落ち着いた時に考える「専門性」について


怒涛の月末、ゴールデンウィーク、ABCハッカソンと続き、気づけば5月も中旬に差し掛かろうとしています。この期間に色々な場所に行き、多くの人と出会いましたが、あらためて「何かに特化する」ことの大切さを実感しました。

当然のことと言えば当然のことですが、どんな場所、分野、業界にもその分野に特化して活躍している人がいます。例えば、怪魚ハンターとか、山草採りの名人とか。ものづくりの分野でも同じで、組み込みのプロ、ハード設計のプロ、UXの専門家など、一つのプロダクトを取ってみても様々な分野の専門家の仕事が集約されていますし、それらの人が集まるイベントもたくさん存在します。ハッカソンとかものづくりイベントもそう。

「何かに特化する」

これ、出来るようでなかなか出来ないことだと思うんです。もちろん企業で求められている内は「生活の糧」となりますが、単純に「好き」という気持ちだけで専門特化することはとても勇気のいることだと思うんですよね。なんだろう、上手に書けないし感覚的なものだけれど、なにせニッチですし、マーケットサイズも大きくない。だからこそニーズがあるといえばそうなのですが、もしかしたら共感してくれる人も仲間もいないかもしれないし、仮にそれが仕事に繋がらなかったとしても「好き」だから続けるという勇気というか。この辺り「趣味」とするか「仕事」にするかによって考え方が随分変わると思いますが。

でも一度そういう分野を見つけ、それを上手にすることができれば、人が集まり始めるかもしれない。そこにその人(あるいは専門性)の存在価値が生まれますし、その分野に興味がなかった人も巻き込んで大きなプレゼンスを獲得することになります。ムーブメントが起こる瞬間ですね。デレク・シヴァーズの「社会運動はどうやって起こすか」を思い出します。僕は仕事柄、比較的いろんな業界の人と会うことが多いのですが、そのパワーと執着心と熱意に、色々な機会に学ばされます。

昨日閉幕した三日間に渡る「ABCハッカソン」もそう。ものづくりに熱い人達が集まると、こんなに大きなパワーが生まれるんだなと感動しました。オンエアは6月下旬。今からとても楽しみです。


ここへ来てようやく一定の落ち着きを取り戻した感じです。悲しいかな、どうも僕は物事にピリオドがないと落ち着かないというか、立ち行かなくなるというか、猛烈タイプの人間(DeNAの南場さん曰く「ガルル型」というらしいですが)ではないようです。山や海や公園に行くのは、そのためなんだろうと思いながら、週末に撮った写真をペタッとしておきます。

ストーリーがあれば、ハミガキ粉の中であってもドラマが生まれるんだ


遅い時間の電車の中で、ぼーっと中吊りを見ているとKIXからJALがLA直行便を出しているとのことで「北米便拡大キャンペーン」をやっていました。KIXからの北米直行便はUAのSFOしかないと思っていたらLAX直行就航したんですね、知らなかった。KIXからはカナディアンもバンクーバー便をスタートするようです。10年以上前にバンクーバーに行った時、確かKIXからカナディアンに乗ったことを思い出しました。北米直行便が増えるというのは嬉しいことです。

さて明日からGWスタートということで、もう必死のパッチで仕事を終わらせて帰ってきたので、電車内ではグッタリ。帰ってすぐに冷凍庫からウイスキーを出してソーダで割る。気分転換のために普段見ないTVをONするとちょうど「ハリウッド白熱教室」が始まっていました。キャスパー教授による脚本についての講義です。LA絡みで、これも何かの縁。


白熱教室シリーズは大好きです。

どんな講義でも本当に面白い。そし、一つのテーマについてこんなに自由に学びながら議論できるなんて、なんて素晴らしいんだろうと思います。

こういう風に、何かを学ぶことが出来るというのはとても素敵なことだし、直に仕事に直結しないことだからこそ、学べるというのは本当に幸せなことだと思います。

今日学んだ名言、

「脚本家は魔法使いだ。どんなものにだってストーリーを付与することができる。ストーリーがあれば、ハミガキ粉の中であっても感動するドラマが生まれるんだ。ストーリーがあるから、人は生きていけるんだ。」

