人間は、ただのアミノ酸である


人間は、鉱物資源の上を歩くただのアミノ酸である。

こう考えると、なかなか面白い視点で事象を見ることができます。
遺伝子の配列は、グアニン、シトシン、チミン、アデニンなんですよね。そのようなアミノ酸の配列(DNA)が何をしているかというとタンパク質を生み出すんです。その遺伝情報によって人間の体は形作られているだけ、つまり人間とはアミノ酸です。

愛情をこめて言うと、そのようなアミノ酸の塊である人間の考えることは所詮、DNAレベルでの生理的欲求です。つまり、寝て、食べて、子孫を残すことです。人間が動物と違うところは、知性があるところです。知性というのは、承認欲求です。認められたい、評価されたい、アミノ酸の中でも優れたアミノ酸でいたい。そういうことです。


DNAレベルでは、その人を形作る情報が生まれながらにあります。アクシデントがない限り、寿命もそうです。ここからは摩訶不思議な世界に入りますが、そのDNA、もっというと60兆個の細胞によって、その人は形作られているのであれば、刹那的な意味ではなくて「もっと優れたアミノ酸になろうよ」ということです。

歩きやすくするために鉱物資源を利用して道路を固めた、生理的欲求を満たすために効率的な農業の仕方を考えた、ワガママな「楽をしたい」という欲求を叶えるためにテクノロジーを発展させた、承認欲求を満たすために、偉くなろうとした。自己実現を目指した。ただそれだけのことです。

なので、今日の結論は、

もっと正直になろうよ
もっと欲求を満たそうよ

それだけです。

開放感と疾走感


今日は暖かい日でしたし、特に外出の予定もなく終日オフィスワークでしたので、今年初の半袖ポロシャツ出勤。パーカーを羽織って、薄手のセーターをバッグに忍ばせて、です。こう暖かくなってくると、Deep houseや、Club jazz系のアップテンポな曲、BossaがBGMの主流になってきます。


以前は、真夜中にお気に入りのCDを車に積んでガンガン流しながら「night trip」と称して、窓やサンルーフを全開にして一人でドライブしたりしていましたっけ。当時は大きなアメ車に乗っていて、それはそれでとても気持ち良かったことを覚えています。車については、最近はあまり興味がなく実用重視になりましたが、思い返してみれば、CITROEN AX-GT に始まり今の volvo v70 に至るまで色々と乗って来ました。これからはエコに傾倒して行きそうです。

今のストレス発散方法(そもそもストレスがあまり溜まらない・・・)は、ジョギングであったり、山登りであったり。夜間や早朝はひっそり読書が習慣になっているので、まあ、面白くない奴になってしまいましたね。しかし、今日ヘビロテしている Jazztronik を聴いていると、久しぶりにnight tripに出掛けたくなりますね。多分これから Jazztronikが増えてくると思います。

Jazztronik /『Flash Light』feat.JAY’ED  PV

それでは今日はこの辺りで。

 

我ながら「気持ち悪い」という自覚はあるのだが


電車のことをお話しましょう。

僕は事情が許すのであれば、出来るだけ先頭車両に乗車します。
もちろん朝夜の通勤時は降車駅の階段付近の近くに乗るので、その限りではありません。

運転台の後ろから見える車窓の景色にはロマンがあります。目の前に広がる一直線に伸びたレール。まるで運転士になったような気持ち。
このレールの先には何があるのか。(答え:駅)

例えば、今日の風景。
JR神戸線。雄大ですね。
開放感にあふれています。

この写真の萌えポイントは、左側を走るレトロなL特急、福知山線から合流した「特急こうのとり」です。このタイプのL特急がまだ現役で走っているところにロマンがありますが、そんな名車を右後ろから、この角度で眺めることができるのは先頭車両だけです。ちなみにこのL特急ですが、たまに運転台に若くて美人な女性運転士が乗っていることがあります。レトロで無骨な巨大な鉄の車両にかわいい運転士。そんな時は眩暈がするほどの感動を覚えます。恋と言っても過言ではありません。

