思いはあっても仕事はないという現実にどう対処するか

毎日暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今日からお盆休みがスタートするという方も多いと思います。大きな台風が来ていますので、日程や行き先によっては心配ですね。どうぞご安全に。

僕の方はというと、特にまとまった休みを取ることもなく普段どおりの生活です。ただ取引先が休みに入るので、打合せや電話がなくなりますから、このタイミングを活かして後手に回っていた資料づくりをとにかく集中して終わらせること。会社員ではない自分にとって、連休も週末も関係なく、休みたい時に休み、仕事したい時にするようなスタイルを「公私融合」というのかもしれませんね。合間合間にゴルフやランチ、飲みの予定も入っていてとても楽しみです。

さて、今日もまた、悩み相談に関することを書いてみますね。

先日は子育てに悩む親の話を書きましたが、今回は「独立したけど仕事がない、どうすれば仕事を増やすことができるか」という相談です。これ、本当に多いんです。同じように「将来的に独立を考えているが、どうしたら良いか」という相談もあります。僕自身もまだまだ発展途上の人間なのですが・・・多分、話やすいんでしょう。

いろんな人の話を聞いて思うのは、「自分がこういう仕事がしたい、自分がこういう世界をつくりたい、自分がこういう組織を作りたい」という自分の思いが先行している人が多いという点です。もちろん、自分の思いはとても大切です。でも「自分のこうしたい」で仕事を得てお金を稼ぐことが出来るほど、今の時代は甘くはないんです、残念ながら。経済が縮小し、大企業くらいしかまともに予算が使えない時代にあって、特に広義の意味でのコンサルは、専門性と実績、経験が重視され、プロ中のプロが群雄割拠している時代です。あなたに仕事を依頼する価値はどこにあるのでしょう?という質問に明確に答える必要があります。

実際、SNSでのセルフ・ブランディングと称して情報発信をがんばっていても、そこから仕事を得ている人、ビジネスがうまく行っている人って少ないでしょう?儲かってる風、なんでも知ってる風に見せている人ほど、全然うまく行ってないのが、世の常です。

さて、独立前に考えなければならない点は、自分の実体験からして以下の要素が重要だと思っています。

・自分が思う自分に対する価値ではなく、世の中での自分の価値を定量・定性評価し把握すること

・世の中にない自分の専門性と実績を持つこと

・世の中にない自分の専門性と実績を効果的に伝えること

・その専門性と実績が、世の中のニーズとマッチしていること

・それらしいことを言わない
(素人か専門家の違いくらいは読み手はすぐに分かる。また、薄い文章、どこかの受け売りは逆に信頼を無くす)

・修羅場のようなプロジェクトを何度も経験し、社内外で戦友を作ること


あくまで自分の実体験による考えですが、仕事を得るためには、要するに、世の中にない価値(専門性と実績)と、社外人脈、ニーズとマッチしていること、が重要ということです。当たり前のことですけどね。独立してから苦労する人が多いのは、どれか一つ、または全部がないためです。

ないならないで簡単、作りましょう。
あと専門性のところで付け加えるなら、インプットの量が絶望的に少ない人が多いように思うので、とにかく読み、学び、書くことも重要だと思います。

すべて、自分にも当てはまる内容で、自戒を込めて。
盆休み期間中は、インプットに最適ですね。

親の悩みは尽きることなし

最近、子育てで悩んでいる三人の親御さんの話を直接お伺いしました。

僕にも大学生と高校生の娘が二人いるから、相手がポツリポツリと話される内容に、うんうん、分かる分かる、と首を縦に振りながら聞いていました。本当にうちの子はこのままで大丈夫だろうか、というのが心配の内容です。親なら分かりますよね。人の子はみんなかわいいし、楽観的に見れるんです。でも我が子となれば、ほとんどの人はキレイゴトではなくなります。