一言一句正確には覚えていないけれど、とにかくグッときた。

本質思考


日々色んなシーンで疑問や違和感に直面することがありますが、その時点で既に「ダメ」なんだろうなと思うことが頻繁にあります。

なぜなら、ゴールが不明確で、やるべきことにフォーカスできておらず、していることが腹落ちしていないから違和感を感じるのであって、脇目もふらずに前だけを見て進むことが出来ていればそんな事を感じなくて済むからです。

またもっと悪いことに、そのようなモヤモヤがどこから来るのか、もしかするとそれを感じている自分がおかしいのではないか、間違っているのではないか・・・と考え直し、角度を変えて物事を見てみたりするけれど、やっぱり元の疑問や違和感に戻ってくるので、答えは同じ。なら最初からそれを解決するような行動に踏み切れば良いだけのこと。考えなおしたり、だましだまし結論先延ばしにするのって時間の無駄ですよね。

この記事の中で(元テスラのマネジャー上田北斗氏が、イーロン・マスクに学んだ「First principles thinking」とは【特集:New Order】)、teslaという会社は

“会社や組織の存在理由は何で、目標にたどり着くためのロードマップはどうなっていて、現時点でやらなければならないことは何か。この3セットがとても明確なので、皆、疑問を持つことなく前に進むんです。”

とあり、ああ、めちゃくちゃ良いなと感じました。強力なリーダーシップと企業文化だから、世界を変える真の意味でInnovativeなプロダクトが生み出せるんだな、と納得。「疑問を持つことなく前に進む」ってすごいことですよね。遠回りがないんですから。魔法のような会社ですね。

もう一つ学んだことは「First principles thinking」(物事の本質をゼロから考える)ということ。これは技術でもなんでもそうですけれど、本質を見極めた時に答えが出ることが良くあります。やっぱりそうだよな、本質思考。

迷ったり困ったりする前に、本質思考で行き先を明確に「見えないものを見ているかのように」見据えて進みたいものです。

時間と成果と報酬は必ずしもイコールではない


久しぶりに腹落ちする記事に出会ったのでご紹介。

「グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?」(BLOGOS)

記事のタイトルはいかにも今風な感じだけれど、書いている内容は納得。僕も産業構造の変化やアメリカで目にすることから、常日頃、頭の中でグルグルと考えている「なんだか違うよな、なんだろうなこの違和感」というようなことがスッキリ整理されている感じ。

もちろん記事全ての内容に同意という訳ではないけれど、「労働時間=成果=報酬」という高度経済成長期を支えた製造業に代表される仕組みでは、現代の知的労働やクリエイティブ活動は支えることが出来なくなって来ているということは事実だし、そこに違和感を感じる人間は、自分で起業するか日本に受け皿がなければ世界に目を向けるしかない。

この記事にあるように、一部の優秀層は「労働時間=成果=報酬」という旧態依然とした日本型の評価報酬制度を続ける企業ではなく、グローバルなリーディングカンパニーに吸収されていくので、良く言われるように日本からAppleやGoogleや出ないのもこれが原因かという感じ。

例えばある製品を一日に何台作らなければならない仕事であれば、ラインが「稼働している時間=成果」だし、サービス業であれば「営業時間=成果」でしょう。そうであるなら労働時間=給与になります。でもそういう仕事でなければ、そもそも労働時間と報酬が比例するのはおかしいんですね。

だんだんとそういう違和感が社会全体に生まれつつあるような気がします。日本も過渡期ですね。これから5年、10年後には働き方も変化しているかもしれない。逆に変化しなければ、社外、国外にどんどん優秀な人材が流出して差は開く一方という形になっていくでしょうね。弱肉強食は世の常だけれど、なんだか怖いなあ。搾取する側と搾取される側。少数の仕組みを作る側と圧倒的大多数の仕組みを利用する側。もちろん「それならそれでやってやるーおりゃー!」という情熱と気合いはとても素敵だし、弱肉強食は世の常だけど、僕は素直に・・・なんだか怖い。何も気にせず、ハリイカのお造り食べてたい。(笑)

