水辺のある風景

一緒に走っていたラン友さんが、「やっぱり水辺の景色は雰囲気出ますね」とおっしゃっていたとおり、大阪の中之島はシーニックなポイントで溢れています。

ランニングクラブ「うめラン」の普段の練習は、大阪市役所から大阪城の方に向かうコースなのですが、この時はラン友さんのお見舞いも兼ねて、中之島を河口に向かうコース。初めて走りましたが、中央卸売市場のあたりも20時前だというのに、まだ薄明るくてとても良い雰囲気でした。

一年で一番、日が長い時間の良さですよね。

大阪で働いていても、まだまだ知らないところはたくさんあるわけで、目線を外に向けるのもいいけれど、やっぱり、足元の良さ、地元の良さってありますよね。

(仕事は別として)ここ最近は、すっかり地元志向が強くなっています。
 
 
 
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なにがしあわせかわからないです。 ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。

昨夜、なんとなくNHKのSONGSを見ていたのですが、宇多田ヒカルが自身の生い立ちと家庭環境、その上に形成された世界観を語る時に、「銀河鉄道の夜」に出てくる燈台守の言葉に影響を受けたと語っていて驚きました。実は、僕も大好きなのです。

なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。 〜 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

彼女の場合は、どこに行っても転校生、明日いきなりNYに住むよ、来月日本に帰るよ、というような、目先どうなるか分からない不確実な生活を世界レベルで経験しながら成長したという、ある種のアイデンティティの欠如をベースとしたものだと想像するのですが、僕の場合は、一つひとつの選択の正しさを後ろ盾してしもらえる言葉として励みにしています。

過去を振り返った時に、あの時の選択は本当に正しかったのだろうかと思うことがあります。

人生というのは小さな選択と決定の連続で、その時その時の必死で一生懸命の積み重ねが今に至るのであれば、過去の自分をしっかりと肯定してあげることが、今とこれからを生きるための糧となるのではないのかなと思います。

それが願わくば、「ただしいみちを進む中でのできごと」であり、「峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつ」になれば良いなと。辛いことも、悲しいことも、その先の「なんだか分からない幸福」に近づけるのであれば、乗り越えていけますし。

夕方涼しくなった頃、走りながらこの文章を反芻していました。

さあ、7月スタートです!
 
 
  

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6月の〆は鱧とゴルフと焼肉

週の後半は、会社部署での飲み会。
夏は鱧ですねえ。

ついつい飲みすぎてしまいましたが、翌日はお世話になっている方と会社のメンバーとのラウンド、花屋敷GCよかわコース。気合で5時起床に成功しましたが、スタート時点で二日酔い、しかも、土砂降りの大雨!

10分遅れでスタートしましたが、図ったかのように雨も止み、いいコンディションの中でスタート。バンカーは池でしたが、雨後の芝は映えますね。

帰宅後は、疲れを癒やすために焼肉!

盛りだくさんな6月もすごいスピードで過ぎて行きました。
驚くことに今年も半分が終わりましたよ!

さあ、明日から7月!
 
 
 
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また美味い肴に出会ってしまった

 
酒飲みにとって、肴は命。
 
美味しい酒と肴に出会うために日夜放浪していると言っても過言ではありません。美味しい店には自然と「食べ好き」が集まり、馴染みのカウンターには出張や旅行帰りの常連方によって各地の美味い肴が寄せられます。

昨夜そのカウンターで、また美味い肴に出会ってしまいました。

それがこちら。いぶりがっこのタルタルソースです。燻製された大根と、みじん切りの玉ねぎとのマリアージュ。これを小さくカットしたクラッカーの上にのせていただくだけで酒が進むんです。ネットでもカルディでも売っているようですね。絶対に買おう。 

今夜はこれだけでは終わりません。こちらも酒飲みの常連さんが釣って来られたという鮎の塩焼き。鮎はやっぱり肝ですよ、肝。

更に、古漬け。

最後はやっぱり、蕎麦で〆

平日夜のカウンターは、小さな酒場放浪記の世界。
最高の夜です。
 
 
 
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雲を見上げて、早く軽くなれとつぶやく

季節は嘘をつきませんね。
今が梅雨なのだということは、空を見れば分かります。

今日の夕方遅くの打ち合わせ時には西の空が真っ暗になり始め、風も強まり、今にも大粒の雨が降り出しそうな気配になってきました。こうなるといっそのことドカンと雨が降ってくれた方がいいのですが、大量の水蒸気を抱えたままの重たい雲が地表を覆うと、気圧が低くなり、僕のような低気圧に弱い人間にとっては辛い時間が流れます。

雲を見上げて、早くその大量の水を落として軽くなれよ、とつぶやきたくなり気持ち、一体どれくらいの方に共感いただけるのでしょうね。

さあ、明日もしっかりがんばりましょう!


