風が強い日のご褒美は陰影のコントラスト

寒空の下の出勤日。

来週から始まるビッグサイトでの展示会を前に、準備や会議などが続きつつも土曜日ならではの集中出来る環境で仕事をドバっと片付けました。夕方、グランフロントに用事があって外出すると、空と建物とのコントラストがやけに鮮やか。

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写真では伝わりませんが、この時、すさまじい北風が吹いていました。高層ビルによって更に風の強さが増幅されたのでしょう。マフラーに首をすくめ、建物の中へと急ごうとして顔を上げると、大阪駅を照らす西日の鮮やかさと風に流される雲の早さに目を奪われました。

風が強い日のご褒美は、なんと言っても陰陽の鮮やかな光のコントラストとクリアな大気です。

空気の流れが早く、雲もどんどん流れて行きます。太陽の光が大気の埃に遮られず地表に降り注ぎ、非常にくっきりとした陰影、コントラストを生みます。写真から伝わらない寒さ。こんな日も悪くはありません。もちろん、大雪、大寒波でお困りの方もたくさんいらっしゃるでしょうから、無邪気に喜んでもいられないのですけれど。

合唱曲を聴く(出来れば歌う)

忙しい日々が続き、毎日が飛ぶように過ぎて行きますが、こんな時には合唱曲を聴くことが良い薬になります。いや、唐突ですよね。

自分自身は特に合唱部出身とか、グリークラブに所属していたということもないのですが、子どもたちが小学校に入学してから音楽会や合唱コンクールなどを参観するに従って、僕はすっかり「合唱」の魅力にハマってしまいました。iPhoneには数曲の合唱曲を入れて、移動中などテンションを上げたい時に聴いたり、Youtubeで子どもたちが歌っていた曲を検索して聴いてみたりと、「笑顔になる薬」代わりに使用しています。

昨年行われた次女の小学校の音楽会のDVDが今日届き、夜家族で視聴しました。4年生学年全員での曲は、「明日笑顔になあれ」という曲なのですが、もうね、とても良い曲なんです。テンポの良いピアノ伴奏に、素晴らしい歌詞。一部書き起こしてみます。

もしもこの背中に 翼があったなら今 高い山をとびこえ
海をわたって 遠くキミの住むまちへ とぶよ
もしもキミの頬に
涙こぼれたなら
ひかる 風の花束 空中集め その胸にかざるのに
いつだって いつだって 思っているよ
会えないときも空はつながっている
明日笑顔になあれ 願い大空へ飛べなくても そうさ胸の翼広げて
my friend
そばにいるよ

合唱曲って、どの曲も歌詞がいい!それを子どもたちが一生懸命歌っているだけで、こみ上げるものがあります。なんてピュアなんだろう。酸いも甘いもある程度噛み分けることが出来るようになった(と思った)時こそ、合唱曲です。そして、出来れば聴くだけでなく、一緒に歌ってみると効果は倍増しますので、オススメです。いつまでもピュアでいたいものです。

さて、今日の写真シリーズ。
今週に入ってからの夜の徘徊模様を掲載してみます。

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共に過ごす時間

ラスベガスで開催されているCESの情報がたくさん入って来ている連休期間です。CESにはQuadceptのユーザー企業だけでなく、ビジネスパートナーも多数出展しているようで盛り上がりを感じることが出来ています。今年のトレンドを占う年始のCES、総括はまだもう少し先でしょうか。各メディアの記事をチェックする時間を確保しなければなりません。

渡辺謙主演のドラマを視聴しました。
ダメなパパが主演の一家の物語、「しあわせの記憶」。家族構成も娘二人となっていて、自分と重ね合わせながら見てしまいました。「家族は記憶」というセリフに、ああ確かに、と納得です。子育てって、かわいくて仕方なくていつまでも一緒にいたいと思う子どもたちを一日でも早く立派な大人として自立させる(=親離れさせる)ために行うことですから、ほんと、こうして一緒に炬燵に入ってテレビを見ながらああだこうだと言ってる時間なんて、あっという間なんですよね。

