昨日、ニュースで衝撃の数字が出ました。
2020年のGDPがマイナス4.6%、2021年1-3月期マイナス5.1%。
衝撃の数字です。一市民が心配しても仕方ないのですが、日本のGDPが約550兆円なので、昨年だけで25兆円が消えてなくなったという計算になります。前年比で毎月2兆円〜3兆円が消えているという計算です。そのお金はどこに行ったのでしょう?単純に消えているのです。
ただでさえ30年間ゼロ成長の日本についにダメ押しか?というようなマイナス成長。そこへ来てワクチン接種率は世界100位以下で途上国と同じ水準。あまりネガなことは言いたくないのですが、日本のダメなところがコロナで一気に噴出したという形でしょうか。
ダメなところというのは、意思決定の速度が遅い、リーダー不在、外交力弱い、安全保障弱いという点です。加えて、キャンセルで余ったワクチンを町長が打つだけでニュースになって釈明しなければならないような極度な平等主義(国民全員、欲しがりません勝つまでは精神)と足の引っ張り合いが事態をより悪化しているような気がします。自治体のリーダーがワクチン打つなんて、その職の代わりがいないんだし当たり前のことでしょう。何が悪いんでしょうね。事前にルールを作っておけば良いという意見もありますが、非常事態なんだから臨機応変にやるのが普通。人が5人いてワクチンが3つしかない場合、日本人の場合は全員が我慢して3つのワクチンを捨てちゃうんでしょうかね。(全部がそうとはいいません)。
こういう状況を目の当たりにすると映画「シン・ゴジラ」の一場面を思い出します。
内閣官房副長官の矢口(長谷川博己)が「米国はゴジラをどうする気だ?研究対象か?それとも駆逐対象か?」と尋ねたとき、米国大統領特使のカヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)は「それは大統領が決める。あなたの国では誰が決めるの?」と返したシーンです。この一言が今の日本を表しているような気がします。
GDP減少はコロナの影響が大きいですが、時代は変わったとはいえ、出る杭を打つというのももうやめにしたいですね。評論家は評価されず、手を動かした者が評価されるべき。僕がシリコンバレーで学んだことは、下手クソでもローテクでも何かを作った人がリスペクトされるという精神。新しいことをリスク背負ってやろうとしている人は全員で応援すべきだし、やはり次の時代を作るのは若者です。コロナ対策も若者中心、若者ファーストに考えていかないとね。
賛否両論あるでしょうけど、ピンチの時こそ真価が問われる。
逆に考えれば、ダメなところは今のうちに全部出し尽くしておけばいいのかもしれません。
災い転じて福来たる。
雨降って地固まる。
諦めないように。
参考:「ピンチの時こそ、その人の器の大きさが見える」(2020年4月7日記事)
「学び」カテゴリーアーカイブ
色々モチベーション
週末から色々と忙しく、あっという間に火曜日です。
やることはたくさんあるのに時間と体力がついてこないのが最近の悩み。そんな中でも、モチベーションにつながることがたくさんありまして。
ゴルフ上がりの日曜日の夜は、業界を代表する技術者の方々とのオンライン飲み会に一時間参加。やっぱり研究開発に長年携わっている方の話は面白いですね。まだまだ新材料の開発に意欲的で、なんかいろんな意味で見習わないとな。季節の変わり目で気力体力ともに低下してしんどい日々が続いていましたが、喝を入れられた気分です。
月曜日は毎年恒例、某理系大学のインターンシップ。
IoT製品開発の企画プレゼンがチームごとに行われましたが、学生さんたちの生き生きとした表情を見ているとこちらも楽しくなってきます。技術的に知らないことが多くても、色々調べて悩んで議論しながら一つの製品を開発していくという経験が学生時代に積めるのは素晴らしいことですね。
「自分も学生の頃もっとこうしておけば・・・」とは思いません。その時その時で、一生懸命生きていたので。でも、このようにインスパイアされると思い出すのは「今が一番若い」という言葉です。
何かを始めるのに遅すぎることはない。
まだまだこれからだ。
灰色と隙間の話
GW明けの木曜、金曜の二日間、梅田にある会社に出勤しました。
緊急事態宣言下にあって、商業施設やお店は軒並みクローズ。帰宅時間には、シャッター街と化した暗い繁華街を帰宅中のサラリーマンたちが駅に向かって黙々と集団で歩く姿はなんだか異様な感じがしました。
(職種にもよりますが)仕事はある程度リモートでできることが証明されましたが、仕事帰りの一杯とか、ばったり出会った仲間との飲みなど、いわゆる「不要不急」なものってやはり生きていく上で重要なのではないかなと思うのです。昨夜も帰りに同級生とばったりと出会い、路上で近況報告をして、一緒に飲みに行けるのも来年かなあ、などと言いながら別れたのですが、本来であれば、おー久しぶり!一杯だけ飲んで帰るか!となるところ、そうは行かないのが今の状況。
