自分とは何ら関わりのない人達が頑張るオリンピックではあるけれど、そこから学ばされることは数多い


スポーツや芸術、ビジネスなどの分野で活躍している(時にカッティングエッジな)人達からインスパイアされることが多いです。自分は普通の一般庶民ですが、大勢の人々同様、少なくとも何かに自分なりに努力して取り組んでいる人間の一人でもある。比べることもないけれど、その「努力」という共通項で感情移入をし、励まされ、学ばされることは多い。

ちょうど今はオリンピック期間中です。

TVを見ていると、色々なドラマがありますよね。葛西選手の41歳銀メダルに至っては、オリンピックメダルに対してのモチベーションをあれだけ長い期間(7大会、20年以上も!)維持し続け、結果を出したという面がすごかった。インタビューでは「また新たに目標が出来た」と言うことで、次は4年後の45歳で金メダルを狙うということでしょうか、このような不屈の精神態度は素晴らしい。また、クロスカントリーのスプリントでは、転倒してスキー板が折れたロシアの選手に、カナダのコーチが駆け寄ってスペアの板と交換して走らせてあげるというシーンもあり、これは努力というよりはスポーツマンシップ的に感動するエピソードでした。

いずれにしても、ナショナリズム的な観点には僕は全く興味がないので、どの国の選手達も、今この場に立つために陰でどれだけの努力をしてきたのかという点にひたすら注目して見ていると、色々と学ばされることが多いです。結果が出る人もいれば、高梨選手やショーン・ホワイトのように、たまたまコンディションが悪くて結果が出ない人もいる。採点競技ならリザルトに不平不満もあるかもしれない。結果だけに注目して見ることも出来るけれど、僕は彼らと関わりのない一般市民なので、少なくとも、「この場に立つために」皆さんが日頃積み重ねた努力と裏側の苦しみなどを想像しながら、競技に注目して見させていただいています。元々の才能、育成環境、支え、色々な要素があるのも事実ですが、前日の疲れが残っていてしんどいのに、イヤイヤ練習に行かなければなら時もあっただろうし、怪我の痛みを押して泣きそうになりながら根性で試合に出た時もあっただろうし。それらを乗り越えての、今。

オリンピックやプロの試合なんてTVの向こう側の世界なんで関係ないよ、という人もいるかもしれませんが、彼らとは一切関わりがなくても、僕は、今朝、このような人々の存在に押されてランに出掛けました。ゆっくりペースだけど、1:53掛けて20.8kmの「一人ハーフマラソン」。二週間後の大会に向けて、順調に調整出来ています。膝と足首の痛みを抑えるためにキネシオテーピングも。


こちらはスポーツとは関係ありませんが、最近ハマっているアカペラグループ「Pentatonix」です。多少エフェクトは掛かっているかもしれませんが、Daft Punkのカバーがとても美しいので癖になります。

Daft Punk – Pentatonix

あれは何だったんだ


昨夜から腹痛。起床してもかなりの腹痛、そして下し。
マラソンに向けて少し減量をしたく、この二週間、「糖質制限」を行っているため、夜はほとんど食べないし、炭水化物も摂らず。前日の夜はミスドでカフェオレを飲んだくらいだし、ランチも「虎と龍」の、とんこつラーメンとチャーハンのセットを食べただけ。要するに、食あたりを起こすような「生もの」は口にいれていないのですね。ところが、腹痛。お陰で午前中は薬を飲んでウンウンと唸っておりました。祝日明けなので忙しいんだけど、まあ仕方ない。

ちなみに、この腹痛ですが、薬の力でしょうか、今はすっかり影も形もなくなっています。痛みも違和感もゼロ。季節柄、ノロや風邪を疑っていたんですが、まあ、良かった良かった。


あっという間に2月も半ばに差し掛かって来ましたね。冬らしく寒い日々が続きますが、もう一ヶ月もすれば春の気配が徐々に近づいてくるのでしょう。今年が勝負の年と思っているのですが、仕事の方も着実に前へ前へ進んでいます。今日は海外に長く滞在している姉貴(のような存在の友)が帰国するとの嬉しい連絡もあったし、色々と楽しみなことが多い今日この頃です。

