100を1にする作業

文章を書くということは、100を1にする作業なのだ

ここ数日、拡散されている幾つかの記事を見て学ばされました。一つはインプットの大切さを再認識させられたこの記事。

「文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい」(huffingtonpost)

文章を書くということは、ゼロを1にする作業だと思われているかもしれないけれど、本当は目に見えない部分での膨大なインプットがあってこその一文。本当にそのとおりだと思います。これは仕事でも同じですよね。仕事と直結しない本や文献だとしても、どれだけ読めるか。その努力とインプットの総量によって、脳に蓄積される知識が増えます。最終的にアウトプットのパフォーマンスとクオリティが変わります。

話をしていて面白いな、この人はとても賢い人だなと思う人は、まず第一に膨大な知識のストックがあり、第二にそれらを上手にデフラグして整理整頓でき、第三に必要時にすぐに引き出せる人です。いずれにしてもインプットの作業を怠っていない人は知識があり、知識を適用する知恵を持ち合わせている人ということが出来ると思います。ああ忙しさにかまけてインプットが薄い今の自分を猛省します。

二つ目の記事はこちら。
少し長いインタビュー記事ですが、これはもう、全文読んでみてください。
「“大切なのは心の教育”「シンクロの母」井村雅代コーチ スペシャルインタビュー」(フィジーク・オンライン)

— 今日、井村先生の話を聞いていると技術的なトレーニングよりも、むしろ心のトレーニングが大切ということがわかりました。

そう。心のトレーニング。それがなかったら粘れない。いいとこまで行っても越えられないの。持ち物はシンクロだったら脚が長いほうがいいし、背も高い方がいい。

だけど、いっくら脚が長くても綺麗でも、ふにゃふにゃな気持ちの子はダメ。そんな子いっぱいいるよね。もったいない。先天的に持ち物の良い子で、心さえあればいいのにという子を今までに何人も見てきました。

でも、その子にとっては越えられないんだもん、心は・・・。子どもが育つ中でどんな人と出会ったか、どんな信念を持った親に育てられたかっていうのはその子の運命よね。子どもは親を選べないから気がつけばその親の子になっている。一本筋の通った親に育てられれば、子どもはそうやって育っていくし、やっぱり心が一番大事やね。

親として、僕は心の教育が出来ているだろうか。
そんなふうに学ばされました。

なんだか反省することばかり。
でも、学ばせてもらえてるんだという感謝の気持ちの方が大きいです。

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ネオ・酒場放浪記

新・酒場放浪記 ではなく、ネオ・酒場放浪記。
何がネオなのか。寝不足、疲労、ハイテンションが重なると、酒場放浪していても、駅を寝過ごしてパスしても、山に行きたい欲が出てくるってところです。人間で欲深い生き物ですね。本当に辟易します。

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人類史上初めて超高齢化社会に生きる者として

Yahoo!ニュースより。

65歳以上人口、4分の1超=全県で15歳未満上回る―15年国勢調査

これが何を意味しているか、他人事ではなく自分事として考えてみる良い機会です。これ、大袈裟でもなんでもなく人類の歴史が始まって以来初めての社会です。前例のない社会、「人類初」の重みです。既存の経済学はおろか、人類学も、下手したら社会学も当てはまらない社会です。

今からたった14年後の2030年には65歳以上が40%になります。リタイアして年金生活・・・なんて夢のまた夢。お金持ち以外優雅に生活できないですよね。年金なんてある訳ないよね。AIとロボットに頑張ってもらうしかないよね。今の社会を維持したいならAIが代理できない儲からない仕事に老若男女関わらず80歳超えて死ぬまで就いて働こうね。こういう社会です。14年後なんて我が子はまだ20代です。うーん厳しい。

ネガティヴに言えば衰退する国家に生きる者として、ポジティブに言えば、シュリンクを前提とした新たな経済を編み出す良い機会になります。さあ、何を考えて今働きましょう?国家としてどんな社会を目指しましょう?

バイツェンを優雅に飲んでる場合じゃないなあ。

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知的であるかどうかを見分ける方法

知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。という記事を、Books&apps で見掛けたので、自戒を込めて引用します。

一つ目は、異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

二つ目は、自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない

三つ目は、人に物を教えるときの態度
知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている

四つ目は、知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する

五つ目は、人を批判するときの態度
知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。

知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。

分かっちゃいるけど、ついつい出てしまうこともたくさんありそう。実際、心当たりあるし。常に自己チェックですね!

