”でも、彼女たちの走る姿を眺めているのは、それなりに素敵だ。このようにして世界は確実に受け継がれていくのだなと、素朴に実感する。”

こういう仕事をしているので、一応、日々キュレーションされるテック系のニュースやレポート、ペーパーには一通り目を通しているのですが(Twitterのタイムラインで情報収集しています)、ああ、一部のとても能力の高い人たちがいて世界は回っているんだな、としみじみ実感することがあります。

自分がこうして電車に揺られている間にも、オフィスのデスクでミンティアを食べている時も、イスに腰を埋めて空を見ている時も、新しい論文や技術が生み出され、実証され、製品化され、世の中に出て行きます。人や社会の様々な営みを多角度から観察し、解析し、将来を予測し、ビジネスを解説し、取り組みを紹介している人たちがいます。だから自分もやらなくちゃと焦ることも昔はありましたが、最近は、ああいう人たちはああいう人たち。自分に出来ることは自分にしか出来ないのだからマイペースでがんばろう、としか思わなくなってきました。なんだか、劇場のオーディエンスのような感覚です。

一人のランナーとしても、エッセイとしても大好きな、「走ることについて語る時に僕の語ること」の中で、村上春樹さんがボストンのチャールズ河沿いをジョギングしている時に、金髪のポニーテールを揺らしながら走るハーヴァードの新入生(と思われる)の女の子たちに次々と抜かれていくシーンがあります。その描写の中で、こういう一文があります。

人々を次々に抜いていくことに、彼女たちは慣れているようだ。抜かれることには恐らく慣れていないのだろう。彼女たちは見るからに優秀で、健康で、魅力的で、シリアスで、そして自らに自信を持っている・・・まわりの風景を眺めながらのんびり走るということはおそらく、彼女たちのメンタリティには馴染まないのだろう。それに比べると僕は、自慢するわけではないけれど、負けることにはかなり慣れている。世の中には僕の手に余るものごとが山ほどあり、どうやっても勝てない相手が山ほどいる。

でも、彼女たちの走る姿を眺めているのは、それなりに素敵だ。このようにして世界は確実に受け継がれていくのだなと、素朴に実感する。彼女たちには彼女たちに相応しいペースがあり、僕には僕に相応しいペースがあり、時間性がある。それらは全く異なった成り立ちのものだし、異なっていて当たり前である。

自分に相応しいペース、異なっていて当たり前。
まさにマラソンと同じ。人それぞれ何かのきっかけや理由があって走り始め、辛さを経験し、それを乗り越え、達成した時の喜びを噛みしめる。それは、タイムを競うようなものではなく、極私的な事情に基づく個人的な体験です。僕も負けるには慣れています。今までも勝つことの方が少なかったように思います。だから競うのではなく、自分の良さを生かし、出来ることを最大限にやり、満足の閾値に達することができればと日々考えています。

(写真: 2016年9月 スタンフォード大学にて)
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走って読んで

一週間の疲れを癒やすべく、ゆっくりと読書の一日。ちょうど普段から色々な本をキュレーションしてくれる友人に、まだ買ってないならどうぞ、と手渡された「職業としての小説家」が今日のお供です。

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村上さんの小説にはあまり興味がないのですが、エッセーは大好きで何冊も持っています。この本も、小説家となるためにはどうすれば良いか、とか、小説を書くためのノウハウではなく、村上春樹の生き方そのもの、あるいは生き方のポリシーが書かれているように思います。そういう意味ではエッセーということができるかもしれません。(まだ最後までたどり着いてませんが)

村上さんは、自分自身の趣味(=人生そのもののような)について数多くのエッセーを残しています。僕の書棚にも、マラソンの事を書いた「走ることについて語るときに僕の語ること」、主にアイラ島のシングルモルトウイスキーのことを書いた「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」、そしてイタリア・ギリシア生活の「遠い太鼓」、そしてアメリカ生活の「やがて哀しき外国語」などなど・・・が並んでいます。

ランニング、ウイスキー、海外旅行、そして書くこと。

村上さんの影響を受けて始めたのではなく、自分が本当に好きでやっているからこそ、同じ趣味の師匠、先輩の言葉を聞いているように読むことができています。学べるし、共感もできる。もちろん、僕自身の「書くこと」は、このような日記でしかないので、人に読んでもらえるようなレベルではありませんが、それでも何かを文章にするということは頭と身体を使います。それにしても、この人、やっぱりすごいわ。何がすごいかは是非読んでみてください。ある意味、ビジネス書であり、自己啓発書であり、エッセーであり、偉人の自伝です。

