根拠はないが真実を突いた言葉

40歳という年齢は人生の中で大きなターニングポイント、例えば「折り返し地点」や「不惑」などな言葉で表されているように・・・であることには間違いなさそうですが、自分が思うほど複雑でも知的なものでもなさそうです。

というのも、何気なく聞く無邪気な言葉の一つ一つに、「ああ、これは真実かもしれないな」と何周か回って納得することが多いからです。

例えば、今日。少し喉が痛いな、風邪気味かな、と呟いた言葉を迅速に拾ったSE君がすかさず言った、

「ロシア人はウォッカを飲んで風邪を治すそうですよ」

この言葉を鵜呑みにし、ああ、だから僕は風邪やインフルにも掛かっていないんだ、これが本当の「アルコール消毒」か、と心底納得したりするのです。そこに医学的な根拠があるかないかは分かりませんが。

こういう「根拠はないけれど、なんだか真実を突いたような言葉」というのは記憶の底に残っているもので、もう10年くらい前の話ですが、

『ジェームズ・ブラウンの「ウェ〜」というシャウトと謎のステップを再現できるのは、大阪や尼崎の下町のおっさんしかいない。何かの拍子に「うぇ〜」や「か〜っ」とやるのは、ソウルミュージックと同じだ。底流に流れているのは同じソウルなんだ』

JB御大のライブ映像を一緒に見ながら、先輩の経営者が言い放ったこの言葉も然りで、よくよく考えると全く意味不明なのですが、妙に納得できたりする言葉は、実はよくよく考えなくても良いものなのかもしれません。

これぞ、Don’t Feel, Think.の世界なんでしょうね。

IMG_3748

良いことなのか悪いことなのかはさておき

平日の外食・飲み会が多い自分にとって、仕事を終えてどこにも立ち寄らずに帰宅する日はつまり、今のうちにやれることをやっておこうという夜になります。例えば、アイロンがけとか靴磨きとか、妻の代わりに洗濯物を干したりとか。

我が家は週末以外、夜に洗濯を行うことが多いのですが、寒空の下でシャツを干していると、自分が普段着ている服が、いかに同一ブランドでワンパターンに統一されているかが分かります。シャツのメーカー、ジーンズのメーカー、ポロシャツのメーカー、ジャケットのメーカー、ほとんど全てが統一されているのです。遊び心の「あ」の字もありません。これは別に拘りでも何でもなく単純に「選ぶのが面倒くさい」、ただそれだけの理由です。

言い換えると、自分が時間を割きたいと思っていることが、服の選定ではないということなんだろうと思います。ある程度シンプルで、身体にピッタリと合うことさえ確認できれば、もう、次からはそのブランドの同じサイズのものを買えばよろしい。擦り切れたり、くたびれたりすると、同じサイズのものを買い換えればそれでOK。わざわざウインドウショッピングをしたり、ネットや雑誌でリサーチすることもありません。ほんと、服選びには全くといっていいほど時間を使わないのです。

人間には平等に24時間という時間が与えられています。その24時間をどう使うかは各自の自由です。しかし、とにかく忙しい現代人にとっては、多くの「すべきこと」をマルチにこなさなければなりません。一体どうしてこんなに忙しくなってしまったのかということはさておき、こうなると、自分にとって重要なことに時間を割き、そうでないことには割かない、という取捨選択が必要になります。少なくとも自分にとっての服選びは、プライオリティの下の下という事になっています。

それが良いことなのか、悪いことなのかはさておきですが。

IMG_2532

気付きの備忘録

今夜4軒飲み歩いて気付いたこと、学んだことを備忘録として。

・人類は重力というレギュレーションを越えてワープ技術を獲得して初めて宇宙人とダイレクトに接触できる。逆に言えば、ワープ技術を持たない人類は未だ宇宙の中では原始人的な扱いであるからこそ、宇宙人からは無視されている存在である。

・言葉の力というものがある。いかに、分かりやすく噛み砕くか。そこに、コミュニケーションが存在する。

・既存のルールの延長戦上ではイノベーションは生まれない。銀座住まいという住所を得るためには、公共駐車場に車を入庫し、二度と出庫せず、車で寝泊まりし、そこで廃車にするくらいのメソッドジャンプが必要である。

・傍流から新しい物が生まれる。

・「なんとなく上手く行っている」という感覚が実は一番重要である。戦略、手法は結果があって初めて良し悪しが判断されるが、感覚的に正しいと思うもの、脳波が本能的に一直線に向かう方向に、時間の逆行と予知が存在する。

こういう風にリスト化すると・・・今日出会った人々は皆、異次元の世界に存在する人達だなあと冷静に思うものの、実はそこに真理があるのかもしれないと思う今日この頃です。(笑)

IMG_3044

僕はなんてラッキーな人間なんだろう


毎日ゆりかもめに乗ってビッグサイトに向かうのですが、新交通は無人運転ですよね。この場合、神戸のポートライナーや六甲ライナーも同じですが一番前の席に座ればあたかも自分が運転しているかのようなシミューレション(錯覚)に陥る訳です。

気持ち悪い話で恐縮ですが、電車マニアとしてこんな素晴らしいことはありません。こうなると、ゆりかもめの先頭車両の一番前の座席は僕のような属性の人間にとっては激戦区となります。椅子取りゲームですね。

今回、僕はとてもラッキーなことに、二日連続でその激戦区席をゲットできているのです!

