筋肉を痛めつける週末

土曜日に大阪城公園で所属ランニングチームと姉妹チームの合同練習会がありました。日頃から鍛えているつもりでも、コーチ指導の元で正しく筋肉を動かすことが、こんなにもしんどいものか・・・と改めて実感した週末です。

前回の合同練習でも、わずか一時間程度の練習にも関わらず、翌日ひどい筋肉痛で悶絶。今回も普段使っていない筋肉を容赦なく刺激していただき、予想通りのひどい筋肉痛。人間の体って無意識のうちに楽な方、身体のクセに沿った方に行ってしまいがち。普段のランニングから正しい姿勢で走るという意識が大切ですね。自分の場合はとにかく股関節の硬さが問題。日頃のストレッチとトレーニングで可動域を広げることを意識したいと思います。

それにしても、皆さんハードにやっておられます。追い込み力がすごい。

喉元すぎれば・・・ではなく、学んだことを日常生活に取り入れようと思いを新たにしました。

筋肉痛をひきづりながら、日曜日は所属ゴルフクラブの月例コンペ。競技なのでこちらも真剣です。ショットが良ければパットが悪く、パットが良いと、今度はショットが悪くなる。典型的なアマチュアゴルファーの領域をなかなか脱することができませんが、何回かは納得のショット、チップイン、ロングパットなどもあり、次回に繋がるゴルフが出来たことは収穫です。同組の楽しい皆さんとの爆笑ラウンド、そしてベテランキャディさんのアドバイスも的確で助かりました。

これから春にかけてウルトラマラソン、ゴルフのシーズンに入ります。今年はちゃんと目的意識を持って更なるレベルアップを目指して取り組んで行きたいと思っています。(←仕事もしろ)

実務家の皆さんから得る学び

どうせ同じ景色を眺めるなら、どんよりとしたモノトーンより、クリアで明るい色の景色を見たいものです。そのために、自分の心を常に健全で前向きに保っておくことように務めています。そうすれば目の前で起きる事象をすべてポジティブに受け入れられるし、相手を褒めたり、認めたり、前向きな意見を伝えることができますから。

人間ってほっておくと自然にネガに引っ張られる生き物だと思います。生き物なので、生存本能がそうするので仕方ない。だから「引っ張られないよう意識する」ことが大切なんだと思います。少なくともネガに引っ張られたとしても、それは自分の心の中で受け止めて、受け入れて、しまっておく。外には出さないようにしたいものです。

すぐに否定したり、ひがんだり、疎んだり、重箱の隅をつつくようにアラ探しをしたりする人がいるのは、きっと心のコンディションが悪いからなんでしょう。そういう意味では、周りの環境もとても大切で。常に気持ちの良い人たちに囲まれていると、自分もそうなりますよね。朱に染まれば赤くなる。誰と付き合うか、どんな環境に身を置くか、これらの要素はすごく大切です。集中して勉強したい時に図書館に行くのは、周りもみんなそうしているからですよね。そのような環境では自分も周りと同じように黙々と勉強が出来てしまうのです。

今週はオフの時間で様々な団体の企画に参加させていただきました。

自分が住んでいる自治体の市長とリアルな場で意見交換させていただいたり、3月の政策カレッジに防災担当参事官をお呼びして開催する勉強会の企画について意見をさせていただいたり、はたまた地元関西の活性化についてのイベント企画を仲間と一緒に考えたり。こういうことに取り組んでおられる方々ってみなさんとても前向きで素敵な方ばかり、まさに僕の今年のテーマである「Desgin a Better future」を地で行く方々です。

見る視点によってみなさんの考え方もそれぞれで。例えば地方行政では、使える資源をどう使うか、手元にある予算をどう按分するか。地域活性化では、人を呼び込むためにどのような仕掛けを考えるか。ハード面とソフト面でそれぞれ得意分野はあるものの、実務家だからこそアイデアも出る。たまにロジックや知識だけ豊富で実践経験や修羅場を踏んでいない人が現場で何もできないという場面に遭遇することがありますが、やはり手を動かし、汗をかき、実務の場数を踏んでいる人は強い。

そういえば、先日尊敬する経営者の友人と一緒にお茶していた際、「恋愛塾塾長、恋愛経験なし」というキーワードが出てきて大爆笑しましたが、知識だけ豊富で実践なし、という人にならないように自分も注意したいと思います。