こちらは夕方の夙川。
今日はスピードを意識した12kmランでした。

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水量多めの川面を見ながら

ジョギングは万能薬であると思っています。

例えば、心身の不調、ストレス、悩み事など、ネガティブな問題は大抵ジョギングをすればすっきりとするものです。昨日は曇天で気分が乗らなかったのですが、今日は朝から気持ち良く10kmちょっとのジョギングに出掛けました。昨日の雨で芦屋川の水量も多めです。

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海の波の音を聴きながら、目を閉じる。

この情報が溢れる世の中にあって、いかに思いを研ぎ澄ませブレずに生きることができるか。一人で走れる時間は思いの整理にはうってつけです。

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オールド・ハーバーはなかなか素敵な場所だ。僕はここに散歩に来るのが好きだ。人気のない静かな入江に五十隻か六十隻くらいの大小のヨットが停泊し、そのマストがかたかた、かたかたと乾いた音を立てながら、占い棒のように不規則に揺れている (村上春樹 「遠い太鼓」より)

ここはギリシャのスペツェス島ではありませんが、海洋体育館のヨットも強い風にかたかた、かたかたと乾いた音を立てていました。無論、今日は日曜日でヨットの体験入学が行われているし、ランナーも多いので、シーズンオフのギリシャとは違いけっこうな賑わいでしたが。

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帰りに近所の「ビゴ」でバタールを買って帰宅。

パン屋にせよコンビニにせよ、肌を露出し汗だくのオッサンが入店するというのはなかなか気が引けるものです。もう、何も気にしなくなりましたが。(笑

今日は午後からカフェごもり。
皆様も良い週末をお過ごしください。

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使い物にならん土曜日の朝

「新年会」という言葉は何月まで使っていいのか分かりませんが、きっと1月中であればいいんでしょうね。昨夜は大阪で今年最後の仲間たちとの新年会(なんか変な感じ)、さらに電車で帰って地元で二軒ハシゴするという事態にまで至ってしまい、深夜とても楽しい気分で帰宅したのですが・・・案の定、ひどい二日酔い。

ハッキリ言って今朝は使い物にならん状態でした。

酒を飛ばし、3月のマラソンに備える意味でも、今日は気合いをいれて長い距離を走ろうと思っていたのですが、二日酔いが治ると、今度は身体のダルさと寒気が・・・風邪を引いてしまったのかもしれません。ここで無理をして悪化しても仕方ないので午後からは思い切って「休養」の一日にすることにしました。

ちょうど、注文していた本も届きましたので退屈することもありません。先日、米国で読んでいた村上春樹さんの旅行記「ラオスにいったい何があるというんですか」がとても気に入ってしまったので、今度はアマゾンの書評で評価が高く、やはり外国生活について語った「遠い太鼓」(イタリア・ギリシャを中心とした3年間のヨーロッパ生活)、「やがて哀しき外国語」(2年間の米国プリンストンでの生活)を二冊注文していたのです。

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こういうエッセーや旅行記を読んでいると、自分も行った気分になれるので良いですね。でも、本当に行きたくなってしまうのでそこはぐっと我慢しなければなりません。色んなことがうまくいって、将来的に様々な国を行き来できるようになったら素敵です。そのためにもしっかりがんばらないと、と思いを新たにしています。

SFの PIER 39 で「ラオスにいったい何があるというんですか?」を読む

4ヶ月ぶりのシリコンバレーです。

前回の訪問は昨年の9月中旬。その頃はまだ夏の名残が残っていて(と言っても、ここには日本ほど極端な四季というものはないと思いますが)、車でも冷房をガンガン掛けながら汗をかきながら走り回っていたと思います。そういう意味では、今の気温は15度程度で気持ち良く過ごせます。

すっかり馴染みとなった SFO(サンフランシスコ国際空港)に到着後、サニーベールの定宿にチェックインする前に市内の PIER 39 でランチをすることにしました。ランチのお供は、村上春樹さんのこの本。サンフランシスコのベタな観光スポットで読む本のタイトルとしては、なかなかシュールです。

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ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

この本は数々の国を旅している村上さんの旅行記、エッセーです。冒頭のボストンの話は「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」に含まれる内容とも被っていたりするのですが、それでもとても面白い。9時間のフライト中も時を忘れて読むことが出来ました。

ちなみに、PIER 39 ではお決まりのクラムチャウダーとシュリンプサラダを。これを食べなきゃ始まりません。ボウル代わりのパンも美味しい!