一日目
IMG_2787

二日目
IMG_2824

ああ、なんてラッキーなメンなんだろう!
気持ち悪いといわれようが何と言われようが、これだけで一日仕事を頑張ることができるのです。どうでも良い話で恐縮です。

ハーズバーグのニ要因と承認欲求について


著名な心理学者であるハーズバーグの仕事に対するニ要因理論によると、人間には苦痛を避けようとする本能的な欲求と、心理的に成長しようとする人間的欲求という別々の欲求があるとのことです。言い換えるなら、苦痛を避けようとする本能的な欲求を満たしても、人間は「不満足感」が減少するだけで積極的な満足感を増加させることはないということです。また、逆に心理的な成長を求める人間的欲求を十分に満たすことができなくても、不満足感が増加するわけではないと言われています。

つまり、仕事の満足感を得る要因と不満を起こす要因は別物で、不満となる要因をいくら取り除いても、満足感を得ることにはつながらず、それはあくまで不満足感を減少させる効果でしかなく、仕事の満足感を引き出すには「動機づけとなる要因」にフォーカスしなければならないという訳です。

心理的な成長から来る満足感=「やりがい」を感じるのは、至極個人的な主観によるものです。何にやりがいを感じるかは人それぞれ。一方で成長企業は人を必要とするものですが、一方的な夢やビジョンを押し付けて賛同を得られれば御の字ですが、そこに響く人ばかりではないということも忘れることはできません。少なくとも、不満要因を取り除くことが企業努力として求められていることなのかもしれません。

我々の会社は誰に話をしても「すごいね!そんな会社、大阪にあるんだね!」と言っていただける会社ですし、そのような評価をいただいていることを誇りに思っています。しかし、そこに甘んじることなく、不満要因を取り除きつつも、妥協せずに賛同いただける人を探し続ける努力を怠らないように邁進して行きたいと思っています。もし、Quadceptの開発に興味がある方、是非、コンタクトください。よろしくお願いします。


努力を何で評価するかは人それぞれです。
僕は他者からの評価よりも、自分で自分を評価する事を何よりも優先していると思います。しかし、その評価は何かで可視化したいと思っている、言い換えれば(承認欲求)があるのも事実で、それはランニングしかり、休肝日しかり、カレンダーにレコーディングするようにしています。同じように、ほとんどが出張ベースとなる海外渡航についても、毎度感じるプレッシャーを可視化するために、本来剥がすべき手荷物バーコードを油性マジックで消しながら(消し忘れもありますが)も剥がさずに置いています。

このプレッシャーを感じた分、成長出来ていると自己評価して承認欲求を満たすくらいの弱さは持っていますし、馬鹿にされても良いと思っています。それで、明日もがんばれるのなら。

IMG_2615

身体を酷使しつつ精神の充足を図る


三連休となると時間的にも気持的にも余裕が出ます。
土日に予定を集中させ、月曜日はバッファとして考えることが出来ますよね。という訳で今日は仕事とジョギングと積読消化の日となりました。夜のConference Callが終わるまで仕事一色だったのは否めませんが、それも感謝すべきことです。

しかし、なにせ土日は身体を酷使しました。土曜日の夜は梅田で日本酒の集まり、そして芦屋に戻ってから二軒。さすがに日曜日は朝4時半に起きてゴルフだったので、早々に帰宅して水をガブ飲みして寝ましたが、それでもなんとなく二日酔い、早朝スタートの取引先とのチーム戦では、なんとか集中力を切らさずに及第点のスコアで回り、チームとしても勝利しましたが、帰宅してからグッタリ(笑)それでも、最後の力を絞って家族を連れてCostcoに行きました。

身体を酷使しつつも、精神面では充足を感じることが出来ます。そこはきっとトレードオフの関係にあるのでしょうね。

天気が悪く、水墨画のような薄暗い夕方に一人でジョギングしながら、良くも悪くも、願っても願わなくても、僕はこういう人生なんだろうなと、大して波乱万丈でも特筆すべき何かがある訳でもない平凡かつ平坦な道のりに対して、少しのプレミアを自分で持たそうとしつつ、明日からもまた頑張ろうと思うのでした。

IMG_2496

命からがら


昨夜から寒気、しびれを感じ・・・イヤ〜な雰囲気。

これはアカンと、熱い風呂にたっぷり浸かって、風邪薬を飲んで即就寝するも、今朝、起床と同時に体調最悪。明らかに発熱しているのを感じながらも、午前の客先訪問に穴を開ける訳には行かず、「これは、気のせい、これは、気のせい」と唱えながら、電車を乗継ぎ打ち合わせに。

とりあえず打ち合わせは乗り切ったものの、淀屋橋駅でふらつきながら、会社に戻れず帰宅してベッド仕事。あーダメですわ、ほんまヤワになりました・・・

とはいえ、まあ横になっていれば仕事もなんとか進めることが出来るし、PC叩くの疲れたら本を読めるし、とりあえず、薬+スポーツドリンク+ベッドですみっこぐらし、の一日でなんとか明日は大丈夫そうです。ほんま、スイマセン・・・m(_ _)m

s

さあ、明日のしごと、そして明後日、そしてゴルフコンペ(負けらない戦い)。
テンション上げて行きますよ!!

