ああ、もう、集中力一本勝負


えっと、この記事とても面白かったのでリンクしておきます。
東洋経済オンラインから。

メディアを襲う”破壊的イノベーション”
読者・視聴者を3分の1失ったアメリカの報道機関

「米国のニュース・ビジネスは崩壊した」という挑戦的な文章から始まるこの記事、ジェフ・ベゾスがワシントン・ポストを個人的に買収した件と合わせて読み応えがあるものとなっています。はい、今日は疲労困憊のため、細かい所感はなしです。僕もざざっと流し読みしかしていないため、ちゃんと後で読もうと思っての備忘録です。


本年度のグッドデザイン賞を受賞した自社ソフトウエアの英語版がいよいよリリースということで、チェック作業が日々続き、もう英語見るのいや~状態。あ、ぼやいていないですよ!どんな仕事でも前向きに。しかし、思いのほか時間が(膨大に)取られていまして、企画書や提案書の提出、メールの返信などなど遅れておりまして、多方面にご迷惑をお掛けしておりますが、生暖かい目で見ていただければ幸いです(すいません)。

それではまた明日。

オリンピック招致のラストプレゼンテーションに学ぶ


2,020年の東京オリンピック・パラリンピック招致おめでとうございます。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。今回の模様を見ていると、オリンピック招致にはスポーツ界、財界、政界、自治体だけでなく(招致委員会の一覧を見ればその規模感と錚々たるメンバーに驚き)、国民全体での招致活動、という規模の大きさを新ためて実感しました。最後には「日本そのもの」である皇室の力まで借りての「オールジャパン」ぶりでしたね。

さて昨夜の23時から、Candidate Cityのラストプレゼンテーションをドキドキしながら観ていました。日本人ですから、もちろん東京に決まってほしいという思いはあるものの、観点は「どのようなプレゼンテーションが一番オーディエンスの心に刺さるか」という点。国際社会で日本人がどうプレゼンをすれば良いのか。何よりもその点に注目しました。このようなオリンピック招致の場面は最高のケース・スタディです。

そういった面では、日本人のスピーカーの皆さんは、総理から選手に至るまで全員が英語かフランス語のどちらかで、日本語を全く使わずにプレゼンをされていたので(英語が苦手な方もいらっしゃるでしょうから、影でどれだけ練習されていたかは想像に難くありません)本当に好印象だったと思います。

しかも、身振り手振りを多用して熱意を伝えることを相当練習されていたようです。英語が苦手な人は、「暗記していたことを話すのに精一杯」になってしまって、棒読みになったり、抑揚がなくなってしまったりするものです。ついつい、身振り手振りを忘れてしまう。しかし、熱意、感情に訴えるためには、手振りは絶対的に必要な要素です。フェンシング太田君、パラリン陸上の佐藤さんはすごく良かったと思います。あまり話題にはなっていませんが水野副会長の表情豊かなプレゼンや委員席に手を振りながらの入退場も、すごく印象的だったと思います。

しかしその中でも別格だったのは、高円宮妃久子殿下でしょう。Opening Remarksとして登場された瞬間、場の空気が凛とする程の品格とカリスマ、オーラ。流暢なフランス語と英語、そしてリラックスした雰囲気、アイコンタクト、笑顔。ああ、これぞ本物のセレブリティ。もうその辺の有名人や金持ちなどとは(当たり前ですが)格が全然違う。「品格」「ノーブル」という言葉はこういう時に使うんだ、と思いました。やっぱりこの辺りの方々は別格ですし、皇室の存在が国際社会での日本の立場を下支えしているという点を再認識させられました。