そして二枚目。
この写真の萌えポイントは、二つ。

一つ目は、鉄橋。
ああ「橋」の造形美よ。この橋の型式は「トラス橋」ですね。棒状の鋼材を三角形に組んで交点をピンで結ぶ構造です。先頭車両から見ると、橋がトンネルのように見えます。これがトラス橋の醍醐味です。

2つ目は、やはりL特急です。
一旦は「こうのとり」の前を走っていたのですが、この鉄橋で抜かれてしまいました。停車駅は大阪駅で同じはずなのに、微妙にスピードコントロールされているのですね。最終的には大阪駅までこのような形で並走となりました。
うーん、たまらん(何が)。

という訳で、たまには皆様も先頭車両に乗り、人工物の造形美に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

それでは今日はこの辺で。
気持ち悪いというクレームは受け付けません。

非常にワンパターンなのだが、こういうものなのかもしれない


僕の生活はワンパターン。
鳩時計が一時間ごとに鳴くのと同じで、その時間になれば大体することが決まっている。平日はもちろんそうだし、週末は、走って、団欒して、仕事して、勉強する。

そんなワンパターンな生活の中でも、ちょっとした変化を見つけた時は嬉しいですよね。走りながら見上げる空に面白い形の雲が浮かんでいたり、ウェイクボードやカヌーの大会が開催されていたり。例えば、昨日は補給のために自動販売機でアクエリアスを買ったら、ハッピー缶なるものが当たりました。ワールドカップブラジル大会のキャンペーンらしく、中にはホイッスルが。当たったことは嬉しかったけれど、ランニング中の軽装では、無駄な荷物(笑)でも、これもひとつの「Spice of Life」だったりするのです。

昨日の空や、海。

自分でも「ワンパターンな生活やなあ」と感じることも多いけれど、逆に、規則正しいと言えばそうかもしれない。やることが決まっていて、ただそれをするだけ。今日は何をしようかとあまり悩むこともない。それに、

もし走らないとしたら、その時間は何をしていたのか
勉強してないとしたら、その時間は何をしていたのか
物を書かないとしたら、その時間は何をしていたのか

と、過去数年間の「もし、していなければ」を考えてみると、ちょっと怖くなったりします。少なくとも、数年間は同じことを繰り返しているけれど、それは積み重ねでもある。「もし、していなければ」その時間は、どっちにしても大したことはしていなかっただろうと思う訳です。週末くらいゆっくりと言って、TV見たり、お酒飲んだり、ボーっと買い物に出掛けたり。これらは気分転換にはなるけれど、積み重ねて何かになるものでもないしなあ。ワンパターンって、良いのかもしれないと、単調な生活をポジに捉えたりしています。

結局、毎週末同じことをしているので、特に書くこともないのだけれど、まあ人間ってそれぞれ良かれと思うことを、行うだけの生き物ですね。

さて、今日は出勤なので、そろそろ準備でも。
皆様も良い週末をお過ごしください。

ちょっと春めいてきたので(?)、二日連続で Sixpence です。

Sixpence None The Richer – Breathe Your Name

「子どもに夢を託すな」のリクナビCMについて感じる違和感


このブログを読んで下さっている方は良くご存知の通り、僕は日々、youtubeを仕事のBGMにし、好きな曲をブログで紹介し、曲探しのためにも使っているので、毎日アクセスする大好きなサイトの一つです。そんな、僕の生活になくてはならないyoutubeですが、近頃、残念なことにリクナビNEXTの「子どもに夢を託すな」というCMが頻繁に流れます。

このCMを見て、

「ああ、そうだよな、おれ、自分の人生をあきらめて子どもに夢を託し過ぎてたな、いっちょ転職でもして夢を追うか。」

なんて思う大人が一体どれだけいるのでしょうか。よくあるホームドラマに出てくるサラリーマンのくたびれたお父さんはそういうキャラの人が多そうですけれど(「花より団子」の牧野つくしの父含む)、少なくとも僕の周りには一人もいないんですよね。だからか分からないけれど、このCMには、とても違和感(ネガティブな方)を感じます。ほんと、不思議。本当にサラリーマンってみんなそうなの?マジで?