IMG_2482

物の見方は年と共に変化していく(劣化ともいう)


随分昔の話になりますが、仕事で一緒になった方がこんなことを言っているのを今でも覚えています。それは、その方の中での「金持ちの定義」というもので、こんなものでした。

1,朝食にシリアルを食べていること
2,チンチラ、またはペルシャを飼っていること
3,おやつにケーキが出ること

今は昔と違ってシリアルを健康のために食べている人も多いですし、普通にスーパーで売っていますし、ケーキもコンビニで100円で買える時代ですから、このイメージもどうかなと思いますが、人それぞれに、何かに対する固定観念があるというのも事実です。


僕の場合、昔から「おっさん」に対する、やはり同じような定義付けがあって、それは、

仕事帰りの電車の中で缶ビールを飲むこと = おっさん

というものでした。その当時は「新幹線ならまだしも、在来線ではアカンやろ。ああ、こんなおっさんになりたくないな」と、そういう人を見て思っていたのですが、僕、割と最近、それを良くするようになってきました。まさに、若かりし頃の自分が「そういう目で見ていた」おっさんになってしまっているのです。

IMG_2296

一応釈明させていただくと、当然マナーやエチケットは気にはするので、飲む時は人目に付かないような場所、大抵、最後列の一番後ろ、運転台の前の隅っこにもたれながら、目立たないようにしているのですが、ああ、自分もこんなことをするようになったかと絶望と共になんとも言えない感傷に浸ってしまいます。

更に釈明させていただくと、一応飲むことには理由があって、肩が凝ってどうしようもない時、頭痛がひどい時など、血行を良くすることが大義名分であること、また、電車の中で酒を飲んではならないというルールはないわけで(もしこんなルールがあれば在来線のホームのキオスクで酒は売ってはならんはず)、そこに甘えているということがあります。

いや、人って、物に対する見方やイメージって変わっていくものですね。しかし、悪化・劣化だけはならんと思っているので、日々戦いです。

ソフィスティケートとケアの話


週末の大阪駅周辺は、いつも何かのイベントが行われています。
今日のJR大阪駅の北側広場では、ドライアイスでしょうか、こんな幻想的な光景が見られました。みんな楽しそうに遊んでいますね。

IMG_2161

グランフロントに行っていつも思うことは、街も人も洗練されてるなということです。街が洗練されているから人もそうなるのか、人が洗練されているから街もそうなるのか、どちらか分かりませんが、なかなか興味深く見ることが出来ています。


先日、香港から友人が帰国したので久しぶりに会って話していると、やはり「ソフィスティケートとは」という話題になりました。香港や上海の人は欧米文化の影響からか、女性の美に対する意識がかなり洗練されているらしいのですが、地方の方は全く気にせず、彼女の言葉を借りると「全身、毛むくじゃら」だというのです。

この話は事実で、僕もアメリカにいる時、ホテルのプールで泳いでいると20代後半と思われる女性二人がスクール水着にスイムキャップを被って入って来て、クロールで脇のヘアを盛大に見せながら悠々と泳いでいる光景を目の当たりにし、良し悪しではなく、ああ、文化だなあと思ったことがあります(というか、海外にいると割と頻繁に目にします)

欧米文化では、男性女性かかわらず、アッパーもアンダーも、手や腕も含めて、できるだけケア(除毛)するということが当たり前ですが、日本では、アッパーはケアしてもアンダーのケアは、まだ一般的とは言えないかもしれません。また、先の例のように、毛アを全くしない人達もいます。どちらがソフィスティケートされているかという問題でもなく、文化や美意識の違いなのかもしれませんね。赤ちゃんの時にピアス穴を開けるというのも同じかもしれません。

最近、「世界一貧しい大統領」で有名なとウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏がまた脚光を浴びていますが(”世界一貧しい大統領”は言う「金持ちは政治家になってはいけない」)、彼の言葉は、100年以上続く資本主義経済のほころび、例えば、埋めようのない格差社会や信用取引による投機的なマネーゲームなど、富や繁栄が一周回った後に、もう一度、それで良いのか考え直してみよう、原点回帰しようというプリミティブな思考とでも言うことができるかもしれません。国や地域関わらず、資本主義経済に疲弊した多くの人達の共感と支持を得ているのももっともです。この場合、「今後こうなっていくべき」という意味では、彼の言葉の方がソフィスティケートされていると言うことが出来るかもしれません。

いずれにしても、文化的発展と精神的発展の両バランスを保ちながら、皆が幸せになっていくのが良い文化なのかもしれませんね。

IMG_2162