているので収穫することは困難なのですが、それ以外の二本からは毎年、たくさんの梅を収穫します。

今年は嬉しいことに、きれいで大ぶりの梅が多かったです。出荷できるんちゃうか、というくらいたくさんの梅を収穫することができました。

農薬も肥料もなにもあげず、勝手に生えてるだけなのに、季節になると実をつける。僕たち人間はそれを見て、今年は大きいな、小さいな、豊作だな、不作だな、と言っているだけで、与えられるものをそのままいただいているだけなんですよね。

自然のまま、という言葉の大切さを最近特に感じています。
 
ありのまま、とか、抗わない(あらがわない)とか、自然体、とか、様々な表現ができるかもしれません。自然の恵みをそのままいただくのと同じで、身体や、環境の変化なども、そのまま受け入れると楽ですよね。

僕の場合、病気の影響で、体温が上昇すると発熱する(免疫暴走してしまう)ということが分かってきました。例えば、お酒を飲んだり、ランニングなどの激しい運動をすると、もれなく高熱を発熱します。また、疲労や、緊張も良くないようです。一度発熱すると一週間は続くので、割と細かな用心が必要です。

走って飲むということが趣味だったので、この二つが同時に出来なくなっていることは残念なことではありますが、「抗わない」こと、受け入れること、そして、別の楽しみを見つけることで変化に適応していくことが心身ともに健康に過ごすことの秘訣だと思います。そういえば、先週は東京に四日間出張していたのですが、すべての会食をノンアルで過ごしました。いや、これ、全然楽しかった!飲めなくても全然楽しい。むしろ健康的だし、新たな発見です。

そういえば、今朝たまたま目に止まった蛭子能収さんの記事、まさに自然体やなあ、と思いました。

「“蛭子さんの人生相談”最終回「言いにくいことを言い出すには?」

自分のしたいことに嘘がない。ダメ人間で何が悪い。
この開き直りとも言える自然体が、キラキラSNS時代の中にあって、より一層際立ちます。こうでなければならない、こうすることが成功の秘訣、そんな外部の情報に一切影響されず、無理せず、かっこつけず、(人には迷惑を掛けないように)自分に正直に我が道を歩んで行きたいものです。

大丈夫。全部そのまま受け入れよう

 この春は元気だな、ひょっとしたらこのまま行けるかもしれないな

そう淡い期待を抱いていた矢先に高熱がドカンと出て早2週間が経過。4月の発熱というのは2020年に始まり今年で4年目。春の風物詩のようなものだけど、今回は熱が高過ぎたことと倦怠感があまりに辛いので、精密検査を受けたら(コロナ、インフルはもちろん陰性)、別のものが見つかりそこから紹介状を持って色々な専門病院で検査続き。すべての結果が出るのはGW明け。

仕事も出張もトレランもゴルフも会食も、発熱と入院で全部キャンセル(関係各所ごめんなさい)。また今年もか・・・

落ち込もうと思えばいくらでも落ち込める。

予定のキャンセルや延期の連絡をさせていただくのは本当に申し訳ない気持ちになるし、5月のウルトラトレイルに向けては体調が悪いなりに昨年末から順調にトレーニングを重ねてきたのに、体重はこの2週間で5kg減り、体力も筋力も落ち、今は1kmも走れない。一ヵ月後のウルトラトレイルなんて想像すらできない。

でも、これが僕の人生だ!!

大丈夫。全部そのまま受け入れよう。僕の場合はありがたいことに持病の色々で心を鍛えていただいてる。健康じゃない人の気持ちも分かるし、動きたくても動けない人の気持ちも痛いほど分かる。人生、思い通りに行かないことの方が多いのも知っている。命は儚いし、いつどうなるかも分からない。だから、もし身体では負けても、心と想いだけは負けないように。そして、今出来ることを一生懸命するように。

幸い、今年は桜満開の時期が元気のピークだったので、近所の名所を何度も花見ランすることができたし、今回、色々と見つかったお陰で、徹底的に調べて治療してもらおうと思っています。そして、かならず復帰するし、一ヵ月後も、絶対走ってやる。

ベッドに横たわり天井を見上げながら、そう思って腐らず、たまに庭に出て、日ごとに開く花の数が増えていくモッコウバラにパワーをもらってます。何かを主張するわけでも求めるわけでもなく、必ず春には花を咲かせてくれる植物の強さってすごいですよね。あと、ずっと寝ているのもしんどいので、少しづつ仕事をしながら明治維新の本ばかり読んでいるのですが、今が令和だということを忘れそうです。(PCを打つのもしんどいので、このブログもかなりの時間を掛けて書いています)

お取引先や仲間たちにはご迷惑、ご心配をおかけしておりますが(激励のメッセージ、ととても励みになっています!)、必ず復帰しますので、もうしばらくお待ちください!!