IOCの発祥はもちろんヨーロッパですから、貴族文化が根強く残っています。各国のIOC委員も王族や貴族、国を代表するセレブが多い。そのような文化ですから、世界の王室でも最も歴史が長い日本の皇室の一員である高円宮妃が出てくると、当然、空気が引き締まる訳ですよ(国際会議に出たことがないので、100%推測でしかありません 笑)。「Her Imperial Highness The Princess Takamado」ですからね。そしてその地位に違わぬ才女ぶり。日本の印象をグッと良くし、品格を持たせ、その後のプレゼンターに上手にバトンタッチをされたのだと思います。また、滝川クリステルもさすがのフランス語プレゼン。この二人の抜群の語学力とスピーチ力、オーラが確実に安心感を生んだ気がします。

高円宮妃久子さま IOC総会で復興支援に感謝の言葉

もちろん、安倍首相や竹田会長も素晴らしかったのですが、ロビー活動でも身振りやハグを多用するなど、相手の文化に合わせて効果的な手法を選択した好例と言えるのかもしれませんね。いや、勉強になりました。明け方5時20分のこの感動的な瞬間を、しかと写真に刻んでおきました。

ガリ勉のススメ


元Googleのエグゼクティブで、Yahoo!CEOのマリッサ・メイヤーに関する日経ビジネスの記事。世界をリーディングする女性経営者の代名詞のような存在のマリッサですが、そのプライベートの素顔はあまり表に出てこなかったのです。この記事を読むと、ああ、なるほど、と納得。

“ガリ勉マリッサ”がヤフーにもたらしたもの(日経ビジネス)

まあ細かいことは記事を読むべし。
Yahoo!CEOになった3ヶ月後に産休を取っても、その辣腕ぶりで社内改革を進め、20社の企業を買収し、株価を75%上昇させた原動力はその「ガリ勉」にあったと理解。ガリ勉体質というのがあるのかないのか分かりませんが、その資質がなければ勉強は習慣化するしかないし、その習慣化を継続させようと思えば「楽しい」と思えなければならないと思うのです。いや、すごいわ。


日経産業を読んでいて、全体を俯瞰する見方が大切と思う今日この頃。特にグローバル市場でのイノベーションについて興味深い内容が書かれていました。共感多々。

記事で書かれていたように、グローバル展開において、日本は他の先進諸国に比べてGDPに占めるM&A比率が極端に低いという点も、なんとか自社の成功体験で攻めようとして現地のマーケットに馴染めず失敗して撤退という、良くあるケースを象徴しているのかもしれません。現地マーケットで勝つためにはスピード感のある現地企業といかに一緒に仕事をするかにかかっていますよね。意思決定の速度と融和。島国根性を捨てて上手に浸透して行きたいところです。

さて、今日で無事に山を超えました。
関係各部、お疲れ様でした。
これで週末は心身共にゆっくり出来そうです。

大人の避暑音楽とトレーニングについて

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どんな商品やサービスでも「ネーミング」は大切です。

午後からずっと自室に篭りっきりになってしまった今日のような日は、少しでも作業中の気分を盛り上げるためにBGMを探してYoutubeの海へダイブするのですが、そんな中、「【作業用BGM】 大人の避暑音楽 Vol.6 <Jazz編> ~Viva! Summer Time~ 【Jazz】」というタイトルを見つけました。もう、「大人」「避暑音楽」というキーワードに射抜かれてしまい、即再生。ラテン系のJazzでコンピレーションされているのですが、本当に、こういうのを趣味(ボランティア?)で作って下さる職人の方には感謝感謝ですよ。僕も昔は自分でコンピレーションを作ったりしていましたが結構面倒な作業なのです。

今日はこのBGMのお陰で気分はカリブのビーチ。


お誘いいただき、元ハンマー投げの室伏由佳さんの講演を聴きに行って来ました。もちろん僕の仕事とは直結しない分野の話ではあるのですが、折角だし自分もスポーツをしているので興味があったのです。タイトルは「プロアスリートとスポーツトレーナーの関係」について。今まで知らなかったけれど、室伏さんは怪我や病気を散々乗り越えられて来た方なんですね。貧血に婦人病に椎間板ヘルニアに、ギックリ腰を何十回も・・・ひどい時は月に二回もぎっくり腰をやるという時もあったようです。トレーニングどころか、まともな生活できないですよね。それでも、正しい知識がなかったからグランドに行っては出来ることを無理してやっていたそう。オリンピックに出るために「一日10時間以上ハードワークをしないといけない!」という根性の気持ちでやっていると、慢性疲労で無気力状態になってしまい、怪我も増えた、と。