ただ、いわゆる行き当たりばったりのセレンディピティで生まれた物もたくさんあったと思うのです。それは取引先への訪問も同じで、近くに来たからという理由で立ち寄ったり、世間話から仕事に繋がったり、出張先で入った居酒屋で隣り合わせた人と仲良くなったりというのが多かったのは事実。そのような灰色かつ何かと何かの隙間的なことがなくなったことによる損失を経済効果として算出してみると(定量評価できないと思いますが)面白いかもしれない。意外なほど膨大な経済損失が生まているかもしれない。
あらかじめアジェンダが用意されたミーティングは効率的で仕事をするには良いです。でも、一方でそうじゃないことも大切。めんどくさいことや行き当たりばったりのことから生まれる価値もありますね。
感じたことを確認し、受け入れて、前に進む
自然の中に身を置くことで、脈絡もなく混沌と考えている思考の絡まりがすっと解けることがある。頭と身体が軽くなり、進むべき道がはっきり見えることがある。
知らない道に一歩踏み出す時や不確実性が高い選択をする時、不安と恐れから、前に進むことを躊躇したり、少しだけ開いた扉の向こうを隙間からちょっと覗いて閉じてしまったりすることもある。でも、自分の「行きたい」「進みたい」という気持ちは、その扉を閉じてしまった時にどこに行ってしまうのか。
感じたことを確認し、受け入れて、前に進む。
まっすぐに伸びる杉の大木に囲まれていると、僕、このまま進んでいけば大丈夫かもしれない。と背中を後押しされているように感じます。
目の前で起きた、あるいは起きている出来事をどのように解釈するかは人それぞれだけど、それを自分が前向きに生きていくためのエールのように感じることが大切なのではないでしょうか。
色んなことに丁寧に時間を掛けるという幸せ
今日は元々ゴルフの予定だったのですが、雨予報で早々にキャンセル。
最近の天気予報は当たりますからね。「行かなくて正解!」としっかり納得できるほどの雨が降っていました。実家に行って用事を済ませ、ビゴの店でバゲットを買って自宅でゆっくりランチを作って過ごしました。
今日のランチのメインはパンなのですが、副菜として自家製の鶏ハム、MCTオイル(中鎖脂肪酸のココナッツオイルです)のサラダ、そしてツナキムチのブロッコリー和えです。
こういう日は色んなことに時間を掛けることができます。料理にも、買い物にも、仕事にも、読書にも。そんな一日を今日も動画に撮ってみました。
僕が好きな言葉に「一日を丁寧に塗りつぶす」というフレーズがあるのですが、一日という時間を、ちゃんと丁寧に、大切に過ごすことができれば(あるいはそういう実感を持つことができたとしたら)、それはとても幸せなことだと思います。
雑記
緊急事態宣言が出たため、GWの予定を大幅に変更しました。毎年滞在する信州の八ヶ岳ベース行きを今年も諦め、地元で過ごすことにしたのです。昨年も同じパターンでしたので2年連続自粛ということになりました。仕方がないとはいえ、娘たちの楽しみを奪うのも申し訳ないし、1500mの蓼科高原で高地トレーニングをしようと思っていた自分も残念です。ホームコースの六甲山を走り回ろうかなと思っています。
大人はまだしも、学生時代は「その時」しかない子供たちにとって、オンライン授業やリモート、部活の制限などは本当にかわいそうに思います。自分も振り返って思うのですが、学生の頃にもっと勉強しておけば良かった、もっと友達を作っておけば良かったと思っても、その瞬間はもう戻ってきません。10代は一瞬の光のきらめき。いかに学生時代が貴重な時間だったかは過ぎてから実感するものです。
いずれにしても、今のこの状態は、将来振り返って評価した時に大きな分岐点になるかもしれません。機会損失による経済的、教育的ダメージがどうでるか。そう考えると(ワクチンも万能ではないとはいえ)ワクチン接種も老人優先ではなく、子供たち優先でしてあげるほうが、よほど良いのではないか。圧倒的な数の票を持つ高齢層を優先するのも、お年寄りは重症化しやすいので人道的対処というのも、接種しなければ老人ばかりが運び込まれて医療崩壊するというのも分かりますが、この国は老人優先の政策が多い気がします。それで未来はあるのかな。未来ある子供たちをもっと大事にできないのかな。その前に国としての危機管理能力と外交力が弱すぎるか。
もちろん功労者である高齢層を大事にするのは当たり前で、ないがしろにしろと言っているわけではありませんが、教育や体験の機会損失は取り戻せません。子供たちがこの国を作っていくのにね。
明日も雨模様です。
積読になっている本を片付けるチャンスかな。
あと動画も撮ろうかな。
盆栽飼育された社員にならないためには 〜 自分の成長は自分で決めるための方法について
「盆栽飼育」という言葉があります。
