個人の情報発信について


夕方からの偏頭痛も、関西を襲ったゲリラ豪雨の始まりと共に消え去ってしまいました。やはり気圧のせいかな。後は取引先のレセプションで飲んだビールが血行を促進してよかったのかも。しかし、偏頭痛をお持ちの方は分かると思いますが、あれ、本当に辛いですよね。
なにはともあれ忙しい一日でしたが、無事に終えることが出来そうです。レセプションでの取引先の経営に対する取り組み方もとても勉強になったし・・・良い刺激でした。ありがとうございました。


さて、ブロガーサミットが開催されるということで、主催者であり、アルファブロガーとしても有名なAMN徳力さんのブログを見ていて自分もブロガーの端くれとして、その考えに非常に共感する部分もありました。
下記にリンクさせていただきます。

ブロガーサミットで私が表現したいのは、「ブロガー」は特殊な存在ではなく、車を運転する「ドライバー」と同じで、選択してるかしてないかの違いでしかないということ。

専門的なことは是非、徳力さんのブログでお読みください。共感多々です。特にブログのテーマやスタンスは個々に異なるものの、「個人が情報発信出来る時代になった」「個人がメディアになれる時代になった」ということ自体が画期的な事であることは間違いありませんし、僕自身も9年ブログを運営して来てそう実感しています。

個人としては丸8年以上ほぼ毎日更新している経験から、そろそろ僕も「ブロガー」と名乗っても良いのかな、と薄々思うようになってきました。もちろん、「ブログ」や「ブロガー」に対するイメージは人それぞれだと思いますが、まあ、ブログを書いている時点でブロガーである事に代わりはない訳で。つい最近まで抵抗があったのですが、少し考え方を変えてみると、非常に肯定的に捉えることができるようになってきました。


さて、個人ブログのあり方について少し書いてみたいと思います。

僕自身は何かの専門に特化しているのかというと、全くそうではありません。仕事柄、マネジメントや仕事に対する取り組み、テクノロジー、マーケ、海外ニュースなどの記事を書くことが多いとしても、仕事の中身そのものはNDA配下にある内容がほとんどですので、なかなかここではご紹介できません。ですから、自分が興味を持った内容に対して、自分なりの(ほとんどの場合、薄っぺらな切り口で)分析や論理を展開していくことが多くなります。もちろん、どこで何を食べた、どこに行った、どこの店が良かった、などの内容も多くなりますが、そういう意味では「読者を意識しない」あくまで私的な内容であり、プライベートなものであるというスタンスです。

では何かを書くというモチベーションはどこにあるのか、あくまで自己満足のためであるか、というと、そうでもなく様々な要因がモチベーションになっています。

例えば、自己との対話であり、情報の整理であり、ライフログであり。娘も二人いますので、いつかパパがこの時こう思ってたんだ、こういう考え方をしていたんだ、と興味を持ってもらえても良いのかな、とも思っています。そして忘れてならないのは、記事の更新を楽しみにしてくれている方の存在です。当然、ブログにはアクセス解析の機能がありますので、どこの誰がいつ見に来ているという個人的な情報は全く取得できませんけれど、一日に何人のユニークユーザーがあって、ページビューはどれくらいで、どのような検索キーワードで来ていて、どんなメディアから流入しているか、というような事は分かります。一日に数百人の方が見に来てくれている、ということは、自分の中では大きなモチベーションになっています(まあ、稚拙な内容ですので、多少の恥ずかしさと申し訳なさはあるものの・・・)。

最初は、何を書こうか随分悩んだものです。ネタを探すのにとても時間がかかったり。しかし、こういう作業を長年繰り返して行くと、真っ白なキャンバスに対する恐怖感がなくなってくる訳です。何も考えずとも真っ白なテキストエリアに、かちゃかちゃとテキストを入力していく。これは恐らく「アウトプットの瞬発力」が鍛えられているからなんだろうと推測しています。毎日毎日、何かを考えることが習慣となっていますから、準備をしていなくても頭の中の引き出しから幾つかのトピックを引っ張りだして、組み立てて、それなりにアウトプットが出来るようになってきました。これは打ち合わせやプレゼンの際に役立っています。

そんな訳で、皆様も是非、何らかのカタチでブログを書くことをお勧めします。デメリットよりもはるかにメリトの方が多いですよ。そしてできれば、SNSに依存しないカタチでブログ(個人メディア)を持つことができれば最高です。SNSは流行り廃れがどうしてもあるので、折角書き溜めたものがなくなる恐れもなきにしもあらず、ですから。