70億通りの、ライフストーリー


仮に地球全体の人口が70億人(世界銀行統計)だとすると、そこにには誰ひとりとして自分と同じ人間はいない訳で、今、この瞬間も「70億通り」のライフストーリーが進行中です。そう考えると自分の存在のちっぽけさ、ヒトってこんなにたくさんいるんだという驚き、長者番付やIQやスポーツの分野で何らかの形で世界のトップにいる方々のすごさ、そのような70億通りの生き方があるのに人の生き方なんて肯定も否定もできないじゃないか、など、色々と考えさせられます。自分も1/70億なんですから、今の自分が正解か不正解なんて分からない。

ちなみに、この「1/70億」という数字ですが、途方もなく大きな数字です。比較対象は全く異なりますが、イメージしやすいので書いてみると、

宝くじの一等当選確率: 10,000,000分の1
交通事故での死亡確率: 10,000分の1

地球人口の中での自分: 7,000,000,000分の1
地球の富の半分を持つ富裕層の割合:70億分の1% = 70,000,000人

ピント来るような来ないような(笑)いずれにしても、だからまあ、失敗しようが成功しようが、自分の好きなことを一生懸命やれるような人生が良いのですよ。長寿国の日本ですが、男性の平均寿命は79.9歳。それまでいかに生きるかという感じでしょうか。

いずれにしても、僕は「ライフストーリー」が好きです。それぞれの生い立ちがあって、経緯があって、生き方がある。そんな話を、場酒場のカウンターで日本酒を呑みながら聞くのなんて最高じゃないですか。


この四日間で40kmを走破しています。今日も夕方10kmを走りました。さすがに足に張りが。でも、この「張り」が心地良いのです。ああ、走ってるなあ、という実感があって。足首や膝にキネシオテープを貼って怪我予防をしたり。

学生の試験勉強よろしくかなりのハイペースで直前練習をしていますが、あとは風邪を引かないように体調管理をしっかりしておけば3月のフルマラソンは大丈夫そうです。やっぱり冬場はマラソンのシーズンですね。暖かくなったらゴルフも復活しますが、今はとにかく走りに集中します。

この街を離れることが出来ない理由があるとすれば ー Photo Blog


寒い週末でしたが、土曜日は10km、今日は20kmを走ることが出来ました。

昨日は雨が上がった後の細切れの時間に「よしっ」と思って急いで走り始めたら、完全に準備運動不足で膝を痛めてしまいました。寒い中、ストレッチもせずにいきなり始めたらあきませんね。知ってはいても、「何時までに帰って来なきゃ」と思えば焦ってしまうのです。
幸い、怪我には至らず、しっかりストレッチをしてウォーキングなどしていると膝が稼働し始めたので、そのまま10kmを走ることができました。ペースは4″21’/km。かなりハイペースでしたね。うん、焦ってたからだろうな。

今日はとても良い天気でしたし、時間的にも十分余裕があったので、20kmをゆっくりペース、5’35″/kmで。風光明媚な芦屋海の手を十分に楽しむことが出来ました。

ランナーにとっても、マリンスポーツをする人にとっても、スポーツのジャンルを問わず、最高の環境がここにあると思っています。僕がこの街を離れることが出来ないとすれば、その理由は、この風景でしょう。

それでは、ラン中の風景を写真でお楽しみください。

また良い番組に出会ってしまった 〜桂枝雀ドキュメンタリー


20kmランから帰って来ました。

今日はとても良い天気。
ゆっくりLSD(Long Slow Distance)するつもりが、ペース5.35/kmで20km。これでもスローペースを心掛けたのですが、性格がせっかちなんでしょうかね、なかなかゆっくり長く、というのは苦手です。まあ、この土日のランレポートは明日のエントリーで詳しく書きます。


さて、普段あまりTVを視ないので、番組表をチェックするということもありません。

ですから、自分にとっての良い番組との出会いは「たまたまつけたテレビで放送されていた」という偶然の出会いでしかない。これは本当に運命的なもので、パッとみた瞬間に、その番組から流れる空気やナレーターの声に一瞬で引きこまれてしまう。本当に、たまにそういう番組と巡りあうことがある。例えばその内の一つが、昨年11月の記事「武井壮に学ぶストイックな生き方」紹介した、マスターズ陸上に挑戦する武井壮のドキュメンタリー番組。あれも、たまたまTVに目をやった瞬間、録画ボタンを押してしまっていました。