この言葉からイメージできるように、盆栽飼育とは、大きく成長する熱帯魚を小さな水槽で育てることによってそれ以上の大きさにならないように育てる方法のことを言います。逆にいえば、魚はその水槽の大きさ以上に成長はしません。
これは会社組織も同じです。
会社を水槽と見立てた場合、基本的にその中で働く社員もその会社の大きさ以上は成長しません。水槽以上に大きく成長しようと思うと、外の世界を見ることが必要になります。それはなにも会社を辞めるとか転職するとかそういう意味ではなく、知見を深め広げるために自ら外の世界に出ていくということが必要ということです。セミナーに参加する、勉強会に参加する。コロナで人に出会えなくても本を読むことくらいはできます。
4月に入り、社員面談の季節です。
数年前に新卒で入ってくれた若者たちも、3年目、4年目となってきました。彼らにも伝えたのですが、これから先「大きく伸びる」か「低空飛行を続けて気づけば中年」になるかの大きな分かれ目が社会人3年目、4年目なのです。ここから20代後半をどう過ごすかでその先の人生が決まると言っても過言ではありません。
そのためには、自分が働く会社という小さな世界だけに目を留めるのではなく、その中で学び、しっかり結果を出しながら(ここ大事)、視野を広く持ち、学び続けるということです。昔はパワハラまがいの仕事の仕方で理不尽な上司や先輩に仕事を押し付けられ(与えられ)、寝るや寝ないやの世界で必死でやった結果、特に秀でた能力や専門性のない凡人でもそこそこ仕事ができるくらいの能力は身に着けさせてもらえたのですが、今は違います。自分で決めて、自分で成長しなければならない。会社の外にはとんでもないレベルの人がごまんといるし、上には上がいます。そういう仕事レベルの高い人たちと交流することが自己の成長に繋がります。小さくまとまってはならない。
そんなことを面談で話しました。
盆栽飼育されないように、自分のレベルは自分で上げて行きましょう。皆がそうすることで、会社という水槽のサイズも大きくなって行くものです。
一方、マネジメント層は社員の何倍も学ばなければなりません。水槽(会社の大きさに限らず、チームでも、部署でも)のサイズはマネジメントの器で決まります。水槽が小さいままなのはマネジメントの責任です。
社員の成長スピードよりも何倍もの速さで水槽を大きくしていかなければなりません。マネジメント層こそ、外に出て業界問わず広い世界を見、ハイレベルな交流を広げて深めていかなければなららない理由はここにあります。
歓喜で始まった月曜日の朝
松山英樹選手、そしてチーム松山の皆さん、関係者の皆さん、マスターズ優勝おめでとうございます!!日本人、いや、アジア人初のマスターズ優勝。いつかはと思っていましたが本当に実現しましたね。ゴルフファンとして夢のようです。
昨日は、ホームコースでいつものメンバーの皆様方とマスターズ3日目の松山・無双状態のラウンドをトークのネタにゴルフをしていたのですが、4打差あっても今朝は本当にはらはらどきどき。でも本当に良く逃げ切った。最後は祈るような気持ちでいましたが、なんとか一打差での優勝。
最終日のバックナインは松山クラスでもあんなに緊張するんだと思って見ていましたが、凡人では想像すらできないほどのメンタルの強さです。トラブルもボギーで切り抜けて。あんな状態なら手が震えて打てないと思うのですが、やっぱりトッププロはすごい。それだけの自己研鑽と「ナンバーワン」といわれる練習量に裏打ちされているものなんでしょうね。努力は嘘をつかないんだ。
グリーンジャケットを来て嬉しそうな松山。中嶋さんの「日本に帰ってきたら、一度グリーンジャケットに袖を通させてな」のコメントに涙しました。
That Green Jacket feeling 💚💚💚 #themasters pic.twitter.com/IjU6sh1i1w
— ESPN (@espn) April 11, 2021
そして、世界を感動させた早藤キャディの一礼。
これぞ日本人だ。
最近、色々と元気がないニュースが多いし、日本どうなるんだろうと不安になる時もありますが、この礼節の文化が残れば、それでいいじゃないかと思わせる一幕でした。そしてこれをちゃんと見逃さなかったESPNもさすがです。
Following Hideki Matsuyama’s Masters win, his caddie, Shota Hayafuji, bowed to the course after returning the pin on the 18th hole. #themasters pic.twitter.com/gdLsWSC0Ac
— ESPN (@espn) April 11, 2021
なにはともあれ、朝から元気になるニュースをありがとうございました。
コツコツ無骨に努力を続けること。
思いを強く持つ事。
自分もモチベーションが上がりました。
持論と共感の関係について