有名私大に進学したけれども、友達ができず大学にも馴染めずに引きこもりになって二年間留年している一人息子。中学受験をして進学校に入学したけれど、ゲーム中毒になってしまって学校に行かなくなった息子。興味の関心が偏っていて、勉強をまったくしない子。

それぞれ、親御さんの悩みは様々ですが、やはり教育に絡むところが多い。そのうちの一人は子育てに悩み、鬱になったと言っておられました。親としては心配で仕方ないでしょう。こうなってほしい、こう育ってほしい。誰しもそういう願いはありますが、(自分もそうだったように)子は必ずしも親の思うように育ちません。笑
勉強するなといっても勉強する子もいるし、自然の中でのびのび育てたいと思っても、都会に出たがる子もいるし、家業を継げといっても継がない子もいるし、継ぐなといっても継ぐ子もいるし。笑

だから、子供に任せようと思うんですよね。
好きに生きて行きなさい。
なにかで食って行ければそれで良い、そのなにかを見つけてくれれば。

それは大人も同じだし、逆に、親は子に成長させてもらっていると思います。僕も娘たちに育ててもらってきました。

本当の幸せとは何なのか、それは人それぞれだと思いますし、世の中や周りの人が「これが幸せ」と決めて、人にその在り方を押し付けるのもおかしいですしね。そういう意味では、選択肢の少なかった昔と比べて、今は良い方向に向いているような気がします。多様化する生き方に合わせて、人それぞれの生き方、在り方を認めるようになってきた。みんな好きなことを見つけて、それを磨き、それを糧に生きて行けばいいんじゃないかと。

宮沢賢治の「どんぐりと山猫」を読んでいると、人間なんて、まさにどんぐりの背比べ。
人として生きているだけで立派なもの。貴賤の差なし、優劣なんてものはない。たしかに世の中には「すごい人」もたくさんいるけれど、数千年、数万年の歴史の中ではみんな同じ。鴨長明「方丈記」は今から800年以上前に書かれた随筆ですが、読んでいると今も昔も人の心は同じだということが分かります。

だから大丈夫。
なんとかなる。
(とはいえ、キレイゴトで済まされないのも分かる 笑)

最近、こんなことばかり言ってる気がします。
いつの間にか8月に入っていました。

人には程よい孤独が必要

人それぞれ、心を落ち着かせる方法があると思います。
僕の場合は、やっぱり自然の中に身を置くこと、ネットから離れること、本を読むことで心身のリラックスを保つことができています。

早朝、体力づくりのために近くの山や植物園をウォーキングしているのですが、森の中を歩き、川のせせらぎに耳を傾けていると、心が穏やかになります。最近はそれに加えて、「歩きながら小説を聴く」ということも始めました。Youtubeで検索すると、アナウンサーさんが小説を朗読するチャンネルがあり、聴いているだけでもう本当に心地良いのです。

僕は宮沢賢治が好きで、ここ二、三日のウォーキングのBGMとして、銀河鉄道の夜、グスコーブドリの伝記、どんぐりと山猫、などを聴きながら歩いていました。もう本当に、その世界観に圧倒されながら、それぞれの主人公の生き様に自分も力をいただいています。

文豪と呼ばれる人たち、小説家と呼ばれる人たちは、本当にすごいなと思います。こういう人たちこそ天才というのでしょうね。無から有を生み出す力、文字で世界を広げていく力はとても真似できるものではありません。

村上春樹さんは、「走ることについて語る時に僕の語ること」の中で、このように書いています。

生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品が出来上がっていく。努力をする必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。

自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんか見当たらない。のみを手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうかがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。

走ることについて語る時に僕の語ること 

この言葉にあるように、世界を作っていくのはあくまで自分で、自分の経験や生い立ちや知識の中から世界が生まれていくのだろうと思うのです。宮沢賢治のグスコーブドリの伝記なんて、冷害、凶作、飢饉、貧困など、本当の意味で生き死にを経験しなければ書けないような内容です。そういった原体験から、物語は生まれるのでしょう。銀河鉄道の夜にも賢治の仏教思想とキリスト教思想が垣間見てとれます。