雨の日のチャリはツラい


梅田界隈の移動には自転車(社有)を使うことが多いのですが、今日の午後のように、天気予報で15時から雨、打ち合わせは14時から開始という、非常に微妙なタイミングでは、バッグに折りたたみ傘を(一応)忍ばせ、降らないこと、降り始めのタイミングがずれること、もしくは降り始める前にMTGが終わること・・・つまり「自分が外にいる間に雨が降らないこと」を祈りながらチャリを走らせることになります。

だって、チャリが便利なんだもん。

しかし・・・MTGは長引き、天気予報もドンピシャで当たった客先からの帰り、出番を望まなかった折りたたみ傘は仕方なくオンステージすることになり、片手でチャリを漕ぐという結末にならざるを得ませんでした。時に昨今の天気予報の精度の高さを恨むことがあります。なんだかなー。


いつの時代も人は動く。
つまり交通や交通手段はなくなりません。

その証拠に、またサンフランシスコでトランジットスタートアップが出て来たようで、紹介しておきます。

Andreessen Horowitz-Backed Leap Buses Are Hitting San Francisco’s Streets This Week (techcrunch)

まあ、ウメグルのような循環バスなのですが、古いバスを改良して天然ガスを燃料として通勤ラッシュ時のみ運行、豪華なインテリアとWi-Fi完備、ラップトップで作業するためのUSBポートとバーのようなカウンターを装備しています。

乗って移動するだけなら、他のバスも一緒。
タクシーやUberよりも安く、なおかつ人々のニーズに応えた「快適空間」を実装した点が差別化のポイントですね。Y-Combinatorに対抗して、Andreessen HorowitzやSalesforceのマーク・ベニオフから出資を受けている点も興味深いです。なんだか、SF発の交通系スタートアップの群雄割拠を見ていると面白いですね。

最終的に行き着くのは、”maddle through” という考え方


【maddle through】というのは、文字通り、泥の中でもがきながら、なんとか答えを見出そうとする考え方のことですが、ことビジネス(もちろん人生)においては日々マドルスルーな事案に直面します。

それでも、もがき続けていれば、針の穴から差し込む光のようなものが見えてくるというもの。それを信じることができるかどうか、そして、もがき続けることができる根性があるかどうかが、光を見出すことができる要素となるのでは、と。

年齢的には、そろそろ確固たる成功のためのロジックが見つかっていても良いと思うのですが、好き好んでなのか、そういう星の元に生まれたからなのか、日々マドルスルーを繰り返しているのは、ある意味でしんどいし、また別の意味で刺激的なのは確かです。ジャンキーになる前に、少しでも成功のためのロジックが見つかるように、また明日もがんばって行きたいと思います。

(photo by NY times)

戻れる場所があるという幸せ


いくら忙しくても、戻れる場所があるという幸せ。
それは自分だけの時間です。根暗かもしれないけれど、そういうものだとも思います。

お気に入りのスタバで仕事から離れ、自分が知りたい、学びたいことだけを思う存分に行る時間と場所。一日に何杯飲むか分からないくらい飲んでるコーヒーだけれど、それでも美味しく感じられる場所と時間の過ごし方。それが週に一度のスパイスオブライフです。

こんな回りくどいことをしなければ精神衛生を保てないという器量の小ささに辟易しつつも、それすら受け入れ、また明日から実生産の作業に向かう準備が整うのであれば、それもまた、良しです。

良かった記憶は残し、悪い記憶をデリートすることの意味


人間って、本来は「失敗」によって学ぶ生き物です。嬉しかったこと、楽しかったことよりも、辛かったことや、失敗してひどく落ち込んだことの方が、記憶に鮮明に残るといいます。