というのも、周りにいる同年代の友人たち、年上の方々、みんな多かれ少なかれ、年齢関係なく何かに挑戦し続けている人ばかりなんですよ。仕事も遊びも楽しんでいるし、とてもパワフルで魅力的。取引先もそう。そりゃ年齢相応に落ち着いておられる方もいるけれど、人間的にも面白くてチャレンジングな方が多い。意外な趣味を持っていたりね。

僕はランナーですが、近頃のマラソン大会はエントリー開始と同時に締め切りというくらい人気で、40代、50代の方もガンガン練習して必死で走り、ゴール後は最高の笑顔で仲間たちとビールを楽しんでいる。マラソンって「克服型」のスポーツでめちゃくちゃしんどいんです。それでもこんなに人気なのはなぜでしょう。「定員一万人」の地方の大会でもエントリー開始から数時間で締め切りになってしまうのはなぜ? それだけチャレンジ好きな大人が多いからですよね。また、60歳をとっくに超えているけれど、僕の母は仕事で使う訳でもないのに、実家に帰るとなぜかいつも英語と中国語のCD聴いてるし。父もいつも勉強している。(ちなみに、両親から夢を託されたことは一度もない)

サラリーマン = 疲れて、ヨレヨレ、夢もなし

こういうイメージは一体誰が作っているのでしょうか。
僕もサラリーマンという立場ですが、子どもに夢を託すつもりは一切ない(先日の「自分にはコミットして、他の人にはコミットしない」という記事にも少し書きました)。当たり前ですよね、一度しかない自分の人生だからこそ、自分の納得出来るような生き方を常に模索しているし、夢を追い続けていたい。一分一秒無駄にしたくない。同じように子どもの人生は子どもの人生。いきなり「パパの夢、お前に託した」とか言われても迷惑千万でしょう。

僕は、子ども達には「早くパパのように好きなことを見つけてガンガン突っ走ってね」という感じなんですよね。きっと、そういう親の方が圧倒的に多いと思いますよ。ほんと、このCMに出てくるドブネズミ色したスーツ来て虚無感に包まれて夢遊病者のように歩いている大人たち(男女共に)って、TVの画面を通してしか見たことないんだよな。酔いつぶれて駅で寝ている人は良く見掛けますが。

仕事して疲れるのなんて、ゴルフして疲れるのと同じで当たり前じゃないのかな。スコア良ければ大喜びするし、大叩きしちゃえば落ち込むし。それを、「ゴルファーは皆、元気がない生き物である」と言われているような気がしてしまうんですよね。もちろん、ゴルフと違って「金を稼ぐ」というのは大変なこと。だからって、残りの人生諦めて子どもに夢を託すか?そして子どもに「夢を託すな」って言われるような、情けない大人になっちゃう大人ってそんなに多いの?

「いやいや、それは勝ち組の発想だよ」となるんでしょうか。確かに色々とありますよ、生きているんだから。うまく行くこともあれば、失敗することもある。絶望もある。でも、そこと「夢」は別の問題だし、ましてや転職(結局、リクルートは転職してもらわないと儲からない仕組みになっている)と直結する?


先の「サラリーマン=疲れてヨレヨレ夢もなし」というイメージは結局、「ネガティブキャンペーン」の典型ですよね。視聴者はポジティブなニュースは信用しようとせず、ネガティブな事を信用しがち。共感は良いニュースよりも、悪いニュースの方が得やすい。

【ポジ】
日本は素晴らしい国だよ!老若男女関係なく、みんなとっても元気で明るくがんばってるよね!メシは旨くて、寿命は世界一長い。日本人であるというだけで所得額の世界ランキングでトップ10%に入っているし、仕事は忙しいっていうけれど、祝日なんてめっちゃ多いし、自然は美しく、遊ぶところもたくさんあるし、どんなことだってチャレンジ出来る環境がある!そりゃ色々と問題はあるけど、どこの国だって同じだし、総じて最高だよ!