さて、昨日の朝、コーヒーを淹れながらたまたまTVに目をやると、桂枝雀のドキュメンタリー「君は桂枝雀を知っているか〜伝説の天才落語家の真実」が放送されていました。桂枝雀というと、上方落語の爆笑王。うちは父がファンで、車に乗る時によくカセットテープで枝雀の落語を流していたので、有名な演目は大体知っていますし、14年前に自殺で亡くなられた時も大きなショックを受けました。この番組は、昨年11月に放送されたBS朝日の番組再放送らしい。

僕が説明するよりも、まずは視聴してみるべし(出来るなら)。とにかく真摯に落語に向かっていく姿勢と、心の闇の部分が、家族や弟子や米朝一門の兄弟弟子達、落語作家らによって明らかにされていく。そして、そんなインタビューの中に挿入される枝雀落語の貴重な映像を見ると、やっぱり「めちゃくちゃ面白い」。いやすごい。並じゃない。天才薄命。

ちなみに昨日に録画した番組を、今朝も視聴してしまいました。どうも、こういう「何かに突き抜けている人のヒューマンドラマ」が大好きなようです。インスパイアされますよね。

過ぎ行く景色を眺めながら、また新たな一歩を踏み出す


2月2日ということで、38歳の誕生日を迎えました。各方面から、お祝いメッセージをたくさんありがとうございました。このように気にしていただいているのは本当に嬉しいことですし、改めて、周りの人達や環境にとても恵まれていることに対して感謝の気持ちで一杯です。本当に財産です。

生きているということに感謝しつつ、これからの人生をどのように生きていくか、何を積み上げて成し遂げることができるか、そのようなことを年を一つ取る度に自問自答させられます。ただ年を重ねて行くだけでなく、進化し続けたいし、せっかく頑張っているんだから、刈り取る実も大きくして行きたい。刈り取る果実を大きくしていくためには、常にチャンレンジし続けて行かなければならないんですよね。スティーブ・ジョブズが言うように、探し続けること、立ち止まってはいけない。”Keep Looking, don’t settle”

今日はそんなことを考えながら、16kmを走りました。来月の篠山ABCマラソンは、この真っ赤なLuna Glideで勝負する予定です(昨年の12月に引続き、またシューズを購入)。体力は年々衰えていくのだろうけど、努力をすれば進化も出来ますよね。次はフルのベスト狙いたいなあ・・・。


昨日、神戸線の車窓から撮影したこの写真、いつもの見慣れた明石海峡の景色ではありますが、過ぎ行く車窓の景色をPVに活用した普及の名作「Star Guitar」を思い出します。色合いといい、雰囲気といい、似ていませんか?

流れる日々の景色の中で、宝物を一つづつ見つけて行きたいと思います。

The Chemical Brothers – Star Guitar

海のそばで


朝起きて、海沿いを10kmラン。

帰宅後、JR神戸線に乗って明石へ。
海がキラキラ。淡路島も明石大橋もくっきり。

歯の治療に行き、買い物に出掛け、洗車をし、散髪に出かける。

特に何もしていなけれど、したいことが全部できた土曜日。
日常生活がちゃんと営めるって幸せですね。
健康であるということも。

明日も良い一日となりますように。

コーヒーの次は、お酒の味も確かめてみるかな


たとえ、身体が思うように動かなかったとしても、少しでも元気になってくれば徐々に自分のペースを戻すか、あるいは可動域を広げて行きたいと思うのが、人情というものでしょう。「よし、この際だから寝溜めしたれ」とは “1ミリ” も思わないのは、すっかり大人になってしまったからかもしれません。

