ボロが出た・・・_| ̄|○

「見られてる意識」

これって大切ですね。

一人で歩いていても、意識してれば、

自然に良い姿勢でスラッと見える、とか言うじゃないですか。

腹筋に常に力を入れておく意識をすれば

ダイエット効果がある、とも聞きます。

僕も、実は「姿勢」には気を遣っていまして。

昔は、長身人間(僕の場合は「でくのぼう」)の特徴でもある、

「THE 猫背」だったんですが、

ある日、母親にこんなことを言われました。

「お尻の位置を高くして、

脳天を紐で吊り下げられてるように歩きなさい」

それ以来、猫背は治りました。

でも・・・今日は・・・

姿勢ではなく、別のところを突っ込まれたんです。

打ち合わせに行く途中、道を歩いてたら、

すれ違い様に肩をポーンと叩かれました。

振り向くと、そこには、

仲良くさせてもらってる、上場企業役員のH氏が。

「どうしたんですか?ごっつい顔疲れてますよ!!^^;」

開口一番言われました。

H氏と一緒にいた彼の部下S君にも、

「tomo-kさん、やつれてますけど・・・?」

がーん _| ̄|○

全然疲れてないのに!

悩み事、考えてた訳でもないのに!

普段から一人で道歩いてる時は、あまり周りを見ず、

「考え事」することが多いだけやのに!

どうやら、彼らの目には、

「この人どないしてん?」的な表情に映ったようです。

確かに疲れが顔に出るタイプなのは間違いではありませんが、

人に余計な心配かけてはダメですよね・・・笑

決めた!

明日からは、「モデル」になったつもりで、

「表情」も作って歩きます!!!!