なるほど、慢性疲労時はボーっとしてグッと集中することが出来なくなるし、無理に練習すると腰や膝を痛めたり怪我をしてしまいますもんね。僕もマラソンの練習を無理にしたので、今でも腰と膝は良くない状態。多分元には戻らないので、上手に付き合っていくしかなさそうです。正しいトレーニングの仕方など我流ではなく、プロの方について教えてもらわなければだめだ、とプロアスリートである室伏さん自身もおっしゃっていました。トッププロでも専属のトレーナーに管理してもらっている人は一握りだそうです。意外でした。このように、プロの方だけでなく僕達のようなアマチュアの人間にも為になる話ばかり。会場も学生から教員の方まで幅広い年齢層の方で大盛況でした。自分も11月のフルマラソンに向けて無理せずにトレーニングをして重ねて行きたいと思いましたね。

さあ、いよいよ9月です。
気持ち新たにがんばって参りましょう。
 
 
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個人の情報発信について


夕方からの偏頭痛も、関西を襲ったゲリラ豪雨の始まりと共に消え去ってしまいました。やはり気圧のせいかな。後は取引先のレセプションで飲んだビールが血行を促進してよかったのかも。しかし、偏頭痛をお持ちの方は分かると思いますが、あれ、本当に辛いですよね。
なにはともあれ忙しい一日でしたが、無事に終えることが出来そうです。レセプションでの取引先の経営に対する取り組み方もとても勉強になったし・・・良い刺激でした。ありがとうございました。


さて、ブロガーサミットが開催されるということで、主催者であり、アルファブロガーとしても有名なAMN徳力さんのブログを見ていて自分もブロガーの端くれとして、その考えに非常に共感する部分もありました。
下記にリンクさせていただきます。

ブロガーサミットで私が表現したいのは、「ブロガー」は特殊な存在ではなく、車を運転する「ドライバー」と同じで、選択してるかしてないかの違いでしかないということ。

専門的なことは是非、徳力さんのブログでお読みください。共感多々です。特にブログのテーマやスタンスは個々に異なるものの、「個人が情報発信出来る時代になった」「個人がメディアになれる時代になった」ということ自体が画期的な事であることは間違いありませんし、僕自身も9年ブログを運営して来てそう実感しています。

個人としては丸8年以上ほぼ毎日更新している経験から、そろそろ僕も「ブロガー」と名乗っても良いのかな、と薄々思うようになってきました。もちろん、「ブログ」や「ブロガー」に対するイメージは人それぞれだと思いますが、まあ、ブログを書いている時点でブロガーである事に代わりはない訳で。つい最近まで抵抗があったのですが、少し考え方を変えてみると、非常に肯定的に捉えることができるようになってきました。


さて、個人ブログのあり方について少し書いてみたいと思います。

僕自身は何かの専門に特化しているのかというと、全くそうではありません。仕事柄、マネジメントや仕事に対する取り組み、テクノロジー、マーケ、海外ニュースなどの記事を書くことが多いとしても、仕事の中身そのものはNDA配下にある内容がほとんどですので、なかなかここではご紹介できません。ですから、自分が興味を持った内容に対して、自分なりの(ほとんどの場合、薄っぺらな切り口で)分析や論理を展開していくことが多くなります。もちろん、どこで何を食べた、どこに行った、どこの店が良かった、などの内容も多くなりますが、そういう意味では「読者を意識しない」あくまで私的な内容であり、プライベートなものであるというスタンスです。