話は変わりますが、自分と向き合う時間はとても大切です。ネットでコネクトされていると、どうしてもノイズがたくさん入ってくるし、人のことが気になるし。

そう考えると、人には程よい孤独が必要なんだろうと思います。オフラインで、静かに本を読んだり、自然の中を歩いたり、走ったりすることで、心がニュートラルなポジションに戻って来ます。

最近少しお疲れ気味の皆さん、たまには孤独を愛しましょう。

生存本能と転職の話

おはようございます。夏らしい空が広がり、ピカピカの晴天なのは良いのですが、朝6時でも既に陽射しがジリジリ。今週も暑くなりそうですね。

さて、先日の記事で「結局なんとかなる」という内容を書きました。
頭では分かっていても、先のことを考えると不安なのでなかなか一歩が踏み出せないのが人情というものですよね。でも人には生存本能が備わっているので、今いる場所の居心地が「本当に悪ければ」自然とそこから離れて、安住の地を探すものです。

転職の相談を受けることがよくあります。

転職すべきかすべきでないか。転職の理由として多いのは、自分自身のキャリアアップ、待遇、人間関係など様々です。でも、結局動かない人が多いのは、様々な理由に加えて「今の場所で生きている自分が想像できる」からだと思っています。特に経営理念に共感したり、自社の製品やサービスの大ファンだったりしなくても、今日、明日、一ヶ月後、一年後にそこで働く自分が想像でき、身体を悪くするほどのストレスがないのであれば、動く必要も変える必要もありません。あと「自分が抜けると回らない」という人もいますけれど、会社というのは誰が抜けても回ります。一人社長の個人会社でもない限り、極端な話、社長が突然いなくなっても、回るものなんです。会社や組織というのはそういうものです。

20代からの相談で多いのは、転職したいけれど今の場所で結果を出してから、というのもあります。営業職であれば数字という目に見える指標があるから分かりやすいのですが、それ以外の職種での結果を何で測るかは様々です。こういう相談を受ける時に必ず「もし結果が出なければ、一生そこにいるの?」と聞くと、皆さんうーんと唸るんですよね。つまり、そこにいるための理由を自分で作って納得させているということなんでしょう。あと、会社を変えるんだ、と鼻息荒く力説してくれる人もいますが、経営者が変わらないと会社は絶対に変わりません。ですので「変わる、変える」という文脈で話しても良いのは、そもそも経営者が交代できる仕組みが整っていることが大前提になります。

自分のスキルや市場価値というのは誰しも、なんとなく潜在的に分かっているので、損得やリスクを勘案して、動く人は動くし、そうでない人は動かない。そういう意味でも、なんとかなるもの。つまり、人って自然とあるべきところにあるし、住むべきところに住む。なんか達観したような話をしてしまっていますが、人の生存本能を甘く見てはいけないなと思っています(笑)

というわけで、今週もがんばりましょう!

今日の一枚は週末のゴルフ場の写真です。夏のゴルフ場の美しいこと!

いや〜なんとかなるもんだな

暑い日が続きますね。
まだ7月ではありますが、暑気払いという名の会食が増えてきました。

日々様々な方とお会いする中で、数年ぶりの再会というのもあります。特にコロナ禍が始まった2020年を境に、仕事と生活の両面で環境が大きく変わった方が多いのには驚かされます。自分もそのうちの一人ですが、転職した、引っ越した、こんな病気に掛かってしまったなどなど、ほとんどすべての方が何らかの変化に直面しつつも、それらを乗り越えながら、また、ある場合は変化を楽しみながら生きておられます。たかが二年、されど二年。環境が変わるには十分な期間なのでしょう。