どうか通報されませんように。

諸事情色々。

友人の話を聞いていますと、

人生も恋愛も色々だなぁ、と思ったりします。

いろんな「カタチ」があって、

そこにはいろんな喜怒哀楽があります。

人の数だけいろんな人生や事情があるから、

そこに明確な「答え」はないわけで、

人のアドバイスはあくまで参考にはなるけど、

結局は自分で経験して切り開いて行くしかないんだな、とかね。

そんな話のアテは、これ。

ビジュアルがあまりに美味しそうなので撮りましたw

お豆腐を豚で巻いて、

角煮みたいに煮込んであります。

で、お約束の温泉卵乗せ。

ヘルシー&美味です。

帰りのタクシー。

普段なら駅から\1000かかりますが、

運転手のおっちゃん、メーター押し忘れで、

ワンメーターの\660。

内心嬉しんだけど、ちょっと悪い気もしますよね。

ちなみに、この\660帰宅は二回目。

人生色々、運転手さんも色々です。

「楽しさ」って。

日本ハムの優勝とShijo選手を見ていると、

「仕事は楽しく!!」という言葉を考えさせられるんです。

一戦目負けても、ベンチは笑顔でした。

Shinjoのコメントは、

「どっちが勝った負けたじゃなくて、楽しんでもらえればいい。」

そして、自分達も「野球そのもの」を楽しむ。

その精神を貫いていたら、なんと日本一になりました。

糸井重里さんも「ほぼ日」で書いてらっしゃいましたが、

「楽しく仕事する」って、とかく日本人には、

「不真面目」に映る、誤解される場合もあります。

でも、「真剣に取り組む」と「楽しくする」が、

上手に同居できるということを、

日ハムは証明した気がするんです。

だって、不真面目にやってたら、

圧倒的強さで、絶対「日本一」にはなれませんもん。

「馴れ合い学級」という言葉を最近よく聞きます。

一見、「楽しい」学級に見えるかもしれない。

でも、「真剣に、泥水すすって」取り組まないで、

「仲良し」とか「楽しい」だけを追求しているから、

教師のいじめとか、

学級崩壊とかの問題が発生するんですよね、きっと。

日ハムは、

「ファンに楽しんでもらえる野球」

を大命題に掲げ、選手一丸となって、真剣に取り組んだ。

ファンに楽しんでもらえるように、自分達も楽しむ。

結果、日本一。

大切なのは、決してぶれない「軸」。

僕も仕事を「楽しめる」ようにがんばります☆

結婚している男と、結婚できない男。

人間というのは、

「ないもの」ねだりをする生き物だと思っていまして。

結婚している男が、

ドラマ「結婚できない男」 を熱心に見ているのも、

その一つの表れかと思うわけです。

自分以外の生活に責任を負わない気楽な生き方もいいな、

と、頭では彼(阿部寛)に憧れながらも、

現実の自分自身にオーバーラップして考えてみると、

1、生来の「ちゃらんぽらん」な性格

2、典型的な「寂しがり屋の独り好き」

・・・やはり「独り」でいるのは無理だったのか、

と妙に納得できてしまったりします。

「ちゃらんぽらん」だから、働く理由がないと、ちゃんと働かない。

「独り好き」だけど、「寂しがり屋」だから、

家に誰かいないと安心できない。

というような感じでしょうか。

言い換えるなら、僕のような人間は、

「一番結婚してはいけないタイプ」

だけど、

「結婚しないと、生きていけないタイプ」

でも、あるのかもしれません。

一言で言うなら、「自分勝手」なんですね、きっと。

良いから悪いかは別にして、

人生って、なかなかうまく出来ているような気がします。

ま、いろいろありますわな・・・。

「粋」考察と、筋肉のハリ。

今日は隣町の友人誘って、ゴルフの練習に行きました。

昨日は一人。今日は二人。

やはり、二人であーだこーだ言いながらの方が楽しいですね。

二日も連続で行くなんて、

来週のラウンドが楽しみなのか、

昨日セット入れ替えた(9/10参照 )からフィッティングしなけれと思うのか、

自分でも、「気合入ってるなぁ・・・」と感心してしまいます。

とりあえず、スコアに直結すればいいなと思いますが。ww

お陰様で、いい感じの筋肉のハリ。笑

これきっかけに、運動不足解消がんばります♪

さて、

先日の「ルパンの美学考 」で、

aqua氏と「粋」について話が盛り上がったので、

ちょっと「粋」について書いてみたいと思います。

「粋」とは、辞書で引くと、

気質・態度・身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、

しかも色気があること。また、そのさま。

とあります。なるほど、感覚的には分かる気がする言葉です。

僕も大好きな、芦屋在住で神戸女学院大学の内田樹先生も、

ご自身のブログ「内田樹の研究室」 の、7月17日の記事の中で、

「粋」を論じてらっしゃいます。

つまり、

「粋」という言葉は、日本にしか存在しない独特の美的概念で、

コツや、本質を理解して、すぐに「粋」を論じれる、

というようなものではない、とこのことです。

より分かりやすく、「粋」と対語の「野暮」を比較してみると、

例えば、

ベンツは野暮で、ジャガーは粋。
麦茶は野暮で、抹茶は粋。
サックスは野暮で、フルートは粋。
ジーパンは野暮で、デニムは粋。
焼き肉は野暮で、肉うどんは粋。
昼寝は野暮で、仮眠は粋。
スーパードライは野暮で、エビスは粋。

のようになるのでしょうが、結局は、

「なんとなくわかるけど、どうしてそうなるのか、いえない」

というあいまいなものですし、
しかも、このリストの「粋」と「野暮」を全部ひっくり返しても、

それはそれで「一回半ひねりした、憎いほどの趣味のよさ」

に思えなくもないから不思議です。

内田先生によると、

「そういう人は洟をかんでも「いき」だし、

満員電車の中での「押され方」が「いき」だし、

スーパーのレジでおつりの1円玉を受け取るときも「いき」である。
ニーチェ風に言えば、「いきな行為」や「いきな選択」があるのではなく、

「いきな人間」がやることは全部「いき」なのである。
「いき」というのは属人的な現象である。
本質なんか、ない。
「いき」な人は身体の粒子が細かい。
だから、そのときそのときの現実の「なまもの」との