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今日は曇天でしたが、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア・デーで祝日ということもあり、たくさんの人で賑わっていました。

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明日からは怒涛のスケジュールですが、今日は早めに休んでしっかりがんばりたいと思います。
 
 

近頃のオアシスと、経験値の話


一仕事終えた後は、風呂蓋をテーブル代わりに半身浴しながら酒を飲むというのが最高ですよね。

今夜は10kmほど走った後にすぐ、ブラックニッカと炭酸水、グラスを用意して風呂蓋の上に置き、iPhoneから流れるJAZZをBGMにマッサージするというのをやっておりました。これぞ、週末の至福の時間です。そして最近の「心のオアシス」が、「村上さんのところ」という10年ぶりに村上春樹が読者からの質問に答えていくという交流サイトです。このやり取りが面白くて。なんだかとてもホッとするし、正されるような気します。毎日マメに更新されているので、電車での移動中、疲れた時など、清涼剤のように見てはクスクスと笑っています。


経験を積むことって何か良いことがあるのかな、と思う時がありました。特にITの業界では、コアな技術は別にするとデザインやプログラミングなど、一度現場を離れてしまうと自分の持つ技術なんてあっという間に古くなってしまうものです。

しかし、今朝、ああ、経験を積む良さってこういうことなのかなと思う出来事がありました。先月から米国の某取引先と2月初旬のアポ調整を行なっていたのですが、なかなか決まらず。あらかじめ決めていた期日も過ぎ、今回は見送りかなと、諦めてフライトを手配したのに、今朝メールを見ると「スケジュールが調整できた、訪問を歓迎する」と。笑

さあ、そこからがバタバタです。各方面連絡し、フライトを変更し、米国内便のフライトを乗り継ぎ検索して予約し(残席3というフライトもあり・・・死ぬかと思った)、レンタカーも手配し、WiFiも、あれもこれも・・・と、なんだかんだで、あっという間に手配を完了しました。

こういう時に、自然に「あれをして、これをして」と動けるのが、まさに経験値なんだと実感です。トラブル処理能力、火事場のクソ力的仕事って、やはり(出来れば避けたいけれど)経験がものを言うものだと思いますよね。まあ、ちょっと焦ったし、出張も長くなったけれど、うまくまとまったのでよかったです。

レース中の、自分でいて自分でいないような感覚について書いてみる


昨日は今年の初レース「新春武庫川ロードレース」のハーフマラソン。地元の第41回を迎える伝統ある大会だけど初エントリーだった。

僕はほとんどのレースに一人でエントリーしている。当たり前だけど、会場へ向かう電車も、駅から歩いている時も、ゼッケンをウエアに取り付けている時も、トイレに並んでいる時も、ずっと一人。

たくさんのランナー達の中に「自分」という存在が混じっている。これは何かの間違いじゃないのか?と、不思議に思うことがある。日常的に走っているし、レースという一つの目標のために練習しているし、ウエアやシューズも充実させている。レース後にすぐ飲めるように、携帯用の保冷ケースに缶ビールとハイボールも入れて持参している。

それなのに「どうして、自分はここにいるんだろう」と、空中に浮かんで斜め上から一人で立っている自分を見ているような感覚を覚える。不思議でしょう? 一方で、スタート地点に並んでいる時に冷えないように体を動かしながら周りの人を見回し、「ああ、この人達もなるべくしてランナーになった人なんだなあ」と主観的に見ている自分もいる。空中と地上とを行き来しているような、とても不思議な感覚がスタート前の時間だし、走っている時も何故か「自分はなんで走っているんだろう」と思うことが多々ある。

