和歌山から奈良にかけて、一泊二日、六社一寺を巡りました。良い天気に恵まれ、どこに行っても気持ちの良い風と水、空気に触れ、心身共にリフレッシュできたと思います。
和歌山の鹽竈神社に、「和合の松」というものがありました。
和歌の浦特有の、波と風で侵食された岩盤と松の木が一体化したもので、どこから木でどこから岩か分からないくらい、融合、和合しているのです。
「和合」の言葉の意味について、Weblioやコトバンクを見てみると、
二つ以上のものが結合し、とけあうこと
仲よくなること、親しみ合うこと
とあります。
異質もの同士が交わり合い、融合する。排除、忌避とは正反対の概念です。実は今回の神社巡りで「和合」という言葉にふれる機会がたくさんありました。
丹生川上神社下社では、宮司さんから素敵なお話を聞くことができました。
八百万の神。白でも黒でもなく、全部「白」。まずは別け隔てなく受け入れるのが元来の日本の精神。
西洋一神教のように神か悪魔か、こちら側か向こう側か、敵か味方かではなく、受け入れ、和合する。恐らくこのような概念と歴史を持ち合わせている国は日本だけなのでしょう。
ところが、人間の歴史は戦争の歴史と言ってもいいくらい、いつの時代も戦争が起こり、今でも戦争はなくならず、弱い人々が犠牲になり、辛い思いをしている。文明や技術がいくら発達、進歩しても(いや、発達しているのか?)何も変わらない。平和とは程遠い。
グローバリゼーションは「新しい植民地主義」と言われるとおり、弱い国は様々な制限がなされ、自分たちで自分たちを養えるような農作物を作ることすら許されず、自給自足とは程遠い生活を余儀なくされています。今の日本なんて食料に関しては危機的状況でしょう?
考えれば考えるほど絶望するし、しんどくなりますよね。でも、神社巡りをすることで、絶望が希望に変わるんです。
そこには、本来のあるべき姿が残っているし、自然を敬い、命を大切にし、大切すべきものを守り、毎日感謝するという、当たり前のことを再確認できます。本来あるべき姿に戻れば、幸せに暮らせる。
人と比べたり、優劣をつけたり、競ったり、価値観を押し付けたり、否定したりするのではなく、全部「白」。かまへん、かまへん、全部まるっとオッケーでっせー、の精神で生きていければ、物があってもなくても幸せですよね。
今回巡った神社仏閣は以下のとおりです
【和歌山県】
日前神宮・國懸神宮
玉津島神社
鹽竈神社
丹生都比売神社
【奈良県】
龍泉寺
天河大弁財天社
丹生川上神社下社
素敵な出会いに感謝です。弥栄。
Instagramのアカウントの方では「神社巡り紀行」と称して、写真をアップしています。
是非ご覧ください。