そんな訳で、仮にSNSの滞在時間は減ったとしても、僕はここで日々、何かを発信して行きたいと思っています。

それでは今日はこの辺で。

ライフ・ポリティクスにより、求められる自己責任

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ここ数日、ライフ・ポリティクスについて思いを巡らせています。
表面的な部分だけサッと書いてみると、今更だけど自己選択と自己責任の時代だよなあ、としみじみ思う訳であります。

かつての高度経済成長期の日本のように、貧困や後進国というレッテルからの脱却を求めていた「解放」のポリティクスから、ある程度豊かになった現在におけるライフ・ポリティクス(選択とライフスタイルのポリティクス)へ時代が変遷している今、集団的に何かを目標にして国全体で邁進するのではなく、個人個人が「自律的に何を選択するか」という個人による目標設定と完遂が求められている時代ですよね。で、これが結構、自己責任が求められるのですよ。極端な話、ライフ・ポリティクスが進めば、誰も守ってくれなくなる、という訳です。

で、こうなると、人は皆個人として、また、自己責任の中で「自分自身の物語」を紡いで行かなければなりません。つまりはセルフ・アイデンティティの確立です。自分はどうなりたいのか、自分の人生の目標は何か、そのためにどうすれば良いのか。その上でセルフ・アイデンティティを主張するのであれば、自分の人生、自分でケツを拭きなさい、ということになる。これが、後期近代の世の中のあり方ではないのか、と。

まあ、だからと言って自分勝手な生き方をしなさい、という訳ではなく、あくまで人間は社会という枠組みの中で生きて行かなければならない訳ですから、性善説的に自分と社会の益になるようなライフ・ポリティクスが望ましい、と思っています。

そして、企業としても時代に合わせて変化して行かなければならない。雇用者に対し、「同じ釜の飯を食う仲間だよ、一生面倒みるからね」、というのは古き良き時代の安心感があるけれど、今の時代、企業として有用な人材を確保するためには、コミットするところをもっと明確にして(例えば、好きな時間に働いても良いよ。でも、月ベースでこれだけの結果を出さないと解雇だよ、とか。極端だけど・・・w)シンプルに結果を求め、それに対しての報酬を用意するということで両者満足の行く関係を築く、という方が時代に即しているのではないか。今は不景気とは言え極端に人材不足という、一種のアンビバレンツな時代でもありますから、人材確保という面においてもESという面においても、時代に即して変化するのは企業側にも求められているよな、と考えさせられます。僕もあくまで企業人なので、ついつい自分のライフ・ポリティクスよりも企業、組織としてのポリティクスに思いが行ってしまいますね。

いずれの場合も、セルフ・アイデンティティというのは、自分自身を再帰的に見た上で自己の物語を紡いで行かなければならない訳で、自己責任という点を念頭に置きながら、日々成長して行きたいと思います。まあ、僕の場合は再帰したところで反省ばかりなのだけど。汗

ということで訳の分からないことばかり考えていると無限ループに陥ってしまいまそうですので、今日はこの辺で。それではまた明日。
 
 
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Blancな時間について


一人で何かに集中できる時間というのは、とても貴重です。この歳になって改めてそう実感。
集中の対象となるのが仕事である場合、それはある意味、義務であり責任でありチャレンジであり。「仕事は楽しく」というのはひとつの形成されたマインドセットなのだけど、好きなことを思い切り勉強できる、というのはこれとは別で、その環境がかなりのレベルで整っている場合、それはとても純粋かつ、贅沢な趣味のようなものです。

で、僕は短期間ではあるものの、今まさにそのような状態に身を置かせてもらっているのだけれど、これがまあ、自分が学生だった時には思いもしなかったような「なんだこの素晴らしい時間は」というような感じで。ホーッと一息ついたblancな時間に色々と思考を思い巡らせては、ああそういうことか、と納得したり、新たな疑問が湧いて来たり。それは今、こうして仕事をしているからこそ、自分なりに理論と実証のスキームを回すことが出来るからなのでしょう。もちろん、キツいこともたくさんあって、それこそ脳から血が出るようなことも知恵熱が出そうなこともあるんだけど、それは仕事をしている時も同じで(仕事ではもっとチャレンジングなことが一杯で非常にエキサイティングであることは明白)、まあ、生きるということはそういうことなんだろうな、と非常に客観的に思えたりもします。