では何かを書くというモチベーションはどこにあるのか、あくまで自己満足のためであるか、というと、そうでもなく様々な要因がモチベーションになっています。

例えば、自己との対話であり、情報の整理であり、ライフログであり。娘も二人いますので、いつかパパがこの時こう思ってたんだ、こういう考え方をしていたんだ、と興味を持ってもらえても良いのかな、とも思っています。そして忘れてならないのは、記事の更新を楽しみにしてくれている方の存在です。当然、ブログにはアクセス解析の機能がありますので、どこの誰がいつ見に来ているという個人的な情報は全く取得できませんけれど、一日に何人のユニークユーザーがあって、ページビューはどれくらいで、どのような検索キーワードで来ていて、どんなメディアから流入しているか、というような事は分かります。一日に数百人の方が見に来てくれている、ということは、自分の中では大きなモチベーションになっています(まあ、稚拙な内容ですので、多少の恥ずかしさと申し訳なさはあるものの・・・)。

最初は、何を書こうか随分悩んだものです。ネタを探すのにとても時間がかかったり。しかし、こういう作業を長年繰り返して行くと、真っ白なキャンバスに対する恐怖感がなくなってくる訳です。何も考えずとも真っ白なテキストエリアに、かちゃかちゃとテキストを入力していく。これは恐らく「アウトプットの瞬発力」が鍛えられているからなんだろうと推測しています。毎日毎日、何かを考えることが習慣となっていますから、準備をしていなくても頭の中の引き出しから幾つかのトピックを引っ張りだして、組み立てて、それなりにアウトプットが出来るようになってきました。これは打ち合わせやプレゼンの際に役立っています。

そんな訳で、皆様も是非、何らかのカタチでブログを書くことをお勧めします。デメリットよりもはるかにメリトの方が多いですよ。そしてできれば、SNSに依存しないカタチでブログ(個人メディア)を持つことができれば最高です。SNSは流行り廃れがどうしてもあるので、折角書き溜めたものがなくなる恐れもなきにしもあらず、ですから。

そんな訳で、仮にSNSの滞在時間は減ったとしても、僕はここで日々、何かを発信して行きたいと思っています。

それでは今日はこの辺で。

ライフ・ポリティクスにより、求められる自己責任

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ここ数日、ライフ・ポリティクスについて思いを巡らせています。
表面的な部分だけサッと書いてみると、今更だけど自己選択と自己責任の時代だよなあ、としみじみ思う訳であります。

かつての高度経済成長期の日本のように、貧困や後進国というレッテルからの脱却を求めていた「解放」のポリティクスから、ある程度豊かになった現在におけるライフ・ポリティクス(選択とライフスタイルのポリティクス)へ時代が変遷している今、集団的に何かを目標にして国全体で邁進するのではなく、個人個人が「自律的に何を選択するか」という個人による目標設定と完遂が求められている時代ですよね。で、これが結構、自己責任が求められるのですよ。極端な話、ライフ・ポリティクスが進めば、誰も守ってくれなくなる、という訳です。

で、こうなると、人は皆個人として、また、自己責任の中で「自分自身の物語」を紡いで行かなければなりません。つまりはセルフ・アイデンティティの確立です。自分はどうなりたいのか、自分の人生の目標は何か、そのためにどうすれば良いのか。その上でセルフ・アイデンティティを主張するのであれば、自分の人生、自分でケツを拭きなさい、ということになる。これが、後期近代の世の中のあり方ではないのか、と。

まあ、だからと言って自分勝手な生き方をしなさい、という訳ではなく、あくまで人間は社会という枠組みの中で生きて行かなければならない訳ですから、性善説的に自分と社会の益になるようなライフ・ポリティクスが望ましい、と思っています。