というイメージと、

【ネガ】
日本は元気がない。長引く不況で疲弊し、ブラック企業ばかりで社員はみんな「社畜」と呼ばれて、休みなんて全然なくて残業残業の日々、うつ病増加、自殺多し。なんとかがんばって働いても海外から移民めちゃ入ってくるから、英語出来なければ未来もない。原発問題もあって放射能で汚染されてるし、地震多いし、税金アップ。日本ってこれから先、どうなるんだろ。

どっちの情報を信じる人が多いか。
明らかに前者より後者の方なんですよね。でも例えば、「日本人=働き過ぎ」というのは真実ではない。まず、先進国の中でも休日と祝日がめちゃくちゃ多い。それに、基本的に働く時間と所得は比例します。逆にこれだけ働いているから、GDP三位の経済大国です。働き過ぎというなら、アメリカや世界のエグゼクティブはどうなるんだ。寝ませんからね、彼ら(成功するため恐ろしいほど働く、世界のハードワーク経営者8選)。でもその分、億単位の収入を得ている。お金いらないから時間が欲しい、というのなら、そういう生き方をしましょうという感じ。それも人の価値観に委ねられている。

いずれにしても、このCMにとっても違和感を感じていたら、同じように感じている方が他にもおられるようでした。切り口はバラバラですけれど。

「子どもに夢を託すな。」リクナビNEXTのCMはなぜ気持ち悪いのか – 常見 陽平

「子供に夢を託すな」CMうぜぇよ 現実的な人間に価値はないのか?あと、ガキに言わせるあざとさやめろ – ウェブはバカと暇人のもの

是非、リクナビと広告代理店の担当者の方、CM流して、無責任に「転職=バラ色の人生」と促しても良いから、少しは、みんなが見て元気が出て、良い気持ちになれるようなCMを作ってください。炎上マーケとか狙うのではなく。せっかくのクリエイティブがもったいないと感じます。「そういう風に思うあなたはターゲットではありません」と言われても、これだけネット広告での露出が多ければ、責任も大きいと思うんだけど・・・。

もちろん、「このCMを見て感動した!」という人もたくさんいます。上記はあくまで僕の個人的な見解です。いずれにしても賛否は脇に置いたとしても、クリエイティブはネガティブよりも、ポジティブな方が良いと思うんです。ネガティブな感情って、何も生まないでしょ。

自分にはコミットして、他の人にはコミットしない


今週に入ってから、早起き生活をスタートさせています。っていってもまだ三日目。シーズン毎にやってくる「朝型月間」の到来です。暖かくなって布団から出やすくなって来たということもあるのと、後は気分的に。

早起きすることの効果は、先人の「早起きは三文の徳」ということわざにある通り様々な形で実証されていますし、自分も朝が好きということもあって常日頃から意識していることではありますが、なかなか「毎日」という訳にはいかない。特に飲み会が重なるシーズン、寒い冬の季節、習慣的に夜が遅くなるパターンに入る場合などはおろそかになってしまいます。

この冬場、少し早起き生活から遠ざかっていました。復帰のきっかけもなかなかつかめない。そこで、「僕は早起きしますよ宣言」を発動しました。「今週から5:50に起きて、朝の一時間半は仕事と勉強をしますよー」と家で宣言する。そうすると、後には引けない。自分にコミットするための手段です。

でも、意外な副産物もあります。それを聞いていた娘たちが「へー、パパそうなんだ」と興味を示し始める。そんな態度を見て「お?興味ある?僕は6時から勉強することにするけれど、君たちどうする?」というと「わたしたちもー!」となりました。

実はこの反応は想定内。毎朝ギリギリに起きてきて、TVの前でダラダラしている娘たちを見ていて、これは面白くないなと常日頃から思っていたのです。しかし何かを強制させるのは好きではない。自分にはコミットしても、人にはコミットさせたくない。強制は自分のポリシーに反するし、きっと彼女たちも面白くないはず。

そこで「お、興味ある?僕は明日からするけれど、もしかして、一緒にしちゃう?一緒にする人は手を挙げてー」と言うと、「はーい\(^o^)/」となるですね。自分から手を挙げた以上、そこには自己責任が伴うことを彼女たちも理解している様子。「パパは起きるけれど、君たちは起こさないよ。もしするなら自分達で起きて来てね」と念を押します。そうすると、自分達で目覚ましをセットして本当に起きてくる。