「なるべくしてランナーになる」

これは、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」の中の一文だ。レース前もレース中も、色んな場面で文中のワンフレーズを思い出す。僕はハルキストでもないし、この本に出会って走り始めた訳でもないのに、どうやら「走ることについて〜」はランナーの心情を本当に良く表現していて、共感する箇所が多過ぎるくらい多く、自分が意識している以上に、ランナーとしての自分に大きな影響を及ぼしている気がする。ちなみに、村上春樹ではこの本と、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)」は、自分の趣味とまさに重なるので(もちろん、先生のレベルには足元にも及ばないのだけど)、大好きである。

「マラソンは万人に向いたスポーツではない。小説家が万人に向いた職業ではないのと同じように。僕は誰かに勧められたり、求められたりして小説家になったわけではない(止められこそすれ)。思うところあって勝手に小説家になった。それと同じように、人は誰かに勧められてランナーにはならない。人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。」(「走ること〜」71P 抜粋)

確かにそのとおりで、僕の周りにいる人たちも、何かがきっかけとなってランナーになり、何らかの事情でレースにエントリーすることになった。そんな人達が2000人集まっている。そして、その人達を応援する人々もボランティアの方々もたくさんいる。なんて素敵なんだろう。だから、僕は仮に自分が一人だったとしてもレースの雰囲気が大好きなのだと思う。そして、シーズンに何回もエントリーしてしまうんだと思う。


レースの結果は、まあ合格点。4’47″/kmペースの1:41’23″でゴール(手元では21.21kmだったので、多少誤差はあるかも)。目標の100分切りは出来なかったけれど、本命のレースは4月の芦屋国際ハーフマラソン、そして、フルマラソンの本命は3月の篠山ABCマラソンだ。それらの大会のための足慣らしとしては十分な出来だった。

さあ、篠山まで二ヶ月ない。3時間40分台を目標にしているので、これから一生懸命練習しないと。レース後に美味しいビールを飲むためにも。

走ることについて語る、村上春樹の心情とシンクロしたりする日曜日


村上春樹の「走ることについて語る時に僕の語ること」をパラパラと眺めていると、そこにはランナー心理をこれでもかと的確に表現したテクストがズラリとならんでいて、「ああ、そうそう、ほんとに、そう」と共感せざるを得ません。

彼は「走ることを人に薦めることはしない」と述べ、走ることには適正がありランナーはランナーになるべくしてなる、勝手に走り始めるものだというようなことを書いています。それは小説など「物を書く」こともそうなのでしょう。走ることに理由などない。

村上春樹が瀬古利彦さんに「走るのしんどく思ったことないですか」と聞いた時のエピソードの中で、瀬古さんが目をまん丸にして「当たり前ですよ、そんなのしょっちゅうですよ!」とのくだり、僕も今から10km走ってこようと玄関で靴紐を結んでいる時、少なくともワクワクはしていないのですよね。何も考えずにランニングウエアに着替え、シューズをはき、iPhoneの「Runkeeper」を起動させて「ランニングを開始する」を押し、黙々と走り始める。考えたとして、今日は身体重いかな軽いかな(走り始めてみないとその日の調子は分からない)ということと、今日は何を聴きながら走ろうかな、くらい。

走ることに対して何も考えない。走るべくして走っている。それだけのような気がします。もちろん走っている間の一時間くらいはずっと一人なので、あれこれと考えていますし、それが脳の中に散らかった情報のデフラグに役立つことはあったとしても、人にあえて言う程のことは考えてはいない訳です。

なんとなく村上春樹は苦手で、数年前まではレイモンド・カーヴァーの翻訳集くらいしか手に取らなかったのに、最近になって自分の趣味というか興味の対象が、村上さんのそれとびっくりする程マッチしていて、これは何だろうと不思議に思い始めました。スコッチウイスキーしかり、マラソンしかり、物を書くということしかり。

もちろん、全ての分野において僕は彼の足元にも及ばないのだけれど、ここまでマッチすると不思議な親近感が沸いてくるというのもまた人の心というものでしょうか。市民ランナー全員の気持ちを村上さんが代弁してくれるのはありがたいとも思いますし。彼は小説を書くこととマラソンは似ていると述べていますが、僕もこうして10年近くブログを書いている中で、同じように思うことがあります。ちゃんと調べたことはないけれど、ブロガーの中にはランナーが多いんじゃないかな。

そんなことを考える日曜日です。

ああ、まどろんだ思考を叩き起こすカフェのコーヒーが美味しい。