ちなみに、このBooks&appsを書いていらっしゃる安達裕哉さんですが、7月27日の第49回グローバル人事塾に「普通の会社が飛び抜ける 新時代コミュニケーション活用!」というタイトルで登壇してくださいます。場所は東京の麻布。詳細はまもなく人事塾公式サイト公式Facebookページで告知されると思いますので、要チェック。

今日の写真は快晴のシリコンバレー、El Camino Realです。
記事とは直接関係ありませんが、梅雨を吹き飛ばしたいので掲載しました。ちなみに、僕は今、日本にいます。

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夜間飛行という言葉の響き

それは、サン=テグジュペリの「夜間飛行」にあるようなスリリングな、危険と隣合わせの郵便飛行のイメージではなく、なんとも言えないノスタルジックな、旅情を通り越した郷愁を感じます。

夜という響きと、暗くて静かな機内とは対照的に、月明かりに照らされた雲海、そして数時間後に到着するであろう異国の地に馳せる思いに繋がるのかもしれません。到着後のハードな動きを前にした、しばしの休息。出来るだけのリラックス。僕は大きなスーツケースを抱えてどこに向かおうとしているのだろう。

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ジェットストリームというFM番組がありました。
当時遠かった異国の地に対する憧れ、飛行機という非日常。それを彩るかのようなクラシックやラウンジミュージック。それは心地の良い音でした。

最近、Twitterを再開して「銀河鉄道の夜bot」をフォローしました。あのなんとも言えない言葉の数々にハッとさせられます。これもすべて暗闇の中を走る汽車の光景や月明かりに照らされた明るい野原の光景を思い出させます。夕暮れを走る汽車は、千と千尋の神隠しでも出てきます。

「その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう、凍った北極の雲で鑄たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。」

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たちいっしょに進んで行こう」

「カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ」ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、そのいままでカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの形は見えず、ただ黒いびろうどばかりひかっていました。

宮沢賢治の小説には死生観が出ています。死や別れは寂しいものです。旅も楽しさと同時に寂しさもあります。始まりがあれば終わりもあります。ただ時間は流れ、その先を見るのは、信じる心でしかありません。その先にあるものを信じることで、点と点が線として繋がる。

「夜間飛行」という言葉のなんとも言えない複雑な響きは、見えない未来を見る強さと、過ぎ去った過去に対する小さな郷愁から来ているのかもしれません。

ブログと共に迎える12回目の夏

毎年6月は拙ブログの誕生月。

2005年6月からスタートしたこのブログも、12年目に入りました。なんとなく始めた割には随分長いこと続いているものです。そして、日々稚拙な文章であるにも関わらずに読んでくださっている皆様、上手に伝えることができませんが、いつもありがとうございます。僕の励みです。

僕にとってブログを書くことは、一日一日を塗りつぶすこと。
願わくば、出来るだけ丁寧に。

時間は過ぎゆくものです。何かをしようがしまいが、起きてようが寝ていようが、時計の針は正確かつ無情に時を刻み、人はその刻まれた時間の分だけ、年を取り、死に近づいて行きます。

時間に流されたり、目先の事に追われて、ただ漫然と日々を過ごすということだけは避けたくて、一日一日を振り返り、感じたこと、考えたこと、あった出来事を記録として残し、そして書くことによって考えを整理しています。聞いたことや学んだことをテキストとしてアウトプットすることで、インプットした情報がメモリーされるので、ブログに書いたことは良く覚えています。

そして、その繰り返しにより、少しでも成長して行きたいと願っています。昨日より今日、今日より明日。特別な才能もスキルも持ち合わせていないので、派手なことは出来ませんし、目立つこともできません。一足飛びに跳ねることもありません。ただ出来ることは、良いと思うものを継続するということと、遅いと言われても、鈍いと言われても、少しづつでも正しい方向に積み上げることです。少しづつ、少しづつ。そして、コンパスが指す方向へ一歩一歩、歩みを進めることです。

「世界の変化のスピードがこれだけ速くなると、〈地図〉はもはや役に立たない。必要なのは〈コンパス〉だ」

いろんな出会いと機会に恵まれ、仕事の幅も年々広げていただいています。少しでも、自分に関わる人たちのお役に立てればと思っています。家族、共に夢に向かう会社の仲間たち、友人たち。そして、様々な活動や仕事で触れ合う方々、そして、このブログを訪れていただく皆さん。何か少しでもこのブログに来ることが良かったなと思えるようなことがあればと願います。これからもよろしくお願いいたします。

Keep looking,don’t settle.
Stay hungry,stay foolish.

