レース中の、自分でいて自分でいないような感覚について書いてみる


昨日は今年の初レース「新春武庫川ロードレース」のハーフマラソン。地元の第41回を迎える伝統ある大会だけど初エントリーだった。

僕はほとんどのレースに一人でエントリーしている。当たり前だけど、会場へ向かう電車も、駅から歩いている時も、ゼッケンをウエアに取り付けている時も、トイレに並んでいる時も、ずっと一人。

たくさんのランナー達の中に「自分」という存在が混じっている。これは何かの間違いじゃないのか?と、不思議に思うことがある。日常的に走っているし、レースという一つの目標のために練習しているし、ウエアやシューズも充実させている。レース後にすぐ飲めるように、携帯用の保冷ケースに缶ビールとハイボールも入れて持参している。

それなのに「どうして、自分はここにいるんだろう」と、空中に浮かんで斜め上から一人で立っている自分を見ているような感覚を覚える。不思議でしょう? 一方で、スタート地点に並んでいる時に冷えないように体を動かしながら周りの人を見回し、「ああ、この人達もなるべくしてランナーになった人なんだなあ」と主観的に見ている自分もいる。空中と地上とを行き来しているような、とても不思議な感覚がスタート前の時間だし、走っている時も何故か「自分はなんで走っているんだろう」と思うことが多々ある。

「なるべくしてランナーになる」

これは、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」の中の一文だ。レース前もレース中も、色んな場面で文中のワンフレーズを思い出す。僕はハルキストでもないし、この本に出会って走り始めた訳でもないのに、どうやら「走ることについて〜」はランナーの心情を本当に良く表現していて、共感する箇所が多過ぎるくらい多く、自分が意識している以上に、ランナーとしての自分に大きな影響を及ぼしている気がする。ちなみに、村上春樹ではこの本と、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)」は、自分の趣味とまさに重なるので(もちろん、先生のレベルには足元にも及ばないのだけど)、大好きである。

「マラソンは万人に向いたスポーツではない。小説家が万人に向いた職業ではないのと同じように。僕は誰かに勧められたり、求められたりして小説家になったわけではない(止められこそすれ)。思うところあって勝手に小説家になった。それと同じように、人は誰かに勧められてランナーにはならない。人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。」(「走ること〜」71P 抜粋)

確かにそのとおりで、僕の周りにいる人たちも、何かがきっかけとなってランナーになり、何らかの事情でレースにエントリーすることになった。そんな人達が2000人集まっている。そして、その人達を応援する人々もボランティアの方々もたくさんいる。なんて素敵なんだろう。だから、僕は仮に自分が一人だったとしてもレースの雰囲気が大好きなのだと思う。そして、シーズンに何回もエントリーしてしまうんだと思う。


レースの結果は、まあ合格点。4’47″/kmペースの1:41’23″でゴール(手元では21.21kmだったので、多少誤差はあるかも)。目標の100分切りは出来なかったけれど、本命のレースは4月の芦屋国際ハーフマラソン、そして、フルマラソンの本命は3月の篠山ABCマラソンだ。それらの大会のための足慣らしとしては十分な出来だった。

さあ、篠山まで二ヶ月ない。3時間40分台を目標にしているので、これから一生懸命練習しないと。レース後に美味しいビールを飲むためにも。

ゴール(日本酒)があるから僕達は走ることができる


今年のトレラン初めは、定番の芦屋川〜六甲山頂〜有馬温泉。予想はしていましたが、正月の寒波で山道は積雪。まさに雪山山行となりました。

相棒のN君は、montbellの軽アイゼンを装着。トレランもこれでOKです。

軽アイゼン、もしくはポールがあれば十分クリアできる程度の山道ですが、さすがにランは自重しました。有馬まで三時間の山行です。

山頂付近は、銀世界。

さすがに寒かったですが、それでも、ゴールを目指す理由が僕達にはあるのです。それは・・・

有馬温泉の湯と、酒!!!

金の湯で温まった後は、いつもお世話になっているオアシス「酒市場」で、辰馬本家酒造謹製の「有馬山」。

この日本酒があるから、走れるのです。

明日から仕事が始まりますが、今日のトレランが最高の弾みになりました。いやー、楽しかった!!!