 
 
 
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走ることと発散

気分転換のジョギング、大会前のトレーニング。
様々な目的があって走るわけですが、もう一つ、フィジカル面以外の副産物は、PCやスマートフォンから離れることができるということです。

普段の生活では必ず目の前にモニターがあるか、片手にスマフォがあることが多くて、意識してそこから離れなければ集中して何かを考える時間は確保できません。でも、走っている間は一人だし、目の前の景色しか見えないので、ものを考える時間には最適です。

頭の中で仕事の課題に向かったり、講演やセミナーの内容を考えたり、新しいアイデアなども、走っている最中に出ることがほとんどです。汗と一緒に不要物を流す。身体と頭のデトックスです。

そういう意味では、走ることは発散の手法に近いですよね。

走ることもそうですが、仲の良いみんなと好きなことを言い合いながらの飲み会も、発散することで充足感と活力を得られるので、ジョギングに近い効果が得られます。

昨夜は飲み会で発散できました。


 
 
 
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人が場所をつくる〜 産学官民連携・KNS定例会

楽しみにしていた、KNS(関西ネットワークシステム)の第61回定例会が関大梅田キャンパスで開催されました。KNSとは関西最大規模の産学官民連携団体です。僕はそのコンセプトに大変共感しているのですが、それは下記のようなものです。

産学官民メンバーが、互いにフラットな関係性を築き、自主的かつ積極的に交流・協働していく人的ネットワークに支えられた異分野コミュニティです。メンバー相互が、背中に背負った看板を脱ぎ捨て、個人的立場で参加しています。

産学官民連携はコミュニケーションからはじまる(KNS公式WEBサイト)

この精神こそ、まさにオープンイノベーションであり、基調講演でお話させていただいた内容とも被りますが、異分野の緩いつながりと助け合い、ボランティア精神が醸成され、そのような人々によって場が形成されて新しいものが生まれる素地となっていくのだろうと思うのです。

少し大きい話ですが、世界中から人・物・金が集まるようなシリコンバレーや中国・深センのように、量や規模ではなく、質と先進性で勝負できるのが日本だと思っていて、それは例えば、日本にしかできないような

先進国でありながら超高齢化社会
15年後に3軒に1軒が空き家という人口減少
シュリンキングエコノミー(撤退戦の経済学)
エコ

などの分野で、世界のロールモデルとなるようなビジネスや手法を生み出していけば、まだまだリードできるのではないかなと思っています。もちろん、僕が身を置くテック業界もまだまだ革新の余地はあります。

それにしても、講演の後に続いた200名近くの皆さんとのグループに分かれての井戸端会議や、交流会、二次会にいたるまで、とても楽しく、学びとパワーをいただきました。

また、交流会でお話させていただいた若い方々の問題意識の高さとモチベーションは本当に見習うべきところです。

写真をたくさん撮ってくださった愛するうめランの皆さん、そしてKNS世話人の皆さん、基調講演のオファーをくださった敬愛する堂野さん、関大の皆さん、そしてお会いしたすべての皆さんに感謝です!

