時間と成果と報酬は必ずしもイコールではない


久しぶりに腹落ちする記事に出会ったのでご紹介。

「グーグルはなぜ新入社員に1800万円の給料を払うのか?」(BLOGOS)

記事のタイトルはいかにも今風な感じだけれど、書いている内容は納得。僕も産業構造の変化やアメリカで目にすることから、常日頃、頭の中でグルグルと考えている「なんだか違うよな、なんだろうなこの違和感」というようなことがスッキリ整理されている感じ。

もちろん記事全ての内容に同意という訳ではないけれど、「労働時間=成果=報酬」という高度経済成長期を支えた製造業に代表される仕組みでは、現代の知的労働やクリエイティブ活動は支えることが出来なくなって来ているということは事実だし、そこに違和感を感じる人間は、自分で起業するか日本に受け皿がなければ世界に目を向けるしかない。

この記事にあるように、一部の優秀層は「労働時間=成果=報酬」という旧態依然とした日本型の評価報酬制度を続ける企業ではなく、グローバルなリーディングカンパニーに吸収されていくので、良く言われるように日本からAppleやGoogleや出ないのもこれが原因かという感じ。

例えばある製品を一日に何台作らなければならない仕事であれば、ラインが「稼働している時間=成果」だし、サービス業であれば「営業時間=成果」でしょう。そうであるなら労働時間=給与になります。でもそういう仕事でなければ、そもそも労働時間と報酬が比例するのはおかしいんですね。

だんだんとそういう違和感が社会全体に生まれつつあるような気がします。日本も過渡期ですね。これから5年、10年後には働き方も変化しているかもしれない。逆に変化しなければ、社外、国外にどんどん優秀な人材が流出して差は開く一方という形になっていくでしょうね。弱肉強食は世の常だけれど、なんだか怖いなあ。搾取する側と搾取される側。少数の仕組みを作る側と圧倒的大多数の仕組みを利用する側。もちろん「それならそれでやってやるーおりゃー!」という情熱と気合いはとても素敵だし、弱肉強食は世の常だけど、僕は素直に・・・なんだか怖い。何も気にせず、ハリイカのお造り食べてたい。(笑)

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