平常運転と、逆風走行


昨日と今日は、娘たちが両親と共に祖母宅に泊りに行っていたため(寒波の影響で冬仕様の父の車しか出せなかったので、ノーマル仕様の僕達はお留守番になったのです)、かなりゆっくりと過ごすことが出来ています。

年始に持ち越した掃除の続きと、PC仕事、書き物、買い物、そしてランニング。夫婦ふたりだけなので、自分たちのペースで動けるということがとても新鮮で、たまにはこういうのもいいなあと感じました。正月だからといって特に特別なこともせず、普段と同じ生活をが出来ているのも良いものです。

娘たちは娘たちで寒波の影響で雪国のようになってしまった山陽地方の山間部を楽しんでいた様子。


自分もランナーの端くれですから、正月といえばやはりニューイヤー駅伝、そして、箱根駅伝です。家にいる時はTVをつけながら用事をしつつ、横目で箱根を視聴。毎年、何度、選手たちの涙にもらい泣きすることか。襷をつなぐことから生まれるチームとしての連帯感、仲間意識、そしてドラマ。駅伝は個人ではなくチームで走る。日本発祥のスポーツならではの美学が見えるような気がします。しかし、青学速かったなあ・・・10時間49分て!大会新記録おめでとうございます。

自分も一週間後に今年の初レースである武庫川ハーフマラソンが控えているため、箱根の選手たちに触発されて10kmをスピードを意識しつつ走ることにしました。結果、10kmをキロ/4’58″ペース。このペースでもまあまあキツかった・・・鈍ってる(笑)よし!強風の海風と六甲おろしの逆風のせいにしよう!そうしよう!(笑)

なかなかスピードが出ないのは練習不足です。まあ、来週のハーフマラソンは足慣らしということで、楽しんで走って来たいと思います。いや、このままじゃエントリーしている大会はすべて「足慣らし」で終わってしまいそう。がんばろ。さて明日は、今年のトレラン初めです。

芦屋川を吹き降ろす六甲山の風は、なかなかのトレーニングになります。

起きる出来事から、進むべき方向性が見えてくる


旧友のギタリスト Rob がロンドンから一時帰国して神戸でカウントダウンライブを行うというので、二人にとって馴染みの場所である元町の alchemy で飲むことにしました。この場所を切り盛りするのは数年前まで僕の英語の相手をしてくれていた陽気なアメリカ人先生 Paul です。そして、もう一人、Rob が最初に大阪に来た時に知り合ったという NZlander のネットワークエンジニアの Travor も合流、そして、たまたま来られたという紳士方も交えて(この方々の仕事がまた専門的でとても興味深い!) 楽しい再会となりました。

出身国も仕事もバラバラな人間がなぜだか一同に会して、すぐに仲良くなりFBなどで繋がっていく。こういうことが日常的に起きるので普通だと思っていましたが、考えてみると、ネット+スマートフォン+SNS がインフラとなったことによる恩恵です。

今年一年を振り返ってみると、とにかく、こういう繋がりとそこからの広がりが多かったように思います。仕事でもそうですが、動けば動くほど様々な人と出会い、繋がり、広がる。素直に誠実に、そういう縁を大切にしながら、感性の赴くままに動いて行きたいと思います。


大晦日まで掃除に精を出していました。
ガレージのコンクリートをケルヒャーの高圧洗浄機で洗いますが、なかなかの威力。コンクリートの色の違いがビフォーアフターです。

掃除機のダイソン、高圧洗浄機のケルヒャー。
専門特化型のメーカーの存在感が近年光ります。ゼネラルよりもスペシャル。一つの分野に特化する強さを学ぶことができます。

2015年に進むべき方向性を指し示しているかのようです。

土地や文化に合せたツールと、少子化について


人材不足だからか、植木屋さんも忙しい様子。

実家の庭木の剪定にいつも依頼している植木屋さんが年内に来れないということが分かり、そのまま庭を放置して置くわけにも行かず、伝いの道だけでも掃除をすることにしました。

実家は震災で一部損壊して建て直すまで、木造三階建ての旧日本旅館を改装した古い住宅で、庭も当時のままに日本庭園。苦楽園という場所は、意外と知られていないのですが、戦前の阪神大水害(1938年)まではラジウム温泉が湧き出ていて保養地として賑わっていた場所でした。1949年ノーベル物理学賞の受賞者、湯川秀樹博士も1933年から1945年の間、居住していた場所です。水害によって温泉の湧出が止まってしまってからは、住宅地として再開発されることになりました。その当時、大阪で事業を営んでいた曽祖父が隠居をきっかけに購入、移住したのが今の実家ということらしいです。

