旬のしごとに精を出す

「旬のしごと」ってありますよね。
日本は四季があるので、春夏秋冬それぞれの産物があり、それらを楽しむために時期特有のしごとがあります。自分もささやかながら、日々暮らしの中で旬のしごとを楽しんでいます。
 
まずは、梅しごと。
5月の終わりに庭の梅の木から収穫した梅を漬けています。
 
瓶はいくらあっても足りないし、場所を取るので、IKEAのフリーザーバックが便利。梅酢が出てきてすでに美味しそう。部屋中に梅の香りが漂っています。梅雨が開けたら干そうと思っています。

次はバラしごと。

食べるものではありませんが、5月まで花を楽しませてくれたモッコウバラの花後の剪定をようやく行いました。仕事が忙しくてなかなか手をつけれていなかったのですが、モッコウバラは、一度花をつけた枝は二度と花を咲かせないので、こうして、大胆に枝をカットしていかなくてはなりません。

生命力が強いバラなので、新しくシュート(新枝)がぴょんぴょん伸びてきて、また新芽をつけてくれます。Youtubeでプロの剪定の仕方を参考にしながら、伸びてきたシュートは紐などで誘導します。

すっきりしました!
来年もたくさん花をつけてくれることに期待です。

最後は味噌。
 
2月に参加した「健康きれい会」で仕込んだ味噌が良い感じに熟成されてきました。開けてみるとカビも生えておらず、美味しそうな味噌だまりが出来ていつでも食べれそうです。

同じ会に参加していた皆さんの中には、もう食べてますという方々も多く、もうしばらく寝かせようかなと思っていたのですが、今ストックしている味噌がなくなったら、これをいただこうと思っています。

梅干しも味噌も、スーパーに行けばいつでも買えますが、こうして手間暇かけて自分で仕込むものって絶対に美味しいですよね。季節ごとの旬のしごとも楽しいですし。

そういえば京都・大原の古民家に住み、四季折々の里山暮らしの素晴らしさを伝えておられたベニシア・スタンリー・スミスさんが亡くなられたということを昨夜ニュースで知りました。ベニシアさんの生活に密着したNHK の「猫のしっぽ、カエルの手」は大好きで良く見ていただけにとても残念です。

自然と調和した生活をすることで、多くのストレスから回避できると思うし、心身ともに健康でいれるのではないのかなと思って、今日からまた、ささやかながら旬のしごとに精を出したいと思います。

良いものは自然と認められる

この週末、産学官民連携団体KNS(関西ネットワークシステム)の20周年記念大会が大阪の南港ATCで開催されました。20年!すごい。行政と民間、大学の縦割りの壁を取っ払って、フラットに横の繋がりをもち、様々な課題について議論を深め実践してきた世話人の皆さんには敬意しかありません。

さて、様々なセッションが繰り広げられる中、話題はやはり2025年大阪万博が中心。もう2年後に迫っているというのに、普通の人にとって万博はなんだか遠い存在だし、関西あげて盛り上がろう!という機運も甚だなし。そのような課題感から「どのようにして機運を醸成できるか」というキーワードを聞きました。

「機運醸成」
「チームみんなで」
「盛り上げて行きたい」

という言葉、良く聞きます。組織開発の現場でもしょっちゅう出て来ます。でもね、僕、この言葉に殊更ドライな見方を持っています。理由は簡単。人は誰かによって動かさるものじゃないし、人を自分の思うとおりに動かそうとしている人がいるのであれば、それはエゴでしかない。つまり、利害関係がない限り、人は自分が心から納得しなければ動きません。人が動く時、それは内発的動機に基づくもので、あくまで自己決定がベースになっているからです。ですから、人が良いと思うものなら、機運というものは自然に醸成されるし、参加したいと思うものなら、勝手に参加者が増えて盛り上がるものなのです。だからこそ「良いもの」を作ることが大切です。

少し話は変わりますが、最近、承認欲求を満たしたい、満たされたい、という子供のような大人を良く目にします。これに関しても先の話と同じで、自分を見てくれ、褒めてくれ、というのはエゴでしかない。自分が承認してほしいと思うとおりに、承認してもらえるわけではないんですよね。(子育てについては、褒めて認めて伸ばしてあげることが重要ですが)

だって、そもそも地球上では、人間の存在自体が承認されていないじゃないですか。地球にとって人間はいてもいなくてもどうでも良い存在。むしろ、どんどん数は増えるし、木は切るし、燃やすし、海は汚すし、同じ種族同士で殺し合いはするし。迷惑な存在といっても良いかもしれません。だから、生かしていただいているという謙虚な気持ちと感謝、借りた物はお返しする、という気持ちが必要なんですよね。

またまた話は変わりますが、僕はゴルフのある環境で育ち、その影響で長年ゴルフを趣味としているのですが、このスポーツも承認欲求が満たされない代表格だと思っています。いくら練習しても、風、地形、天候によって思うように行かないし、クラブやボールも言う事を聞いてくれない。思うようにスコアが出ない。だからと言って、道具や人のせいにも出来ない。あくまで自分の問題。日々精進し、自分の腕を磨き、そして、自然に挑む。それを繰り返す。だから「ハマる」んですよね。

