夕焼けに背中を押されるように

梅田の茶屋町界隈、特に、阪急インターナショナルとピアスタワーの間からは、かなりの確率で美しい夕日を見ることができます。グランフロントや大阪駅上のルクアほどではないかもしれませんが、会社を出てすぐにパッと空を見上げた時の空の美しさを見て、なんだか得した気分になるのは嬉しいものです。

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明日は徳島マラソン。

徳島に行くこと自体が初めての僕にとっては明日が楽しみで仕方なく、朝5時発で車を飛ばして行く予定なのですがなかなか寝付けそうにありません。今週はマラソンに備えるためにも、前もって決まっていた一件の会食を除いては、休肝ウィークにしようと思っていました。でも急な予定が重なり、結果的に毎晩飲み会が続くという、とても素敵な一週間となりました。守りに入るよりも攻めた方がチカラが抜ける時もあります。明日はきっと良い記録が出ることでしょう。

若干風邪気味ではありますが、明日はラン仲間の皆さんと一緒に大いに楽しんで来たいと思います。

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出会いの数だけ学びがある

人との出会いの数だけ学びがある。

良く言われることですが、自分のこれまでの経験と、今、自分が大切にしていることは、人との出会いをおろそかにせず、縁を大切にし、自分以外の人はすべて師であるという気持ちで接していることです。結果、自分にとってこれらによる学びは数知れず。スピード重視、結果重視、効率重視の考え方が主流の現在ですが、人生の糧となるのは、人との出会いですよね。

今日も遠回りして来社いただいた諸先輩方から学んだことは数多いけれども、その中で特に心に残ったことを2つだけ。

・知識労働者は作業だけで疲れたというな。脳をどれだけ使ったで初めて疲れたと言え。

・面接の時にバイト経験をがんばって語るな。何をどれだけ学んだかを語れ。

ね、面白いでしょう。
結構、酒の場から真実が出たりするのですよね。

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情報疲れを起こした時には

日々相当な量の情報に晒されていると、たまに疲れを感じることがあります。食傷気味になってしまうというか。そんな時は、眠気を感じて膝に本を置くように、開いているものをパタンと閉じて、深呼吸するか走って脳をデフラグするかします。

このブログでもよく書くことですが、人間のキャパなんて結局のところ、その人ひとり分の器しかなく、どう足掻いたって与えられた一日は24時間しかなく、あれもこれもと手当たり次第手を伸ばしていたらお腹いっぱいになってしんどくなるのと同じ。バイキングで食べ過ぎた時のように、あああんなに食べなけりゃ良かった、疲れてもういいや、となってしまいます。

そういう訳で、今朝は早起きして10kmのジョギングに出掛けました。寒い朝でしたが、頭もシャキッと。やはり早起きランは最高です。

もうちょっと暖かくなってほしいですけれど。

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正しい場所にピースをはめるように

正しい答えに辿り着くまでの過程って、本当にパズルのようですね。

何かの答えを出そうとする時、まず頭の中で分散している断片的なアイデアを拾い出し、並べ、組み合わせて行きます。パチっと音を立ててピースがはまることもあれば、はまらないことは分かっていても「なんとかしたい」という感情が先に走ったり、時間的な拘束があったりして、無理やり形を変えて、ピースを押しこむこともあります。

でも結果として、どんな事でも、「無理やり」というのは正しいことではありませんよね。その時は良かったとしても、必ずどこかで不整合、コンフリクト、ひずみ、ゆがみ、不自然、違和感を生んでしまうからです。今日の夜、取引先で打ち合わせの後に一人カフェで別の課題に取り組んでいた時、ふとそう思いました。

正しくなかったり、言いくるめたり、無理に押し込んだりすることは、必ずどこかで不整合を生む。人の心や感情もそう。
そう感じます。

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この写真は日曜日の須磨海岸。

Amazon Alexa ー 音声で何でも操作できちゃう時代って便利だけど怖くもあるな

最近はもっぱら飛行機での移動ばかりでしたが、今日は珍しく新幹線。東京から最終で帰阪中です。新幹線の楽しみは車内誌「Wedge」を読むことですが、CES明け(といっても二ヶ月経ちますが)ということもあり、話題はAmazon Alexa(音声認識AIエンジン)一色です。今年、Alexaを搭載したワイヤレススピーカー「Amazon Echo」が日本語対応して発売されるかもと言われているからかもしれません。