少し話がそれてしまいましたが、気持ちの持ち方と身を置く場所によって、見える景色の色が変わるのは確か。与えられた時間を漫然と過ごすのではなく、一分一秒を大切にしていきたいと思います。

受け皿は大きい方がいい。そして十分なスペースを空けておく方がいい

忙しい日々が続き、ブログの更新が少し空いてしまいました。この期間に何があったかというと、何も特別なことはありません。仕事して、走って、ゴルフをしていただけです。それだけといえばそれだけ。

その中でもちょっとしたイベントといえば、2/2に46歳になりました。コロナの影響で二年連続、日本国内で過ごす誕生日です。それまではこの時期、毎年シリコンバレーに出張していてカリフォルニアで誕生日を迎えていたのです。

思えば良くここまで生きてこれたなと思います。家族も子どもたちも元気だし、自分もまあまあ健康だし、なんとか生活も出来ている。すべては周りの皆さんのおかげです。自分の力だけでは何ひとつ出来ませんでした。

四捨五入して50歳。いよいよこれからは周りの皆さんと社会に対して恩返しをしていくフェーズに差し掛かってきたなと思っています。今年はまさにそのための始動の年、Design a better future, です。

そのために、昨年から自分が身軽でなければならないと思い、自由に動ける環境を作る準備を進めて来ました。そして自分のアンテナに「良いと思う」ものを同じ波長でキャッチしたものに対して自らのリソースを割くことができるよう、モノ・考え方、人間関係、環境を含め、いろんな意味で身辺整理も進めてきました。

時間と心に余裕を持ち、常にパツパツ・カツカツではなく、不要だと思うものは整理して、自分という「受け皿」に十分なスペースを空けておくこと。そして、「ここ」というところに集中してリソースを投下できるように動きました。

そうすると、空いた隙間をちゃんと埋めてくれる人やモノが出てくるんです。今本当に必要な人たちがすごいタイミングで現れる。不思議なものです。僕は専門家ではないので間違っているかもしれませんが、自分の解釈として、断捨離というのは古きを捨て、新しきを受け入れるということ以上に、自らをアップグレード、再構築するための手段なんだなと実感しています。願わくば、その結果として本当に大切な人たちを幸せにできるかもしれない。

泥のように苦しかった数年の期間を経て、見える景色も周りの環境も付き合う人たちも大きく変わってきました。空が明るく広くなり、気持ちも晴れやかです。もちろんこれから先、下の写真のショートホールのようにトラップがたくさんあるかもしれませんが、それすら楽しんで行こうと思っています。

最後に、誕生日に際してたくさんの方からメッセージをいただきました。皆さまのおかげで生かされています。いつも応援していただいて本当にありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

今日の一枚は、先日ラウンドした小野東洋ゴルフ倶楽部の名物12番ホールです。

あれから一年

母が亡くなってから一年。

自分は意識していなかったのに、不思議なことに母が夢に出てきました。すぐそこにいるのに手を伸ばしても届かないもどかしさを感じ、泣きながら目を覚ましました。悪夢を見て叫びながら目が覚めることはありますが、泣きながら目が覚めたことはあまり記憶にありません。良い年をして恥ずかしいことですが、やっぱり意識のどこかに母を失ったことが常に残っているのだなと思います。

この一年で自分自身も周りの環境も大きく変わりました。

これからの道を切り拓こうと様々な動きを行って来ましたが「どうなりたかいか」ということへの関心はまったくなくて、「どうありたいか」を念頭に進むべき方向を絞ってきました。たどり着く場所を決めて地図に則って進むのではなく、コンパス = どうありたいか が指す方角に進む。結果的にたどり着く先はどこでもいい。

どうありたいか。
困っている人がいれば手を差し伸べ、必要とされる場所があれば飛んで行く。仕事もプライベートも関係なく、より良い(Better)な社会について考える。そのために身軽でありたいと思う。でも価値観が違う、波長が合わない、考え方に同意できないところからは距離を置く。「なんでもする」というのはもうやめにして、本当に力を注ぎたいと思うところに注ぐ、そのメリハリをしっかりつけてきたのがこの一年でした。

ただ、やっぱり「認めてもらいたい」という思いに変わりはなく、一番認めてほしかった母がいなくなって心にぽっかり穴が開いている状態に変わりはありませんが、逆に良い意味で力が抜けて「良い」と思う方向に自然に進むことができている実感も出てきました。