さて、お盆休み期間中とは言え、仕事のところは仕事ですよね。
基本的にPCとネット環境と携帯さえあればどこでも仕事が出来るという僕のMac book Airには、ありがたいことに仕事の依頼や見積の依頼などが毎日やって来ます。大丈夫です、僕は仮にホテルにいようが、大学の図書館にいようが、居酒屋にいようが、ちゃんとキャッチできますから。仕事の人も、バカンスの人も、皆様、明日も良い一日でありますように。

足撮り(足取り)を追う


今日から一週間、ちょっとお勉強しに東京です。
関西で過ごす休暇の最終日だった今日、実家に親戚一同が集まったりしてワイワイと。その後、夜のフライトで羽田まで飛びました。人の流れと逆行しているようで、羽田便は空席も目立つ感じ。Uターン路線の方はきっと満席でしょうね。

今日はインターバルがあったので、暇つぶしに足撮りをしてみました。はい、理由は特にありません。

休み期間中は、基本的に半パンで。仕事復帰した時に長パン+革靴に耐えれるかどうか・・・今から心配です。日本も気候が変わりつつありますからね、いっそハワイのようにアロハ+半パンを正装とみなしてはいかがでしょうか。だって、暑過ぎるんですもん。

図書館の秘密


久しぶりに、ゆっくりと落ち着ける土曜日。

娘たちも土曜日は習い事に塾にという日なので、朝から図書館に来ています。二週間前に訪館した際は、ちょうど大学のテストシーズンでもあり、自習室も机もソファー席までどこも満席で苦汁を飲まされたため(大袈裟)、今朝は開館15分前に来てみました。それでも既に6人くらいが並んでおり、10時の開館時には僕の後ろに数十人の長蛇の列。みんなどれだけ図書館好きなんだ。

開館時間になると、ほとんどの人が自習室を目指すのではなく、「リサイクル図書」のコーナーに駆け寄っています。どうやら、そのラックにある本は自由に持って帰って良いというシステムらしい。ああ、なるほど、皆これが目的なのね。僕を含めた残りの人達は、自習室のボックス席や談話室のテーブルを目指します。わが街の図書館は2階に自習室があるのですが、僕はPCでカチカチやるので、自習室のボックスではなく、飲食も出来てPCも触れる談話室がお気に入り。窓際の席からは外の木々が見え、本やファイルやPCを十分に広げれられるほど机も広いし、とてもリラックスできるのです。

隣の青年が「モアイ像をどうやって運んだのか」という科学雑誌の記事を読んでいたり(僕も非常に興味がある)、おじいさんが老眼鏡を少しずらしてノートPCを使っていたり、学生が宿題をしていたり、と皆が真剣に何かに取り組んでいること、そしてその環境を提供してくれているのが図書館の良いところ。お弁当を持って来ている人もたくさんいます。クーラーもしっかり効いているし、何よりも静かで「集中できる」という環境が整備されているため、図書館通いはやめることができません。

物書きのBGMはこれ。

Stan Getz & Joγo Gilberto – Getz/Gilberto [feat. Antônio Carlos Jobim] (1964)

気分はイパネマ、コパカパーナ。

30代後半というのは実に中途半端な年代であるかもしれない


録画していた世田谷ベースを視聴していると、所さんが、カスタムしたピカピカのハーレーに乗って首都高を走る映像を撮ろうという企画がありました。ハーレーを駆っている時のBGMをどうしようと相談をしている場面があるのですが、普通なら革ジャンにブーツで「Born to be Wild」やロック系の曲をチョイスすると思いますよね。全然違うんです。

決定したのは、大橋純子の「シルエット・ロマンス」。ああ、なんというハイセンス。渋すぎるでしょう。所さんの服装もTシャツにワークパンツ。「これなら、これ」という枠に全く捉えられないところが、50代の渋いオヤジ衆の素晴らしいところ。画面切り替え時は、北島三郎の楽しげな囃子。この発想が出てくるのは、50代ならではないか、と思うのです。で、そしてこのアレンジが、ドはまりする。「Born to be WildとかがBGMだったら、お茶の間は安心して見れると思うんだけど、それじゃ面白くないんだよね」と。