そういえば今年のCESは、ほとんどの家電がAlexaに対応していて、もはやIntelならぬ「Alexa入ってる」状態。早くも業界のデファクトになってしまいました。対抗しているのは、Google HomeとAlibabaのみ。ここまで来るとどこも追随ができないという点で、ああ、次の10年はAlexa(Amazon)だな、と思ったりします。かつてユーザーとの接点である操作インターフェースは、キーボードから始まり、タッチパネルの進化によってスマートフォンが爆発的に普及しました。で、ここから。これからは声でモノを操作する時代。家電でも、自動車でも、何でも音声で操作です。例えば、台所やリビングなどで需要があるのは「ながら操作」が出来るから。料理をしながら、仕事をしながら。「炊飯器のタイマー、セットしておいて」とか、掃除しながら「トイレットペーパー注文しておいて」とか。帰宅中に車を運転しながら、「寒いからエアコンつけておいて」とか。便利な時代になると共に、生活のマルチタスク化がどんどん進むのではないかと思います。だって、一つ便利になれば、一つ仕事が増えるんですもん。笑

ちなみにAlexaを使っている人に言わせると「ほとんど全ての話掛けに対して人間並に的確に回答してくれる」とのことで、その精度の高さに驚かされるわけですが、Amazonが音声認識エンジンAlexaを開発し、それをオープン化している理由は一つ、世界のeコマースの覇権を握ることに他なりません。だって、みんなAlexaに話し掛けて物を注文しますからね。さらに、Echoなどのスピーカーを家に置いておき、ずっと声で指示を出していると、Alexaさんはとても賢くなります。家族構成、誰が何時に帰ってくるか、いつリビングに人がいるか、日用品の減り具合、週末は絶対にピザか宅配寿司を注文するよね、とか。

つまり、eコマースだけでなく、商品開発などのマーケティングに応用できちゃうし、ホームセキュリティ会社などと協力も出来ちゃうわけです。ホームセキュリティに関して言うと、サンフランシスコのスマートキー、Augustや、昨年訪問したマウンテンビューのnestなどに注目していましたが、今後はどこも(nestはGoogleのグループだからしないかな)Alexa対応が余儀なくされるでしょう。こういうところが、操作インターフェースとOSを握り、ソフト商売をしていくというAIの王道戦略です。そしてアメリカはやっぱりこういうところが強い。

まあ、とにかくこれからはAlexaがかなり来ると思いますが、一方で、ずっとGoogleがそうであるように、全ての個人情報がAmazonに吸い取られて行くわけで(Amazonはついに自宅のリビングにまで入ってきましたね・・・)、逆らえないと思いながらも怖い世の中だなと改めて思います。この時代に対抗するには、自給自足でマインドフルネスを追求したジェダイになるしかないんですから。

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最後に残るのは本物だけ

昨夜、帰りの電車の中で親友に聞いた良い話。
神奈川で国政に立候補した方を支援したある人のエピソードです。

その方は自分の友人が立候補すると聞いた時、「自分には金もないし、地位もない。何もできないけれど、彼のことは絶対に支援したい。自分に出来ることは応援することだけだ」と、それから毎朝いつもより三時間も早く起床して都内の自宅から横浜に行き、「いいぞ!そうだそうだ!」と朝立ち演説の応援をしてから、また都内に戻って出勤するということをやっていたそうです。週に一度、とか、週末だけ、ではなく、毎朝です。毎朝三時間を、彼に捧げたと。そこまで出来るんだと、深い人間関係と私利私欲のない行動に感銘を受けました。

この話を聞いた時に、最終的には本物しか残らないんだよねという意見で一致しました。良く聴く言葉ですが本当にそのとおりなんです。人間関係、信頼関係、技術、ものづくり、ビジネス・・・すべてにおいて、最後に残るのは「本物」だけ。では、本物ってなんだろう。信頼の度合い、真剣の度合い、長い時間軸、努力の総量、競争力・・・この辺り、また色々と考えなければなりません。