自分に何が出来るのだろう。
出来ることは少ないかもしれない。色々と失敗することもあるけれど、すべての出来事に意味がある。自分にできることはコンパスの精度を上げることだけ。この一年、本当にたくさんの方々に支えていただいた感謝も忘れずに。

気持ちをしっかりと保ち、毎日を丁寧に生きて行こうと思います。

世の中もっとシンプルで良いのではないのかなと思う時があります

世の中もっとシンプルで良いのではないのかなと思う時があります。

カオス理論のバタフライ効果ではないですが、ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすかの如く、世の中は複雑にシステムが絡み合っていて、何かの偶発的現象が別のどこかで不具合を引き起こすようなことが毎日のように起きています。

オミクロン株のまん延と、マクドナルドのポテト不足が関係しているのも同じですよね。一見、まったく関係のない二つの要素がリンクする。株価もそう。インフレ懸念のテーパリングは理解できたとしても、なぜこれほど株価が不安定なのかここまで社会の仕組みが複雑になってくると、将来どうなるかの予想なんて専門家でも難しいのではないでしょうか。

マクロからミクロに視点を移しても同じで、例えば組織運営も、売上予測も、人流も、目先は見えても3年先なんて分からないもの。世の中、ある一つの出来事でガラリと変わってしまいますからね。そこで必要なのは賢い頭や理論ではなく、変化に柔軟に対応できるかどうか、あるいはピボット力ともいうべき方針転換力だと思っています。

冒頭の「世の中もっとシンプルで良い」という話題に戻すと、最近Youtubeで、うどん屋、そば屋、寿司屋などの厨房に密着し、仕込みから提供までを見せてくれるチャンネルにハマっていまして。すごく学ばされるのです。

特におすすめは、「うどんそば 大阪奈良」や「鮨、寿司専門」などのチャンネル。職人さんたちの長年の経験と技術による一切の無駄がない洗練された動き、素材に対する愛、お客さんに対する対応、厨房での笑顔、これらを見ていると、ただ「旨いものを提供する」というシンプルな目的に対して持てる武器すべてを集中させるというプロ意識に感服します。

老舗の店では雇用者と従業員が家族のような関係で、高齢の板前さんと腰の曲がった女将さんと一緒に、若いベトナム人の出稼ぎの女の子が屈託のない笑顔をお客さんを見送る様子などを見ていると、そうそう、仕事って本来こうだよなと思って、胸が熱くなるのです。

自分はとにかく「カオス」をどうにか紐解き、理解しようと思っていたのかも。土台無理な話なのに。世の中はもっとシンプルでいい。なんでも効率化とかKPIとかKGIとか、結局そんなの、コンサルタントの飯の種でしかないんだよなあ(怒られるやつ)。だって、本当に社会課題を解決するソリューションがあれば少子高齢化も解決できるし、税金、物価、社会保険料は毎年上がれど、30年間も可処分所得が増えないなんてことになってないでしょう。働くだけ貧しくなってしまうという、おかしなシステムなんですよね。ちなみに、今年から来年にかけてはもう一段厳しくなると思います。グローバル化って色々と日本には合ってないんでしょうね。

日本はもっと日本らしいやり方がある、と、特に和食の個人店の厨房を映像で見ていて実感します。良いものを安く仕入れ、それを技術で美味しくし、適正な価格で提供する。それが顧客を満たせば、またリピートしてくれるから商売はうまくいく。

今一度、シンプルに物事を考えるトレーニングをしてみたいと思います。

新横浜でいただいた、肉そば

いくら酔っていても数値や主張をブレなく正確に言える能力は反復の賜物か

まん延防止措置法適用前の駆け込みではありませんが、今週は大阪と東京で新年会を兼ねた会食が連日続き、業種関係なく親しい方々との楽しいひとときを過ごすことができました。

このご時世ですから、すべての会食は2名〜4名までの少人数で。だからこそ皆がまとまって話しができるので話題も散らばらず。大人数も楽しいですが、少人数の良さってありますよね。

こういう飲み会は関係性の濃いメンバーが集結しますから、話題も尽きないし、時間が経つのもあっという間。ついつい良いペースで飲んでしまうのも無理はありません。しかしながらどの席も大抵、自分より目上年上の方が多いので、心の中で「酔っちゃだめだ」と本能的に思っているのか、割としっかりすることができています。