家族は記憶。
少し寂しく感じますが、素敵な言葉でもあります。

こちらの写真は今日のコストコで見掛けた、シャンパンとチョコのお洒落なセット。いかにもパーリーピーポーが好きそうな代物です。
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静かに逞しく健やかに

新年明けましておめでとうございます。
今年も例年と変わらず、実家で家族が集い静かに過ごす正月です。

こうして一家の誰も欠けることなく新年を迎えることができるのはとても幸せなことだなと思います。長女は今春中学生になり、次女は5年生になり、僕自身はあと一ヶ月で41歳になります。新しい一年を迎える度にこうして年を取って行きますが、一日一日を丁寧に塗りつぶすことで、なんとか一歩づつでも、少しづつ成長して行きたいと思います。

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この年になると、マラソンのタイム同様、何かが劇的に変化したり、爆発的な成長を遂げることが少なくなって来ます。もちろん会社としては爆発的な成長、まさにキャズムを超えてエクスプロージョンする年にすべく戦略を立てている訳ですが、個人的な成長もそこに重ねて伸びて行けば良いかなと思うものの、今年は、静かに、逞しく、健やかな成長を期待したいと思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。

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悩んだり、傷ついたり、常に何かを抱えているというのは、君がそれだけ真面目に生きているっていうことなんだよ

大掃除の合間にランニング。まだまだ自宅の大掃除は終わりそうにありませんが、少し気分転換に夕日を眺めに行きました。大抵の思い煩いは走れば解決します。走ることって素晴らしいよね。

今年も色々とありました。楽しいことも辛いことも、365日もあれば、そりゃ本当にたくさんの「色々」があるものです。人間というのは弱い生き物なので、傷つき悩んでもなんとか気持ちに折り合いをつけながら、次の朝を目指して生きていくものです。そして次の朝には、辛い気持ちも薄まっているのです。

「悩んだり、傷ついたり、常に何かを抱えているというのは、君が真面目に生きているっていうことなんだよ」

以前、ある人に言われた一言です。

そう考えると、自分の人生を肯定できるような気がします。そして人のことも、批判や否定ではなく、肯定しようと思います。生きているってそういうことなんだな、まあ、そう悪くはないのかな、と。そしてなんとかやりくりしていると、辛いことよりも楽しいことの方が多くなってきます。言い換えると、問題すら楽しめるようになる。そんな感じでしょうか。

とにかく人間は社会的な生き物なので、誰も一人で生きていくことは出来ません。周りの人々の支えがあってこと。僕の中で、一年を振り返った時に、苦楽を共にした家族や会社、所属している色んなコミュニティの仲間たち、一緒に走った皆さん、そして、お会いした全ての方々の笑顔が走馬灯のようによみがえります。

日々感謝です。

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そして旅には終わりがなくて

年も押し詰まる中、仕事と飲みと走ることだけはおろそかにしたくないと、イルミネーションで輝く中之島から公会堂、大阪城往復の約10kmを走友会の皆様とラン。

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今日はサブスリの先輩に引っ張っていただきました。
僕のペースに合わせていただきましたが、サブスリランナーって本当に凄いです。ランナー同志なので分かる、たかだか10kmで分かる凄さ。基礎体力、余裕、スプリント。4分前半ペースの中には、ペースだけでなく、奥行きと深みがあるんです。全てにおいて、学ばされることばかり。

僕もまだまだ旅の途中です。

年の瀬右往左往

MacOSをSierraにアップグレードしようとして、容量が足りず、右往左往した挙句にOSX Lionを再インストールして事なきを得たり、インフルの予防接種に向かう途中、子供用のマスクをさせられて卍丸みたいになったりと、いかにも年の瀬という感じです。

しかしPCにしてもインフルにしても、科学技術の進歩した現代であるにも関わらずリスクヘッジはバックアップだったり予防接種だったりと、いつの時代も何かが脆弱で、「100%」や「絶対」なんて言葉は人類の歴史の中に存在しないのではないかと思います。

ところで12月になると、「暮れも押し迫る」とか「押し詰まる」という表現を使いますよね。「迫る」と「詰まる」で意味が違うんだろうなと思って調べてみると、以下のように使い分けているようです。