古い庭は土も痩せてしまうものです。

土が痩せるということは石畳の隙間も広がってしまうということ。そこに落ち葉が溜まっていくので、子供の頃から行なっている庭掃除も、年々「しにくく」なっています。

こういう時しか触れることがない数々の庭道具ですが、やはり、日本庭園には日本の掃除用具がぴったりです。落ち葉を掃き集めるのに、こんなに良いツールはないですね。本当に良く出来てる。

大小様々な種類の竹箒や熊手を駆使しながら、進めていきます。子供には子供用(小型?)サイズのものもありますが、仕上げはやはり、箒です。

土地、気候、風土、住宅。
どこの国でもそれぞれにぴったりのツールが存在しています。素晴らしいですね。


少子高齢化が進むと、人手そのものがなくなってくるもの。

我が家もまさにその典型で、昔は正月というと親戚が多数集まって宴会をしていたものですし、その準備として何日も前から女性陣はご馳走の準備をし、男性陣は一日以上かけて庭掃除などをしていたものですが、今ではすっかりそういう光景も見られなくなりました。

人口減と少子化の時代は、労働人口も減少するので、複雑化する社会構造と多忙化する仕事に対して反比例するように労働者も不足する。だから皆、休みもなく働かなくてはならない。その上、家仕事となると、範囲が広ければ広いほど手が回らなくなってくるのです。無論、年末年始だからといって休みはありません。トホホ。

それはさておき、大家族で住んでいたような大きな家や庭はもはや必要ではなくなり、これからは「重厚長大」なものは無用の長物となっていき、手が届く範囲での最適化されたものに変化していくのでしょうね。

高齢化社会、人口減の時代に、住環境はどのように最適化されていくのでしょうか。この辺りを真剣に考えると見えるものもあるかもしれません。

さあ、今夜の神戸での飲み歩きを楽しみに、もうひと頑張りすることにします。

泥酔時に原風景を思い出すのはなぜだろう


先週から続いた七夜連続飲み会もようやく一区切り。23〜25日までは休肝日に設定して、26日〜30日まで五夜連続飲み会で今年も締め括りとなりそうです。

毎年12月の始めには「今年こそは忘年会を減らす!」と堅く心に誓うのですが、なんのなんの。一体いつになったら減って行くのでしょうか。とはいえ、いろんな方との会食は本当に楽しいし刺激になることも多いので、とても楽しみにしています。心斎橋、梅田、福島、三ノ宮、神戸、芦屋。また改めてグルメ記事で良かったお店をまとめてみたいと思います(覚えていれば)


泥酔した時に原風景が見える(あるいは思い出す)人ってどれくらいいるでしょうか。少なくとも、僕は深酒をした時に必ず見える風景が二つあります。それはいずれも「本」にまつわる風景です。ひとつは、小さい頃に住んでいた家の大きな書棚の前で本を読んでいる風景、そして二つ目は、通っていた幼稚園の図書室で、やはり本を読んでいる風景です。

先日もやはり、その風景を思い出しました。神戸で二軒飲んだあとに芦屋に移動してから更に二軒目のバーでの出来事です。普段は本を読んでいる風景しか見えないのだけど、なぜか読んでいる本のタイトルまで出て来ました。それは、「雲の中のにじ」という本です。大きな書棚の中にあったこの本が好きで良く読んでいました。この本のことは2012年11月11日の記事でも書いているので引用してみたいと思います。

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「雲の中のにじ」という庄野英二氏の古い児童書が大好きでした。1965年頃に書かれた本で、ネットで検索してもほとんど見つからないような本です。誰の物だか、家の古い書棚に置いてあり、表紙に書かれた砂漠の中を走るジープの絵や、「ベイルート」や「バグダット」といったいかにも中東の異国の街の名前や、突然の大雨で積んでいたパンが水を吸って膨れ上がって、といった冒険的な要素が幼少の知的好奇心をくすぐっていたように思います。内容もほとんど覚えていないのですが、今から考えると不思議な本でした。児童書という割りには重たい内容だったと思うし、登場人物もドイツ人と日本人と・・・男3人でベイルートからバグダットをジープで目指しながら、それぞれの戦時中の行軍経験を含め、今までの人生に思いを馳せるという内容で、聖書の言葉もたくさん出て来て・・・というような感じだったと思います。