こういう時に得だなあと思うのは、快調なペースで飲んでおられる方がどんどん面白くなっていくのを、一視聴者のように楽しむことができるという点です。しかしですよ、特に理系の方は何十年もその業界で研究開発されておられるので、いくら酔っていても、話題に出てくる対象や物質の数字は絶対に正確なんです。これ、ある意味すごいよな。主張にもブレがないし。やはり反復の賜物なんでしょうね。繰り返しは記憶の母、と言いますが、同じことをずっと繰り返したり、ああでもないこうでもないと考え続けると、意識しなくても身につきます。さらに身についたものの上に、自分の考えを乗せると、それが自分の物になる。こうなると、多少酔っていたとしても、まあ、ぶれないですわね。酔っ払っているように見せて実は素面なのかもしれませんが。笑

いずれにせよ、毎夜とても刺激的なインプットが続いた週でした。
加えて、このように集れる仲間の大切さ、ありがたさを心底実感です。

また来週からは集まりにくくなりますが、やはりリアルは良いですねえ。

カオスの中の多様性、多様性の中の人情。【心斎橋ミッドナイトラン】は走るだけのイベントではなかった

ザ・大阪を体験するには最も適した場所ともいうべき道頓堀から長堀筋まで伸びる心斎橋筋商店街の事業者さん達(みなさんもちろんランナーです)と、アドベンチャーランナー北田雄夫さんの企画により実現した「心斎橋ミッドナイトラン」イベント。

土曜日深夜から日曜日明け方にかけ、終電後に人が少なくなった往復1kmのアーケードを42km(目指して)走りましょうという前代未聞のランニング・イベントに参加させていただきました。参加する前は「眠気と寒さの戦いになるかな・・・」と心配していたのですが、実際参加してみると、そこには普段知らない非日常の空間、そしてカオスともいうべき異世界が広がっていて、スタート前に眠気なんて飛んでしまいました。

スタート前に道頓堀の戎橋で記念撮影。
もちろん、感染対策と安全対策は実施しています。

徹夜でのアドベンチャーなイベントに参加するくらいですから、ここに写っている人たちは大凡どのようなランナーたちなのかは想像がつくと思います。

眠らない街、ミナミを体感。
終電後の真夜中でも結構な人が歩いています。人が途切れることはありません。

今回、僕は応援メインで参加したつもりなのですが、皆さんの走る姿を見ているといても立ってもいられなくなり、結局26kmも走ってしまいました。

頭につけているのはヘッドランプですが、ウルトラマンのカラータイマーのように見えますね。ガッツポーズと裏腹にエネルギー切れで赤が点灯しています。

走っていると、いろんな人や光景を目にします。酔っぱらいはデフォルト、事件があったのか警察官もたくさん行き来するし、救急車がアーケードの中を走っているのを少なくとも3回は見ました。まさに「警察密着24時」な世界です。

それは単なるナイトランイベントという枠にとらわれない、酔っぱらいとスケートボーダーと深夜に働く大人たちが入り交じる世界、寂しさを紛らわすために徒党を組む若者たち、そんな若者たちを温かく見守る流しのギタリスト、なぜか無料で肩もみを提供しながら日本を縦断中の眠気知らずの青年、そして、商店街をランイベントにより活性化しようとするランナーたちの熱い気持ちが渦巻くカオスかつ人情味あふれる世界でした。

明け方の道頓堀。

東の空が明るくなる頃にはお腹も空き、金龍ラーメンで朝ごはん?夜ごはん?を食べて帰りました。

今回のイベント参加により、普通ではできない体験をすることができましたよ。
一言でいうと、とにかく楽しかった!!!

次はあなたの街を走ります!みたいに、日本全国の商店街に広がっていくと良いなあ。

今回のイベント開催のためにご尽力くださった皆さん、サポートいただいた皆さんに心から感謝です。

冬はいいですね。お酒も食事も全部美味しい。

オミクロンが猛威を奮う中、なかなかぱーっとはいけない世の中ですが、予防に気をつけながら少人数でひっそりと小料理屋で皿を囲むというのは最高の一時です。

地元でも出張先でも、僕は気の置けない仲間との時間をとても大切にしています。なんとも居心地が良く、本当に満たされるのです。その理由を色々と考えていたのですがそれはやはり、似たような価値観を共有できているからではないかなと思うんですよね。

人生、仕事、社会、お金、趣味、食・・・など、物事の価値に対する考え方が良く似ていて、その共通項が一つの土台として横たわっている安心感。そして、そこから広がる枝葉、つまり様々な角度からの視点、意見、アイデアに、また刺激を受け、学ばされます。共通の土台がある安心感と、枝葉が伸びる方向の違いから来る学びと気づきがなんとも言えない充足感を生むのです。