徐々に、恐る恐る、元の生活に戻して行こうとする。子供の頃、足が届かない大人の自転車を無理して乗ろうとした時のように、少しだけ勇気を出しながら。

いつものように自宅ではなく、外に出てPCを開き、文章を書いてみる。

さあ、どうかな、元のようにリズム良くキーボードを打ちテクストを並べることができるかな。肩甲骨の痛みは大丈夫かな、あの、頭をハンマーでどつかれたかのような朦朧とした痛みや感覚はないかな。少なくとも、今は公共の場所にいる。ここで、バタンと横になったら、周りの人々は驚くだろう。外出している時点で、多少はマシな格好もしている。少なくともパジャマやスウェットではなく、近所の人に会っても、違和感なく挨拶出来るくらいの格好ではいる。それもあってか、自宅にいる時よりも20%増しくらいの力を発揮することができるのは、家の外に出ることの最も大きな利点であると思います。

三日間飲まなかったコーヒーを、カフェに入ってオーダーしてみる(普段は一日にコーヒーを5杯は飲むのに、三日も飲まないなんて!)。その間、もちろんお酒も一滴も飲まず。どうかな、美味しく感じるかな。まずは一口。うん、味がない。まだ舌が本調子じゃないみたいだ。二くち、三くち、徐々にあの大好きなコーヒーの味を思い出してくる。ほろ苦く、口の中に広がる酸味。とても落ち着く味。


こうして、「リハビリ」をしながら自分との対話を続けている間に、世間の営みにも目を向けてみる。

バス停に並ぶ人達。図書館で勉強する人達。行き交う車、クラクション、駅の改札で待ち合わせをしている人々、そして、駅前のカフェで思い思いに時間を過ごす人達。ああ、みんなちゃんと活動しているんだな、元気なんだな。そりゃそうか、もし病気にかかっていたら、こんなところには来ないもんな、家で寝ているだろうし。

そんな事を考えながら、世間の中の自分を相対的に評価してみたりもする。

社会という単位の中の自分の存在を意識してみる。自分が何日もの間、家から出れず、寝腐っていたとしても、世の中は回り続ける。社会は刻々と変化と遂げる。そして、自分のこの数日はあたかも何事もなかったかのように過ぎ去り、道路の脇でストレッチをしていたランナーが、またマラソンのコースに戻って流れに溶けこんでいくように、自分もまたその流れの中で走り始めるのでしょう。

自分の直感を信じるということ、そして、それに従順であるということ

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PCを開くことがとても嫌になってしまった数日でした。

特に理由がある訳でもないけれど、自分の中で、仕事やメール、情報のI/O (Input/Output)を司る全ての媒体としてのPC、あるいはスマートフォンと関わることに急に嫌気が指してしまったのです。

そこで、この期間中(と言ってもたかだか二日間で、なんとか自分にむち打ちながら元に戻った)は、とにかく無理をせず、自分にとって心地良いと思える事だけをしようと思いました。極力、自分の志向にわがままになってみようと。

それはつまり、ジャズを聴きながら好きな分野の文献やエッセイ集を読み、コーヒーを飲み、10kmのランニングをし、出来るだけ車は使わずにトートバッグを肩からさげて歩き、散歩をし、連絡したい人とだけ連絡をし、馴染みのカフェに少し酒を飲みに行き、図書館に篭もる。

出張が続いていたということもあり、たかだか数日ではあったけれど、阪神間在住のものとしては忘れてはならない「1/17」という日も忘れてしまい(その日を知ったのは金曜日の最終便の飛行機で帰阪してから、地元のバーで常連さん達と話をしている時だった。ぎりぎりだ)、曜日の感覚もなくなってしまった感じでした。無気力、そう、無気力症候群のすごくスケールの小さなやつです。

で、こう書くと、今のこの「はい、色々疲れたので、したいこと以外は何もしませんよ」という居直ったコンディションの中で余分なものを全て削いだとしても、こんなにすることがあるんだと驚かされています。その他にも一つだけ仕事に絡むようなことはしましたが、それは、取引先がスポンサーをしているBJリーグの試合を観戦しに、若い頃に強豪校のバスケ部コーチをしていた父と二人で大阪の体育館まで出掛けたことです。確かに半分仕事ということもあるのだけど、それよりも久しぶりに父と二人で出掛けるという照れ臭さと共に、元コーチとしての的確な解説に驚かされたりしながら(当たり前だけど、少なくとも僕よりもはるかに専門的視点でゲームの流れを即座に分析している)、色々と話が出来たことは中々素敵な時間でした。