中東や砂漠の風景というのは、僕の中では幼稚園の図書室のイメージです。ミッション系だったので海の星会館(だったけな)という建物が幼稚園内にあり、そこで読んでいた本はベツレヘムへ向かう砂漠の道を行く三人の賢者達の話でした。夜の砂漠に光る星一つ。とても素敵な風景です。昨日のブログで紹介したNicola Conte – Mystery Of YouのPVで使われている映像の風景とも重なります。影絵の中で浮かぶモスクや城や星や飼い葉桶や・・・あの世界はまさに幼少好きだった世界。
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そして先日ついにこの本を手に入れました。
かなり酔っ払ってはいたのですが、iPhoneで検索してAmazonで中古を売っていることを確認(50年前の本なのにラッキーだった)。すぐに購入したのです。

そうそう、これこれ。
僕にとっては30年ぶりの再会です。古い本だから黄ばみもありますが、全然OK。

さあ、年末年始の楽しみが増えました!!

Nicola Conte – Mystery Of You

正しい方向に導いてくれる羅針盤


普段の生活の中で生じた誤差を調節する方法は人それぞれに違うと思いますが、僕の場合は、それがランニングとブログです。

10km、20kmを一人で走っている時って、結構「暇」なんです。イヤフォンで音楽を聴いても、人間ウォッチングをしても暇つぶしにはなりません。かと言って、スマフォやPCや本を見ながら走る訳にもいかない。そういう状況だからこそ、普段は時間がなくてゆっくり考えることができないようなこと、例えば、仕事や今後の方向性といった中長期の問題から、一週間あった出来事までを、熟考し、評価し、反省するのに良い時間になるのです。

不摂生な生活が続くと、ダイレクトに走りに影響が及びます。ランナーは誰もが「楽に走りたい」と願っているので、辛い走りになると「ああ、飲み過ぎたかなあ、もっと節度ある生活にしないとなあ」と反省します。今週は仕方なかったけれど、来週以降はちゃんとしようと思ったり、仕事のことでも、ああしよう、こうしようと熟考します。

時間がないというのは、悪ですね。
物事を考える時間がなければ、成長もありません。成長がなければ成功もあり得ない。一週間のうちに、数時間でもそういう時間を取ることは絶対必要だと思います。そして、考えたことをアウトプットするための手段、それがブログなんですね。

【2014年旅ラン総括】動けば動くだけ世界は広がる


僕は旅ランを趣味にしています。

出張先や旅先には必ずランニングウエアとシューズを持って行き、時間を見つけてはその土地の風景を楽しみながら走ることにしています。今年だけでも、海外出張先である、ミネソタ、カリフォルニアのクパティーノ(Apple本社前で記念撮影しましたね)とサンタクララ、ロサンゼルスのマンハッタンビーチ、バリ島のクタビーチ、国内では、八ヶ岳、広島、多摩川河川敷、等々力など、色々と走って来ました。とてもありがたいことだと思っています。

(クパティーノのApple本社前)

(ミネソタ州)

(LAマンハッタンビーチ)

(バリ クタビーチ)

そして先週の東京では、ついに夢の皇居ランを実現しました。
そして、とても嬉しい出会いがありました。

宿泊先は隅田川沿いのホテル。一階のレストランで朝食をとりながら、明朝早く起きることが出来れば隅田川沿いを走るか、それとも皇居まで行こうかと思案していました。するとランニングウエアに身を包んだ男性がコーヒーを飲みに来られ、エレベータで一緒になりました。「この辺り、どこか良いコースあります?」と声を掛けると、ちょうど隅田川沿いを月島辺りまで走って往復されたとのこと、15kmくらいを走破されたとのことでした。

ランナーにも「共通言語」があります。

ランナー同士と分かると、すぐに仲良くなれる何かがある。ラン話でエレベータ内で意気投合してしまい、その方の「良ければ明日、一緒に皇居ランします?」との嬉しいお誘いで共ランすることになりました。この時の一言がなければ、次の日の楽しいランはなかった訳ですから本当に感謝です。

さて、ホテルから皇居までは往復10km、皇居一周が5kmですから15kmの朝ランです。当日は雲ひとつない絶好のラン日和。日曜日の朝8時の皇居はランナーでいっぱいでした。

では、写真で風景をお楽しみください。

動けば動くだけ世界は広がる。
今年もナイスランをありがとうございました(←ちょっと早いか)

来年も色んなところを走りたいと思います。