「暮れも押し迫る」  ・・・ 暮れに近くなること
「暮れも押し詰まる」 ・・・ 暮れの中でも、その終わり(12月末)に近くなること
(引用元:NHK放送文化研究所)

いずれにしても今日が12日であること、今年も残り半月であるという事実に軽く目眩を覚えつつ、精神安定剤である読書でもして気持ちを落ち着かせたいと思います。しかし一年ってこんなに早いものでしたっけ。

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小学校生活最後のステージ発表会に

6年生の長女のステージ発表会。
毎年12月に行われる学芸会のようなもので、小学生活最後のステージとなります。

学年全員での発表は、修学旅行に行った東北での経験を題材にし、命の尊さと、家族や仲間達の大切さをテーマに良く練られた内容で、本当に良く練習したんだなあと感心しました。ステージで歌ったり踊ったりしている子供たちを見ていると、小さくでダブダブの制服を着ていた1年生の頃とは比べ物にならないほど立派に成長し、月日の早さを実感します。

演技後には体育館でパパを見つけて飛びついてくるし(抱っこせえと言うが重たくて仕方ない)、普段寝る時は小4の次女共々パパの両脇に納まって安心して寝るような、まだまだ甘えん坊の娘たちですのでパパにとっては可愛くて仕方ないのですが、来年から中学になると思うと幾分寂しさも覚えると共に、頼もしくも思います。

もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい? 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

子供たちの合唱に心を打たれました。

写真は今日のランチです。
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蕎麦屋飲みの奥深さ

蕎麦屋での飲みほど良い飲み方はないですよね。

先蕎麦でも締蕎麦でもいいですが、ビールや日本酒で筑前煮や古漬けをいただきつつ、大将や常連さんとの会話を楽しみ、良いタイミングで蕎麦を。

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一気に注文を通さないとすぐにメニューを下げられ、何もサービスしてないのに15%のチップを要求される国に比べて、こんな贅沢な飲み方が出来る日本は素晴らしいです。その場の空気や雰囲気すらアテにして飲めるんですから。

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日本から蕎麦屋がなくなったら、日本は滅びるんじゃないかと本気で思っています。

それ程、蕎麦屋を尊敬し愛しています。

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いつでもどこでも安く、質の良い品が買え、美味しいものを食べる事ができる国なんて他にない

今朝、渡航先のグアムから帰国しました。

海外から帰国する度に、日本がいかに素晴らしいか国か、そして特殊な国かを実感します。先ほど最寄り駅に買い物に出掛けたのですが、和菓子屋には芸術作品のようなきらびやかなお菓子が並び、それらが箱ではなく、一個単位で100円や200円で買うことが出来ます。弁当屋には、これまたキメ細やかに彩られた宝箱のような駅弁が並んでいて、600円や800円。ほとんど奇跡です。100均に行けば、言うまでもなく、なんでも揃ってしまいます。

もし他国に住んでいたとしても、ないならないで我慢するか、その中で工夫して生活するようになるのでしょうけれど、日本のように、どこに行ってもあらゆるものが揃っていて、しかも安く、質が良く、朝から夜までいつでも買える国は他を見回しても・・・ありません。少なくとも、僕が海外で目にする限りは(それなりに近い国はあったとしても)。

一方で、このような豊かさの裏にはそれらを支える人々の努力がある訳で、過剰なサービスや価格のために犠牲となる人(長時間労働、厳しいノルマ、低賃金など)が出てくるのも事実。どこまでが良くてどこからが行き過ぎなのかは人それぞれ判断が異なるところではありますが、過剰供給は良くないのでどこかで調整が働くことを願うものの、日本にいると日本の良さ、仕事に対する真摯な態度や真面目さ、ホスピタリティなど、改めて良さ(時に凄まじさ)を実感することができます。

もちろん、海外は海外の良さがあります。
グアムはやっぱり海でしょうか。

ビーチ沿いのこんなところで仕事が出来ればなと思ったりします。

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それに、やっぱりIPAやPALE ALEなどは美味しいですよね。昨夜はイタリアンと共にいただきました。

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