こんな感じで、毎朝6時から三人で色々とやっています。僕は僕の勉強をするし、娘たちは娘たちで勉強していて、分からないところがあれば聞いてくる。昨年も一時期こんな感じでやっていたのですが、やっぱり朝型は良いですわ。気持ちいいし、昼も夜もすっきりしたまま過ごせる。そりゃ多少は朝が辛い時もあるけれど、言い出しっぺの責任というか、相乗効果というか、自分だけじゃない「連帯感」に引っ張られるというか。

そんな訳で、ちょっと続けてみたいと思います。


今、まさに駅中カフェでPCをカチカチとやっているのですが、BGMはスピード感のあるヘヴィなJAZZを聴いています。何かに没頭したい時はやっぱり indigo jam unit でしょう。

indigo jam unit “Rush” first live take@JZ Brat

)

一貫性を保つために、時間を掛けて醸成させていく


しっかり醸成させなければ良い酒が出来ないのと同じで、言葉や思考もしっかり時間を掛けて醸成させなければ、良いものは生み出せないと思っています。

ふとした瞬間に立ち止まり、過ぎ去ったある時点での出来事や、今後の事などを考えようとした時、また、何かのテーマに対しての答えを導き出そうとした時など、「冷静に、じっくりと時間を掛けて考えなければ・・・」、「客観的に見なければ・・・」、という一種の強迫観念にとらわれることが多々あります。

日常生活の中で、瞬間的に何かを判断することが多いからかもしれません。仕事では、日々膨大に押し寄せる電話やメールの対応に追われていて、ある意味「頭」で考えなくても事務的に処理する事、あるいは瞬間的に判断することが身体の隅々にまで根付いている。またこのブログもそうですが、毎日の更新に拘っているところがあるので、そのとき考えていることを15分、20分で殴り書いて更新してしまうことも多い。時々しっかり時間を掛けて書くこともあるけれど、そんなことは週に一度あるかないかなので、ほとんどが薄っぺらいものとなってしまっています。


先ほど「強迫観念」と書きましたが、人は誰でも自分の考えや発する言葉に一貫性を保ちたいと思いますよね。でも、時として短絡的に考えてしまったり、日頃から自分の内にある「持論やロジック」と少しシンクロするところを見つけては、都合良く「connect the dots」してしまうこともあります。瞬発的かつ直感的な判断が正しいこともあるかもしれないけれど、後になってブレそうで怖いし、その時々で考え方が変わったり、先延ばしになることは「根拠がない=考えがない」のと同じことなので避けたい。

果たしてそうなのか?
何かを見失っていないか?
自分にとって都合の良い解釈ばかりしていないか?
本質はどこだ?

このような自問自答を繰り返し、意識的に客観視するようにし、特に急いで答えをだす必要がない場合、また、考えても答えが出にくい種類の問題などは、結論を急がずにしっかり醸成させたいものです。そのためには時間も必要だし、目に見えるメモ書きだけじゃなく、歩いていてもボーっとしていても直ぐに思い出せるように、脳みそに付箋を貼っておくような訓練も必要かもしれませんよね。

という訳で、今夜も酒場の与太話よろしく、
殴り書きでやり過ごしたいと思います。

コーヒーを巡るマーケットの変化


オフィスに持ち帰るコーヒーの種類が、最近変わって来ています。というのも、コンビニのコーヒーのレベルがすごい。僕個人としては、身の周りに多いセブンイレブンのコーヒーが大好き。Mで100円、Lサイズで150円。安いですよね。こういうコンビカフェの台頭により、スタバやタリーズなどに行く機会が減りました。

例えば、カフェモカやキャラメルマキアートなどを飲むなら別にして、ブラックコーヒーを志向する人(自分含む)にとっては、単純に値段を比較すると、スタバ、タリーズは350円、一方コンビニコーヒーは100円〜150円。コンビニとカフェが二軒並んでいたら迷うことなく、コンビニに入りますよね。

とはいうものの、今日の帰社途中にはコンビニがなかったので、夕方は近くのタリーズに寄ってオフィスに戻ってきました。結局、自分にとって都合の良いところにある店を選択しているようです。