こういう話を聞く時にいつも思うのは「なんとかなるもんだな〜」ということです。

人間ってどうしても不安がベースにある生き物なので、失敗したらどうしようと、先のことを考えて変化を受け入れられず保守的になってしまうし、予期せぬ出来事が身に降り掛かってくるとストレスを感じてしまいます。でも、後から振り返ってみると「なんとかなった」というのがほとんどなんですよね。自分の場合も同じで、2022年3月に会社を退職して独立した時に、46歳からの独立起業なんて遅すぎるんじゃないか、とか、仕事がなければどうしよう、とか、まだ起きてもいない失敗のケースばかりを考えて不安に押しつぶされそうになった時期もありましたが、結果的に、想定していた心配事のほとんどは今現在起こっていないし、新しい出会いや仕事の機会もたくさんいただいて、毎日楽しく、ノンストレスで生活が出来ています。(もちろん健康上の問題で、諦めなくてはならなくなったものもありますが・・・)でも総じて、なんとかなるもんだな〜

よく「自分を信じて」という言葉も聞きますよね。
今までは「自分を信じて」という言葉に対して懐疑的な見方を持っていたのですが、最近、この言葉って確かにそうだなと思うようになりました。というのも、人間って環境に対応する能力が高い生き物なので、その時になれば、それなりに必要な努力は無意識のうちにするものなんです。なので、どんなことに直面しても、程度の差こそあれ、それなりにがんばれるのが人間。そこを信じてあげれるかどうか、ということなんでしょう。

梅雨明けも近そうですね。
これから暑さの本番です。熱中症に気をつけながら今日も一日がんばりましょう。

旬のしごとに精を出す

「旬のしごと」ってありますよね。
日本は四季があるので、春夏秋冬それぞれの産物があり、それらを楽しむために時期特有のしごとがあります。自分もささやかながら、日々暮らしの中で旬のしごとを楽しんでいます。
 
まずは、梅しごと。
5月の終わりに庭の梅の木から収穫した梅を漬けています。
 
瓶はいくらあっても足りないし、場所を取るので、IKEAのフリーザーバックが便利。梅酢が出てきてすでに美味しそう。部屋中に梅の香りが漂っています。梅雨が開けたら干そうと思っています。

次はバラしごと。

食べるものではありませんが、5月まで花を楽しませてくれたモッコウバラの花後の剪定をようやく行いました。仕事が忙しくてなかなか手をつけれていなかったのですが、モッコウバラは、一度花をつけた枝は二度と花を咲かせないので、こうして、大胆に枝をカットしていかなくてはなりません。

生命力が強いバラなので、新しくシュート(新枝)がぴょんぴょん伸びてきて、また新芽をつけてくれます。Youtubeでプロの剪定の仕方を参考にしながら、伸びてきたシュートは紐などで誘導します。

すっきりしました!
来年もたくさん花をつけてくれることに期待です。

最後は味噌。
 
2月に参加した「健康きれい会」で仕込んだ味噌が良い感じに熟成されてきました。開けてみるとカビも生えておらず、美味しそうな味噌だまりが出来ていつでも食べれそうです。

同じ会に参加していた皆さんの中には、もう食べてますという方々も多く、もうしばらく寝かせようかなと思っていたのですが、今ストックしている味噌がなくなったら、これをいただこうと思っています。

梅干しも味噌も、スーパーに行けばいつでも買えますが、こうして手間暇かけて自分で仕込むものって絶対に美味しいですよね。季節ごとの旬のしごとも楽しいですし。

そういえば京都・大原の古民家に住み、四季折々の里山暮らしの素晴らしさを伝えておられたベニシア・スタンリー・スミスさんが亡くなられたということを昨夜ニュースで知りました。ベニシアさんの生活に密着したNHK の「猫のしっぽ、カエルの手」は大好きで良く見ていただけにとても残念です。

自然と調和した生活をすることで、多くのストレスから回避できると思うし、心身ともに健康でいれるのではないのかなと思って、今日からまた、ささやかながら旬のしごとに精を出したいと思います。

良いものは自然と認められる

この週末、産学官民連携団体KNS(関西ネットワークシステム)の20周年記念大会が大阪の南港ATCで開催されました。20年!すごい。行政と民間、大学の縦割りの壁を取っ払って、フラットに横の繋がりをもち、様々な課題について議論を深め実践してきた世話人の皆さんには敬意しかありません。

