世界は広いけれど、実際は狭いのかもしれない

物理的な世界は広いし、行ったこともないところばかりだけれど、狭義的な意味においての世界(むしろ、業界)は専門性があればとても狭いし近いのかもしれません。

このブログで仕事のことを書かないのはパブリックなネタ以外はNDAの配下にあることが多いためですが、今年も、大きなことが出来るかもしれません。世界は近い。いや近づけないと!という思いで日々歩んでいます。一歩づつ、一歩づつ。

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店の外は雨


例えば、志を同じにする仲間とのウイスキーや、家のように落ち着く場所でのウイスキー。

それらを楽しんだ後、仮に、いや現実として、屋外に出た時に雨が降っていたとしても、起きた出来事すべてを肯定するような夜が週の半ばだからこそ、濡れながら家に帰って仕事の続きをしてメールを送り、読みかけの本を少し進めてテキストを打つ。

それで師走の一日は過ぎて行くのですから、時のスピードには敵わない。
そういう夜です。

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感覚で生きること、ゴールを見据えること


学校で何を学んだか、大学で何を専攻したか。
結果も大切だけれど、それよりも、プロセスから何を学んだかの方が大切です。結果重視なら、そこそこの大学でマスターかドクターまで行けば良いでしょう。少なくとも日本では新卒採用からがスタートですので、何でもOKではないでしょうか。

君のゴールはどこにあるのか。
そのゴールに向かってのスキルに対してアセスメントができるのはあくまで自分です。自分で自分の能力をよく知っているからです。少なくとも僕には残念ながら秀でた能力はありません。自分から見て能力がある人が羨ましく感じることもあります。でも、視点を変えれば、何か活かせるものもあるのです。イスタブリッシュメントでもなく、特筆すべきことがなくても、です。

大切なのは、きっと、感覚に基づいた想いと、ゴールイメージです。
あきらめない。卑下しない。

それが、自分がここに居させる原動力になるのだろうと思います。

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器とビジョンとウイスキーと


ふける夜のお供はいつものシングルモルトのハイボールでもいいんだけど。
やっぱり懐かしいバーボンも味わいたいもの。

酒があってプリミティブな原点に返る時点で小物です。
そこは肝に命じておきたい重要なファクターです。

[re:jazz] – Inner City Life

【超人的記録】8800kmも走ったことになっていた


目を疑う光景シリーズ第二弾。

Runkeeperを見ると、僕が30時間で8800kmを走ったというログが記録されていました。どうやらその日の朝、バーリンゲームのベイサイドトレイルをジョギングする時にスタートボタンを押したまま飛行機に乗り、帰国した日の翌日に「あっ」と気付いてストップボタンを押すまでアプリが動き続けていたようなのです。

人間がこんな短い時間でこれだけ走れる訳ないよね。アプリから「新記録おめでとう!コングラチュレーション!」というメールも届くし、なんだかね。システムをだますことは簡単です。笑


この週末、久しぶりにまとまった距離を走りました。

昨日は15kmジョギング、今日は芦屋川駅から雨ヶ峠までのトレラン往復。どちらもとても気持ち良かったのですが、筋肉というのは厄介なもので一度衰えてしまうとなかなか言うことを聞いてくれません。アメリカでもちょこちょこと時間を見つけて走っていたとはいえ、まとまった距離でもなく、久しぶりの15kmは身体が重たい!またイチから筋肉を鍛えなければならないようです。はー。

今日の六甲は曇り空でしたが、下山する時には随分と晴れてきました。

一人、滝の茶屋でビールとおでん。
贅沢な瞬間です。

木の根を見て、たそがれる


芦屋浜に打ち上げられた流木と、大きな根。

半分水に浸かっている大きな根は、先日の大豪雨の後からその場所に鎮座。手前の木は今日のジョギングの際に初めて見つけたのだけど、実は前からあったのかな。

どちらにしても、これらの物がその本来あるべき場所ではなく、移動して来たという事実に何とも言えない感情を覚えます。大きな物を動かすエネルギーが発生したという事実と、そのエネルギーは、彼ら(木と根)をその場に残して霧散してしまったということ、そして、その後、彼らを動かすエネルギーは発生していないということ。

大きなエネルギーではないけれど、その近くで人が走ったり、犬が歩いたり、波が立ったり、川が流れたりするようなエネルギーは発生している、現在進行形の事実。

そして太陽が沈みゆく光景から見える、宇宙空間の中の地球。

土曜日にも関わらず、夜まで忙しい一日でしたが、合間の時間に走りに行けてリフレッシュできました。明日も素敵な日曜日になりますように。

それでは今日はこの辺で。

ご一緒に、たそがれてみましょう。

ルパン三世 (Lupin III) – Love Theme

遠回りであることを、あえて肯定してみる


物事の本質を知るということは、たやすい事ではありません。

かつての偉大な哲学者や、かのポール・ゴーギャンがそうであったように、 本質=nature というのは、詰まるところ「自分は何のために存在していて、どこから来て、どこへ向かうのか」というような、人間の知能で考えても絶対に分からないような哲学的なところに行き着いてしまうからです。普段の生活において、毎朝起きる度に、そんな事を考えていると身が持ちませんよね。極論、「どうせ人はいつか死ぬんでしょ・・・」というネガティブな思考へ走ってしまう危険性も秘めています。この考え方はとても脆くて、ちょっと自分自身のコンディションが悪ければ一瞬で刹那的な方向へいざなうドラッグのようなものです。

さて、健全なコンディションの人間の場合、極論への近道に進まなくても自分自身の「curiosity」(好奇心)を満たすことを優先させる方法は色々とあります。例えば、大きな括りの中での本質を知りたくて、まず多方面に興味を分散させてから一つの点に集約していくような動きを取るというのも楽しいことです。仮に、直接的に自分自身の効用(例えば、仕事や、利益に直結するようなこと)に関係しなかったとしても、自身の枠の中で広げられる枝葉の中で分野を広げていくというのは、知的好奇心を満たす上ではとても楽しいことだと思っていますし、自分も極力、そうするようにしています。

(出典:wikipehia)※火星探査ローバーの「curiosity」。モビリティの中で最も好き。


良いか悪いかは別にして、このような考え方は基本的には「遠回り」ですね。人の命は有限だというのに、利益に直結しないことにどうしてあえて時間を使うのか。

意味ないやん。その時間もったいないやん。仕事する時は仕事して、ゆっくりする時はゆっくりしようや。そんなん、学生の時に終わらせておこうや。

色々な意見があると思います。でも、このような疑問にはハッキリと答えることができます。それはずばり、

「快感だから」。

あらかじめ断片的に保有していた情報(それはあくまで断片的なのでどことも繋がっていない隕石のようなもの)が、新しく入った情報が媒介となりどこかの惑星と繋がる。シナプスとシナプスが結合される感覚は、まさにパズルのピースがパチっとハマったような感覚を覚えます。だから、仮にそれが遠回りだという自覚はあったとしても(いや、実際あるんだけど)、それでも枝葉を広げて行く作業というのは止められないんだな。いつかどこかで破綻するかもしれないけれど。という訳で、僕はいつも出来るだけ自分の専門分野とは違う文献を読むようにしていますし、社内の人間には「出来るだけ社外の人間と飲みに行くように」と薦めています。世界は広い。だからこそ、自分の世界も広げなくてはならない。

さて、少し肩の力も抜けたので、ハイボールでもやりながら、友人たちのタイムラインでも眺めて楽しい気分にでもなりましょう。それでは、今日はこの辺で。