そして、企業としても時代に合わせて変化して行かなければならない。雇用者に対し、「同じ釜の飯を食う仲間だよ、一生面倒みるからね」、というのは古き良き時代の安心感があるけれど、今の時代、企業として有用な人材を確保するためには、コミットするところをもっと明確にして(例えば、好きな時間に働いても良いよ。でも、月ベースでこれだけの結果を出さないと解雇だよ、とか。極端だけど・・・w)シンプルに結果を求め、それに対しての報酬を用意するということで両者満足の行く関係を築く、という方が時代に即しているのではないか。今は不景気とは言え極端に人材不足という、一種のアンビバレンツな時代でもありますから、人材確保という面においてもESという面においても、時代に即して変化するのは企業側にも求められているよな、と考えさせられます。僕もあくまで企業人なので、ついつい自分のライフ・ポリティクスよりも企業、組織としてのポリティクスに思いが行ってしまいますね。

いずれの場合も、セルフ・アイデンティティというのは、自分自身を再帰的に見た上で自己の物語を紡いで行かなければならない訳で、自己責任という点を念頭に置きながら、日々成長して行きたいと思います。まあ、僕の場合は再帰したところで反省ばかりなのだけど。汗

ということで訳の分からないことばかり考えていると無限ループに陥ってしまいまそうですので、今日はこの辺で。それではまた明日。
 
 
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Blancな時間について


一人で何かに集中できる時間というのは、とても貴重です。この歳になって改めてそう実感。
集中の対象となるのが仕事である場合、それはある意味、義務であり責任でありチャレンジであり。「仕事は楽しく」というのはひとつの形成されたマインドセットなのだけど、好きなことを思い切り勉強できる、というのはこれとは別で、その環境がかなりのレベルで整っている場合、それはとても純粋かつ、贅沢な趣味のようなものです。

で、僕は短期間ではあるものの、今まさにそのような状態に身を置かせてもらっているのだけれど、これがまあ、自分が学生だった時には思いもしなかったような「なんだこの素晴らしい時間は」というような感じで。ホーッと一息ついたblancな時間に色々と思考を思い巡らせては、ああそういうことか、と納得したり、新たな疑問が湧いて来たり。それは今、こうして仕事をしているからこそ、自分なりに理論と実証のスキームを回すことが出来るからなのでしょう。もちろん、キツいこともたくさんあって、それこそ脳から血が出るようなことも知恵熱が出そうなこともあるんだけど、それは仕事をしている時も同じで(仕事ではもっとチャレンジングなことが一杯で非常にエキサイティングであることは明白)、まあ、生きるということはそういうことなんだろうな、と非常に客観的に思えたりもします。


さて、お盆休み期間中とは言え、仕事のところは仕事ですよね。
基本的にPCとネット環境と携帯さえあればどこでも仕事が出来るという僕のMac book Airには、ありがたいことに仕事の依頼や見積の依頼などが毎日やって来ます。大丈夫です、僕は仮にホテルにいようが、大学の図書館にいようが、居酒屋にいようが、ちゃんとキャッチできますから。仕事の人も、バカンスの人も、皆様、明日も良い一日でありますように。

足撮り(足取り)を追う


今日から一週間、ちょっとお勉強しに東京です。
関西で過ごす休暇の最終日だった今日、実家に親戚一同が集まったりしてワイワイと。その後、夜のフライトで羽田まで飛びました。人の流れと逆行しているようで、羽田便は空席も目立つ感じ。Uターン路線の方はきっと満席でしょうね。

今日はインターバルがあったので、暇つぶしに足撮りをしてみました。はい、理由は特にありません。

休み期間中は、基本的に半パンで。仕事復帰した時に長パン+革靴に耐えれるかどうか・・・今から心配です。日本も気候が変わりつつありますからね、いっそハワイのようにアロハ+半パンを正装とみなしてはいかがでしょうか。だって、暑過ぎるんですもん。

図書館の秘密


久しぶりに、ゆっくりと落ち着ける土曜日。

娘たちも土曜日は習い事に塾にという日なので、朝から図書館に来ています。二週間前に訪館した際は、ちょうど大学のテストシーズンでもあり、自習室も机もソファー席までどこも満席で苦汁を飲まされたため(大袈裟)、今朝は開館15分前に来てみました。それでも既に6人くらいが並んでおり、10時の開館時には僕の後ろに数十人の長蛇の列。みんなどれだけ図書館好きなんだ。