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愛とは、認めるとは

オバマ大統領が広島を訪問したというニュース。

少なくとも僕は各社の報道と、オバマ大統領のスピーチ全文を読んで帰りの電車内で涙を拭ってしまった。戦後71年。未だに戦争は続いているけれど、人類が、少なくとも、ミクロなレベルで身近な人間に対する憎しみではなく、愛情を持って接するということが、今後の人類社会がサステイナブルに持続する唯一の鍵だと思っています。同じ人間としての愛情。コミュニケーションの根底にあるものは、相手を理解し認め、愛情を持って接すること。

否定することは簡単で、とても分かりやすい。

僕はキリスト教徒だけれども、神と悪魔、正義と悪、資本主義と共産主義、キリストとイスラム・・・白黒はっきりできるほど、今の社会は分かり易くはない。むしろ多様化しているからこそ、分かりにくい。分かりにくくていいじゃないか。分かりにくいことがスタンダードだ。グローバルとはそういうものだ。日本人がジンバブエの日々の暮らしを想像できるか? シリコンバレーにいる人間が、フィリピンのスラム街で日々生き死にに直面しながらゴミを拾い集めてい生きながらえている子供たちのことを想像できるか。

僕の祖母は原爆が投下された日、呉の海軍工廠にいた。学徒動員である。

小学生の僕は、祖母に無邪気に、

「原爆みた?」

と聞いた。祖母は「きのこ雲はみえたよ」といい、そこから何も話しをしなかった。余程、悲惨な光景を目にしたんだと思う。広島復興、支援のために駆りだされたのだろうと想像する。そこで見た悲惨な光景は、人として思い出したくなかったんだろう。なぜなのか、どうしてなのか。戦時中、日中戦争に駆りだされた大叔父も同じだった。中国で目にしたことを、何も語ろうとはしなかった。

人間というのは、生存本能を持って生まれて来る。
目の前で悲惨な死を嫌というほど目の当たりにした時、生存するために、ありとあらゆる感情でもって、自分をコントロールし、生きるために色んなことに折り合いをつけ、蓋をするんだろう。それが、生きるということなんだろうと思う。

戦後71年たった今、人口爆発している地域もあれば、日本のようにひたすら人口が減少している地域もある。でも、皆、人間という共通項で繋がっている。認めなくては。愛情を持って接しなくては。

何度もいうが、否定、切り捨ては簡単だ。レッテルを貼ることも、すごく簡単。認めるということ、理解するということは、その何倍も労力が要ることだ。今、その労力が人類社会に求められているんだと思います。しんどいけれど、未来を繋ぐためにがんばらなくてはならないことだと思います。

_89814773__89814446_89814443(出展:www.bbc.com)

「場」という言葉の重み

「場」としての健全性とは何でしょう。

僕の中での「場」とは、その場を切り盛りする人間のこうあるべきという理想と意思、それを理解する人の人生の一部の時間を切り売りするという理解の上に成り立っているのだろうと思います。「場」という言葉を「店」とし、人を「客」に置き換えて考える時、当然ながら店は客を選ぶし、客は店を理解した上で、場と時間に対する対価を支払う。そこに健全性があるんだと思います。当然、開かれた場と閉じられた場との違いがあることは承知の上です。

ありがたいことに、僕個人としては後者の意味でいうところの良い「場」に恵まれていると思っています。コミュニケーションを超越した時間の共有。本当にありがたいし、そういう場に出会えると心地よさを感じます。

「場」は時としてグローバルとかダイバーシティという言葉の正反対に位置する極地的なものかもしれません。ピカソやゴッホの絵画に数億円という価値を置く人がいるように、場に対しての主観性は非常に限定的ですが、それでも、クローズドな場に対する感謝の念を感じずにはいれません。

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Startups が経済的に成功するための極私的分析と手法

うちはスタートアップスではありませんが、最近、よくスタートアップス支援やプログラムを目にするので・・・ちょっとだけ書いてみました。ここで言う「経済的な成功」というのは、バイアウトかIPO、または社員数100名以上、年商30億以上の会社に成長することと定義付けたいと思います。そのための要因は幾つかありますが、僕のすごく個人的な、極私的分析によると、下記のいずれかを満たさなければなりません。

唯一無二のアイデア
唯一無二の技術力
圧倒的な資金力
圧倒的な人脈
圧倒的に優秀な人財確保
圧倒的に大きな市場

曲りなりにも色んな方と会い、色んな会社を見て、色んな情報に接していると、一種の法則が見えてきます。スタートアップスは隙間をついたビジネスを創出し、意思決定力とスピードで成長することがイニシアティブですが、大企業が、R&Dや新規事業創出室、オープンイノベーション推進室なんて、切り離しの効く部署を独立させ、小・零細企業の年商規模の予算をつけて、頭の良い人間をアサインして、はい、どうぞ、5億円程度の予算なんだから、最悪失敗しても良いよ、と言い始めたら、どこに勝てる要素があるでしょうか。

だからこそ、甘くはないのです。

上記6つのどれかを満たして始めて、成功します。でなければ、2年以内にケリをつけましょう。それ以上は、時間の浪費になるかもしれません。毎日骨太です。

(記事の内容は極私的分析によるもので、会社を代表しての見解ではございません)
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