さて、様々なセッションが繰り広げられる中、話題はやはり2025年大阪万博が中心。もう2年後に迫っているというのに、普通の人にとって万博はなんだか遠い存在だし、関西あげて盛り上がろう!という機運も甚だなし。そのような課題感から「どのようにして機運を醸成できるか」というキーワードを聞きました。

「機運醸成」
「チームみんなで」
「盛り上げて行きたい」

という言葉、良く聞きます。組織開発の現場でもしょっちゅう出て来ます。でもね、僕、この言葉に殊更ドライな見方を持っています。理由は簡単。人は誰かによって動かさるものじゃないし、人を自分の思うとおりに動かそうとしている人がいるのであれば、それはエゴでしかない。つまり、利害関係がない限り、人は自分が心から納得しなければ動きません。人が動く時、それは内発的動機に基づくもので、あくまで自己決定がベースになっているからです。ですから、人が良いと思うものなら、機運というものは自然に醸成されるし、参加したいと思うものなら、勝手に参加者が増えて盛り上がるものなのです。だからこそ「良いもの」を作ることが大切です。

少し話は変わりますが、最近、承認欲求を満たしたい、満たされたい、という子供のような大人を良く目にします。これに関しても先の話と同じで、自分を見てくれ、褒めてくれ、というのはエゴでしかない。自分が承認してほしいと思うとおりに、承認してもらえるわけではないんですよね。(子育てについては、褒めて認めて伸ばしてあげることが重要ですが)

だって、そもそも地球上では、人間の存在自体が承認されていないじゃないですか。地球にとって人間はいてもいなくてもどうでも良い存在。むしろ、どんどん数は増えるし、木は切るし、燃やすし、海は汚すし、同じ種族同士で殺し合いはするし。迷惑な存在といっても良いかもしれません。だから、生かしていただいているという謙虚な気持ちと感謝、借りた物はお返しする、という気持ちが必要なんですよね。

またまた話は変わりますが、僕はゴルフのある環境で育ち、その影響で長年ゴルフを趣味としているのですが、このスポーツも承認欲求が満たされない代表格だと思っています。いくら練習しても、風、地形、天候によって思うように行かないし、クラブやボールも言う事を聞いてくれない。思うようにスコアが出ない。だからと言って、道具や人のせいにも出来ない。あくまで自分の問題。日々精進し、自分の腕を磨き、そして、自然に挑む。それを繰り返す。だから「ハマる」んですよね。

そもそも人を動かすことはできない、自分の思うとおりに認めてもらえるわけでもない。そう考えると、気持ちが楽になります。人や環境に何かを求めるのではなく、自分を磨くことに集中できますもんね。周りのことも気にならない。

たまにはこういう視点を持つことも大切ではないかな、と思います。

ブログを書き始めて18年が経過しました

関西地方は、梅雨の晴れ間。
雲の切れ目から少しだけ青空が見えたりして、蒸し暑くも気持ちの良い一日です。湿度の高い空気に、漬け込んだ大量の梅の香りが混ざり合い、漂ってきます。

気づけば6月ですが、6月といえばこのブログの誕生月です。2005年の6月からスタートして、丸18年。19年目に入りました。ブログの良いところは、過去のアーカイブを見て、その時の自分が何を考え、何を書いていたのかを振り返れることです。当然、世の中も自分の考えも、時間の経過と共に変化してきました。30代は成長一辺倒、努力一筋の筋肉質な考え方だったのが、より本質的に物事を捉え、答えを得るよりも「問いを立てる」ことを重視するようになってきました。

「問いを立てる」ためには、普段から自分の思考力と判断力を訓練しておく必要があります。そして判断力の精度を上げるためには、良質かつ膨大なインプットによる知識のプールが必要です。自分の場合、ここ数年、ネットから情報を収集するのではなく、本や論文から収集することを心掛けるようになりました。