年頭の目標として掲げた、「elevation」という言葉。
1/1の記事から抜粋してみると、僕はこんなことを書いています。

“「elevation」つまり、上昇、跳躍。今までとは違うやり方で、思いっきり「跳ねたい」と思います。今まで「積み上げる」ことはして来ました。日々の習慣化のお陰でコツコツと継続して何かに取り組むことは得意になり習得したのですが、積み上げても見えてこない景色があることも、また事実。戦略的にもスピードが求められる年、今年はドラスティックな発想転換で「見えない景色を見る」年にしたいと思います。”

この、”積み上げてもみえてこない景色”をどのように見ようかと、気がだらんと抜けた時に色々と考えてみたところ、それは

「自分の直感を信じるということ、そして、それに従順であるということ」

だと気付きました。特にこの一週間でプライベートの場で出会った人たちからの何気ない言葉の数々は、このタイミングで本当に時宜にかなった仕方で降って来た言葉だったと思います。普段から極力、仕事関係なしに色んな分野の人と積極的に会うようにしているし、とてもありがたいことに食事の場をセッティングいただいたりして、素敵な方たちを紹介いただくのですが、それが、仕事と離れれば離れる程、気付きが多いのです。もうね、財産ですよ。

「直感」とは、自分の中のプリミティブな思考であると思うし、その思考は自分の中で「とても心地よく思うこと」「こうでありたいという価値観」「目指すべき方向性」と多分にシンクロすると思うので、間違いなく、それは自分の「志向」ですよね。それは、自分の人生をどう生きて行くべきか、素敵なものにしていくかの手段を見分けるコンパスのようなものであると思う訳です。

そこに「従順である」とは、自分に対して「嘘偽りなく、信じて従う」ことである訳で、人が何を言おうが、周りの環境がどうあろうが、自分の志向に対して言い訳せずに、信じたまま突き進むことが、自分の人生を、自分だけの自分という物語を彩りのある素敵なものにしていく。

人は大成功しようが大失敗しようが、金持ちになろうが貧乏になろうが、どのみち80年そこらで死ぬ訳です。あの時こうしていれば良かったと後悔することだけはしたくないし、「しない後悔よりも、した後悔の方が良い」に決まっていますよね。

ということで、今年の僕は徹底的にワガママに生きてみます。

直感に蓋をして、人の言うこと、周りの言うことにばかり耳を傾け過ぎて来た20年、自分のことよりも自分以外のことに気を使い過ぎて来た人生には疲れてしまいました。このまま、自分の直感を信じて好きなように活き活きと生きている素敵な人達を指をくわえて見ながらダラダラと年を重ねて行くのであれば、いっそのこと少し早めにこの世とお別れした方がマシだと思うので、少し極端にドラスティックに何かを変えてみたいと思います。 
 
 
 
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神戸街歩き


久しぶりに本を片手に神戸を散策。

「程良い街の大きさ」という尺度があるとすれば、神戸の大きさはまさにそれ。三ノ宮駅から北野の方まで少し歩くともう山が近づいて来ます。ピザで有名な「モンドール」で白ワインをグラスでオーダーし、ビスマルクとパスタ、サラダを少し食べ、またぶらぶらと坂道を下るとすぐに三ノ宮の繁華街に到着。

普段、東京や大阪などの大きな街で仕事をしていると本来は地元であるはずの神戸のその小ささを改めて肌で感じ、ああ、神戸ってこんなに小さな街だったけな、と再確認してみたり。

神戸という街は東西に広く、六甲山をまたいで北側にも広大な住宅地を抱えているため市の面積としてはとても大きいのに、その中心となると三ノ宮〜元町くらいのもので、海と山に挟まれた小さなエリアに程良い規模で色んなものが密集しています。そんな箱庭のような街をゆっくりと眺めつつ、駅近くの書店で
経済書を一冊買って、パラパラとめくりながら電車に乗りました。

夜は明日からの仕事の準備に追われていますが、
気持ちの良い天気の一日で、なんだかとても良い休日でした。