取引先や飲み屋の常連さんなど、プライベートで可愛がっていただいている50前後の方々は、本当にパワフルで面白い。もちろん人それぞれだと思うのですが、自分より、ちょうど一回り上の方のパワーにはいつも圧倒されます。何だかね、楽しんでいるのですよ。自分達の世代がそれくらいの年齢になった時に、同じくらいの洒落とセンスとパワーを出せるかな、と思うと、正直自信がない。皆様、楽しみ方に奥行きがあるんです。

もちろん、人それぞれだと思うし、世代で一括りにするのはナンセンスであることは分かります。バブルを経験している、とか、子育ても一段落して経済的にも時間的にも余裕があるから、など、杓子定規的な判断も良くない。たまたまかもしれなけれど、そういう方々が多いような気がします。当たり前だけど、僕達30代後半世代は、アウトプットにアレンジがまだまだ効かないんですよね。センスに余裕がない。イマドキの曲も分かるし、父親世代の曲も知っている。どの時代もそうかもしれないけど、中途半端な世代であるのです。

まあ、何が言いたいかと言うと、自分達の世代に否定的な何かを書きたいのではなく、「日々勉強」ということです。毎日必死で当たり前。成功と苦労を積み重ねていくことが経験であり、アウトプットは経験に基づく、ということなんだろうと思います。仕事においても趣味においても。

そういう事を考えながら、また明日からがんばって行きたいと思います。
それでは今日はこの辺りで。

かすうどんの唄(そんな唄はない)


オープン後、初めてグランフロント大阪に行って来ました。工事中の内覧の際、中にカツラが仕込まれたヘルメットを被って簡易エレベーターで見学したことがありましたが、それ以来。近くで働いているのにオープン後初めてなんて。人混みの苦手さがこういうところでも現れてしまいます。

慶應の大阪サテライトキャンパスには個人的に良く行くのですが、以前まで中之島にあったのが、グランフロントのオープンに伴いナレッジ・キャピタルに移転。JR組の僕的には非常に便利になりました。慶應だけでなくて、各大学の出張所がたくさん集積しているのもナレッジ・キャピタルの特徴。

日曜日だけあって盛り上がっています。

野暮用を済ませ少し肩の荷が降りたので、ランチにハイボール。
カウンターに一人で座れて、昼から酒が飲めて、美人な店員さんがいる店をチョイスするとここになりました。偶然にも大好物の「かすうどん」がランチメニューに。これは嬉しい。ハイボールも進む。

いわゆる天カスだけの「ハイカラうどん」よりも油に旨味があって塩味もある「かすうどん」の方が好み。ああ、かすうどん。

二杯目のアテには板わさ。

はい、これもツボ。
刺身を食べる時には「醤油:わさび=1:1」が原則の僕としては、普通の人が食べると「罰ゲームか」と思うであろう程のわさびが詰まった板わさはご褒美でしかない。

という訳ですっかり昼間から良い感じになってしまいました。
まあ、今日くらいはゆっくりさせていただきます。

久しぶりのDeep Houseです。
Ananda Projectと言えば「Kiss✕3」ですが、少しスピード感のあるこれ。

Ananda Project – Rain Down

列に並びながら夏を感じる


地元の水練学校に子供たちを通わせるため、申込場所に並んで来ました。
水練学校というのは、市や教育委員会がバックアップしているNPO法人で、夏休みに小学生を対象に行われる水泳学校の事です。ちなみにこの学校、創立65周年。一期生の方が当時10歳だとしても、今75歳。卒業者には国会議員やヅカスターなど。歴史を感じますね。

この水練学校、今でもかなりの人気。12時に申込み開始ということで、10時50分に並んだのですが定員450人に対して僕は既に300番台。子供の友達たち7人分の申込書とお金を持って並んでいる訳ですから、責任重大です。ちなみに昔は子供の数も多かったし、今のようにスイミングスクールもたくさんあった訳ではなかったので、このような水練学校は大変な人気で、夜中の2時からお父さんが並び始め、7時にお母さんにバトンタッチして、自分は仕事に行く、という時代もあったそう。先生も今の倍ほどの人数で対応されていたそうです。すごいですよね。

僕も1時間半は並ぶことを想定したので、本にイヤフォンを持参していたのですが、不快指数100%のジメジメした中、立って並ぶのはさすがにこたえました。昔のことを思うと全然楽なんでしょうけど。なにはともあれ、このような伝統ある水泳学校がいつまでも支持されているというのは何だか嬉しいことです。


