人には程よい孤独が必要

人それぞれ、心を落ち着かせる方法があると思います。
僕の場合は、やっぱり自然の中に身を置くこと、ネットから離れること、本を読むことで心身のリラックスを保つことができています。

早朝、体力づくりのために近くの山や植物園をウォーキングしているのですが、森の中を歩き、川のせせらぎに耳を傾けていると、心が穏やかになります。最近はそれに加えて、「歩きながら小説を聴く」ということも始めました。Youtubeで検索すると、アナウンサーさんが小説を朗読するチャンネルがあり、聴いているだけでもう本当に心地良いのです。

僕は宮沢賢治が好きで、ここ二、三日のウォーキングのBGMとして、銀河鉄道の夜、グスコーブドリの伝記、どんぐりと山猫、などを聴きながら歩いていました。もう本当に、その世界観に圧倒されながら、それぞれの主人公の生き様に自分も力をいただいています。

文豪と呼ばれる人たち、小説家と呼ばれる人たちは、本当にすごいなと思います。こういう人たちこそ天才というのでしょうね。無から有を生み出す力、文字で世界を広げていく力はとても真似できるものではありません。

村上春樹さんは、「走ることについて語る時に僕の語ること」の中で、このように書いています。

生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品が出来上がっていく。努力をする必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。

自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんか見当たらない。のみを手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうかがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。

走ることについて語る時に僕の語ること 

この言葉にあるように、世界を作っていくのはあくまで自分で、自分の経験や生い立ちや知識の中から世界が生まれていくのだろうと思うのです。宮沢賢治のグスコーブドリの伝記なんて、冷害、凶作、飢饉、貧困など、本当の意味で生き死にを経験しなければ書けないような内容です。そういった原体験から、物語は生まれるのでしょう。銀河鉄道の夜にも賢治の仏教思想とキリスト教思想が垣間見てとれます。

話は変わりますが、自分と向き合う時間はとても大切です。ネットでコネクトされていると、どうしてもノイズがたくさん入ってくるし、人のことが気になるし。

そう考えると、人には程よい孤独が必要なんだろうと思います。オフラインで、静かに本を読んだり、自然の中を歩いたり、走ったりすることで、心がニュートラルなポジションに戻って来ます。

最近少しお疲れ気味の皆さん、たまには孤独を愛しましょう。

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