良いものは自然と認められる

この週末、産学官民連携団体KNS(関西ネットワークシステム)の20周年記念大会が大阪の南港ATCで開催されました。20年!すごい。行政と民間、大学の縦割りの壁を取っ払って、フラットに横の繋がりをもち、様々な課題について議論を深め実践してきた世話人の皆さんには敬意しかありません。

さて、様々なセッションが繰り広げられる中、話題はやはり2025年大阪万博が中心。もう2年後に迫っているというのに、普通の人にとって万博はなんだか遠い存在だし、関西あげて盛り上がろう!という機運も甚だなし。そのような課題感から「どのようにして機運を醸成できるか」というキーワードを聞きました。

「機運醸成」
「チームみんなで」
「盛り上げて行きたい」

という言葉、良く聞きます。組織開発の現場でもしょっちゅう出て来ます。でもね、僕、この言葉に殊更ドライな見方を持っています。理由は簡単。人は誰かによって動かさるものじゃないし、人を自分の思うとおりに動かそうとしている人がいるのであれば、それはエゴでしかない。つまり、利害関係がない限り、人は自分が心から納得しなければ動きません。人が動く時、それは内発的動機に基づくもので、あくまで自己決定がベースになっているからです。ですから、人が良いと思うものなら、機運というものは自然に醸成されるし、参加したいと思うものなら、勝手に参加者が増えて盛り上がるものなのです。だからこそ「良いもの」を作ることが大切です。

少し話は変わりますが、最近、承認欲求を満たしたい、満たされたい、という子供のような大人を良く目にします。これに関しても先の話と同じで、自分を見てくれ、褒めてくれ、というのはエゴでしかない。自分が承認してほしいと思うとおりに、承認してもらえるわけではないんですよね。(子育てについては、褒めて認めて伸ばしてあげることが重要ですが)

だって、そもそも地球上では、人間の存在自体が承認されていないじゃないですか。地球にとって人間はいてもいなくてもどうでも良い存在。むしろ、どんどん数は増えるし、木は切るし、燃やすし、海は汚すし、同じ種族同士で殺し合いはするし。迷惑な存在といっても良いかもしれません。だから、生かしていただいているという謙虚な気持ちと感謝、借りた物はお返しする、という気持ちが必要なんですよね。

またまた話は変わりますが、僕はゴルフのある環境で育ち、その影響で長年ゴルフを趣味としているのですが、このスポーツも承認欲求が満たされない代表格だと思っています。いくら練習しても、風、地形、天候によって思うように行かないし、クラブやボールも言う事を聞いてくれない。思うようにスコアが出ない。だからと言って、道具や人のせいにも出来ない。あくまで自分の問題。日々精進し、自分の腕を磨き、そして、自然に挑む。それを繰り返す。だから「ハマる」んですよね。

そもそも人を動かすことはできない、自分の思うとおりに認めてもらえるわけでもない。そう考えると、気持ちが楽になります。人や環境に何かを求めるのではなく、自分を磨くことに集中できますもんね。周りのことも気にならない。

たまにはこういう視点を持つことも大切ではないかな、と思います。

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