二次会の写真をお借りしました。笑

 
 
 
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肩が重たい時は走るに限る

肩が重たく感じるので、昨夜と今朝の早朝に連続ラン。
夜の涼しさと明け方の爽やかさにありがたみを感じる季節になってきました。日中走るのはもう無理ですね。夜でも朝でもしっかり走れば発汗もできて肩のうっ血もスッキリするものです。

さて、明日は関西ネットワークシステム(KNS)の第61回定例会が関西大学 梅田キャンパスで開催されます。「オープンイノベーションから生み出される革新的な製品とサービス – シリコンバレーの文化とコミュニティから日本が学べる点とは – 」というタイトルで基調講演を行わせていただきますが、50分にギュッと凝縮した内容でお送りしたいと思いますので、参加される皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

学びに交流に。
最高の週末になりそうです。
 
 
 
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書き始めて14年目。日々を丁寧に塗りつぶしていきたいと思います

バタバタしていたら今年もつい忘れるところでした。毎年6月はこのブログの誕生月です。2005年6月からスタートしたこのブログも満13歳になり14年目を迎えました。長いこと続いているなという実感は通り越し、今では生活の一部になっています。こういうのをライフログというんでしょうね。

この時期になると思い出すのが、ブログを始めた当初、スペイン在住の読者の方がコメント欄に残してくださった「毎日を丁寧に塗りつぶされていますね」との言葉です。

ただ漫然と日々を過ごし、年齢を重ねることだけは避けたくて、一日一日を丁寧に塗りつぶしていくこと、そしてそれを習慣化するということだけは意識してこれたのではないかなと思っていますし、それが外部によって提供されるSNSサービスなどではなく、過疎化していようが読者が少なかろうが、個人サイトでやってこれたということも良かったと思っています。流行り廃りもありませんし、自分がやめない限りはサービスが停止することもないですから。

とても独りよがりですけどね。

でもライフログって、極端に私的なものなので、そもそも独りよがりだから、あまり読み手のことを意識して書いているということもありません(じゃあ公開するなよとの声もあるでしょうけれど)。好き嫌い、批判と同調の両方はあるでしょうけど、結構、自分の好き勝手書いていますから。

「習慣化」というのは、相変わらず自分の中では大きなキーワードです。

特別なスキルも、才能も持たない人間にとっては「コツコツと積み上げること」が唯一成長するための手段だと思いますし、そのためには習慣化することが必要かなと。仕事もマラソンも勉強も。欲をいえば、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学のスピーチで残したように、そのことを「好きになる」ということですよね。好きなことは、人間勝手にやりますから。僕が飛行機や空港のことを書くのと同じで。

というわけで、今年もコツコツと日々を丁寧に塗りつぶしていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。


 
 
 
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震災ネイティブなめんな

人間は自然によって生かされる。
その人の人生においてどれだけの苦難を経験したかが、その人の深みと咄嗟の行動に影響を及ぼすのではないか。

僕は阪神大震災を震度8地域で経験しているし、東日本大震災も淀屋橋の耐震ビルの9Fで経験している。ゆらゆら揺れるビルの中で、メニエールとの併発でえらく気分が悪く、アウトプットしそうになったことを覚えている。阪神大震災の時は、強烈だった。飛行機が当時住んでた家に落ちたと思った。それが地震だと分かった後、遠くから地鳴りのように聞こえる余震に怯えながら過ごした。家から徒歩すぐの体育館には、白い棺が並んでいた。遺体安置所だった。水道ガスが止まっていたので、川から水をくんでトイレに流し、シャワーが浴びれないので、水を使わないシャンプーを使い、線路を歩いて大阪の茨木(今回の震源地)の叔母のところに身を寄せた。

震災ネイティブをなめんな。

今朝8時のあの揺れを、早朝出勤中の会社で感じ、マニュアルどおりにすぐに公園に避難したが震災ネイティブからしたら屁でもない。しかし、尊い人命が奪われてしまった。自然が暴れる時、必ず人の命を(少なからず)奪っていく。それはなぜなのだろう。その子の命が尊ければ尊いほど、自然は自分の中に取り入れたがるのか。それは優しさなのか。自然の愛情なのか。

僕のように心の弱い人間は、その事実を受け入れることができず、極力日常生活を平穏に過ごそうとする。表向き、自分の命を惜しいとは思っていない。好きな時に自分が満足しながら死ねたら本望だとも。だから、こんな日でも身内の安否が保証されたのなら、酒を飲む。

あのなあ、人類ってそんなにヤワじゃないんだよ。
死滅し、数が減り、色々の苦難を経ても、生存し続けるのがホモ・サピエンスなんだよ。

震災ネイティブなめんな。
 
 
 
 
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