天気予報ではスカっと晴れるんじゃなかったんかい!と心の中でぼやきながら、文献に埋もれ、PCに向かってテクストの海にダイブ中。たまに外に出て、降る雨を眺めたり。明日で山を超えるので、今日は我慢してこんな一日です。逆にこのような天気だからこそ、諦めもつくというもの。スカッと晴れていたら、この映像のビル・エバンス先生のようにネコ背になってうなだれてしまうことでしょう。

Bill Evans “Peace Piece”

幾つかのインスパイア


ツングースカ大爆発の原因が解明されたとのこと。

これまで原因が不明とされてきた、105年前の「ツングースカ大爆発」。このほどウクライナ、ドイツ、米国の科学者のグループが、隕石の微小な残片を確認した。(Wired.jpから)

ツングースカ大爆発とは(Wikipedhia)

105年前に起こったことを解明するという科学者の執念に感銘。人類の歴史、地球の歴史、果ては宇宙の歴史と比較すると、それは「ほんのついさっき」という程度のことかもしれませんが、今生きている人間からすると、100年を超える時間軸というのは「寿命」と「世紀」という単位で図るため、その年月のイメージは遥かに長いものと感じます。専門的なことは分かりませんが、広範囲の影響箇所の中から微量の物質を発見して解析するという作業の膨大さは容易に想像できます。しかし、この105年、これほど大規模な隕石衝突は起こってないことがラッキーなのかなんなのか。落ちた場所がシベリアだったから死者は出なかったとのこと(詳細は不明)ですが、都会だったらどうなっていただろう、と思うとゾッとしますね。先日のロシアの隕石落下では、怪我人もたくさん出ました。まあ、地球規模から考えると「都会」にピンポイントに落ちる確率の方が遥かに低いとは思いますが。


大阪の山中にある、某メーカーの工場に見学と取材に行って来ました。
山間にあるこの場所、駅からの交通手段がほぼないに等しいため、最寄駅から先方に送迎していただきました(感謝です)が、自然に囲まれた環境の中で高い技術力を保有し「ものづくり」を行なっている方々を見ていると、「先端技術と自然と歴史」の融合とギャップを感じ、魅力的に感じます。以前、「朽ちるものが放つ美しさ」という記事をエントリーしましたが、その感覚と似ている。ギャップが放つ美しさ。働いておられる方も生き生きとして、とても親切な方ばかりでした。自然という環境が人をそうさせるのでしょうか。精密な仕事をして、時折社外に出て外の景色に目をやる。その景色が山と深い緑であれば、良い気分転換になりそうです。


昨日と今日、梅雨空に時折ゲリラ豪雨が降る嫌な天気です。
幸い、その豪雨の時間は屋内にいたので良かったですが、外を歩いているとエラいことになっていたでしょう。雨が降らなければ心配になるし、降れば降ったで鬱陶しいし、人間って勝手な生き物ですね。

さて、明日は金曜日。
週末は晴れそうです。最後のラストスパートがんばりましょう。

ちょっとDianaが続きます。
How Can You Mend A Broken Heart – Diana Krall

週末リベラル・アーツ


実務のことを考えると専門的かつ技術的な勉強の方が良いとは思うのですが、いわゆるリベラルアーツは視野を広げて意思決定の幅を持たせるのに役立つのでは、と思っています。遠回りかもしれないが、学びの分野を広げることで歴史と事例を知り、裏付けを得た上で物事の意味を知り、理解を深めることができるような気がして、まあ色々とやっています。

海外の人間と話したりビジネス交流する際に文化や背景を知らなければ、ノリで笑いは取れても本当のコミュニケーションは出来ない、とは良く言われることですし、昔学んだことでも今この歳でやるとまた違った観点から見ることが出来たりして発見の連続。学生の頃は「勉強」は決して楽しいものではなかったけれど、「学生のうちの勉強しておきなさい」という親の言葉、今は骨身に染みて分かります。アラフォーになり、それなりに経験を重ねた今だからこそ、学べることの贅沢さが分かりますわ。という訳で、今週末も良い天気に恵まれたこともあり、2日で15km走れたし、本もかなり読めたし、予定していたことをしっかり終えることが出来ました。


早いもので明日から7月スタート。
今年も半分が過ぎ、すっかり夏になってしまいましたね。
暑さに負けず、頑張って行きましょう。