インターフェイスの肌理が細かい。
洟をかむときでも、ティッシュの繊維の襞への入り込み方が深い。
ティッシュに触れつつ、ティッシュから触れられている。
人がティシュか、ティシュが人か・・・鞍上人なく、鞍下馬なく、

人とティッシュが天然のまま一体となっている。
だから動きに「あまみ」が出る。」

そうです。笑

感覚的にしか分からない「粋」。

きっとルパンも「粋」。

僕も、「粋」を追求してみます。

背伸びしない程度に。笑

悲しい話

古くからの友人が癌らしい・・・。

まだ33歳なのに。

病気は人も年齢も選ばない。

症状の軽い重いは確認できてないけど、

すごく心配・・・。

病気なんて無縁で、野球が大好きで、

同じチームでよく試合をして。。。

太ってるのに、抜群に運動神経よくて・・・。

とにかく、一日も早い回復を祈ります。。

4年前に、やはり癌で親友を一人亡くした。

まだ20代だった。お兄さん的存在だった。

亡くなる2週間前に、一緒に食事に行った。

その時は、癌って分かってなくて、

「なんか、最近胃の調子が悪くてさ・・・」

困ったような顔で笑いながら、お腹をさすっていた。

僕と会った次の日に、

健康診断で発覚し、そのまま入院。

それから二週間後。

あっという間だった。

あまりにあっけなかったから、

今でも生きてるって錯覚してしまう。

携帯にもTEL番号今でも残ってる。

電話したら、笑顔で、

自慢のポルシェに乗って迎えに来てくれるような気がする。

でも、彼はいない。

生きているって、当たり前のことじゃない。

自分だって、自分の愛する家族や友人だって、

いつどうなるか分からない。

だから、精一杯生きないと。

当たり前のことって、存在しないんですよね。

自分が存在していることも、人との出会いも、

奇跡に近い確率の中で生まれたもの。

軽々しく殺したり、一生かかっても治らない傷をつけたり、

自分から命を絶ったりする人もいるけど。

本当に大事にしなければいけないものって、

「当たり前に存在しているって錯覚しているもの」

なんですよね。

脳内デトックス。

人間天気予報の名にふさわしく、

昨日の頭痛の原因が、今日の天気で判明。

曇天の日はどうも、調子が良くない。

あ~情けな・・・。

調子の悪さが頭のキレにも影響する。

脳内の情報、アイデア、その他処理機関が、

古い物も、使えない物も、全部一緒くたになってしまい、

まさに、雨上がりの濁った川のようになっている。

ここぞと言う時に、いい物が出てこない。

ずっと濁りっぱなし。

脳内のデトックスで、老廃物をザザッと流したい気分。

なんかいい方法ないかな。

とりあえずこういう時はいつも、スクリーンセーバーにもしている、

こんなサイトをボーッと眺めてみる。

中村勇吾氏作の、amanaの有名な「伝えるから伝わるへ」。

何も考えずに眺めていても、飽きない。

スクリーンセーバーもずっとコレなんだけど、飽きない。

奥行きがあって、少しノスタルジックで。

でも訴求力は抜群な、不思議なサイト。

これぞクリエイティブなんだよな。。。。

あ、また思考の深みにはまりそう。

これ以上濁ったらヤバイので、この辺で。

幾らでも寝れるけど、冴えてもいる。

夏なのに、眠い。

毎日しっかり睡眠摂ってるはずなのに、

何故か、19時過ぎると眠くなる今日この頃です。

会社のイスに座って、5分間とかでも全然寝れちゃいます。

夏なのに、「春眠暁を覚えず」状態。

とりあえず原因が分からないので、

クーラー病のせいにしておきますw

さて、今日は打ち合わせ、商談、飲み、など、

人と会って話す時間が長かったのですが、

自分自身との対話