お願いする力、聞く力

起業にしても、転職にしても、「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように、自分ひとりで悩むのではなく、いろんな人からのアドバイスを聞く方がより良い判断ができるのは明白です。

僕自身も人に相談を仰ぐこともあれば(優れた経営者の本に助けを求めることもあります)、相談されることもあります。最近いずれも20代の起業家3人のカベウチ相手になりましたが、こちらが学ぶことも多く、「相談させてください」「アドバイスをいただきたいので時間をください」と言われると、逆に「ありがとうございます」と思ってしまうくらいです。そういう意味では、最近の20代起業家は(皆がそうであるかは分かりませんが)、今の自分自身や自分のビジネスに足りないものを的確に把握し、そのピースを埋めるための情報やメンターを素早くスタッフィングするのが上手ですね。それに社外にサードプレイスを作れと言わなくても、呼吸をするように様々なコミュニティに属していろんな人とコミュニケーションをしている。自分が若い頃はそんなことできなかったよな〜と、感心の眼差しで彼らを見ています。

個人的に、仕事を成功させる上で重要な要素の中に、「お願いする力」と「聞く力」があると思っています。「お願いする力」というのは、お願いの仕方が上手いとかではなく、その人自身の人間性、人となりにあると思っています。プライドや恥ずかしさを捨てて、謙虚にお願いするのはもちろん大切なのですが、それよりも普段から思いやりを持ち、親切に人に接し、自分にできることは何でもお手伝いするといった利他の精神かつ見返りを求めないコミュニケーションで、人から愛されるようなことをしている人。そういう普段の積み重ねがあるからこそ、何かをお願いした時に「よし、君のためなら喜んで!」という気持ちなるのだと思います。

また「聞く力」についても、聞き方のテクニックよりも、事前の準備の方が重要です。相談相手の仕事やキャリアを調べ、その人からどんな情報やアドバイスを聞き出したいかを整理し準備しておく。そして、相談相手が答えやすい質問を投げる。ただなんとなく、どうすれば良いですかね〜では、相談相手もどう答えて良いか分かりません。そうして引き出したアドバイスを、ビジネスの血肉にするべく謙虚に分析することも必要です。事前の入念な準備が必要なのは、打ち合わせや会議でも同じですよね。

いずれにしても将来有望な若手起業家のお手伝いが少しでも出来るのは自分にとっても本当に嬉しいことです。もちろん、自分もまだまだ挑戦し続けるつもりではありますけれど。

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今日の一枚は、インバウンドの観光客が戻りつつある二寧坂の写真です。

冬の終わりを山で楽しむ

たまには趣味のトレランのことも書いてみますね。

この一週間のハイライトは、大阪マラソン出走に合わせて集合した「アドベンチャークラブ」のメンバー達との飲み会でした。プロのスパルタン選手から、超長距離を走るウルトラランナーYさん(なんと今年は東京〜青森駅伝を企画されているところ)、そしていつも一緒の仲良しラン友さんたちと、ラン談義に花が咲きました。

我らがアドベンチャークラブ主宰の北田さんは、極寒のアラスカ1600kmレース(Iditarod Trail Invitational 制限時間30日間)に挑戦中。そんなすごい人の話から目先のレースの話題まで、話題は尽きることなく爆笑の連続。やっぱりラン友さんとの集まりはいいわあ〜。

僕の方は、3/19の六甲縦走キャノンボール(55km)と、5/21鯖街道ウルトラ(全鯖77km)にエントリー。とりあえず目の前に迫ったキャノンボールの練習のため、日曜日は縦走路を走ってきました。距離を稼ぐべく、東のスタート地点・宝塚までは自宅から10km走って向かいます。縦走路はいつもの塩尾寺をスタート。寒さは覚悟していましたが、想像以上に寒かった!そんな寒さが伝わる写真を幾つかアップしておきます。

山頂はほぼ吹雪。
僕のようなトレランナーはさほど厚着はしませんので、寒さが余計にこたえます。少しでも標高を下げるべく、先を急ぎました。

当初、35kmくらいを走る予定だったのですが、意外と距離も伸ばせそうだったので、そのまま市ヶ原から布引の滝を経由して三宮まで下ることにしました。

掬星台からの景色

布引の滝

ここまででトータル41km。
この時期の距離としては満足です!エナジーバーと塩飴くらいしか食べてなかったので、遅めのランチはラーメンにしました。

まあ、こんな風にサラッと書いていますけどね。縦走路はやっぱりキツいわ〜。

特に摩耶山から市ヶ原までのエンドレス下りが膝とスネに来る!縦走路はそこから更に、難所の菊水山から鵯越、馬の背へと続くので、まだまだここから先が長い。でも、このコースを難なくコンプできたら、鯖街道77kmは乗り越えられるので、山トレは続けたいと思います。

春はすぐそこ!
さあ、トレーニング、トレーニング。