こちらは淀屋橋のTHE LINKSでのイベント帰りに仲間たちとヒューガルデンのホワイトを。

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安心感とは「肯定」だと思う

いつの間にやら3月に入りましたね。
今年も6分の1が終わり、その分、成長できたということで喜ばしい日となりました。1/6分成長できた。良かった良かった。

安心感というのは、「守られている」というようなネガティブな感情ではなく、「ああ、やっぱりそうなんだ」という自己確認、肯定に近い感情のことを指すのではないかなと思います。「守られている」という言葉の前に「今は」という前置詞を置いてみましょう。一気に先が怖くなりますよね。怯える日々が始まります。でも、「ああ、やっぱりそうなんだ」の後に、「よし、このまま積み重ねていこう」という言葉を続けると、日々前向きに歩めるはずです。ちなみにですが、「自己満足」と「肯定」とは似て非なるものです。「肯定」という言葉の前提条件としては、日々の努力やブレイクスルーやマドルスルー(泥の中をもがいている状態)がありますからね。

そういう環境に身を置けているのはとても幸せなことです。

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開く時にワクワクするようなツール

僕はメモ代わりにEvernoteを活用しています。

ちょっとしたアイデアが生まれた時に簡単に電子データとして残せるEvernoteはとても便利ですよね。アイデアというのは一種のブレイスクスルーのようなもので、「お!これいいかも!」と思う気持ちの良い瞬間に立ち上げるEvernoteも、同じように気持ちの良いツールとして、僕の頭の中に刷り込まれているようです。ツールとしての使い勝手よりも、その時の体験がイメージとして残り「Evernoteを開く時はワクワクする」という作用を生んでいるようです。そういった意味では、毎日使うGoogleドキュメントも同じかもしれません。

僕達のようにソフトウエアを開発しているメーカーにとって、そう思われるツールを世に出すということはとても重要で、素敵なことです。例えばCADの場合は通常は業務で使うツールですが、例えば、パッと頭の中に回路のアイデアが生んだ時に、ささっと描いてみようと思うような使い方をしていただければ、Evernoteのようなイメージになるかもしれません。きっとそのような使い方をしていただいている方もたくさんいらっしゃることと思います。願わくば我々のツールも、「開く時にワクワクするもの」として提供できればと思います。

こちらの写真は Redwood City にあるEvernote本社。101を運転していると必ず目にするSilicon Valleyの玄関のような存在です。
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使う人が使いやすく、作る人が作りやすいものを設計することが自分たちの価値提供

先日、横浜の某一部上場メーカーさんの研究開発センターに行った時のこと。開発部の方と話をしていると、自分たちは設計者として、これを使う人はどういう風に使うのか、製造の人がそれを作る時はどうしているのか、それを想像しています、いくらスペックが良くても、使いづらいもの、作りづらいものは世に出してはいけないと思っているので・・・という言葉が出てきました。

使う人(エンドユーザ)のことを考えるのは当たり前だとしても、設計工程よりも下流にある製造現場のことを考え、作りやすいかどうかまで考えるのは、当たり前のようでなかなか出来ないことです。なぜなら大抵の場合、工程は縦割りされているので相手の顔も見づらく、自分たちは設計者の論理で良いと思うものを作り、時間に追われながらも納期さえなんとか守っていればそれでOKと思ってしまいがちだからです。

価値というのは、それを使う人が決めること。設計だけでなく、全ての面で同じことが言えますよね。自分が良いと思っていても、相手がそう思わないなら、相手にとってそれは価値がないことと同じ。思いやりを持ち相手の立場に立って、キャッチしやすいパスを投げてあげたり、分かりやすい言葉を掛けてあげたり、そういうことだと思います。

仕事柄、技術者の方と会うことが多く、今日も日本の代表するメーカーのユーザービリティ評価の専門家と話をしていたのですが、どこのものづくりの現場にも、自分の専門分野に誇りと責任を持ち、その技術を通していかに世の中を良く出来るかを真剣に考えているエンジニアがこの国にはたくさんいるなと、毎回実感します。日本の製造業を取り巻く問題はたくさんありますが、現場一人一人のそういうポジティブな精神が何かを変える力になって欲しいなといつも思います。

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