コンビニのすごいところは、今や郵便局であり、銀行であり、カフェであるという点です。郵便局や銀行にとってはチャンネル(窓口)が増える訳ですからむしろ歓迎すべきですが、コーヒー・チェーン店にとっては完全に競合ですよね。あと、自販機も。少なくとも、僕のように、テイクアウトはコンビニコーヒー、その場でゆったりと時間を過ごしたいのであれば、スタバやタリーズなどのコーヒーチェーン。完全に半々になって来ました。以前はコーヒーチェーンでお金を落としていたのに。自販機で缶コーヒーを買うこともなくなったなあ。

ミクロ経済というのは、こういうものですね。

実は冷え性である(深い意味はない)


全国的に雪の一日。
大阪市内でも珍しく雪が積もりました。

梅田LOFT前

毎日放送前

近年稀に見る積雪です。
今日は外での打ち合わせが多かったので、スラックスに革靴。これが良く冷えるんですよ。革靴というのは。ソールも薄いし、先っぽも細いし。実は僕はですね、めちゃくちゃ冷え性なんですよ。家では、スキー用の靴下を履いてスリッパ。寝る時も厚手の靴下を履いています。数年前までは指先がしもやけが出来るというサラブレッドぶり。まあ、この季節は辛いですね。

大阪は午後からは少しづつ雪が解けてきましたが、東京はまだまだのようです。皆様、お気をつけを。


雪とは関係ありませんが、DeNA南場さんのこの講演がとても良かったので、共有しておきます。

DeNA南場さんの講演「ことに向かう力」がいい話だった

人ではなく「コト」に向かうこと。
自分でもなく、周りでもなく、組織でもなく、社会でもない。男でも女でもない。「コト」に向かうと良い仕事が出来るということ。これは、めっちゃ共感するなあ。

アイ・ロボットのVIKIが誕生する日も近いか


Wiredの記事、”グーグル「世界を覆う人工知能ネットワーク」構想“から。

往年のIBM並に企業買収を重ねているGoogle。最近のターゲットは最先端ロボット企業だけでなくAI(人工知能)らしいです。

記事を見てみると、AIの新分野 “Deep Learning” つまり人間の手を介さずにソフトウエアが独自に学習して進化していくという、より”オーガニック”な人口脳マシンの開発のために、どんどん天才達を取り込んでいる模様。

これって、映画「アイ・ロボット」に出てくる中枢コンピュータ「VIKI」が近い将来に誕生するかもしれないってことですよね。人間の手を介さず、また、人間が関与せずに、ソフトウエアが独自に人間の言葉や環境や物質を理解して学習し、進化していくということですから。

記事の中では「外付けの脳(outboard brain)」という言葉が使われていますが、命令を受けて(検索キーワードを入れてクリック)、ネット上の全ての情報を検索してリザルトを返してくれるだけでなく、人間が物事を記憶しなくても、外付け脳が全てを記憶して理解し判断してくれるということですから、いやはや、今後、人間とAIの関わり方はどうなっていくのだろうと神妙な面持ちで考えざるを得ません。

先日、取引先の社長と飲みながら、ウェアラブルデバイスの次はどうなって行くんでしょうね、ウェアではなくて体内にデバイスが入っていくんでないの?などと話をしていたのですが、そうなると、人間の足りないものは全て物理的に機械が補う、それは、AIだけでなくてロボット技術(モビルスーツのような)などもまさにそうなんですけれど、という世界が眼前に迫っているということです。足りないものを補うだけではなく、その先にはVIKIによってコントロールされる人間と社会が生まれるのかもしれません。SFの世界ですね。

こうなると、「より人間らしさ」を求めたルネサンス期が、将来再来するかもですよ。中世ルネサンスは、封建主義と教会の絶対的権威主義からの人間の解放を求めましたが、今度はコンピュータによる支配からの人間性回帰が起こるかも。地球温暖化、環境変動、氷河期到来、人口爆発、食料と水不足、超高齢化社会・・・など、将来を予測するネガティブワードは枚挙に暇がありませんが、その中に、是非「コンピュータの支配からの解放(ネオ・ルネサンス)」というキーワードも入れて欲しいですね。多分、現実になると思う。笑