という行為において、少しだけ、方向性が見えた日でもありました。

今朝、少し涼しい風を感じながら、

普段はあまり稼動しない脳に、「ピン」と閃きが走ったんです。

ずっと悩んでたことなんだけど、

自分のしたい事というのか、

着地点のような物が少し見えた気がしたんですね。

ええ、これだけの文では、

全く意味が伝わらないのは百も承知ですが、

今日のところは、自分だけで楽しませてください。

先が見えると、少しは気が楽になりますね。

トンネルの光が見えたかのようです。

また追々書いて行きます。

妄想とシミュレーションの違い?

「妄想」というのはとても便利なものである。

時に心の中で音楽が聴け、

時にノースで波見ながら風を感じることができ、

時に会えない人の笑顔を間近に見ることができる。

今日もその扉を開けるきっかけが。

定時を過ぎ、空腹を感じながら仕事をしている時に、

横浜に出張に行っている営業リーダーからこんな写メールや・・・、↓

こんな写メールが・・・・、↓

届くと、頭は完全に中国4000年の歴史へとトリップしてしまう。

脳内トリップを意識した時点で、妄想の扉が開いたのである。

でも、ここで注意しなければならないのは、

「妄想」と「シミュレーション」の違いを区別できるかどうか。

もし、この写メが届いた一時間後に

中華料理屋に向かうようであれば、

チンジャオロースを食べているイメージというのは、

「妄想」ではなく、「シミュレーション」になる。

「自分の脳内でまもなく実現するであろうイメージ」を思い描くのは、

「シミュレーション」。「妄想」は「漠然とした夢」である。

いつものように、こーんなまったくもってどうでもいいことを

考えながら帰宅すると、

冷蔵庫には総菜屋のグラム売りで買った、酢豚と春巻きが。

嬉しいことにタコキムチまである。

そっか。

結果的にシミュレーションしてたのか。

意識下での、妄想の現実化。もとい、結果オーライ。

テンションあがって、一人で焼酎「島美人」をロックで3杯。

良く寝れそう。

妄想の中の音楽。↓

秋の気配を体は感じるらしい。

John Coltrane Quartet
Ballads

脳内カオス。

休み明けの脳を仕事モードに切り替えるのは至難の業。

時間ばかり高速で過ぎていく中で、

肝心の頭の方は、九龍城砦のように混沌としている。

これぞ、脳内カオス。←(決して「休みボケ」とは言わない。)

こういう時、決まって考えるのは、

「幸せの置き所」。

ディレクターHとも、やはりその話になる。

少しの時間でも休暇を田舎で過ごすと、

ゆったりと流れる時間、気取らない自然体の生活、

美味しい空気と水、質素だけど新鮮な食材を使った料理、

屈託のない笑顔・・・。

決してお金だけではない、

人間の原点とも言うべき生活を感じることができる。

人それぞれ、幸せの置き所は違うが、

きっと原点に返れば人間も自然の一部。

衣食住が満たされれば、過度のストレスを感じるこなく、

過度に人と争うことなく、生きていけるに違いない。

都会で仕事をしていると、

最低限生きていくのに必要以上の「何か」のために

仕事をしなければならない。(もしくは、そういう場合が多い。)

資本主義社会では、金で「物質的に」裕福な暮らしは手に入る。

地位、名声、自己顕示欲も満たされるかもしれない。

でも・・・

あえて論じる訳でもなく、これだけでは決して幸せとは言えない。

ディレクターHとの話しは、その後、

子育て、100年後の地球環境問題へと発展し、

最終的に出た結論は、

「ま、ボチボチやろうか。」

混沌から出る答えは、いつだってシンプル。

という訳で、ボチボチやりますね♪ ←言い訳