今日は神戸ラン。いつもの国道コースではなく、ちょっと気分を変えてみたかったので山手幹線(阪神間を東西に貫く山の手の道路です)をラン。このコースは気持ち良い。気になった路地や森など、自由気ままに立ち寄りながら三宮方面へ。
結局、芦屋→岡本→六甲八幡神社→水道筋商店街→王子動物園→新神戸駅→異人館→三宮という15kmのラン行となりました。今日のヘッダーイメージ写真は、王子公園の神戸文学館です。今日は単独ランでしたので、疲れた脳を空っぽにしながら走ることを心がけました。それでもあれこれと考えるものです。
最近のテーマは「結局人間ってわがままな生き物だよな」ということです。
みんな勝手に考えて勝手に行動して。当たり前のことなんですけどね。悪いのは、それをあたかも正論のように押し付けること。これがいけない。
考え方が人それぞれなのは当たり前。世の中に誰一人同じ人はいない。みんな個性があるし、生い立ちも違うし、育つ環境も違います。その中で人格が形成がされてゆき、経験の中で学びながら成長するので考え方が違うのも頷けます。ある人は卑屈でネガティブな考え方かもしれないし、ある人はおおらかで余裕があるかもしれない。仕事に対する考え方も経営に関する考え方も人それぞれ。みんな持論があるからこそ、面白いのですよ。譲れないものもありますしね。
先日、アマゾンプライムでジム・キャリー主演の映画「イエスマン」を見たのですが、超ネガティブで人のことを信用しなかった銀行員が、すべてに「イエス」というようになってから幸せな人生を歩み大成功を収めるというストーリーでした。このなんでも「イエス」というのも「ノー」というのも一つの持論なわけですが、結局はその人の考えであり、それと相反する人がいるのも事実。大切なのは、自分と異なる考え方を受け入れるということです。
どうしても、自分の意見を相手に押し付けたければ、共感ができるようにしなければなりませんね。共感してもらうということはとても大切なことです。結局その考え方の良し悪しは、共感する人の数の多さで決まります(死後、認められるというケースもありますが、当の本人には関係のないことです)。
僕はその人の「人徳」を見る時に、その人が「利害関係のない仲間をどれだけたくさん持っているか」を見るようにしています。これ、間違いないです。お金や仕事の繋がりで人脈があるのは当たり前。大事なのは「利害関係がない」ということ。みなさんもその目線で見てみてはいかがでしょうか。
理由は簡単。その人の言動が共感を生むから、周りに人が集まるんです。大衆迎合や人気取りのために無理してやっている人もちゃんとバレます。自分では分からないかもしれないけれど、周りの人間ほどよく見ているものです。所詮メッキは剥がれますから裏表のある人も残念な結果になります。
ローマは一日にしてならず。
相手の立場に立って物事を考え、感情移入し、違う考え方は受け入れつつ、お互いを認めつつ、自己研鑽に励む。自戒を込めて。
そんなことを考えながらのランでした。
その時その時の小さな努力や積み重ねの一つひとつが今につながっている
4月1日の入社式当日から毎日研修が続いています。今年の新人は優秀で飲み込みが早い。こちらもタイムテーブルに合わせて時間を調整するのではなく、どんどんスピードを上げて前倒し前倒しでこなしています。そこで出来た時間は、別の内容の研修に充てるようにしています。
こうして新入社員の研修をしていると、今まで作りためた研修資料の数の多さと、その時々の自分の「がんばり」が客観的に見えて、我ながらがんばって作ったなあと思ったりします。自分が作った研修資料で自分が学ばされるというか。
たまには過去を振り返って自分がやってきたことに触れるのもいいですね。その時その時の小さな努力や積み重ねの一つひとつが今につながっている。点と点が線となって繋がるというジョブスのスピーチのとおり、何ひとつ無駄なものはなかったと思うのです。良いことも辛いこともすべて必要だったプロセスで、それが今に繋がっている。
このブログは2005年6月から16年近く続いているのですが、時代の変化と自らの年齢の変化ととも文章の内容と文体、トーンも変化しています。当たり前ですが。柔らかかった時もあれば、尖っていた時もあるし、穏やかな時期もあればそうでない時期もあった。全力疾走していた時期もあれば、疲れてスローダウンしていた時期もあった。
ただその時その時の自分の一生懸命を重ねてきたことだけは事実なのです。そこは肯定してあげたい。自己満足ではなく、肯定。「自己満足」と「肯定」とは似て非なるものです。「肯定」という言葉の前提条件として、日々の努力やマドルスルー(泥の中をもがいている状態)を経てのブレイクスルーの繰り返しがなければなりませんから。
若い20代前半の社員たちを見ていると、これからが本当に楽しみです。どんな成長をしていくのだろう。でもきっと、君たちの出会いはすべて正しい。