そう考えると、今日の記事タイトルは逆に「悪かったことは残し、良かったことはデリートする」の方が正しいのかもしれませんが、僕はそこまでストイックに自分を追い込むことができないので(心身共に疲弊してしまう)、素直に良かったことだけを覚えておくようにしています。悪かったことや失敗は、どのみち自分の意思に関係なく人間の生理現象として、深く脳の記憶に刻まれるのですから。


TVで「京都マラソン」の番組をやっていました。

その中で、出場している人に「なんで走るんですか?」と問いかけることによって、走ることの意義、ランナー心理、マラソンの魅力を浮き彫りにしようという企画がありました。僕もランナーの端くれですので、芸能人から一般の人までマラソンの魅力に取り憑かれたランナーの言葉は心底理解できます。

その内のある一人のランナーは、走る理由について「脳がスッキリするから」と答えていました。そう、まさに日頃ランニングしている理由の一つがこれ、「脳のデフラグ」なんです。

海を見ながら走りつつ今週を振り返る。
良かったことと悪かったことの切り分けを行い、フォルダに整理します。悪かったこと、嫌だったことはゴミ箱フォルダに直行ですが、今後の反省のためにメモ帳に書き残して随時参照できるように保存します。出来るだけ良かったことだけを考えて気持ち良く走るようにしています。

今日は曇天でしたが、そんな感じで10Kmを楽しむことができました。

平和な光景をお届けしようと思う


どうしても走らなければと思ってしまうのが週末です。特に金曜日や土曜日にお酒をたくさん飲んでしまうと、その「罪滅ぼし」に、走らなきゃと。もちろん、トレーニングという意味もありますけれど。

日曜日に、世界で一番好きなコースである地元を13km走りました。平和な光景が広がります。

ああ、走れるという幸せ。
いつでも好きな時に走れたらいいんだけど、やっぱり平日は時間が取れないので週末の楽しみになってしまいますよね。仕方ないけれど。


仕事から帰って来ると小4の娘が起きていて塾の宿題をやっていたので見てあげていました。今どきの小学4年生は難しいのやってるわ。有名私学中の入試問題とかやってて、小4で解くのは難しいに決まってます。大人の僕でさえ怯んだのに。

とはいうものの、粘って考えて全部答えを導き出すことが出来ました。この「粘り」が大切なんですよね。筋肉と同じで、脳も鍛えれば鍛える程、強くなりますから。

カフェと富とピケティと


娘を連れて図書館に行った後、カフェでお茶。

通りかかった本屋の前にはトマ・ピケティ氏の21世紀の資本論が山積みされていました。

そういえば、梅田の紀伊國屋でも同じようにピケティ祭りだったので何故だろうと思って検索してみると、最近来日してたんですね。ちょうどアメリカ出張中だったので知らなかった。経済学の世界では富の分配を専門にし、格差社会の構図をシンプルに “r > g”で表した旬の学者として有名でしたが、来日によって本の方もベストセラーになっているようです。

ピケティ氏「21世紀の資本」著者は日本のメディアに何を語ったのか?【ハフィントン・ポスト】

ピケティでアベノミクス批判する残念な人々 ー 政権批判のため、「格差の権威」として利用【東洋経済オンライン】

ピケティ氏については年末に記事をエントリーしていました。
経済格差が埋まらない原因について、恐らく今もっとも説得力がある理論 (2014/12/28)

経済学者の著作がベストセラーになるのは珍しいことですし、一般のニュースで取り上げられるというのもレアなことだと思いますが、やはり「世界的な経済格差」が深刻な問題となっていること、アベノミクスの景気対策の一つである消費増税が(予想されていた事だけれど)家計を直撃し消費が冷え込んでいること、少しづつ少しづつ税金が上がっているので働けど働けど生活が豊かになる実感がないということ・・・などの要因が、経済の仕組みに人々の関心を向けさせることになっているのかもしれません。

しかしながら、事象の解析と分析、そして実際の問題の解決策については別問題です。どんな方法でも、景気が良くなり働く人が働きがいを持ちながら、努力と労働が報われるような世の中になることが一番ですよね。