さあ、これから何して遊ぼう

思えば遠いところまでやってきたなあ、というのが実感です。
このブログは2005年の6月に始め、今月で丸19年を迎え、20年目に入りました。

たかだか20年とはいえ、その間、様々なステージチェンジがありました。0歳だった長女は大学生になり、始めた当時は生まれていなかった次女も高校生になりました。僕自身のキャリアも色々と変化がありました。絶好調の時もあれば、絶不調の時もありました。そのような山谷を乗り越えながら、なんとか生きている。結果的に生きてきた。そんな感じでしょうか。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、パスカルが「パンセ」の中で書いた言葉と言われています。

この言葉、若い頃は意味が分からず、なんて刹那的な言葉なんだろう、もっと人生には深い意味があるのではないのかと思っていたのですが、今となっては、ああ、人生って確かに死ぬまでの暇つぶしなんだなと素直に共感しています。今生きている人が、それぞれ思い思いに暇つぶしをしている。その手段が仕事であったり、何かの活動であったり、趣味であったり、結婚や子育てであったりするのですよね。「生きがい」というものを見つけ、それぞれがそれぞれの人生をまっとうする。「暇つぶし」とは、時間を無駄にしているような印象を受けますが、時間の使い方と考えると、そういうものだよな、と納得します。

養老孟司先生は、何かのインタビューで「生きることの意味?生まれてきたんだから、生きるしかない」というようなことをおっしゃっていて、腹落ちしたことがあります。生まれてきたからには生きるしかない。そこに意味なんてなく、生まれたからには、死ぬまでどう生きるか、それだけ。というシンプルな答えにたどり着きます。親から受けたバトンを、80年か90年生きて、子や次の世代にバトンを渡して、死ぬ。

その間、自ら問いを立て、その問いにどう答えていくか。
その繰り返しと積み重ねですよね。

仕事柄、人と会うことが多いのですが、色々な人と話をしていると、この人はこういうところで生まれて、このように生きてきたんだ、と、それぞれの今までの人生を想像しています。人それぞれの「暇つぶし」の仕方を聞くのは楽しいですよね。ああ、あなたはこういう方法を選んだんだ、それ、面白そうですね!僕はこんな方法で暇つぶしをしていますよ、というような感覚です。周りの人に寛容になれるし、重たいものを背負う必要もないし、楽しめたらそれでいい、という感覚になり、肩の力が抜けます。

さあ、これから何して遊ぼう。
皆さんの遊びもお聞かせくださいね。

このブログでは、日常生活から日頃考えていることまで幅広く書いていますが、これも一つの暇つぶし。今どきブログも流行りませんが、自分に対する備忘録として、インターネットという海に浮かぶ過疎の島で細々と何かを書いて発信すること、続けられる限りは続けて行きたいと思っています。

20年目もよろしくお願いいたします。

近況1:先週、モデルのお仕事をさせていただいた有馬グランドホテルで
近況2:同じ日の夜、関大梅田キャンパスで「人のこころに寄り添うプロデュース」と題してお話させていただきました。