そもそも人を動かすことはできない、自分の思うとおりに認めてもらえるわけでもない。そう考えると、気持ちが楽になります。人や環境に何かを求めるのではなく、自分を磨くことに集中できますもんね。周りのことも気にならない。

たまにはこういう視点を持つことも大切ではないかな、と思います。

ブログを書き始めて18年が経過しました

関西地方は、梅雨の晴れ間。
雲の切れ目から少しだけ青空が見えたりして、蒸し暑くも気持ちの良い一日です。湿度の高い空気に、漬け込んだ大量の梅の香りが混ざり合い、漂ってきます。

気づけば6月ですが、6月といえばこのブログの誕生月です。2005年の6月からスタートして、丸18年。19年目に入りました。ブログの良いところは、過去のアーカイブを見て、その時の自分が何を考え、何を書いていたのかを振り返れることです。当然、世の中も自分の考えも、時間の経過と共に変化してきました。30代は成長一辺倒、努力一筋の筋肉質な考え方だったのが、より本質的に物事を捉え、答えを得るよりも「問いを立てる」ことを重視するようになってきました。

「問いを立てる」ためには、普段から自分の思考力と判断力を訓練しておく必要があります。そして判断力の精度を上げるためには、良質かつ膨大なインプットによる知識のプールが必要です。自分の場合、ここ数年、ネットから情報を収集するのではなく、本や論文から収集することを心掛けるようになりました。

ネットの情報はあくまで「速報値」として利用するけれど、時代の流れを掴み、今、なぜこういうことが起きているのかを分析するには、100年スパンでの経済史や歴史を学ぶことが必要です。瞬間瞬間を点で判断するのではなく、リニアに右方向に進む、直線的な時間軸の中での一事象と捉えた方がいい。俯瞰した物事の見方をしていれば、根無し草のように振り回されたり一喜一憂することもありません。ネットでは「それらしいこと」は発信されているけれど、薄くて価値のない情報が溢れているので、玉石混交の中から玉を拾い集めるのは困難です。

これから先をどのように生きるかについては、昨夜、同じ年の友人と飲みながら一つのヒントを得ることができました。友人は、55歳を一つの区切りとして(僕たちの年齢でいうとあと8年後です)、その時に「自分はこうなっている」とイメージしているそうです。確かに彼女は今でも仕事で成功しているし、「脳は騙されやすいのよ」と言っていることから、なりたい形を具体的にイメージをすることを普段から心掛けているのでしょう。

僕の場合、自分が「こうなりたい」とか「ああなりたい」とかを考えることが非常に苦手です。なぜなら人生の目標というものがなく、あったとしても、健康でありたいとか、社会のお役に立ちたいとか、漠然としたものしかないのです。でも、ただ漫然と生きるよりは何かしら目標があった方が良いなとも思うので、これは今年の宿題にしたいと思います。


さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はこの辺境の地でなにかを書き続けるでしょう。

いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
19年目もどうぞよろしくお願いいたします。


抗わずに受け入れると楽になる

6月に入りました。梅の収穫シーズンです。
 
我が家の庭には、三本の梅の木があります。その内の一本は斜面に立っているので収穫することは困難なのですが、それ以外の二本からは毎年、たくさんの梅を収穫します。

今年は嬉しいことに、きれいで大ぶりの梅が多かったです。出荷できるんちゃうか、というくらいたくさんの梅を収穫することができました。

農薬も肥料もなにもあげず、勝手に生えてるだけなのに、季節になると実をつける。僕たち人間はそれを見て、今年は大きいな、小さいな、豊作だな、不作だな、と言っているだけで、与えられるものをそのままいただいているだけなんですよね。

自然のまま、という言葉の大切さを最近特に感じています。
 
ありのまま、とか、抗わない(あらがわない)とか、自然体、とか、様々な表現ができるかもしれません。自然の恵みをそのままいただくのと同じで、身体や、環境の変化なども、そのまま受け入れると楽ですよね。

僕の場合、病気の影響で、体温が上昇すると発熱する(免疫暴走してしまう)ということが分かってきました。例えば、お酒を飲んだり、ランニングなどの激しい運動をすると、もれなく高熱を発熱します。また、疲労や、緊張も良くないようです。一度発熱すると一週間は続くので、割と細かな用心が必要です。

走って飲むということが趣味だったので、この二つが同時に出来なくなっていることは残念なことではありますが、「抗わない」こと、受け入れること、そして、別の楽しみを見つけることで変化に適応していくことが心身ともに健康に過ごすことの秘訣だと思います。そういえば、先週は東京に四日間出張していたのですが、すべての会食をノンアルで過ごしました。いや、これ、全然楽しかった!飲めなくても全然楽しい。むしろ健康的だし、新たな発見です。

そういえば、今朝たまたま目に止まった蛭子能収さんの記事、まさに自然体やなあ、と思いました。

「“蛭子さんの人生相談”最終回「言いにくいことを言い出すには?」

自分のしたいことに嘘がない。ダメ人間で何が悪い。
この開き直りとも言える自然体が、キラキラSNS時代の中にあって、より一層際立ちます。こうでなければならない、こうすることが成功の秘訣、そんな外部の情報に一切影響されず、無理せず、かっこつけず、(人には迷惑を掛けないように)自分に正直に我が道を歩んで行きたいものです。