開館時間になると、ほとんどの人が自習室を目指すのではなく、「リサイクル図書」のコーナーに駆け寄っています。どうやら、そのラックにある本は自由に持って帰って良いというシステムらしい。ああ、なるほど、皆これが目的なのね。僕を含めた残りの人達は、自習室のボックス席や談話室のテーブルを目指します。わが街の図書館は2階に自習室があるのですが、僕はPCでカチカチやるので、自習室のボックスではなく、飲食も出来てPCも触れる談話室がお気に入り。窓際の席からは外の木々が見え、本やファイルやPCを十分に広げれられるほど机も広いし、とてもリラックスできるのです。

隣の青年が「モアイ像をどうやって運んだのか」という科学雑誌の記事を読んでいたり(僕も非常に興味がある)、おじいさんが老眼鏡を少しずらしてノートPCを使っていたり、学生が宿題をしていたり、と皆が真剣に何かに取り組んでいること、そしてその環境を提供してくれているのが図書館の良いところ。お弁当を持って来ている人もたくさんいます。クーラーもしっかり効いているし、何よりも静かで「集中できる」という環境が整備されているため、図書館通いはやめることができません。

物書きのBGMはこれ。

Stan Getz & Joγo Gilberto – Getz/Gilberto [feat. Antônio Carlos Jobim] (1964)

気分はイパネマ、コパカパーナ。

30代後半というのは実に中途半端な年代であるかもしれない


録画していた世田谷ベースを視聴していると、所さんが、カスタムしたピカピカのハーレーに乗って首都高を走る映像を撮ろうという企画がありました。ハーレーを駆っている時のBGMをどうしようと相談をしている場面があるのですが、普通なら革ジャンにブーツで「Born to be Wild」やロック系の曲をチョイスすると思いますよね。全然違うんです。

決定したのは、大橋純子の「シルエット・ロマンス」。ああ、なんというハイセンス。渋すぎるでしょう。所さんの服装もTシャツにワークパンツ。「これなら、これ」という枠に全く捉えられないところが、50代の渋いオヤジ衆の素晴らしいところ。画面切り替え時は、北島三郎の楽しげな囃子。この発想が出てくるのは、50代ならではないか、と思うのです。で、そしてこのアレンジが、ドはまりする。「Born to be WildとかがBGMだったら、お茶の間は安心して見れると思うんだけど、それじゃ面白くないんだよね」と。

取引先や飲み屋の常連さんなど、プライベートで可愛がっていただいている50前後の方々は、本当にパワフルで面白い。もちろん人それぞれだと思うのですが、自分より、ちょうど一回り上の方のパワーにはいつも圧倒されます。何だかね、楽しんでいるのですよ。自分達の世代がそれくらいの年齢になった時に、同じくらいの洒落とセンスとパワーを出せるかな、と思うと、正直自信がない。皆様、楽しみ方に奥行きがあるんです。

もちろん、人それぞれだと思うし、世代で一括りにするのはナンセンスであることは分かります。バブルを経験している、とか、子育ても一段落して経済的にも時間的にも余裕があるから、など、杓子定規的な判断も良くない。たまたまかもしれなけれど、そういう方々が多いような気がします。当たり前だけど、僕達30代後半世代は、アウトプットにアレンジがまだまだ効かないんですよね。センスに余裕がない。イマドキの曲も分かるし、父親世代の曲も知っている。どの時代もそうかもしれないけど、中途半端な世代であるのです。

まあ、何が言いたいかと言うと、自分達の世代に否定的な何かを書きたいのではなく、「日々勉強」ということです。毎日必死で当たり前。成功と苦労を積み重ねていくことが経験であり、アウトプットは経験に基づく、ということなんだろうと思います。仕事においても趣味においても。

そういう事を考えながら、また明日からがんばって行きたいと思います。
それでは今日はこの辺りで。