ネットの情報はあくまで「速報値」として利用するけれど、時代の流れを掴み、今、なぜこういうことが起きているのかを分析するには、100年スパンでの経済史や歴史を学ぶことが必要です。瞬間瞬間を点で判断するのではなく、リニアに右方向に進む、直線的な時間軸の中での一事象と捉えた方がいい。俯瞰した物事の見方をしていれば、根無し草のように振り回されたり一喜一憂することもありません。ネットでは「それらしいこと」は発信されているけれど、薄くて価値のない情報が溢れているので、玉石混交の中から玉を拾い集めるのは困難です。

これから先をどのように生きるかについては、昨夜、同じ年の友人と飲みながら一つのヒントを得ることができました。友人は、55歳を一つの区切りとして(僕たちの年齢でいうとあと8年後です)、その時に「自分はこうなっている」とイメージしているそうです。確かに彼女は今でも仕事で成功しているし、「脳は騙されやすいのよ」と言っていることから、なりたい形を具体的にイメージをすることを普段から心掛けているのでしょう。

僕の場合、自分が「こうなりたい」とか「ああなりたい」とかを考えることが非常に苦手です。なぜなら人生の目標というものがなく、あったとしても、健康でありたいとか、社会のお役に立ちたいとか、漠然としたものしかないのです。でも、ただ漫然と生きるよりは何かしら目標があった方が良いなとも思うので、これは今年の宿題にしたいと思います。


さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はこの辺境の地でなにかを書き続けるでしょう。

いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
19年目もどうぞよろしくお願いいたします。


人との関わり、時間、深度について

このGW、皆様いかがお過ごしだったでしょうか。
僕の方は元々、大学生になった長女と一緒に信州蓼科から伊豆方面への旅行を計画していたのですが、予期せぬ体調不良で早々にキャンセル(娘ははじめたばかりのバイトが楽しいらしく、全然いいよ〜と言ってくれました)、主に自宅で連休を過ごしました。

体調も良くなってきたので、自宅からほど近い山や公園、植物園に毎朝のように通って、自然の中を歩き回りました。スマホは持っていましたが、主に花や木の写真を撮るだけ。SNSやネットニュースからもできるだけ離れるようにしていました。

あとは、本をたくさん読みました。
5冊以上読んだかな。印刷された本だけでなく、自分が今関わっているプロジェクトに関係しそうな論文(現代的コモンズ、自立分散化など)も含めるとかなりの文字数を読み、インプットしました。向き合ったのは、木々草花と、鳥のさえずり、風の音、自分の呼吸、そして、文献。静かだけれど、精神的にはとても充実した休暇でした。

僕は基本的に「人好き」なので、人との関わり合いやコミュニティの重要性を常に意識しながら生活していますし、コミュニティの運営や参加も積極的に行っています。でも、ちょっとだけ気分を変えてインプットに集中してみようと、SNSから少し離れてみたんです。

人との関わり方について面白い記事がありました。養老孟司先生は、子供の自殺という問題について日経ビジネスでの連載でこのように述べています。

「人間の相手ばかりしているから死にたくなる」

それにしても人といる時間が多すぎるんですよ
2万人くらいの死にたい人の話を聞いてきた坂口恭平さんは、人の苦労というのはすべて他人との関わり合いのなかにあるとしています。

「養老孟司氏、なぜ「他人が自分をどう思うか」を気に病むのか?」
日経ビジネス 2022/05/20

一部抜粋していますので、前後の文脈を読んでいただきたいのですが、僕自身はこの感覚に非常に強い共感を覚えます。人は何をしているのか、自分は人からどう思われているのか、なぜ「本人」がいるのに「本人確認するのか」。