今までも周りの人には恵まれてきましたが、最近改めて、価値観が同じ人たちとの時間のありがたみを感じるようになって来ました。答えがない時代の中で、それでも何かの答えを探そうと、ミクロからマクロに至るまで様々な意見をぶつけ合い、自分の考えを自ら肯定的に受け入れることができるのは、こういう場があるからなのです。

いずれにしても冬はいいですね。
お酒も食事も全部美味しい。


人の歴史、森の歴史

この連休は過去と歴史を振り返ることが多かったように思います。

自分の過去というよりは、脈々と受け継がれてきた歴史と文化に触れるような場面が多く、それをまた今この時代に生きている自分たちが継いで行かなくてはならないものと考え感じることが多かったのです。

昨日は、所属するゴルフクラブの研修会に呼んでいただいたのですが、自分の親世代のクラブのお偉方ばかりの組になぜか入れていただき、56年続くクラブの歴史とゴルフというスポーツについてプレーだけでなく多くのことを学ぶことができました。普段は一緒に回ることができないような皆さんの組に振り分けていただいたのも何か理由があるからかもしれません。とにかく、大変刺激的かつ楽しいラウンドでしたが、何か自分のゴルフライフの一つのターニングポイントになったような気がします。上手に言語化できないのですが。


今日は、奈良に行ったついでに大好きな森に立ち寄りました。

1300年もの間、それぞれの時代を生きた名もなき人々に大切にされて育った杉の大木。「同じ場所にずっとある」という事実が、自分の頭で想像できる時の流れをはるかに超越してしまって、しばし思考が停止してしまうほどです。

時間って考えれば考えるほど理解するのが難しい概念です。それは目に見えないが確かに存在し、永遠に連続的なもの。自分はその時間軸上に存在するただの点に過ぎません。先日のブログで書いたように(答えのない課題に対して全力で取り組む – 2022/01/01)、いつの時代もその線上にある点たる人々は、常に最善、最適な「答え」を求め続け、その積み重ねが今現在に至り、それが良かったか悪かったかはさておき、少なくともその時代の人々の「想い」は確かに存在した。

であれば今を生きる自分も人生の後半戦、視座を上げて「想い」を繋いでいく責任があるのだと思います。短期的視点、利益主義、効率化、合理的思考・・・これらが悪いとは思いませんが、時間が掛かることの方が世の中には多いのです。抽象的ですが、それらの事実とどう向き合って、何をアウトプットするか。ここがとても大切だと考えながら過ごしました。

話は元に戻りますが、奈良に行った帰りには柿の葉すしを買って帰ります。今日は道沿いにあったヤマトさんの柿の葉すしといなりすしを。

美味しかった・・・大好きなのでいくらでも食べれます。
とても良い連休でした。

思い出を辿るランニングルート

午前中に仕事を終わらせ、午後からランニングへ。

自宅よりもさらに山手の方へ向かうことにしました。キツい登り坂を黙々と走ります。とりあえず、聖母修道院と、鷲林寺まで行きましたが、登りはここまで。そこから北山貯水池方面に下って行くことにしました。

素晴らしい天気です。

北山貯水池から六甲山を
西宮市のシンボル、甲山

この北山貯水池と甲山は、娘たちが小さい頃にお弁当を持って良くハイキングに来ていた思い出の場所です。

その当時のブログを見てみると、2011年、2012年とありますから今から10年前ですね。6歳と4歳。今でもかわいいですが、こうして当時の写真を見てみるとまだまだ小さくてかわいかったなあ。

2011年当時の写真。親子三人ピンクで揃えてます。

娘たちが大きくなり、それぞれ部活や学業に忙しくなってきたので、最近は自分のトレーニングのためにハードコースばっかり走っていましたから、このハイキングコースは随分久しぶりでした。

懐かしく思いつつ、当時お弁当を食べた岩の上などに行ったり、

今日の岩と、
10年前の岩。お友達も一緒に。

当時と変わらない景色を眺めたり

冬場なので植物園も人は少なめ。

走って冷えた身体を、自販で買ったホットミルクティで温めました。10km無補給でしたから、甘いミルクティが体全体に染み渡りました。

冬のさびしい植物園も良いですね。
なんだか貸し切りのようで。

今日は偶々このコースを選択したことで、思い出を辿るランニングとなりました。