物の見方は年と共に変化していく(劣化ともいう)


随分昔の話になりますが、仕事で一緒になった方がこんなことを言っているのを今でも覚えています。それは、その方の中での「金持ちの定義」というもので、こんなものでした。

1,朝食にシリアルを食べていること
2,チンチラ、またはペルシャを飼っていること
3,おやつにケーキが出ること

今は昔と違ってシリアルを健康のために食べている人も多いですし、普通にスーパーで売っていますし、ケーキもコンビニで100円で買える時代ですから、このイメージもどうかなと思いますが、人それぞれに、何かに対する固定観念があるというのも事実です。


僕の場合、昔から「おっさん」に対する、やはり同じような定義付けがあって、それは、

仕事帰りの電車の中で缶ビールを飲むこと = おっさん

というものでした。その当時は「新幹線ならまだしも、在来線ではアカンやろ。ああ、こんなおっさんになりたくないな」と、そういう人を見て思っていたのですが、僕、割と最近、それを良くするようになってきました。まさに、若かりし頃の自分が「そういう目で見ていた」おっさんになってしまっているのです。

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一応釈明させていただくと、当然マナーやエチケットは気にはするので、飲む時は人目に付かないような場所、大抵、最後列の一番後ろ、運転台の前の隅っこにもたれながら、目立たないようにしているのですが、ああ、自分もこんなことをするようになったかと絶望と共になんとも言えない感傷に浸ってしまいます。

更に釈明させていただくと、一応飲むことには理由があって、肩が凝ってどうしようもない時、頭痛がひどい時など、血行を良くすることが大義名分であること、また、電車の中で酒を飲んではならないというルールはないわけで(もしこんなルールがあれば在来線のホームのキオスクで酒は売ってはならんはず)、そこに甘えているということがあります。

いや、人って、物に対する見方やイメージって変わっていくものですね。しかし、悪化・劣化だけはならんと思っているので、日々戦いです。

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