働く環境、住む環境も「人との関わりの多さ」に影響を及ぼしているかもしれません。

この休暇中に読んだ本の中の一冊に、隈研吾さんの「建築家になりたい君へ」がありますが(建築学生の長女に買ってあげたのですが、パパが先に読んで一日で読了してしまいました)、その中で、資本主義経済は、生産性、効率性を求めた結果、都市にコンクリートのハコを作り、そこに人を閉じ込めた、という文脈があります。確かに人がロボットのように働くことで経済成長はしたかもしれない。でも、それは人にとって良いことだったのだろうか。ハコに閉じ込めて管理することは、人間にとって大きなストレスとなることも広く知られています。

コロナ禍が始まった2020年の春、慶応SFCの安宅先生は「開疎化」という言葉を良く使っておられました。それまでは「密」で「閉」が良しとされていましたが、感染症から身を守るためには、「開」で「疎」であるべきだと。これは物理的空間の話ですが、人と人との関わり方にも関係しそうです。巨大都市に人が集中し過ぎると、24時間人の存在を気にしながら生活しなければなりません。でも、人との関係も疎結合することで、良いバランスを取ることができるかもしれません。

人好きな自分ですが、この連休中はあえて、自然の中で自分と向き合うことによって、大きな成果が得られたと思います。これからキックオフする複数のプロジェクトの骨子と、すべきことが見えた気がするし、断片的に分散していた自分の考えがデフラグされ、整理されたように思います。

まだまだ試行錯誤が続くでしょうけど、より良い社会の実現に向けて微力ながら力を傾けていきたいと思っています。

大丈夫。全部そのまま受け入れよう

 この春は元気だな、ひょっとしたらこのまま行けるかもしれないな

そう淡い期待を抱いていた矢先に高熱がドカンと出て早2週間が経過。4月の発熱というのは2020年に始まり今年で4年目。春の風物詩のようなものだけど、今回は熱が高過ぎたことと倦怠感があまりに辛いので、精密検査を受けたら(コロナ、インフルはもちろん陰性)、別のものが見つかりそこから紹介状を持って色々な専門病院で検査続き。すべての結果が出るのはGW明け。

仕事も出張もトレランもゴルフも会食も、発熱と入院で全部キャンセル(関係各所ごめんなさい)。また今年もか・・・

落ち込もうと思えばいくらでも落ち込める。

予定のキャンセルや延期の連絡をさせていただくのは本当に申し訳ない気持ちになるし、5月のウルトラトレイルに向けては体調が悪いなりに昨年末から順調にトレーニングを重ねてきたのに、体重はこの2週間で5kg減り、体力も筋力も落ち、今は1kmも走れない。一ヵ月後のウルトラトレイルなんて想像すらできない。

でも、これが僕の人生だ!!

大丈夫。全部そのまま受け入れよう。僕の場合はありがたいことに持病の色々で心を鍛えていただいてる。健康じゃない人の気持ちも分かるし、動きたくても動けない人の気持ちも痛いほど分かる。人生、思い通りに行かないことの方が多いのも知っている。命は儚いし、いつどうなるかも分からない。だから、もし身体では負けても、心と想いだけは負けないように。そして、今出来ることを一生懸命するように。

幸い、今年は桜満開の時期が元気のピークだったので、近所の名所を何度も花見ランすることができたし、今回、色々と見つかったお陰で、徹底的に調べて治療してもらおうと思っています。そして、かならず復帰するし、一ヵ月後も、絶対走ってやる。

ベッドに横たわり天井を見上げながら、そう思って腐らず、たまに庭に出て、日ごとに開く花の数が増えていくモッコウバラにパワーをもらってます。何かを主張するわけでも求めるわけでもなく、必ず春には花を咲かせてくれる植物の強さってすごいですよね。あと、ずっと寝ているのもしんどいので、少しづつ仕事をしながら明治維新の本ばかり読んでいるのですが、今が令和だということを忘れそうです。(PCを打つのもしんどいので、このブログもかなりの時間を掛けて書いています)

お取引先や仲間たちにはご迷惑、ご心配をおかけしておりますが(激励のメッセージ、ととても励みになっています!)、必ず復帰しますので、もうしばらくお待ちください!!